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2016年04月18日

第97回 赤城山






文●ツルシカズヒコ





 一九一三(大正二)年六月末、らいてうは奥村博と新緑の赤城山に出かけた。

『青鞜』七月号の文祥堂での校正にらいちょうが不在だったのは、この赤城行のためである。

 新緑の赤城の風景のすばらしさについては、らいてうは長沼智恵子から聞いていた。

 野枝は『青鞜』七月号に、こう書いている。


 らいてうは此の号の編輯をすますと同時に廿六日の夕方東京を立つて旅に出ました。

 多分行先は赤城だらうと思ひます。

 白樺の葉の貼つたはがきを送つてもらう約束をしました。

 私はそれを待つてゐるのです。


(「編輯室より」/『青鞜』1913年7月号・3巻7号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p40)
 
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 らいてうは『円窓より』の印税が入ったので、ひとりで赤城山に行く計画を立てていたが、奥村がふと現れたので手紙を書いて誘ったのだった。


 私は去年の秋からきょうまで幾度《私の大事の(ママ)鳥は逃げました》と言っては嘆いたことでしょう。

 お許し下さい。

 私はときおり相手の誰彼を問わずそう言ってはずいぶん泣きました。

 あなたの自画像で顔を覆って動かなかったこともございます。

 あなたに接吻し、ペパミントを飲ませた気違いじみた行為も笑わないで下さい。

 月のはじめ十日頃までは私にとって自由な時です。

 私は今心もからだも疲れきっております。

 誰も居ないところへ、静かなところへ只ふたりきりで行きたいのです。

 あなたと私といっしょに赤城の山で一週間ほどの日を送って下さらないでしょうか。

 今私の部屋は綺麗な花で一ぱいです。

 幾種類もの百合の花が悩ましいまで咲き匂っています。

 自画像はいつ頃出来上がりますの。

 私に一番先に見せて下さることをお忘れにならないで下さいね。

 六月十七日夜半 昭


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p110~112)





 ふたりが赤城に出発したのは六月二十二日だった。

 その日の午前中、奥山は銀座に出て竹川町の亀屋で、バタア、チイズ、缶詰、ヴァン・ホウテンのココア罐、緑色の瓢箪型の壜に赤いラベルが貼ってあるフランスのジェ・フレエルのPipermint(ピペルマン/ペパーミント)を一本買った。

 奥村は出雲町まで来ると、角の資生堂に寄り、らいてうに頼まれた水歯磨(オドオル)と口中香錠(ゼム)を買った。

 千疋屋では果物を買った。

 築地の下宿に戻り昼食をすませた奥村は、近所のチャリ社で焼きたてのコッペや黒パンを買った。

 買い物の金はらいてうから渡されていた。

 旅費もすべてらいてう持ちである。

 奥村は買い込んだものを草の蔓で編んだ大きなサックに詰め込み、絵の道具を抱え、上野駅に向かった。

 らいてうと奥村は、上野駅から前橋行きの二等車に乗り、車室の前よりに、行手の向きに並んで座を占めた。


 昭子はエリヨトロオプの匂をほのかに漂わせながら、晴ればれとした顔を浩に向けた。

 きょうのこの人の装いを見ると、薄色のオオルドロオズの半襟に仕立下しの紺絣銘仙の単衣を着、濃オリイヴのカシミヤの袴をつけ、キャラコの白足袋に紺無地のヴェルヴェットの鼻緒のすがった南部桐の下駄を履いている。

 持物は鼠色(グレイ)のしなやかなアストラカンのマントオに洋傘、黒革の小形トランク一個。

 また浩は白のベレをかぶり、例の赤い刺繍をした麻のルパアシュカにホウムスパンの上着を抱え、鼠色(ミネラルグレイ)の大縞のコオルテンのパンタロンに野暮な編上げの兵隊靴という、まるでロシアの百姓とでもいったふうの身なりである。


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p116~117)





 その日、ふたりは前橋駅の近くに宿をとり、翌六月二十三日、赤城山に登り、大沼の小鳥ヶ島の岸近くの宿に投宿した。


 女中の風呂の知らせに、浩は先に母屋へ立って行った……。

 疲れたからだを浩は沁みじみ湯に浸っているところへ、昭子が入ってきたが、流し場は狭く、ふたり一緒にはいるには窮屈な据風呂で、彼はすぐ出て昭子にゆずった。

 ーー背中を流してあげましょうね。

 言われるままに浩は向き直り、風呂桶のへりに腰かけて、からだを昭子に任せて……。

 浩が昭子を流す番がきた。

 彼は……昭子の肉体にじかに手を触れながら、全身にオリウヴ油を塗りでもしたかと思われる、きめのこまかいなめらかな、小麦色に張りきった餅肌に心は強く牽きつけられたが……。


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p120~121)






 投宿して数日が過ぎたある日の昼すぎ。

 ふたりは大沼の湖畔に繋いであった小舟に乗り、奥村が櫂(かい)を漕いで小鳥ヶ島に渡った。

 らいてうは、こう書いている。


 全山萌えるような新緑に掩(おお)われた赤城の山は、満開の山つつじに装おわれ……。

 輝く太陽、蒼い空、野鳥の囀(さえず)りや花と森の香り、標高千三百余メートルの展望と鏡のような山上の湖

 このあまりにも壮麗な大自然の無限のふところのなかで、求め合っていたふたりの若い魂が、一つ命にはじめて結ばれることに、なんの儀式が必要でしょう。

 滑かな湖の上に、小舟を浮かべたふたりは「小鳥ガ島」とよぶ湖心の小さな島に、太古のもののような厚い苔や羊歯類の密生する緑のその島に、永遠の愛の証しを残すことをためらいませんでした。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p476)


 二週間ほど赤城山に滞在した奥村は、白樺の林や山つつじの咲き乱れた高原や、放牧の牛などのスケッチをして過ごし、七月七日、らいてうよりひと足先に山を下りた。

 有楽座で公演する伊庭孝の旗揚げ芝居、バーナード・ショウ『武器と人』の稽古が始まるからだった。

 らいてうはもう数日、赤城山に残り、『青鞜』に送る書きかけの原稿を書き上げることにした。



★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(現代社・1956年9月30日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 11:53| 本文

2016年04月17日

第96回 あの手紙






文●ツルシカズヒコ




 一九一三(大正二)年七月二日の午前中に行なわれた、野枝と辻と木村荘太の面談。

 荘太がリアルタイムで書いた「牽引」の記述に沿って、その経過を追ってみたい。

 この日また下宿に来てくれと野枝に手紙を書いたのは、荘太だった。

 午前九時頃、下宿の婢が「伊藤さんがいらっしゃいました」と荘太に来訪を告げた。

 荘太が取り散らかしていた部屋を片づけていると、障子を開けて入って来たのは、思いがけず辻だった。

 その後に野枝が続いた。

 荘太は野枝だけが来るものと思っていたのである。

 三人は向かい合い、挨拶がすむと、辻が野枝の方を向いていった。

「おまえが申し上げたらよかろう」

 野枝はうつむいて目を落とした。

 一昨日の晩とはまるでその顔が違っていて、散々泣いたという目つきだった。

 荘太は野枝が完全に自由を失っていると即座に感じ、「間抜けなやつだ」と思って冷やかに彼女を見た。

 野枝はそのままうつむいて黙っていた。

 辻が原稿紙を荘太に渡した。

 荘太が受け取って読みかけると、辻がいい添えた。

「お読みになるうちに、不快に思われるようなことが書いてあるかもしれません」

「僕も先日あなたにいい感じを持てませんでした。とにかく拝見してみます」

 と荘太は応え、読み始めた。

 その内容は、前夜、辻が野枝に見せた白紙に鉛筆で細かく書いたもの(第94回)をベースに、加筆・修正したものである。

 以下、おもな加筆・修正した部分を引用。

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 あなたは偉大なる正直を宝にしたいとおつしやいました。

 私も同感です。

 私は昨日あな たに御自にかかつてからの心持、また私の野枝子に対する心持を一切正直に御話したいと思ひます。

 これは私が今日午前労働の最中、僅かの暇をぬすんで書きつけたものでございます。

 母の事は御話しなくつては解りません。

 一月許り家を出て行衛がわからなかつたのです。

 さうしてやうやく一昨日わかつたのです。
 
 長くなりますからこれは略します。

 私は昨夜、野枝子に対して All or Nothing の態度に出たのです。

 しかし野枝子は何分にも激動して口もろくには聞けません――只だ明日ゆつくり落付て書きますといふばかりです――私は苦しくつて耐りません。

 とても安眠することなどどうして出来ませう。

 私は幾度かうながしました。

 しかし彼女の激動がはげしく稍もするとヒステリックになるので、 私には弱い心が起つてとにかく一日丈忍ぶことにしたのです。

 無論私は今日外に出て働いて居ります間も絶へず苦しみに苦しみました。

 私は野枝子の返事に対してさまざまの危惧を抱いて急いでかへりました。

 私は帰ると早速書いたものを要求したのです。

 けれどあなたからの御手紙の他はなにものをも見ることが出来ませんでした。

 私は又不安で耐らなくなりました。

 夕飯をすましてから野枝子には父に宛てた書面を出しに行こうとしました。

  私はその手紙を求めました。

 野枝子はそれを拒みました。

 私は又憤がムラ~~と発してきて彼女の手からその書面を奪とりました(ママ)。

 野枝子は又昂奮して泣き倒れました。

 而してヒステリーの状態になつて喘ぎ初めました。

 私は水を口うつしにしてやり、彼女の心を出来る丈静めやうと務めました。

 暫時後、落付たので私は今日書きましたものを見せて、 静かに又解決を促がしました。

 そうして私は急(ママ)ぐ今夜にもあなたに御目にかかつて私等の態度を明瞭にしたいと思ひました。


(木村荘太「牽引」_p34~35/『生活』1913年8月号)





 この後の文面は、前夜、野枝と辻が筆談で交わしたもの(第94回)が続いている。

 そして、締めの文章は「もつと書きたいのですが、今朝あなたの御宅に出かけることになりましたので書けません。まだ言ひたりないことが沢山ある様に感じてゐますからいづれ落付てから書きたいと思ひます。(二日朝)」。

 荘太がこの手紙を読んでいる最中、辻が便所に立った。

 荘太はその時、野枝に糺した。

「じゃあ、あなたは僕を離れようとするんですね。もう僕を離れてしまえるんですね」

 野枝は微かに肯いた。

 辻が戻ると三人は無言になった。

 荘太が手紙を読み終えると、辻が荘太にいった。

「これでなんにも後に残さず、お互いに理解し合ってお別れしたいと思います」

 荘太が答えた。

「僕はそうはゆきません。僕にはあなた方に対して嫌な感じが残るだろうと思います。自然にそれが残るものなら僕はどんどん残します。それに、あなたも僕を理解されてると思いません。あなたは野枝さんがあなたに隠して出した手紙を、ひとつだけだと思つておいでになるのでしょう。外にもうひとつあるはずです」

 荘太は野枝の顔を見ながら続けた。

「ねえ、文祥堂から出した後の方のは、あなたは辻さんにお見せにはなりますまい」

 野枝は苦しい色を浮べて肯いた。

「そんな手紙があるのか」

 と辻は咳き込んで、野枝の顔を見つめた。

 野枝は黙って肯いた。

「あの半紙へ黒で書いた手紙、あれはあなたも御覧になったと思いますが、であの手紙は出すまでに二日遅れているのです。そしてもう一通、あなたの知らない手紙と一緒に僕のところへ来ているのです。それが御解りにならないでいては、僕はほんとうに御解りになりはしません」

 すると、辻がきっぱりといった。

「その手紙を拝見させて頂きます」

「今、僕のところにありません。弟のところへ置いて来てあります」

「じゃあ、弟さんのところへ、ご一緒に参りましょう。弟さんにもお会いしたいし」

 辻が小学校の教師をしているとき、家庭教師として木村荘八に初歩の英語を教えていたことがあった。

 それを荘太が辻から聞いたのは、六月三十日に荘太が辻の家を訪れたときだった。

「ええ、行きましょう」

 荘太はそういって笑った。

 辻はその時、

「これで解った」

 といいながら軽佻に立ちあがった。

「ああ、これで気持ちがいい、気持ちがいい」

 荘太はその辻の態度を冷やかに鑑賞し、軽蔑しかつ不快に思った。

 三人は赤坂の木村荘八の下宿に行き、荘太が辻に野枝から届いた手紙をすべて見せた。

 辻はそれを読み終ってから、

「こりやみんな本当で書いたんだな」 と肯くようにいって、野枝を顧みて、それから荘太の顔を見た。

「とにかく解決しておきましょう」

 といって、荘太は再び今度は辻の前で野枝にいった。

「あなたは僕を離れるのですね」

  野枝はわずかに反抗するやうに決意を示して、

「ええ、私もっとゆっくり落ちついて、後の手紙を書けばよかったのです。それに手紙で想像したのとは、お会いした感じがすっかり違ったのです。大変に冷静でした……。私は今のまんまで幸福だと思います。それにこの上、自分が激動したくありませんから」

 そして、辻がいった。

「もう、これでお互いに嫌な思いを後に残したくないと思います」

「そうはいかないと思います」

 と荘太は答え、さらにこう続けた。

「必然に残れば残す外ありません。僕はあなた方を憎悪、いや蔑視します」

 辻は少しせき込んだ。

「憎悪されてもかまいません。しかし、蔑視はできないと思いますね。僕はあらゆる場合に、蔑視だけはしたくないのです」

「僕は蔑視するのです」

「ああ、そうでしょう。僕もあなたの場合なら、きっと蔑視するでしょう。蔑視しなければ、生きてゆかれませんからね」

 荘太はもう何もいいたくなかつたが、最後に野枝に向かっていった。

「僕はあなたを蔑視して棄てます」

 野枝は荘太から受け取った手紙を持って来ていた。

 荘太がこの出来事を書くからといって、野枝に頼んでいたからである。

 荘太はその手紙を受け取って、野枝から受け取った手紙と一緒にした。

 辻が野枝にいった。

「おまえも自分のを、いただいていったらよかろう」

「いえ、僕がいただいた手紙ですから、お返しはできません。野枝さんからは、これは拝借するのです。いけないとおつしゃれば、自分の手紙は思い出しても書きますが、もしかそうして嘘になるより拝借したいと思うのです」

「あ、そうですか。では、もしまたこちらでも入用があったら、それを拝借するかもしれません」

「ええ、ええ」

 それから、辻は野枝を下へ残し、荘太と二階へ一緒に上がり、荘八と少し話した。

 野枝が見なかった手紙の一件について、辻が弁解がましくいった。

「市外でよく届かないことなぞがあるんです」

 そうして直きにふたりは帰っていった。


 僕はふたりが戸口を出るのを見送ると、男は女が隠して出した手紙の事を今日までも尚隠してゐた事、女はまたその男が僕の手紙を奪つた事に就き、途々互ひに安価なレコンシリエエション(和解)をしながら帰つてゆくさまを想像した。

 するうち僕には女に対するヂスイリユウジョン(幻滅)の思ひも、予期の全く外れ終つた失望の感も、一切すべてが湧き上る強い力の自覚のうちに溶け去つた。

 僕はその快感のうちに思はずひとりして肩をゆすつた。


(木村荘太「牽引」_p39/『生活』1913年8月号)


 野枝と荘太は、お互いに相手から届いた手紙を相手に一時返却することにし、それを写し終えたら返却することにした。

 この事件の顛末について、野枝と荘太はお互いに「事実」を世に発表することにしたからである。

 そして、荘太は『生活』八月号に「牽引」を寄稿し、野枝は『青鞜』八月号に「動揺」を寄稿した。





 さて、この騒動から37年後の1950年、荘太が上梓した『魔の宴』ではこの一件をどう「総括」しているのか。

 傲慢、高慢だった若き日の自分を荘太が切々と回顧しているように、私には思えるが、それを追ってみたい。

 ちなみに、『魔の宴』執筆時、荘太は「牽引」を掲載した雑誌『生活』をなくしてしまい、『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』に収録された「動揺」を見ながら、執筆しているのである。


 だが、私には、そうして捨てたといいながら、あとまでもこのひとが捨てきれないで、なぜ、こうなつたのだろう?

 なぜ、こんなふうにこのひとを失つたのだろう?

 と考えられて仕方がなかつた。

 ……思い当つたことは、私があまりに高慢な態度をとつていたこと。

 こうなつた以上、来るならば迎えるというような態度をとつていたこと。

 これが対手の独立人格を尊重するゆえんだと思つていたこと。

 そうして女性が寄り添つて来て、結び合わされるので、他人の家庭崩壊の行為が許されるのだと信じたこと。

 そしてそういう反応を向うから示して来なかつた対手をーー不幸な行き違いもあつてーーただちに軽視する気になつたこと。

 しつかりしているようでも、当年とつて僅か十九の幼な妻に、私は過大な要求をかけていすぎたわけだつた。

 いたわることをしないで、一途に難きを強いていたわけだつた。

 という悔いにも似た痛烈な後思案。

 これも当時二十五の男の一途な、むきな若げのいたりだつたのだろう。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p248~252/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p202~205)


 荘太が書いた「牽引」と野枝が書いた「動揺」、両方を読んだ武者小路実篤が、荘太に宛てた葉書を書いた。

 荘太を批判するこの手紙を読んで、荘太は「私はガンと、これで参つた」と書いている。


 ……私がハツとしたのは、私のうちのドン・フアン!

 無意識のうちに、そのドン・フアンは、あのひとが私のために苦しみ、悩み、打ち倒れ、息も詰つて、四苦八苦した有様を、その書いたものでまざまざと見たとき、ひそかに喜んで、私の心の奥では、飛んで、跳ねて、躍つているものがさつぱりなくはなかつたのである。

 手紙のときからそうでなかつた、といえないのである。

 で、征服の効果を一そう強めるために……女を無視して、捨てて、心を傷け破つて、こんどは女に死ぬほども怨ませて行くーーこれがドン・フアンの奥の手なのではなかつたか。

 ひしひしとこう私は自分を顧みて、そのとき武者君の批評に服し、そうして私のドン・フアン的過去をそうまでよく知らないのに、武者君がこう私の急所を突いて来た、この洞察の鋭さを思つた。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p253~254/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p206~207)


 荘太が「自分の物語をつくるため」に、接近したんじゃないかという、野枝の疑いに関してはこう言及している。


 かつて芸術作品ちゆうの主人公のような生きかたをすることに気が向いたひとときを生きていたことがあつたような私。

人妻ゆえに私のほうから一たん思いあきらめても、向うからも心が私に傾いて来ていると知つた女性なら、公然奪うことを敢えて辞さない。

 といつたような心境、場面は、こんど私が筋書きとして心に描いたようなことではちつともなかつたが……私の動機は……そこへ私を躍身させたものには、これが人生の劇の場面としても、自由恋愛の一実験にも当る、一個の爽快事だという感じがしてでもなくはなかつたかもしれない。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p255/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p207~208)


 辻は荘太の第一印象について「私にはあの人の何となく艶めかしい様子(具体的に云へば金縁の眼鏡をかけたり髪をきれいに別けたりしてゐる様子)に少なからず反感を持つた」と書いているが、この記述に対して、荘太はこう反論している。


 この髪をきれいに分けて、というのはかれの見間違えだ。

 私は清子のとき以来、髪に櫛目を入れて分けたということはない。

 ぼうつと伸ばしていただけである。

 金縁の眼鏡のほうは、近視で掛けていたのだが、縁は金なら厳寒のところに行つても、耳に凍りつかぬと聞いていて、家を出てからも、実用の意味で掛けていたのだつたが、この金縁がそう見えるかと思つたら、それでいやになつて、この辻に書かれてからは、売つ払つて、黒の赤銅縁に代えた。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p256/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p209)


『魔の宴』のラストは、辻が野枝に書いた文面の引用で始まり、それをじっくり読み返した荘太の述懐で終わっている。

 
 俺は傍にピストルでもあれば頭を打ち貫きたい位に考へた。

 お前は俺と生活するより以上によい生き方が出来ると信ずる男があれば、俺はその時お前を止める資格はないと思ふ……

 で私は、おまへの事を考へて見る。

 おまへは家事の些細な仕事は到底自分の進んでゆく道の大なる邪魔になると思ふなら、そして亦子供を養育すると云ふやうな煩雑に耐え得ないと信ずるなら、又そんな事をするために自分の欲してゐる生き方を妨げられると云ふやうな念をたえず頭に持つてゐるなら、私はどうしたらよいだらう。

 私は……私は……

 と最後に慟哭するように男がこう書いたものを読んだときに、かの女の心はついにそれに屈した、とあるのをさらによく読んで、私は眼光紙背に徹したとき、あのひとは身篭つていたのだと知つた。

 ああ、思い当ればあのひとは六月の末で、もうかなり暑いのに、単衣の上に薄い被布のようなものを着ていた。

 若い男の身でもつて、私はそれで目を蔽われていた。

 そう思つて、私はいじらしく、かの女のそのときの、そのいい得ないものも心に持つていた立ち場のことも思いやる思いに堪えられぬ心持にもなつた。

 来られなかつたのも無理はない。

 ものがはつきりいえなかつたのも無理がない。

 ああ!

 人の世にはいろんなことがあるものだ。

 こうと思つたとき、私の心のなかには深い憐憫と、悔恨が静かに湧き上つて来た。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p257~258/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p210)
 




 辻はこの事件を、短くこう回想している。


 野枝さんはそのうち「動揺」と云ふながい小説を書いて有名になつた。

 僕の長男が彼女の御腹(おなか)にゐる時で、木村荘太とのイキサツを書いたもので、荘太君はその時「牽引」と云ふやはりながい小説を書いた。

 荘太君のその時の鼻息はすばらしいもので、その中で僕は頭から軽蔑されてゐるのだ。

 僕はその時も、野枝さんの気持ちを尊重して別れてもいいと云つたのだが、野枝さんがイヤだと云ふのでやめにしたのであつた。


(「ふもれすく」/『婦人公論』1924年2月号_p11~12/五月書房『辻潤全集 第一巻』_p392~393)





 この事件の顛末について、らいてうはこう総括している。


 かうして事件はともかく解決されたのだが、日頃の野枝さんを知つてゐる私にはあの解決の仕方は野枝さんとしては少し恥づかしいものではないかと思ふ。

 野枝さんが今少し強くて、あの激動の中にあつてもなほよく自己を最後まで保つてゐられる人だつたなら、T氏にあゝ迄干渉されずとも(T氏は決して好んで干渉する人ではない。)あんな不面目な位置に(自分のしでかした事件の解決をT氏に委ねて、自分はT氏に引きずられて出かけたといふやうな)身を置かずともいくらも自分で処置する方法はあつたらうと思ふ。

 それはともあれ、全体としてあの事件は野枝さんに少し荷が重すぎた。

 あれ丈の激動をもち答へる丈の力はまだ野枝さんにはなかつた。

 だから時として激動に食(は)まれて、いたづらに精力を浪費するのみで、あれ程の苦悶も比較的価値なき苦悶に終つた処のあるらしいのは惜しいことだつた。

 けれども私はあの一篇が野枝さんにとつてどれ程の力であるか、又どれ程の真実をもつてかゝれたものであるかといふことは信じて疑はぬものである。

 最後にここでは木村氏とT氏に関する自分の感想は成るべく語らないやうにしたといふことを御断りしておく。

(終り)


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号_p100~101)




★木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』(朝日新聞社・1950年5月30日)

★『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』(平凡社・1981年12月10日)

★『辻潤全集 第一巻』(五月書房・1982年4月15日)






●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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第95回 二通の手紙






文●ツルシカズヒコ





 一九一三(大正二)年七月二日の午前中、野枝と辻と木村荘太は三人で面談をした。

 まずは「動揺」の記述に沿って、その経過を追ってみたい。

 その朝、野枝は腫れぼったい目を押さえて目覚めた。

 午前十時ごろ、野枝と辻は家を出た。

 ふたりが麹町区平河町の木村の下宿に着くと、野枝は不思議なくらい心が静まっていた。

 前夜遅くまで起きて書いたものを荘太に渡した辻は、きっぱりと言った。

「とにかくこの事件の解決は昨晩、私どもふたりの間ではついたのです」

 そして辻は野枝の方を見て、

「お話したらよいだろう」

 と彼女を促した。

「そうですか」

 荘太は相変わらず軽い調子で答えて、辻の書いたものに目を通し始めた。

 辻も荘太も、野枝の予想に反して、昂奮しているふうなところはなかった。

 三人をとりまくその場の空気は、引き締まったものがなく、野枝も一昨日の夜の荘太との面会から昨夜まで続いた激しい気分を、ここで話すという気分になれなかったので、一昨日の夜のように黙っていた。

 辻がちょっと席を立ったとき、荘太が野枝にどう解決がついたのかを尋ねた。

「やはり、私と辻は離れることはできないのです。それに一番最後に私が書いた手紙の内容と今の私の気持ちはずいぶんと乖離してしまいました」

 そう答えた野枝は、どう乖離したかを話すでもなく、黙ってしまった。

 席にもどった辻と荘太がまた話し始めた。

 辻が知りたかったのは、野枝が辻に見せずに出した二通の手紙の内容だった。

 荘太もその手紙に辻が目を通さなければ、話の行き違いが生じると言った。

 野枝はその二通の手紙について、こう書いている。

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 ……手紙の文句などちつとも覚えてもゐませんし、第二のを書いたときの気持とは殆ど連絡がついてゐないのです。

 それが木村氏の方ではちやんとあつてゐるのです。

 尤も木村氏に対する恋は、第一のを書いたときから無意識の間に続いてゐたのかもしれません。

 続いてゐたのだらうと思ひます。

 そうすれば木村氏のその統一も連絡も間違ひはないのです。

 最後の責めは矢張り私にあるのです。

 私の態度が短かい間ながらグラグラ動いてゐたのによるのです。

 慎重を欠いてゐた事が一番悪いのです。

 といつて、私はそう一途に自分を責めるのも何だか可愛さうになつて来ます。

 けれども悪いには違いありません。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p257~258/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p76~77)





 二通の手紙を辻に見せることになったが、荘太によれば、それは荘太の弟である木村荘八のところに預けてあるという。

 野枝はそれを聞いて腹が立った。

 要するに荘太の本音は、このラブアフェアをネタに小説でも書いてみたい、というあたりにあるのだろうと認識したからである。

 三人は荘八の下宿のある赤坂まで歩いた。

 その途中、野枝は荘太から見せられた福士幸次郎の手紙の文面を思い浮かべていた。

「ハスには気の毒だが、今の我々には何の関係もない人だ。ハスのことなど問題じゃない」という文面である。

 荘太のとりまきがいかにも口にしそうな、あまりに乱暴な言葉に、腹が立つのを通り越して、嘲笑したい気分になった。

 若い男たちが四、五人くらいいるらしい、赤坂一ツ木(ひとつぎ)の荘八の下宿に着くと、荘太は二階に上がり手紙を持って下りて来た。

 荘太の顔には少し怒気があるように、野枝には見えた。





 Tは第一の手紙を見て私に渡しました。

 私はその手紙には自分の書いた手紙ながらかなりおどろきました。

 こんな事書いたかしらと首傾げる程激しい文句ああるのです。

 けれども私はそれを書くときに決してふまじめだつたのではありません。

 書いた事はみんなそのときの偽らない気分をそのまゝ発表したのです。

 で私は「この二通とも書いた気持は本当です。決して虚偽ではありません。」と申しました。

 私はTが必ずこの手紙には多少怒つた気色を見せるだらうと思ひましたがそれほどでもありませんでした。

 私は二人の人を前に顔を見ますとふと大きな声出して笑ひ度いやうな、小さな声で歌でも歌いたいやうな気持ちになりました。

 一昨日からあの恐ろしい激動と惑乱の中に私を投げ込んだ大事件の結末をいまつけやうとしてゐるのだと云ふやうな引きしまつた、はりつめた気にはどうしてもなれなくてたゞ、もうのん気な気持ちになつて、怒気を含んでギラ/\光つてゐる木村氏の目を見ても何とも感じませんし、おさへやう/\としてもふわ/\した気持ちになつてしまふのです。

「侮辱せずにはゐられません」と云ふ木村氏の言葉が耳に入ると私はもう少しでふき出す処でした。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p259~260/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p77~78)





 辻と一緒に荘太の下宿を辞した野枝は、急に浮ついた気持ちになって、まっすぐに体を伸ばして歩いた。

 二、三町も歩くと、今ごろあの二階でみんなでわいわいと、自分たちふたりに対してありったけの侮蔑と嘲笑を浴びせているのだろうなと思ったが、野枝は気持ちのいいほど大きな声で反対に嘲笑してやりたいような気がした。


 そうして、私は木村氏に対していくらか苦しい同情を持たずにはゐられまいと思つた来るときの期待がまつたく外れてしまつて紀尾井町(きおいちよう)の辺を歩いてゐるときには、もう全く私の頭の中には何物もないやうになりました。

 割合につまらない人だと思う他には、ただ、何だか四五本の手紙でも訳もなく動揺した自分がはづかしくなつたことゝあんな手紙をわざ/\まじめに書いて、すつかり自分を明けひろげた事が何だか損をしたやうな気持ちがして、どうしても私は是非この事を書かうと思つたきりです。

 それで一と先づ事件は片付きました。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p260/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p78)




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)



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第94回 筆談






文●ツルシカズヒコ



 辻が白紙に鉛筆で細かく書いたものには、こう記してあった。


 私は今非常に苦しんでゐる。

 もう落ちついて仕事なんぞしてゐられなくなる。

 私は実際昨晩位おまへに対して深い憎悪を抱いた事は恐らくあるまい。

 私は幾度も自分の心に湧き上つてくるあさましい嫉妬を消さうと試みた。

 然しそれは無駄であつた。

 私はそれに木村と云ふ人に対する第一印象があまりよくなかつた。

 私は成るべく外形に囚はれたくないと思ひ又自分の愛を奪はうとした男だと云ふ様な偏見から脱却して落ちついた公平な心持を抱きたいと努めた。

 しかし私にはあの人のなんとなくなまめかしい容子(具体的に云へば金縁の眼鏡をかけたり髪をきれいに別けたりしてゐる様子)に少なからず反感を持つた。

 しかし私は木村氏が帰つてからまた手紙を出して読んで見た。

 そうして私は務めて氏に対する悪感をのぞき去らうとした。

 私は少なくともおまへが夕方(母の処へ行く事になつてゐる。そうして妹はなんべんもそれを云つてゐた。)までには帰るだらうと思つたけれどもとう/\帰つて来ない。

 すると私は木村氏の云つた言葉を思ひ出した「野枝さんが是非お目に懸り度いと仰云つたのでーー」と云ふ様な事を聞かされたことを。

 私は……おれにだまつて書いてゐる手紙があるのだらうといふ考が起ると私は耐らない憤りを覚えずにはゐられなかつた。

 それに電報をかけるといふ程至急におまへに会ひたいと云ふ木村氏の態度にも了解出来ない処がある。

 私の頭はメチヤクチヤになつた。

 もう公平な判断なぞ出来なくなつてきた。

 そのうちに日は全く暮れる。

 妹は私に一緒に行つてくれと云う。

 一人で行けとどなつた。

 しかし妹はしきりに行きたがつてゐる。

 それにまた今夜行かなかつたら母はさぞ情なく心細く思ふであらうと考へると俺は傍にピストルでもあれば頭を打貫きたい位に考へた。

 私はWの家へ行つて母から色々な泣事をきかされても俺の方はそれよりもつと痛切なことで一杯になつてゐるという腹があるので黙つてきいてゐた。

 母がかあいさうだと思ふ他なんの気持ちも起らなかつた。

 俺等はかへつて来た。

 而してもう多分おまへが帰つてゐるだらうとそればかりを考へてゐた。

 そうしておまへは帰つてゐない。

 私は絶望のドン底に沈んでしまつた。

 おまえが帰つて来たときおまへのあの眼鏡をかけた姿を見た時俺は「女の浅薄」をまざまざと見せつけられた様に感じた。

 そうしておまへが見え透いたやうな弁解をした時俺は愈々(いよいよ)腹が立つた。

 そうして情なくなつた。

 私は今夜のこの心持ちをあいまいに葬り去りたくなかつた。

 私はおまへの心が……動揺してゐることを感ぜずにはゐられなかつた。

 私はおまへの心がはつきり知り度かつた。

 私とおまへの間は絶対でなければならない。

 私は正直におまへの心持を知り度いと思つた。

 おまへは俺と生活するより以上によい生き方が出来ると信ずる男があれば俺はその時おまへを止める資格はないと思ふ。

 私は私自からのために私を愛してくれる女を要求したのである。

 そうして今迄は汝が確かに俺を愛し俺と一緒によく苦しんでくれたことは私にはよくわかつてゐる。

 僕等の関係は常に進まなければならないと思ふ。

 出来得る丈相互に深く触れ合はなければならないと思つてゐる。

 出来得る丈け真実の生活を営まなければならないと思つてゐる。

 そして私は又考へる。

 若し私等三人の理解がたとへ明らかになり得た処で私等は今その様な(即ち友人を新しく作つて往来するといふやうなこと)余裕があるだらうか。

 それをよく考へてみたい。

 若し私等二人限(き)りの生活とした時に私は果たしておまへを自由に手放して昨夜の様におそく迄おまへの外出をゆるしてすましてゐることが出来るであらうかといふ事をつく/″\考へて見た。

 それは今の私には到底出来さうもない。(私がもつと進んだら或は出来るかも知れないないけれど、あるひは又出来ないのがほんとうなのかも知れない。)

 で、私はまたおまへの事を考へて見る。

 おまへは家事の些細な仕事は到底自分の進んで行く道の大なる邪魔になると思ふなら、而して又子供を養育すると云ふやうな煩雑に耐え得ないと信ずるなら、又そんな事をする為めに自分の欲してゐる生き方をさまたげられるといふ様な念を絶えず頭に持つてゐるなら私はどうしたらよいだらう。

 幸ひにして母でも健康である間は家事のことはまかして置かれるけれど一端病気にでもなつた時はおまへはどうしても家事のために自分を犠牲にしなければならない。

 そのときおまへは何の苦痛も矛盾もなくそれをやつて行かれるであらうか私はそんな事まで考へ初めたのだ。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』p246~250/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p71~73)

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 読みながら耐らなくなった野枝は、すぐに鉛筆を持って書いた。


 ……私の最後のーー私が木村さんに書いた手紙ついてはあなたに何にも云ひませんでした。

 それがあつたので私は私の明かな返事を木村さんに与へるに就いてもぜひあなたの前でなければならないと思つて何にも云はずにだまつてゐました。

 木村さんに私が書いた最後の手紙には私の方からお目に懸り度いと云ふ事も申しました。

 そうして私はかなりあの木村さんの心待に動かされたのです。

 それは本当です。

 木村さんの激した心にそれがどんな心持を与へるかと静かに考へたとき、私は恐ろしくなつたのです。

 たゞ頭一ぱいになるのはあなたに対して何と云つていゝかと云ふ事ばかしです。

 私はあなたのお留守の間机の前にすはつてその事ばかし毎日泣いてゐました。

 その返事が来しだいにあなたにそれを見て頂いて私の書いた手紙の内容もはなしておわびしやうと思つたのです。

 とうとう返事が来ないので私は木村さんに別に何の激動も与へずにすんだ事と安神しました。

 そのうちに昨日電報が来ましたのでどうしやうかと思ひましたけれどもあなたのおかへりまでに帰つておはなしすればよいと思つて出掛けたのです。

 けれども小母さんのうちでねてゐたりしたのでおそくなつてしまつたのです。

 七時頃木村さんが帰つて来ました。

 そして私ははじめて私の最後の手紙の為めに木村さんに大変感ちがいをされた事を覚りました。

 木村さんは私のその手紙を見ると直ぐに返事を出したのださうです。

 それに来てくれと書いておいたのに来ないので電報をうつたのだとの事です。

 その返事はとう/\私の手にはいらずじまひです。

 昨夜はかなりいろ/\な事を云つて迫られました。

 けれども私は手紙で稍々(やや)感動したのとはまるで反対に相対してゐましても私の心はさう騒ぎはしませんでした。

 たゞ私はそれが何も彼も皆あなたと私との間の固い結合に対する試みじやないかといふやうな気ばかり致しました。

 それで木村さんのいふことをだまつて聞いてゐました。

 そして何に対しても返事は致しませんでした。

 唯あなたと私との愛に就いて聞かれたときそれは真実で深い愛着があるといふ事を明言いたしました。

 帰つて来るまで別に大して違つた気持ちは持つてゐませんでしたけれどもたヾあなたが非常に私に憎悪の感を抱いて怒つてらつしやるとわかつたとき私の心は一斉に動き出したのです。

 そして何だか自分の気持ちが分らなくなつてしまひました。

 私の木村さんに対する苦しい気持ちはまつたく自分でいけないのだから仕方がありません。

 たヾ私はあなたにどうしていゝかわかりません本当にどうしていゝか分らないのです。

 私はいまあなたからはなれて行く位なら生きてゐない方がましです。

 生きられません。

 木村さんの処へは今夜行つてもかまひませんけれど私はまだ激してゐますから少ししづかになつて行きませう。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_250~254/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p73~75)





 さらにふたりは、こんな筆談を続けた。


「おまへの態度はよく分かった。

 しかしおまへが俺に対して与えた傷は容易に癒されさうもない。

 又私の木村氏に対する感情も余程変つたものになつて来た。

 しかし私はなるべく落ち付いて出来る丈理解したいと思ふ。

 然し私は若しも木村氏が友人として交際することを許してもらいたいと云ふとき私はそれを拒みたい。

 強いて自分をごまかして又後になつてつまらない結果をもたらしたくない。

 おまへはそれをハツキリ拒絶する事が出来るか」

「無論そうでなければなりません。」

「それでわかつた。出来れば今夜、しかし留守だといけないから明朝早く行かう。」

「明日午前に来てくれと云つて来ましたからあなたがさしつかえなければ行きます。」

「おまへは会つて木村氏が何と云つてもハツキリ拒絶する勇気があるか」

「きつとあります」


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』p254~255/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p75)


 鉛筆を置いて辻と顔を見合わせた野枝の顔に、思わず軽い微笑が浮かんだ。

 筆談中には張り詰めていたふたりの心が、緩みほぐれながら絡み合った。
 



★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)



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第93回 絵葉書






文●ツルシカズヒコ



 一九一三(大正二)年七月一日。

 野枝は前夜の疲れと頭痛のために昼ごろまで寝ていた。

 昼ごろ起きて机の前に座り、辻が帰るまでに自分の気持ちを書いておこうとしたが、なかなか書けなかったので、今宿の父のところに手紙を書いた。

 机の上に見覚えのない絵葉書があったので裏返すと、奥村博と赤城山に滞在中のらいてうからだった。

 長閑(のどか)な景色の絵を見ていると、緊張していた神経が緩んでボンヤリしてしまった。

 野枝はらいてうに返信の葉書を書き始めた。

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 おはがきうれしく拝見。

 随分待ちました。

 校正は廿六日にすみました。

 あなたからたのまれた事は廿五日に文祥堂に岩野さんが見えましたので話しました。

 雑誌がまだ出来ないので出来しだいHさんの処へお送りしやうと思つてゐます。

 私もこの頃例の事件で苦しめられてゐるのです。

 私はどうしていゝか分らない。

 ずいぶん困つた事になつたのです。

 私は身のおき場もないやうなんです。

 本当に困つたことになりました。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p242~243/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p68~69)





「H」はらいてうのこと。

 ここまで書くと、野枝は急に調子が軽くなって、なんだか他人のローマンスでも盗んで誇張して話してゐるやうな気持ちになり、後を続けた。


 私の目からは今のTもKもおんなじやうに真面目であり、そしてパツシヨネイトな点に於ては変らないのです。

 そして、TとKとが相互に理解し合つて明るい感情をもってゐるだけ私が一番苦しい処にたつてゐます。

 殊にKの周囲が極端に緊張してゐるせひか、Kの感激が非常なものです。

 Tはたヾだまつて私を見てゐます。

 私はTとはなれるといふ事は大変な大問題です。

 Kを拒む事にも努力を要します。

 然し解決は非常に急ぐのです。

 多分あなたが山からお降りになる頃は片がついてゐるでせう。

 私も山へでも逃げ出し度くなりました。

 あの絵葉書は大変気に入りました。

 閑古鳥のなくのはまだ一度も聞いた事がありません。

 いゝはなしを沢山に願ひます。

 さよなら。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p243~244/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p69)





「T」は辻で「K」は木村荘太のことである。

 こういう気持ちで書いたものを辻に見せたくなかったので、野枝はすぐに出しに行こうかと思ったが、体がだるかったので横になった。

 野枝が今宿の父に手紙を書いたその心理について、らいてうはこう書いている。


 野枝さんは……T氏との自由恋愛を遂げんが為め、背いて来たその親に、かうした時、かうした心でふと手紙を書く気になつた悲しい、淋しい、空虚を感じてゐる野枝さんの苦しい心持が無暗に可哀相なやうな気がして出来ることなら相談相手にでも出かけたいやうな気持になつた。

 ふだんは潜んで分らずにゐた親子間の愛情の微妙な働きを思はせられた。


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号_p100)





 辻がきつい顔をして夕方、帰って来た。

 辻と恒と三人でご飯を食べている間も、辻の眼は冷たく光っていた。

 野枝は辻のよそよそしさが口惜しく、これが自分の恋人なのかと思うと、情けなくなった。

 不味いご飯をすまして、野枝は先刻の郵便を出そうと思い、らいてうに宛てた葉書を懐にしまい、父に宛てた手紙を持って出ようとした。

 辻がどこへ出すのだと咎めた。

 野枝はその手紙を黙って辻に示すと、辻は自分の手に取って開こうとした。

「何も書いてありはしません」

 と言って野枝はそれを取り返して、すたすた台所を通って裏から外へ出ようとした。

 下駄をはこうとしている野枝を辻が追いすがって来て、野枝の手を取るやいなやズルズル引きずり込んだ。

 野枝は意地にも渡すまいとしたが、辻はその手紙を野枝の手からもぎ取った。

 野枝はそこにのめったまま大声で泣いた。

 野枝の目から涙が湧くように流れ落ちた。

 そこからまた辻は野枝を部屋まで引きずり入れた。





 野枝は今にも息が止まりそうになり、水を飲ませてもらったが、涙が後か後から湧くように流れた。

 野枝の感情が少し静まりかけたころ、辻は野枝の懐にあったらいてう宛ての葉書を見つけ出した。

 読み終えた辻が言った。


「僕は昨日からちつとも明るい気持ちでなんかゐないよ。僕は昨夜から苦しくつてたまらないのだ。」

 と、震えを帯びたたまらなさうな腹立声で叩きつけるやうな言葉つきなのです。

「おい、これから木村の処へ行かう」と云ひ出すのです。

 私の頭の中は何が何だか分らなくなつてしまひました。

 私は紙と鉛筆をとつてもらつて、

「あなたをはなれては私は生きられない。」

 と書きました。

「だからこれから木村の処へ行つてはつきりした態度を見せてこやう。」

「あしたの晩まで待つて下さい。」

「おまえの昨夜の態度はどうだつたのか。」

「私は何にも別に云ひません。殆んどだまつてゐました。そして、私はあなたに対するが愛が少しも虚偽でない事を明言して来ました。」

「兎に角これを読んでくれ。僕は苦しくてたまらないんだ。」

 とTは白紙に鉛筆で細かく書いたものを渡しました。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p245~246/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p70~71)




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




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第92回 ヴハニティー






文●ツルシカズヒコ





 一九一三(大正二)年六月三十日の夜十時ごろ、麹町区平河町の荘太の下宿を出た野枝は、半蔵門から市電に乗った。

 早く帰って辻に話したいと思い、電車の走るのももどかしかった。

 北豊島郡上駒込の家に帰ると、辻だけ起きていて何か書いていた。

 野枝が部屋に入りチラっと見た辻の眼は、激しい怒りに燃えていた。

 野枝は体が硬くなり、ひと言も口をきけなかった。

 辻は今まで見たことのない憎々しい眼で野枝を睨みつけていたが、黙って紙に何か書いて野枝に放り投げた。

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「おまへはヴハニティーがあるね」

 私は何にも答へる事もが出来ません。続いて

「そう云ふ自覚を持つてゐないとすればおまへは自覚がないのだ」

 それでもだまつてゐました。

 体がブル/\震えるのです。

 何の意味だかまるきり分りません。

「おまへは、今日、校正に行つたのか?」

 尖った、重い、頭をひどく打つやうな声なのです。

「眼鏡は何の為めにかけたのだ」


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p237/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p65~66)





 野枝は我慢ができなくなった。

 眼鏡をかけたのは今日が初めてではない。

 普段は用いなくてもすむようになったが、以前は眼鏡がなくてはならなかったのも辻は知っている。

 頭の具合が悪いときに使ってもいるし、辻自身がかけろということさえあるのに。

 今日はお湯の帰りに、あんまり眼がチカチカしたので、そうならないようにかけて出たのだ。

 それに木村に初めて会った日も、校正中だったので眼鏡をかけて会った。

 今日かけていっても、そんなに変わった感を与えはしないだろう。


 この男の私に対する愛は些細なこんな事にまで動揺するのかしら。

 あゝ私は何処までもひとりで行ける。

 屹度行つて見せる。

 あの憎らしい目は何だらう。

 あの目が憎らしい目が驚異にみはる程私はこの今のあの男に対する悲憤で自分を育てゝ見せてやる。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p238~239/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p66)


 いまいましくなって、野枝はそこに突っ伏した。

 思いつめた野枝の眼から涙が止めもなく流れた。

 野枝は汗ばんだ着物を脱ぎすてて、寝衣に着替えて床の上に長くなった。

 涙目で辻の背後を見つめていると、また、新しい悲しみが湧いてきた。

 今までふたりで歩いてきた道を振り返えると、辻はたったひとりの同情者、たったひとりの道連れだった。

 野枝は許そうという弱い気持ちにもなった。





 やがて、辻は野枝の枕元に書いたものを置いた。

 
 「私は木村といふ人に対してはなんとも思つてはゐない。

 おまへの態度に就いて非常に不満である、何故今日おまへは母の処に行つてくれないのか、俺が云はなくつても進んで行つてくれさうなものだ、俺はそれを望んでゐたのだ。

 おまへの態度は甚だ不純だと思ふ。

 今夜私はおまへの真実を聞き度いーーおまへは俺に対してハツキリした態度をとつてゐない。

 私は不満である」


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p239/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p67)






 そんなにまで自分の態度は不明瞭なのだろうかーー不快になった野枝が書いた。


「私は今夜疲れてゐて何も書けません。明日まで待つて下さい。」と書きました。

「明日まで待つてはゐられない。今夜中に今直ぐ書いてくれ。」

「今日木村さんとあなたの間にどんな話があつたのです。」

 私はふと思ひ出してこんな事を書きました。

「そんな事を聞いてはゐない。私は只だ書きかけたものを見せた迄だ」

「私には今夜は到底書けません。

 ……心からにくらしそうに怒つてゐらつしやるあなたに……何を云つても解つては下さらないやうな気がします。

 お母さんの事はすみません。

 早くかへり度いと思つて大急ぎで出かけましたけれども事務所によつたのです。

 崕を歩いてゐますと大変めまいがしましたので……四時すぎまで小母さんの処に休んで、それから小母さんんと一緒に出かけました。

 木村さんの処へ行きますと置き手紙がしてあつて、どうしても待つてゐなければなりませんでしたから、待つてやつと七時頃木村さんは帰つて来たのです。

 お母さんの処へは明日まゐります。」

「母の処へは、今晩妹と二人で行つて来たからもう行く必要はない。多分明日か明後日頃帰つて来るだらう。」


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p240/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p67)





 野枝は上向きになって、胸の上に手を重ねて目を瞑ってじっと、今朝からのことを考えた。

 辻はしばらく何か書いているようだったが、余程たって辻も横になった。

 野枝は身動きもせずにいた。

 辻はため息をついては動いていた。

 そうしているうちに、野枝はうとうとして、ふいと手を伸ばす拍子に、グイとその手を取られると、全身がブルブル震えた。


「おまえの心が動いてゐるのなら静かに別れやうその方がいゝだらう」

 息づまるやうな声でそつと囁かれると私の全身は電気にでもうたれたやうに手も足も胴も首もまつすぐに硬くなつてしまひました。

「いやだ!いやだ!」

 といふ自身の声さへ二言目には分らなくなつて、息もとまつてしまひ、意識も何も失せてしまふやうな苦しさなのです。

 ……やうやく一息ついたとき、Tのなだめる言葉がやつと耳に入りました。

 だん/\落ち着いて来て、先刻の言葉を思ひ出しますと、またしみ/″\と新らしい涙が浮んで来るのです。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p241/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p68)





 ここまでの過程での野枝の辻に対する態度と辻の反応について、らいてうはこう書いている。


 木村氏と自分の交渉がT氏にどういふ感じを与えるだらうかといふことは野枝さんの最初からの可愛いい心配だった。

 その心配は事件の発展と共に進んで、見せずに出した二通の手紙のあることに思ひ至つた時、野枝さんはもうまともにT氏の顔を見てはゐられなかつた。

 私はそこに愛するものの心でなく愛されるものの心を見た。

 人を愛さうとするよりも、愛されやうとする野枝さんを見た。

 妊娠してゐる女の弱味といふものも多少手伝つてゐるのかも知れないが野枝さんの中になほ女らしい女の心の多分にあるのを見た。

 殊に手紙に就いて問はれた時、とうと誤魔化して仕舞つて、「別に大したことも書かなかつたやうだ」などと思ひながらいつか眠て仕舞ふあたりは弱者である女の「かよわい強さ」を心憎い程感じさせる。

 あんまり子供らし過ぎるといふより外私には何の言葉も見出し得ない。

 今迄可成り寛大に見過してゐたT氏も、野枝さんの態度を不明瞭と見た時、烈しい嫉妬をもつて対した。

 そして「お前の心が動いてゐるのなら静かに別れやう、その方がいゝだらう」とまで遂に云ひ出すやうになつた。


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号・3巻11号_p99~100)



★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




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第91回 第二の会見






文●ツルシカズヒコ



 野枝は荘太の話に耳を傾けながら、自分が書いた最後の手紙について考えていた。

 野枝は辻との関係を破綻させることなく、荘太ともう一度会いたいと願ったのだが、荘太は自分の思いよりずっと強い意味に解釈したのだろう。

 野枝は態度が不明瞭で誤解を招く手紙を書いた自分が一番悪かったという自責の念に駆られたが、しかし、ありのままの感情を書くことを心がけているので、ああ書かずにはいられなかったのだ。

 日を改めて三人で話し合うのが一番よいと思った野枝は、荘太の話を黙って聞いていたが、時々、可笑しくなった。

 荘太が野枝のことを、かなり安価なわからずやに値踏みしているように思えたからだ。
 
 辻と荘太、どっちを選択するか?

 野枝の中では迷いの余地はなかった。

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 ……木村氏が矢張り同様に私を愛してくれて、Tと一緒にゐるよりも真に幸福に私自身の生活に向つて思ふやうに行けるのなら、私はたとひ、Tと十年一緒に生活してゐたからといつても、どんなにTが私の為めに高価な犠牲を払つてくれたとしても、それからまた辻からはなれる事がどんなに周囲の反感と、圧迫をうけるにしても、私は断固としてTからはなれる位の自信はあります。

 その位の事が出来なくてどうしてTと同棲してゐる事が出来ませう。

 Tは私の全生活を肯定し同情しまた理解してくれます。

 そして一緒に、私共の道を開拓してくれます。

 私の全体を自分の愛で包んでくれます。

 ですから私は少しも不便を感じません。

 強いてTからはなれ去る必要を感じません。

 たとひ、木村氏が同様に或は以上に私を遇してくれるにしても今の場合私は自分がさまで必要を感じないかぎり私自身の内生活の上に、動揺を与へるような事をしたくはないのです。

 けれど何れにしても、自分に対して持たれた愛を却けるといふ事は苦しいものだと思ひました。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p234~235/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p64)





 野枝は福士幸次郎の手紙を読んで、荘太をおだてている周囲の人や、その手紙を得意そうに見せる人が無邪気なのか人が悪いのかよくわからなかった。

 荘太はそういう手紙を見せて、野枝になんらかの暗示を与えたいのだろうが、自分がそんなつまらない人間だと思われていることに腹が立たった。

 野枝はひと通り話を聞くと、

「今晩、帰って考えてみます」

 と猶予をもらう逃げ口上を言った。

 時計が午後十時を告げたころ、野枝は荘太の下宿を辞した。

 赤坂に行くという荘太と一緒に出て、麹町の停留所まで行ったが電車が来ないので、半蔵門まで歩いた。

 野枝と別れた荘太は反対の側を十ばかり歩いてゆくうち、今家を出てから通りで、ふと何かの拍子に初めて野枝が浮ベた微笑を思い出した。

 途端に荘太は直ぐ引き返して、野枝の後を追おうとした。

 そして野枝を固く腕に抱かうとした。

 二、三十間、荘太は走ったが真っ暗でそれらしい姿は目にはもう入らなかった。





 野枝と荘太の一対一の対面について、らいてうはこう書いている。


 第二の会見に於て木村氏は女の前に見事に落第した。

 それは木村氏から受けた野枝さんの直接印象は手紙を透して感じたそれとはあまり相違してゐたといふことだ。

 木村氏の人格そのものゝ価値が書いたものゝよりも遥に劣つてゐるやうに思はれたといふことだ。

 なほこの会見に於て野枝さんの自尊心を傷け、ひいて木村氏に対する尊敬の念をひどく減じさせたことがある。

 それは木村氏が案外自分を解してゐないのみならず自分の真価を認めてくれてゐないらしいのに気付いたことと、木村氏の友人によつて、自分が軽蔑してゐる「世間知らず」の女主人公のC子と比較されてゐたことだ。

 是等のことに或る腹立たしさと、気まづさを感じたのは野枝さんとしていかにもさうありさうなことだ。

 付言しておくが、C子の如き思切つて、しかも不快なほどセンシュアルな感じを人に与へる女は異性によつてのみ或価値を見出されるもので、同性からは多くの場合軽蔑される種類の女だ。

 殊に野枝さんの如き女からは軽蔑にも値しない女のやうに見えるかも知れない。


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号・3巻8号_p97~99)


木村荘八展によせて〜兄荘太から解き明かす荘八




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index








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2016年04月16日

第90回 牽引






文●ツルシカズヒコ



 「牽引」(p27~28)によれば、辻の家を出た荘太は巣鴨橋まで馳けた。

 電車の中で荘太は辻の苦痛を想像したが、自分と野枝の牽引と結合は自然だから仕方がないと思うほかなかった。

 神保町から青山行きに乗り、半蔵門で降りると、新宿行きの電車はなかなかやって来ない。

 荘太はそこから三、四丁、下宿まで馳け出した。

 息せき切って着いた荘太は、入口のガラス戸越しに中を覗いた。

 土間には見覚えのある下駄が脱ぎ棄ててあった。

 荘太が階段を駆け上がり急いで部屋に入ると、野枝はムンクの『アウグスト・ストリンドベリ』がかけてある入口の壁際に座っていた。

 息が弾んでなかなか言葉にならない。

 荘太は野枝に軽く頭を下げた。

 野枝も頭を下げたが、どう挨拶をしていいのかまごついた。

 荘太は野枝の真っ白な血の気のない顔を見て驚き、恋をしている女の顔ではないと思った。

「たいへんお待ちになったでしょう」

「ええ、そんなんでもありませんでした。出がけに社に寄りますと人が来たもんですから、遅くなって。それから処がわからなかったもんですから、たいへんに探しました」

「処? 僕は手紙にちゃんと図を書いておいたでしょう」

「私、その手紙を拝見しません」

 と言って野枝は首を傾げた。

 荘太は不快を感じた。

 番地を書かずに出した手紙さえ届いたのに、ちゃんと書いたものが届かぬはずはないと思った。

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 荘太は『魔の宴』では、こう書いている。


「あの手紙で、昨日と今日の昼前と待つたんですけど、来られないんで、電報打つたんですけれど、それでももし来られないと、と思つて、お宅まで行つて来たんです。」

「電報は頂きましたけど手紙つて申しますと?」

「え、あの手紙を見ていないんですか。あなたの会いたいつていう手紙の返事に、二十九日か三十日お待ちしますつて、出したあの手紙を?」

「拝見していません。」

 とっさに、閃めくように私の頭に浮んだのは、あのいま、会つて来た、小柄な、若いのだか、年取つたのだか解らぬような顔をして、角帯をちょこんと締めていた男の顔だつた。

 あの男が奪つたのだ、と思つた。

「あなたが僕に下すつた、あとのほうの二通の手紙は、あなたのかたには見せられずに出したのでしょうね。」と聞くと、やつぱり、

「見せませんでした。」との答えだ。

「しかし、僕の手紙があなたの手に渡らなかつたのはへんですね。」

「……」

 私はデリカシーのために、あなたのひとの手にあるのではないでしょうか、というのは控えた。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想_p237~238/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎_p192~193)





 一時間以上も待ち続けて、ようやく戻った荘太と自身の心境について、野枝はこう記している。


 木村氏は、電車を半蔵門で降りて駆けて来たのでと云つて、何となしに、せか/\した調子でした。

 私は、この間かなり落ち付いたらしい人だと思つたのに、わざとらしく見えるまでに落ち付かない様子にまづ木村といふ人からズーとつきはなれた別の人のやうな気がしました。

 目前の人があの最後の手紙を書いた人とは何だか思ひにくう御座いました。

 同時に私の気持は恐ろしく引きしまつて、ズーつと、沈んでしまひました。

 そして、何でも伺ひませうといふやうな、余裕のある落ちつきを取る事が出来ました。

 たゞ私の心の中に動いてゐるのは、先刻の手紙の中の「大変な運命の途云々」といふ言葉でした。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p229/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p62)



 麹町区平河町の荘太の下宿で、荘太と野枝は向き合っていた。

 野枝宛ての手紙を彼女に渡さなかった辻ーー野枝もふたりの男の価値はおのずからわかるはずだと、荘太は思った。

 荘太は昂然として語り、ふたりの男の選択は野枝にあるはずだと迫るような語気で話した。

 荘太はこの日の朝、福士幸次郎から手紙を受け取った。

 荘太と野枝のラブを絶賛する文面だった。

 荘太は感動のあまり涙を流した、その手紙を野枝に見せた。


 自分は君のラヴが之れ程まで立派に出た事に就いて今迄知らない幸福を感じてゐる。

(無車君のC子さんとも違ふと思ふ。 思ひ切つて言ふならあれは無車君といふ人の人格のラヴだと思ふ。君のはさうでない。もつと覚めた意識が互ひに愛になつてる。いふ迄もない事だが。)

 それだけ君のラヴが人事でない気がする。

 万人のものだといふ気が更にする。

 君一人の幸福でないといふ気が痛切に来る。

 女の人のハス(夫)はそれは気の毒だ。

 然し自分はこの結末がきつとよい事を信じてゐる。

 ハスの問題は後廻しにしてもいいと思ふ。

 気にする事は少しもないと思ふ。

(ハスに呉れといふ事は決して crime ではない。 今の処それは最上だ。君の出づべき当然の道だと思ふ。一番立派な事だと思ふ。)


(木村荘太「牽引」_p29/『生活』1913年8月号)





「無車」は武者小路実篤のこと、「C子」は一時、青鞜社の社員であった竹尾房子(宮城ふさ)、この年の二月に武者小路と房子は結婚していた。

 野枝はこの手紙についてこう書いている。


 ……その手紙の中に白樺のM氏とかなりに青鞜社で迷惑を感じたC子氏の恋に比較されてあるのを読んで私は嫌な気がした。

 ……それ等の若い人たちの噂からうはさを生んで飛んだ違つた色を帯びたローマンスにでもなつて、また青鞜社の名でも出されては、困るというやうな事まで考えました。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p235~236/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p65)





 野枝が読み終えると、荘太が言った。

「僕は今強くあなたを愛しています」

 野枝は黙って肯いた。

 荘太は懐ろに入れていた野枝の最後の手紙を出して尋ねた。

「僕はこの手紙をあなたが書いた気持ちをよくお伺いしたいのです」

「……ええ」

 と野枝はしばらく間を置いてから言った。

「私いろいろお話したいことがあったのですけど、今日さっきの電報でただビックリしてしまったものですから、今、ちっとも何だかわからなくなってしまっているのです」

 荘太は野枝が自分に牽引されていると解釈していた。

 自分は辻より優良で、野枝の真の幸福は自分の手中にのみあると思っていると言った。

 ただ自身が欲するままに圧倒して、野枝を奪いたくない、ただ自然な結合の前に謙虚に跪(ひざまず)きたいのだと長く話した。

 野枝の額にたらたら汗が流れ始めた。

 野枝はしきりにハンカチでそれを拭いた。

 荘太が尋ねた。

「で、あなたには辻さんに対する愛があるのですね」

 野枝が即座に答えた。

「ええ、あります」





 荘太はまたいらいらした。

 どうにでもなれという気になった荘太は、なおも話し続けた。

 自分の過去や現在についても打ち明けた。

 野枝の書く才能を買っていた荘太は、自分が伍するグループで野枝の才能を開花させてみたかった。

 荘太は仲間たちのことを話し、女には今またさらに進んだ問題が展けている、そのためにはただ女が飛躍することだ、僕はそのすべてを備えていると語った。

 荘太は高村光太郎の詩「失はれたるモナ・リザ」のモデルであり、光太郎の愛人だった吉原の娼婦を自分が奪った話もした。

 嵐のように湧き起こる創作意欲に駆られて書き始めた小説も野枝に見せた。

 野枝は終始、俯いて聞いていた。

 荘太の話す調子が軽くて口早やなので、まとまったものとして頭に入って来なかった。

 パッショネイトな言葉で語られても、本体のパッションが何も野枝には伝わらなかった。

 多血質で動かされやすい野枝だったが、荘太の饒舌には共鳴するものがなかった。

 とにかく、野枝の気分は逸れてしまった。



★木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』(朝日新聞社・1950年5月30日)

★『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』(平凡社・1981年12月10日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)




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第89回 自我主義






文●ツルシカズヒコ



 木村荘太「牽引」によれば、一九一三年(大正二年)六月三十日の夕方、辻の家を訪れた荘太に「私が辻です」と辻が名乗ったが、荘太はそれが野枝と共棲している男だとすぐには気づかなかった。

 荘太が尋ねた。

「伊藤さんおいでですか?」

「いません、どなたです?」

 辻がなんとも言えない表情をしているのを見て、荘太はハッとなり、名乗った。

「木村です」

「さ、どうぞお上がり下さい」
 
 部屋に上がった荘太が、すぐに尋ねた。

「野枝さんはどちらへお出でになりました?」

「わかりません」

「いつごろお出かけになりました?」

「今日、私は出かけていまして、その留守に行ったのです」

 荘太は野枝が自分のところに行ったに違いないと思い、気が急いた。

「あ、そうですか。一昨日、野枝さんから会いたいという手紙いただいたので、昨日と今日とお待ちするという返事を差し上げました。お出でにならないものですから、 それで電報を打ったのです」

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 気が急いている荘太に、辻が意外なことを言った。

「あなたの弟の荘八くんですが、僕が小学校の教師をしているころ、彼に英語の初歩を家庭教師したことがあるんです。妙なご縁ですな……」(「牽引」p38)

 荘太は野枝に下宿で待っていてもらうよう、女中に言いおいてきたことを伝え、すぐに帰ろうとした。

 荘太は無意識のうちに自分は辻を圧倒しているのを感じ、対等の力で迫って来ない人に敬意を払えないと思った。

 荘太は下宿に来ているにちがいない野枝のことを思い、一刻も早く下宿に戻りたかったが、辻がそれを引き止めた。


「それじゃあ。」といつて別れかけると、

「ちょつと。」と引き止めた。

 そしてその男は、机の上にあつた、罫紙に書きかけの大分ある書きものを手にとつて、

「これがこのことについて僕の気持をいま書いているものなんです。これ見て下さい。」

 といって私に渡した。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想_p236/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎_p192)


 「牽引」によれば、辻は机の上にあつた書きかけの原稿紙を荘太の前に出した。

 荘太が辻に宛てた手紙の返事として書いたものだった。

 それにはこう記されていた。


 御手紙拝見いたしました。

 私の心には今さまざまのものが湧き起つて居ります。

 なにから申し上てよいか解りません。

 私は先づあなたの御手紙が私のこれまで受取つたものの中で最も誠實なる人間の心を現はしてゐるものだといふことを感ぜずにはゐられません。

 而して私は今又改めて深く自己に対する省察の機を與へられたことを感謝いたします。

 若し私どもがあなたの御手紙によつて何等の激励をも与へられない様なものでありましたら如何でせう-私どもは又自己の生命の力をハッキリ感ずることが出来たのです。

 私はあなたを理解することが出来ると信じます。(勿論私の程度の範囲内に於て)

 而して 又あなたが私を理解して下さることを信じて居ります。

 あなたは私が初めからあなたを信じたといふことに就て感謝を表はしておいでです。

 しかしその私の信頼には人間の弱点が供つてゐたことを私は告白いたします。

 しかし私は努めてそれに打勝たうと試みました。

 御手紙は皆な気持よく拝見いたしました。

 殊に昨日御手紙の中に現はれた偉大なる信念(ここまで読むと僕は馬鹿々々しくなつた。今までの好意が全く消え失せた。僕はこのごろ實に屡々(しばしば)烈しく衆愚の言行に自身の愛を裏切られて苦しむ。今もまた新らしく僕はその事を感ぜずにゐられなかつた。でもとにかく僕は急いで終ひまで走り読みした。/この赤字の部分は荘太の感想※ツルシ註)に対しては無限の尊敬を払ひたいと思ひます。

 私の微かに認め得た光が忽然として全地に漲ぎり溢れた如く感ぜられました。

 愛他主義と自我主義との完全なる一致を信ずることの出来ないものは一生迷つて生さなければならないでせう。

 私もこれには随分と苦しめられました。

 且て幼稚な基督教徒でありました私は愛他主義の信者で御座いました。

 しかしその後私の愛他主義には多くの不純なる分子の混合せられてゐることを発見しました。

 過去の宗教を脱した私はやがて自我主義者になりました。

 勿論私は進みました。

 しかしその自我主義は徹底したものではありませんでした。

 ただ自我主義が愛他主義よりも更らに純であるといふ様なことを漠然と信じて居りました。

 けれども私の自我主義はいたる処に恐しい矛盾を感じてゐました。

 私は強ひてエゴイストを装ふてゐたのです。

 ですが又そう安々と二者の調和一致を信ずることも出来ませんでした。

 私は今出来得る丈あなたに私を御知らせしたいと思つて居ります。

 そうして私が如何位の程度迄あなたに接触することが出来るかを見たいと思ひます。

 私は今如何したら最もよく私を御知らせすることが出来るかと色々考へました末、クダ~~しい思想上の経歴や境遇を御話いたすより一層手取早く又明らかに自分といふものを見て頂くことが出来ると信じますので、昨年暫時野枝子と別れて居りました節、彼女に宛てて書きましたものから少々抜いて御目にかけることにいたしました。或は御迷惑かも知れませんが何卒御一読下さることを切に御願ひいたします。


(木村荘太「牽引」_p25~26/『生活』1913年8月号)





「昨年暫時野枝子と別れて居りました節、彼女に宛てて書きましたもの」とは、一九一二年夏から秋にかけて、野枝が自ら末松との離婚の話し合いのために今宿に帰郷した際に、辻が野枝に宛てた手紙のことであろう。

 その文面に「三十一日」「一日」という日づけがあるが、それは「八月三十一日」と「九月一日」のことだろうか。


 辻が野枝に宛てて書いた手紙から、抜粋した文章は以下である。


 人間は自分のほんとうの心持といふものを中々そのままに現はすことが出来ないものだ。

 現はす様なことを口にしながらやつぱり俺れを兎角いつわりたいものだ。

 私は汝に対する心持を今出来るだけ欺かずに書いてみたいと思ふ・・・若し過去のことを充(ママ) るならどうか真実のことを話して呉れ。

 そうすれば己も気がすむ・・・俺は汝に堅い決心を促がした時に、まづ俺がかなりにさらけ出されてゐるものを汝にみせて、俺はこんな男だ、こんな男でよければそれを充分承知の上で一緒に生活してくれ・・・俺は自分の全てをさらけ出してその上で俺を愛して呉れる様な女でなければ満足し得ないのである。

 俺はやはり理解といふことを求める。

 俺は改めていふ――今まで己の接した女の中で最もよく俺を理解したものは汝である。

 俺は先づこの点に於て感謝しなければならない。

 それから汝の方から云つても恐らく俺が一番よく汝を理解してやつた男なのかも知れない、と俺は思つてゐる。

 俺はだから先づ俺が最も敬愛し、眞に愛をそそぎ得ると信じた女に書いた手紙を汝に見せた。

 然し俺はその女から逆に理解を得なかつた。

 俺は強ひて求めたくなかつた。

 理解のない女を如何して愛し得やう。

 理解と信仰のない愛は虚偽の愛てある・・・


 (木村荘太「牽引」_p26/『生活』1913年8月号)





 辻が女に書いた手紙とは、御簾納(みその)キンに書いた手紙のことであろう。

 この手紙について、野枝はこう言及している。

「町子」は、野枝のことである。


 その手紙を町子が男の本箱の抽斗(ひきだし)に見出した時に、彼女は全身の血がみんな逆上することを感じながらドキ/\する胸をおさへた。

『あの女だ、あの女だ。』

 息をはづませながら彼女はそふ思つた。

 そして異常な興奮をもつてその表書を一寸(ちょっと)の間みつめてゐた。

 やがてすぐに非常な勢をもつて憎悪と嫉妬がこみ上げて来るのを感じた。

 彼女はもうそれを押へることが出来なかつた。

 直ぐに裂いて捨てたいほどに思つた。

 忌々(いまいま)しい見まい/\と思ふ半面にはどんな態度で男があの女に書いてゐるか矢つ張りどうしても見ないではゐられない様にも思つた。

 併しかし現在自分が愛してゐる男、自分ひとりのものだと思つてゐる男が他の女に愛を表す語をつらねた其の手紙を見るのは何となく不安でそして恐ろしいやうな苦しいやうな気がして、見まい/\とした。

 けれどもどうしても見ないではゐられなかつた。
 
 読んで行くうちにも彼女は色々な気持ちにさせられた。

 たつた一本の手紙だが、そしてそれを読み終るまでに十分とは懸らない僅かの間に彼女の心臓は痛ましい迄に虐待された。

 嫉妬、不安、憤怒、憎悪、あらゆる感情が露はに、あらしのやうな勢をもつて町子の身内を荒れまはつた。

 そしてそのうちにも自分に対するとはまるで違つた男の半面をまざ/\と見せつけられた。

 其処に対した、愚劣な、無智な女と、男を見た。

 狂奔する感情を制止する落付きをどうしても見出すことは出来なかつた。

 今はたゞ彼女はその感情の中に浸つて声をあげて、身をもだえて泣くより仕方がなかつた。

 彼女はまるで男が全く彼女から離れたやうに思ひ、そして男の持つた違つた世界を見た彼女はとりつく島もないやうな絶望の淵に沈んで行つた。

 漸く幾らかの落ちつきを見出すとやがて男に対するいろんな感情がだん/\うすれて行くのを不思議な気持ちでぢつと眺めた。

 やがてすべての憤怒、憎悪が女の方に漸次に昂たかぶつて来た。

 そして何とも云ひやうのない口惜しさと不愉快な重くるしさが押しよせて来た。

 それは明かにあの女に対する強烈な嫉妬だと云ふことは意識してゐた。

 併しその気持をおさへて何でもないやうにおちついてゐることは出来なかつた。

 それに男の何でもないやうな顔をしてゐるのが憎らしかつた。

 町子はもうその手紙をズタ/\に引きさいて男の顔に叩きつけてやりたかつた。

 たとへそれは日附けはかなり今と隔りがあるにしてもそれつきりであつたとは思へない、彼女が此処に来たときまではたしかに続いてゐたのだ。

 彼女はたしかにそれを知つてゐる、続いて起つた連想はかの女の頭をなぐるやうに強く何物かを思ひ起さした。

 男との関係がはじめから今までの長い/\シーンの連続の形に於て瞬間に彼女の眼前をよぎつて過ぎた。

 そしてその強く彼女を引きつけた処に尤(もっと)も彼女の不安なあるものが隠れてゐた。

 それは彼女を彼女の中にも隠れてゐて絶えずなやましてゐた疑惑の黒い塊であつた。

 機会を見出して塊はずん/\広がつて彼女の心上をすつかり覆つてしまつた。


(「惑ひ」/『青鞜』1914年4月号・4巻4号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p263~265/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p109~110)





 以下、辻が今宿に帰郷している野枝に宛てて書いた手紙からの抜粋した文章の続き。


 今日は朝から嫌な日だ。

 涼しい様な蒸し暑い様なそれで雲足が非常に早く如何してもあれ気味だ。

 俺は朝飯をすますとすぐと出かけた。

 行きたくない処へ行くのだから気が少しも進まない。

 實に今日は耐らない(ママ)気持の悪い日だ。

 かへりがけに雨に降られてこないだ一寸話して置いたヴァイオリン弾きの処で雨止をして午近くに戻つてきた。

 午後からも只だ仰向にひつくりかへつてゐると、身体がアチコチと痛んで足の筋が妙につる。

 そうして倦怠が節々にからみついてゐると見えて、俺は幾度か身体の向を変へてみた。

 それでも駄目だ。

 乱れた妄想が無暗に湧き起る。

 俺はとう~~また恐しく暗い気持を抱かねば ならない様になつた。

 夜になつてからは殊に喰入る様な淋しさがおそふてきて、俺はさなきだに(そうでなくとも※ツルシ註)汝の事を考へずにはゐられなかつた・・・さぞ切ない青ざめた日を迭つてゐることだらう。

 俺はだがこの間の手紙にはかなり強さうなことを書いたから幾分かあれで慰められてゐるだらうが、なんにしろ離れてゐては埒があかない。

 そう思ふともう我慢がしきれなくなる程、汝が恋しくなる。

 いつそ如何なつてもかまはないから二人で行くところまで行つてみやうかといふ様なことを考へる。

 突きつめた上で生きるとも死ぬともどつちかに方がつくことだらう。

  兎に角こんな風な生活をしてゐたら必ず生命が縮まるに相異ない・・・・・・(三十一日)



 とう~~暴風雨になつた。

 暁方眼が醒めると恐しい風の音と雨のしぶきが、入り交じつて聞えてくる。

 俺は一端起きてみたが身体に熱があつてけだるいのでまた床に入つた。

 ウ ト~~したかと思ふとその内おびやかされる様に眼が醒めた。

 郵便だつた。

 俺は思はず胸の鼓動を感じた。

 母と妹とはその時もう起きてゐた。

 俺は確かに汝からの手紙に相異ないと思つて、床の中で封を開く前の危倶を抱いた。

 俺は飯をすますと嬉しさと懐かしさと不安との入り混つた妙な心持で封を開いた。

 而して一気に読み終つた。

 読み終つた時、俺は非常な憤りを覚えた。

 習俗に対する強い反抗である。

 こんなことと知つたらオメ~~汝をかへすのではなかつた。

 實にばかげた徒労であつた。

 がしかしだ。

  俺等はかくの如き苦しみを忍ばなければならないといふことは、これによつて更に深く強く俺等が結び合されるのであると考へると、そこに云ふべかざる希望と歓喜とが湧き起つてくる。

 俺は徒らに感情に走るのではない。

 落付て考へての上である・・・あらゆる絶望と圧迫とを蒙りながら悶え苦しみ哭き――そうして愈々痛切なる夢に生きるのである。

 俺等は幸福だ。(一日)

 この二三日は實に耐らなく苦しい情調にゐる。

 私は自分がそれを充分に書き現すことの出来ないのをひたすら悲しむばかりだ・・・俺は朝から晩まで汝の事を考へてゐる。

 而してもうどうなつてもいいから遇ひたいと思ふ。

 それ以外にない。

 後はどうなつても只だ遇ふことが出来さへすればいい。

 話が破れたらすぐ出て来ると云つた。

 俺は早く破れてしまへばいいと思つてゐる。

 それにしても汝が無事に再び上京することが出来るだらうか、と考へるとそれがもう非常に不安な暗い苦しい気分を誘つてくる・・・ それに昨日などは又夕方から食ふ米がないと云つて母が心配し初めた、俺はもうどうでもなれと思つて黙つてゐた・・・俺は全く肝癪が起つてきた。

 こんな時、もし汝がもう少し弱い女で一緒に死んでくれと云つたら、俺は前後を考へて而して矢張落着て死に得るかも知れない・・・だが 又一方では妙に冷やかな理智が頭を擡げて俺を冷笑する。

 そうして感情の玩具になつて泣 いたりわめいたりしてゐるのを如何にも気の毒な風に見下してゐる・・・・。

 なんにしても俺は痛切に汝を求めてゐるのだ、到底空想で相抱いてゐると云つた丈では如何して満足し得やう・・・もし汝が変心して俺から離れてでも行く得(ママ)なことがあつたら、俺はもうその時はどんな痛ましい苦い~~杯を飲まなければならないであらう。

 そう考へてくるともうまるで意識といふものを失つてしまふ様だ・・・・俺はどうか今の様にいつまでも俺を愛してくれと汝に訴る。


(木村荘太「牽引」_p26~27/『生活』1913年8月号)


「牽引」(p27~28)によれば、ザッとだが、読み終えた荘太は、「お互いにアンダアスタンディングがゆき違うと困りますから」といふ辻の言葉をほとんど聞き流して戸外へ出た。





★木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』(朝日新聞社・1950年5月30日)

★『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』(平凡社・1981年12月10日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)







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第88回 アウグスト・ストリンドベリ






文●ツルシカズヒコ



 木村荘太「牽引」によれば、六月三十日、荘太はこの日の朝早く目が覚めてしまった。

 荘太は野枝を空しく待ち続けた。

 時計が昼の十二時を打った。

 いてもたってもいられなくなった荘太は、野枝が男に引き止められているさまや、急に過度の傷心のために身体を悪くして寝ているさまを想像した。

 荘太は外に飛び出し、後先を考えず、野枝に電報を打った。

「ケフゼヒキテクダサイ」

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 この日の朝、辻はいつものように出かけた。

 出かけ際、野枝はひとり取り残されるような気がして心細くなった。

 特に月曜日の朝が嫌だった。

 野枝が湯に行こうとして仕度をしていると、電報が来た。

 自分宛てだったのでびっくりした野枝が電報を裏返すと、「キムラ」とあった。

 なぜ電報なんか寄こしたんだろう、行こうか行くまいか……。

 電文を読み当惑してしまった野枝は、とにかく、湯に入って考えることにした。

 湯に入りながら野枝は考えた。

 自分さえ確かなら会っても大丈夫だろう……。

 湯から上がりすぐに帰宅して出かけた。





 昼に電報を出した荘太は、下宿に帰り原稿紙に文字を連ねた。

 荘太は自分が陥っている境遇と苦悩を書き連ねた。

 夕方になっても野枝がやって来る気配はない。

 静かに待っていられなくなった荘太は、出かけて野枝に会うことにした。

 もしそこに男がいたら、荘太はその男にも会う気になった。

 留守に伊藤という人が来たら、この手紙を渡して戻るまで待たせておいてくれと女中に言い置いて、荘太は下宿を出た。

 野枝は出がけに辻の眼鏡をかけた。

 崖を歩いていると眩暈がした野枝は、保持のところに駆け込んだ。

 保持は四時すぎに品川に行くという。

 それまで保持は近所に出かけた。

 保持の妹と野枝は横になり、野枝は枕を借りて少し寝た。

 四時ごろに帰って来るはずの保持は、なかなか帰って来なかった。

 野枝がいっそ会いに行かないことにしようかと思っていると、保持が帰って来た。

 ふたりは一緒に出かけた。

 神保町で保持と別れた野枝は、青山行きの電車に乗り見附上で降りた。

 このあたりに不案内な野枝だったが、なんとか荘太の下宿を探し当てることができた。





 女中に案内されて荘太の部屋に行くと、荘太は留守だった。

 別の女中が荘太の手紙を持ってきて野枝に渡した。


 私はあなたの処へ行きます。

 若しお出下すつたのなら誠に相済みませんが少々お待ちなすつて下さい。

 ふたりは大変な運命の途にゐるのですから必ずお待ち下さい。

 直ぐ帰ります。

 さうしてお話します。

 何でも本を御覧になつてゐて下さい。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p227/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p60~61)


 染井は番地が滅茶苦茶に飛んでいる。

 荘太は何度も行ったり来たりして、散々探しあぐねた末に、 ようやくそれらしい家の前へ出た。

 窓越しに外から見える机に座っている人が見えたので、尋ねてみた。

「このへんに辻さんとおっしゃる方は?」

「私が辻です」

 と、その人が言った。





 野枝は荘太の部屋にじっと座っていた。

 女中から渡された手紙を読んだ野枝は「大変な運命の途にゐるーー」とはなんだろうと思い、馬鹿にされているような気もした。

 わざわざ染井の家まで来て伝えたい大事なこととはなんだろう。

 何時ごろ出かけたのだろう。

 荘太の帰りは遅くなりそうだ、今日も義母を迎えに行けないだろう。

 いろいろなことが野枝の頭の中に浮かんだ。

 また眩暈がしそうな気がしてきた。

 机には原稿紙が取り散らかっていた。

 壁にはムンクの『アウグスト・ストリンドベリ』とゴッホの『自画像』が架けてあった。

 風がないので、野枝の襟元と額から汗がにじみ出てきた。

 三十分ばかり待ったが、荘太が帰って来る気配はなかった。

 そこに出ていたソニアの自伝を眺めながら、野枝は考えをめぐらせていた。

 わかりにくい染井の奥の辻の家を荘太は探し当てることができただろうか。

 荘太は辻と会っただろうか、会って話をしているだろうか、どんな話をしているだろうか……。


 木村氏が私に会ひたいといふ用事は何だらう。

 私はもう考へあぐんでしまつて、ボンヤリしてしまひました。

 何の為めに、知らない人の室にぢつと座つてゐるのか分らなくなつてしまひました。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p228/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p61)





 このとき、野枝は十八歳、荘太は二十四歳である。

 らいてうは二十七歳だった。

「塩原事件」で世間を騒がせ、浅草区松葉町の海禅寺の住職・中原秀岳との「大人の交際」も体験していたらいてうは、ヒートアップしている野枝と荘太について、こう分析している。


 ……野枝さんは……木村氏に対する「淡い恋」といふものを是認してゐるが……野枝さんの動した感情の中には自(おのづ)から二つに区別すべきものがあると思ふ。

 その一つはフレンドシツプで今一つはラヴだ。

 しかもそのラヴ決して「淡い恋」などゝいはるべき性質のものではない。

 寧ろパツシヨネートラヴとでもいふべきものだつたと思ふ。

 このラヴは主としてあの当時の野枝さんの生理状態に原因する閃光的な殆ど内臓や筋肉にばかり係るものとして瞬間に消滅して仕舞つたが、一方は主として魂にかゝはる比較的長き生命のあるものとして尚今後も自然にまかせておけば生長発達すべきものだつたと思ふ。

 併し男は多くの場合その相手たる女の友情を理解しない。

 男性に共通な自惚は女性との親友関係を直に恋愛だと早合点させる。

 そして恋人として取扱はうと只管(ひたすら)にあせる。

 ……かういふ時、女はその男の案外自分を知つてくれなかつたといふことに対して或る腹立たしさと、軽侮の念を有つやうになる。

 そして……今迄の厚い友情までも害して仕舞ふやうな不幸に終る場合は随分あり勝ちなことだと思ふ。

 木村氏も亦実にかゝる男の一人であつた。


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号・3巻11号_p96~97)



★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 18:39| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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