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2016年06月03日

第235回 特別要視察人






文●ツルシカズヒコ



 大杉の四妹・秋は名古屋市在住の叔父、中根吉兵衛(焼津鰹節製造株式会社社長)宅に同居していたが、この叔父の媒酌で東京で回漕業を営む某氏と婚約、挙式を間近に控えていた。

 彼女が自殺したのは一九一六(大正五)年十二月十三日の朝だった。


 ……大杉あき子(十九)は十三日午前六時頃己(おの)が寝室にて出刃庖丁を以つて咽喉を掻き切り自殺を遂げたり……兄栄の事件が累をなし突然破談となりたれば其を悲観しての自殺なる可しと……急報に依り栄は十三日夜行にて名古屋に来る由

(『東京朝日新聞』/1916年12月14日)


 十四日の葬儀に参列した大杉も、さすがに落ち込んだにちがいない。


 ……自分の行跡が招いた惨劇に強い衝撃を覚え、悲嘆に暮れたことであろう。

 自責の念は深い傷跡となって、以後の言動を律する作用をしたはずである。


(大杉豊『日録・大杉栄伝』_p203)

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 堀保子「大杉と別れるまで」(『中央公論』1917年3月号)によれば、山崎今朝弥弁護士や堺利彦が仲介役になり、大杉と保子との離婚が成立したのは十二月十九日だった。
 
 大杉には以後二年間、毎月二十円を保子に支払う義務が課せられた(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。

 日蔭茶屋事件後、大杉と野枝は世間からの非難の矢面に立たたされた。

『新日本』(1917年1月号)に掲載された「ザックバランに告白し輿論に答ふ」(日本図書センター『大杉栄全集 第3巻』)で大杉は反論したが、この反論をするために大杉が見た六誌の十二月号だけで二十二人が批判の矢を放っていた。

 山田わか、生田花世、安部磯雄、与謝野晶子、杉村楚人冠、岩野清、平塚らいてう、岩野泡鳴、武者小路実篤……。

 大杉はともかく、野枝には反論の場も与えられなかった。

 野枝の原稿を載せた『女の世界』が発禁になったことにより、新聞や雑誌が及び腰になったためと思われる。

 野枝は日蔭茶屋事件からおおよそ一年後に発表した「転機」に、日蔭茶屋事件前後の心境を記している。

 野枝はまず、人妻でありながら大杉という男ができたから夫を捨て、子供を捨てたという世間的な曲解に立ち向かわねばならなかった。





 私はその曲解を云ひ解くすべも凡ての疑念を去らせる方法も知つてゐた。

 しかし、凡ては世間体を取り繕ふ、悧巧な人間の用ふるポリシイとして、知つてゐるまでだ。

 私はたとへどんなに罵られやうが嘲られやうが、真つ直ぐに、彼等の矢面に平気でたつて見せる。

 彼等がどんなに欺かれやすい馬鹿の集団かと云ふことを知つてゐても、私はそれに乗ずるような卑怯は断じてしない。

 第一に自分に対して恥しい。

 また此度の場合、そんな事をして山岡(※筆者註/大杉のこと)にその卑劣さを見せるのはなほいやだ。

 どうなつてもいい。

 私は矢張り正しく生きんが為めに、あてにならない多数の世間の人間の厚意よりは、山岡ひとりをとる。

 それが私としては本当だ。

 それが真実か真実でないか、どうして私以外の人に解らう?

 T(筆者註/辻のこと)と別れて、山岡に歩み寄つた私を見て、私の少い友達も多くの世間の人と一緒に、

『邪道に堕ちた……』

 と嘲り罵つた。

 けれど、彼等の中の一人でも、私のさうした深い気持の推移を知つてゐた人があるであらうか?

 かうして、私は恐らく私の生涯を通じての種々な意味での危険を含む最大の転機に立つた。

 今まで私の全生活を庇護してくれた一切のものを捨てた私は、背負ひ切れぬ程の悪名と反感とを贈られて、その転機を正しく潜りぬけた。

 私は新たな世界へ一歩踏み出した。


「転機」/『文明批評』1918年1月号・2月号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p)





 ようやく成った大杉と野枝の握手、それは世間の人に眉をひそめさすような恋の握手よりはもっと意味深く、野枝がこの二年間持ち続けた夢想の実現であった。

 そしてそれは、悲しみと苦しみと喜びのごちゃごちゃになった野枝の感情の混乱の中に実現された。


 私は彼の生涯の仕事の仲間として許された。

 一度は拒絶しても見たY(※筆者註/堀保子のこと)ーーK(※筆者註/神近市子のこと)ーー等いふ彼と関係のある女二人に対しても、別に、何の邪魔も感じなかつた。

 真つ直ぐに自分丈けの道を歩きさえすればいゝのだ、他の何事を省みる必要があらう? とも思つた。

 あんな二人にどう間違つても敗ける気づかひがあるものかとも思つた。

 またあんな事は山岡にまかしておきさえすればいゝ。

 自分達の間に間違ひがありさへしなければ、自分達の間は真実なんだ。

 あとはどうともなれとも思つた。

 要するに、私は今迄の自分の生活に対する反動から、たゞ真実に力強く、すばらしく、専念に生きたいとばかり考へてゐた。


「転機」/『文明批評』1918年1月号・2月号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p)





 とは言え、大杉をめぐる面倒な恋愛は、野枝にも少なからず苦痛を与えた。


 幾度私はお互ひの愚劣な嫉妬の為めに不快に曇る関係に反感を起して、その関係から離れようと思つたか知れない。

 けれど、そんな場合に何時でも私を捕へるのは、私達の前に一番大事な生きる為めの仕事に必要な、お互ひの協力が失はれてはならないと云ふことであった。

 山岡に対する私の愛と信頼とは、愛による信頼と云ふよりは、信頼によつて生まれた愛であつた。

 彼の愛を、彼に対する愛を拒否する事は、勿論私にとつて苦痛でない筈はない。

 しかしそれはまだ忍べる。

 彼に対する信頼をすてる事は同時に、折角見出した自分の真実の道を失はねばならぬかもしれない。

 それは忍べない。

 私は何うしても、何うなっても、あくまで自分の道に生きなければならない。


「転機」/『文明批評』1918年1月号・2月号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p)





 そうして、野枝はすべてを忍んだ。


 本当に体中の血が沸(に)えくり返る程の腹立たしさや屈辱に出会つても、私は黙つて、をとなしく忍ばねばならなかつた。

 それは悉ゆる非難の的となつてゐる、私の歩みには、必然的につきまとう苦痛だつたのだ。

 そして、私が一つ一つそれを黙つて切り抜ける毎に、卑劣で臆病な俗衆はいよ/\増長して、調子を高める。

 しかし、たとへ千万人の口にそれが呪咀されてゐても、私は自身の道に正しく踏み入る事の出来たのに何の躊躇もなく充分な感謝を捧げ得る。


「転機」/『文明批評』1918年1月号・2月号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p)


「伊藤野枝年譜」(『定本 伊藤野枝全集 第四巻』)によれば、大杉と握手が成った野枝はこの年、一九一六(大正五)年に特別要視察人(甲号)に編入され、尾行がつくようになった。




★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★『大杉栄全集 第3巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『定本 伊藤野枝全集 第四巻』(學藝書林・2000年12月15日)





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 16:57| 本文

第234回 古河






文●ツルシカズヒコ




 堤防の中の旧谷中村の土地は、彼のいうところによると二千町歩以上はあるとのことであった。

 彼はなお、そこに立ったままで、ポツリポツリ自分たちの生活について話し続けた。

 しかし彼の話には自分たちがこうした境遇に置かれたことについての、愚痴らしいことや未練らしいいい草は少しもなかった。

 彼はすべての点で自分たちの置かれている境遇をよく知りつくしていた。

 彼は本当にしっかりした諦めと、決心の上に立って、これからの自分の生活をできるだけよくしようとする考えを持っているらしかった。

 こうしてわざわざ遠く訪ねてきたふたりに対しても、彼は簡単に、取りようによっては反感を持ってでもいるような冷淡さで挨拶をしただけで、よく好意を運ぶものに対して見せたがる、ことさららしい感謝や、その他女々しい感情は少しも見せなかった。

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 しばらく話をしている間に、そこに来合わせたひとりの百姓は、やはりここに居残ったひとりであった。

 彼は主人から大杉と野枝に紹介されると幾度も頭を下げて、こうして見舞った好意に対する感謝の言葉を連ねるのであった。

 その男は、五十を過ぎたかと思われるような人の好い顔に、意地も張りもなくしたような皺がいっぱいたたまれていた。

 主人とその男と、大杉の間の話を聞きながら、野枝はあとからあとからと種々に尋ねてみたいと思うことを考え出しながら、一方にはまたもうなんにも聞くには及ばないような気がして、どっちともつかない自分の心に焦れながら、気味悪く足に塗られた泥が、少しずつ乾いてゆくのをこすり合わしていた。





 風が出てきた。

 広い蘆の茂みのおもてを、波のように揺り動かして吹き渡る。

 日暮れ近くなった空は、だんだんに暗く曇って、寒さは骨までも滲み透るように身内に迫ってくる。

「せっかくお出でくださいましたのにあいにく留守で……」

 気の毒そうに言う主人の声をあとにふたりは帰りかけた。

「やはりその道を歩くより他に、道はないのでしょうか」

 野枝は来がけに歩いてきた道を指さして、わかり切ったことを未練らしく聞いた。

 またその難儀な道を帰らねばならないことが、野枝にはただもう辛くてたまらなかった。

「そうだね、やはりその道が一番楽でしょう」
 
 と言われて、また前よりはいっそう冷たく感ずる沼の水の中にふたりは足を入れた。





 ようようのことで土手の下まで帰って来はしたものの、足を洗う場所がない。

 少し歩いているうちにはどこか洗えるところがあるかもしれないと思いながら、そのまま土手を上がった。

 白く乾き切った道が、気持ちよく走っている。

 けれど、ひと足そこに踏み出すと思わず野枝はそこにしゃがんだ。

 道は小砂利を敷きつめてあって、その上を細かい砂が覆っている。

 むき出しにされて、その上に冷たさでかじかんだ足の裏には、その刺戟が、とても堪えられなかった。

 といって、今泥の中から抜き出したばかりの足を思い切って草履の上に乗せることもできなかった。

「おい、そんなところにしゃがんでいてどうするんだい。ぐずぐずしていると日が暮れてしまうじゃないか」

 そう言ってせき立てられるほど、野枝はひしひし迫ってくる寒さと、足の痛さに泣きたいような情けなさを感ずるのだった。

 それでも、両側の草の上や、小砂利の少ないところを寄る撰(よ)るようにして、やっとあてにした場所まで来てみると、水は青々と流れていても、足を洗うようなところはなかった。

 野枝はとうとう懐ろから紙を出して、よほど乾いてきた泥を拭いて草履をはいた。

 ふたりはやっとそれで元気を取り返して歩き出した。

 日暮れ近い、この人里遠い道には、ふたりの後になり先になりして付いて来る男がひとりいるだけで、他には人の影らしいものもない。

 空はだんだんに低く垂れてきて、いつか遠くの方は、ぼっと霞んでしまっている。

 遠く行く手の、古河の町のあたりかと思われる一叢の木立ちの黒ずんだ蔭から、濃い煙の立ち昇っているのが、やっと見える。

 風はだんだんに冷たくなって道のそばの篠竹の葉のすれ合う音が、ふたりの下駄の音と、もつれあって寂しい。





 ふたりは島田家の様子や主人の話など取りとめもなく話しながら歩いた。
 
「あの主人はだいぶしっかりした人らしいのね。だけど後から来たおじいさんは、本当に意気地のない様子をしていたじゃありませんか」

「ああ、もうあんなになっちゃ駄目だね。もっとももう長い間ああした生活をしてきているのだし、意気地のなくなるのも無理はないが。あそこの主人みたいなのは残っている連中のうちでも少ないんだろう。皆、もうたいていはあのじいさんみたいのばかりなんだよ、きっと。残っているといっても、他へ行っちゃ食えないから、仕方なしにああしているんだからな」

「でも、それも惨めなわけね、あんな中にああしていなきゃ困るのだなんて。今度は、お上だって、いよいよ立ち退かせるには、せめてあの人たちの要求は容れなくちゃあんまり可愛想ね。たくさんの戸数でもないんだから、何とかできないことはないのでしょうね」

「もちろんできないことはないよ。少し押強く主張すれば、何でもないことだ。だが、残った連中は、他の者からは、すっかり馬鹿にされているんだね。来るときに初めて道を聞いた男だって、そらあの婆さんだって、そうだったろう! 一緒に行った男なんかもあれで、島田の家を馬鹿にしてるんだよ、宗三を批難したりなんかしてたじゃないか」

「そうね、あの男なんか、こんな土地を見たって別に何の感じもなさそうね。ああなれば、本当に呑気なものだわ」

「そりゃそうさ、みんながいつまでも、そう同じ感じを持っていた日にゃ面倒だよ。大部分の人間は、異った生活をすれば、すぐその生活に同化してしまうことができるんで、世の中はまだ無事なんだよ」

「そういえばそうね」

「どうだね。少しは重荷が下りたような気がするかい? もっとあそこでいろんなことを聞くのかと思ったら、何にも聞かなかったね。でも、ただこうして来ただけで、余程いろんなことがわかったろう? 宗三がいればもっと委しくいろんなことがわかったのだろうけれど、この景色だけでも来た甲斐はあるね」

「たくさんだわ。この景色だの、彼のうちの模様だの、それだけで、もう何にも聞かなくてもいいような気になっちゃったの」

「これで、野枝子ひとりだと、もっとよかったんだね」

「たくさんですったら、これだけでもたくさんすぎるくらいなのに」





 長い土手の道はいつか終わりに近づいていた。

 振り返ると、今沈んだばかりの太陽が、低く遙かな地平に近い空を、わずかに鈍い黄色に染めている。

 空も、地も、濃い夕暮れの色に包まれている。

 すべての生気と物音を奪われたこの区切られた地上は、たったひとつの恵みである日の光さえ、今は失われてしまった。

 明日が来るまではここはさらに物凄い夜が来るのだ。

 黄昏れてくるにつけて、黙って歩いているうち、心の底から冷たくなるような、何ともいえない感じに誘われるので道々、野枝は精一杯の声で歌い出した。

 声は遮ぎるもののないままに、遠くに伝わってゆく。

 時々葦の間から、脅かされたように群れになった小鳥が、あわただしい羽音をたてて飛び出しては、直ぐまた降りてゆく。

 古河の町はずれの高い堤防の上まで帰って来たとき、町の明るい灯が、どんなになつかしく明るく見えたか!

 野枝はそれを見ると、一刻も早く暖い火のそばに、その凍えたからだを運びたいと思った。

 古びた、町の宿屋の奥まった二階座敷に通されて、火鉢のそばに坐ったときには、野枝のからだは何ものかにつかみひしがれたような疲れに、動くこともできなかった。

 野枝は落ちつかない広い部屋の様子を見まわしながらも、まだ足にこびりついて残っている泥の気味悪さも忘れて、火鉢にかじりついたまま湯の案内を待った。





 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、例によってふたりには尾行が始終ついていた。

 島田宗三が留守だったのは、退去期限の延期交渉に出かけていたからだったが、退去期限は翌年(一九一七年)二月まで延期になった。

 島田家で大杉と野枝が会ったのは、宗三の兄・熊吉である。

 旧谷中村を訪れた大杉と野枝が帰京したのは、一九一六(大正五)年十二月十一日だった。



★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 15:58| 本文

第233回 菜圃(さいほ)






文●ツルシカズヒコ

 ようやくに、目指す島田宗三の家を囲む木立がすぐ右手に近づいた。

 木立の中の藁屋根がはっきり見え出したときには、沼の中の景色もやや違ってきていた。

 木立はまだ他に二つ三つと飛び飛びにあった。

 蘆間のそこここに真っ黒な土が珍らしく小高く盛り上げられて、青い麦の芽や菜の葉などが生々と培われてある。

 道の曲り角まで来ると、先に歩いていた連れの男が、遠くから、そこから行けというように手を動かしている。

 見ると沼の中に降りる細い道がついている。

 土手の下まで降りてみると、沼の中には道らしいものは何にもない。

 蘆はその辺には生えてはいないが、足跡のついた泥地が洲のようにところどころ高くなっているきりで、他とは変わりのない水たまりばかりであった。

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「あら、道がないじゃありませんか。こんなところから行けやしないでしょう?」

「ここから行くのさ、ここからでなくてどこから行くんだい?」

「他に道があるんですよ、きっと。だってここからじゃ、裸足にならなくちゃ行かれないじゃありませんか」

「あたりまえさ、下駄でなんか歩けるものか」

「だって、いくらなんだって道がないはずはないわ」

「ここが道だよ。ここでなくて他にどこにある?」

「向こうの方にあるかもしれないわ」

 野枝は少し向こうの方に、小高い島のような畑地が三つ四つ続いたような形になっているところを指しながら言った。

「同じだよ、どこからだって。こんな沼の中に道なんかあるもんか。ぐずぐず言ってると置いてくよ。ぜいたく言わないで裸足になってお出で」

「いやあね、道がないなんて、冷たくってやりきれやしないわ」

「ここでそんなこと言ったって仕様があるもんか、何しに来たんだ? それともここまで来て、このまま帰るのか?」





 大杉はそんな駄々はいっさい構わないといったような態度で、足袋を脱いで裾を端折ると、そのまま裸足になって、ずんずん沼の泥水の中に入って行った。

 野枝はいくらか沼の中とはいっても、せめてそこに住んでいる人たちが歩くのに不自由しない畔道くらいなものはあるにちがいないと、自分の不精ばかりでなく考えていたのに、何にもそのような道らしいものはなくて、その冷たい泥水の中を歩かなければならないのだと思うと、そういうところを毎日歩かねばならぬ人の難儀を思うよりも、現在の自分の難儀の方に当惑した。

 それでも大杉の最後の言葉には、野枝はまたしても自分を省みなければならなかった。

 野枝はすぐに思い切って裸足になり、裾を端折って大杉の後から沼の中に入った。

 冷たい泥が野枝の足の裏に触れたかと思うと、ぬるぬるとなんとも言えぬ気味悪さで、五本の指の間にぬめり込んで、すぐ足首まで隠してしまった。

 その冷たさ!

 体中の血が一度に凍えてしまうほどだ。

 二、三間は勢いよく先に歩いて行った大杉も、後から来る野枝をふり返ったときには、さすがに冷たい泥水の中に行き悩んでいた。

「どう行ったらいいかなあ」

「そうね、うっかり歩くとひどい目に遭いますからね」

 ふたりはひと足ずつ気をつけながら足跡を拾って、ようようのことで蘆間の畑に働いている人の姿を探し出した。

 そこは一反歩くらいな広い畑で四、五人の人が麦を播いていたのだ。





 島田宗三の家への道を聞くと、その人たちは不思議そうにふたりを見ながら、この畑の向こうの隅から行く道があるから、この畑を通って行けと言ってくれた。

 けれど、ふたりが立っているところと、その畑の間には小さな流れがあった。

 とうていそれが渡れそうにもないので、野枝が当惑しきっているのを見ると、間近にいた年老いた男が彼女に背を貸して渡してくれた。

 ふたりはお礼を言って、その畑を通り抜けて、再びまた沼地に入った。

 畑に立っていたふたりの若い女が、野枝の姿をじっと見ていた。

 野枝はそれを見ると気恥ずかしさでいっぱいになった。

 野枝は柔らかく自分の体を包んでいる袖の長い着物が、そのときほど恥ずかしくきまりの悪かったことはなかった。

 足だけは泥まみれになっていても、こんなにも自分が意気地なく見えたことはなかった。

 女たちの目には、小さな流れひとつにも行き悩んだ意気地のない女の姿がどんなに惨めにおかしく見えたろう? 





 だがいったい、どうしたことだろう?

 まさかあの新聞の記事が嘘とは思えないが、今日を限りに立ち退きを請求されている人たちが、悠々と落ちついて、畑を耕やして麦を播いているというのは、どういう考えなのだろう?

 やはり、どうしてもこの土地を去らない決心でいるのであろうか。

 野枝はひとりでそんなことを考えながら、大杉には一、二間も後れながら、今度は前よりもさらに深い、膝までもくる蘆間の泥水の中を、ともすれば重心を失いそうになる体を、ひと足ずつにようやくに運んでゆくので
あった。

「みんな、毎日こんなひどい道を歩いちゃ、癪に障ってるんだろうね」

 大杉は後ろをふり向きながら言った。

「たまに歩いてこんなのを、毎日歩いちゃ本当にいやになるでしょうね。第一、私たちならすぐ病気になりますね。よくまあこんなところに十年も我慢していられること」

 と言っているうちにも、ひと足ずつにのめりそうになる体をもてあまして、幾度も野枝は立ち止まった。

 少し立ち止まっていると刺すように冷たい水に足の感覚を奪われて、上滑りのする泥の中に踏みしめる力もない。





 下半身から伝わる寒気に体中の血は凍ってしまうかとばかりに縮み上がって、後にも先にも動く気力もなくなって、野枝はもう半泣きになりながら、大杉に励まされてわずかのところを長いことかかってようように水のないところまで来ると、そこからは島田の家の前までは、細い道がずっと通っていた。

 木立の中の屋敷はかなりな広さだった。

 一段高くなった隅に住居らしいひと棟と、物置き小屋らしいひと棟とがそれより一段低く並んでいる。

 前は広い菜圃(さいほ)になっている。

 畑のまわりを鶏が歩きまわっている。

 他には人影も何もない。

 大杉が取りつきの井戸端に下駄や泥まみれのステッキをおいて、家に近づいて行った。

 正面に向いた家の戸が半分閉められて、家の中にも誰もいないらしい。

「御免!」

 幾度も声高に言ったが何の応えもない。





 住居といってもそばの物置きと何の変わりもない。

 正面の出入口と並んで、同じ向きに雨戸が二、三枚閉まるようになったところが開いている。

 他は三方とも板で囲われている。

 覗いてみると、家の奥行きは三とはない。

 そこの低い床の上に五、六枚の畳が敷かれて、あとは土間になっている。

 もちろん押入れもなければ戸棚もない。

 夜具や着物などが片隅みに押し寄せてあって、上がりかまちから土間へかけて、いろいろな食器や、鍋釜などがゴチャゴチャに置かれてある。

 土間の大部分は大きな機で占められている。

 家の中は狭く、薄暗く、いかにも不潔で貧しかった。

 けれどもその狭い畳の上には、他のものとはまったく不釣り合いな、新しい本箱と机が壁に添って置かれてあった。

 机のすぐ上の壁には、田中正造翁の写真がひとつかかっている。

 人気のない家の中には、火の気もないらしかった。

 ふたりは寒さに震えながら、着物の裾を端折ったまま、戸の開いたままになっている敷居に腰を下ろした。

 腰を下ろすとすぐ眼の前の柚子の木に黄色く色づいた柚子が鈴なりになっている。

 鶏は丸々と肥って呑気な足どりで畑の間を歩き回っている。

 木立ちに囲まれてこの青々とした広い菜圃を前にした屋敷内の様子は、どことなく、のびのびした感じを持たせるけれど、木立ちの外は、正面も横も、広いさびしい一面の蘆の茂みばかりだ。

 この家の中の貧しさ、外の景色の荒涼さ、それにあの難儀な道と、遠い人里と、何という不自由な、辛いさびしい生活だろう。





 ふたりが腰をかけているところから、正面に見える蘆の中から「オーイ」とこちらに向かって呼ぶ声がする。

 返事をしながら、そっちの方に歩いて行くと蘆の間からひとりの百姓が鉢巻きをとりながら出て来た。

 挨拶を交わすと、それは島田宗三の兄にあたる、この家の主人であった。

 素朴な落ちつきを持った口重そうな男だ。

 気の毒そうにふたりの裸足を見ながら、主人は宗三は昨日から留守であると言った。

 家の方に歩いて行く後から、大杉は今日訪ねてきたわけを話して、今日立ち退くという新聞の記事は事実かと聞いた。

「は、そういうことにはなっておりますが、何しろこのままで立ち退いては、明日からすぐにもう路頭に迷わなければならないような事情なものですから。実は弟もそれで出ておるようなわけでございますが」

 彼は遠くの方に眼をやりながら、そこに立ったままで、思いがけない、はっきりした調子で話した。





「私どもがここに残りましたのも、最初は村を再興するというつもりであったのですが、なにぶん長い間のことではありますし、工事もずんずん進んで、この通り立派な貯水池になってしまい、その間には当局の人もいろいろに変わりますし、ここを収用する方針についても、県の方で、だんだんに都合のいい決議がありましたり、どうしても、もう私ども少数の力ではかなわないのです。しかし、そう言ってここを立ち退いては、もう私どもどうすることもできないのです。収用当時とは地価ももうずいぶん違ってますし、その収用当時の地価としても満足に払ってくれないのですから、そのくらいの金では、今日ではいくらの土地も手に入りませんのです。なんだか欲にからんででもいるようですが、実際その金で手に入る土地くらいではとても食べてはゆけないのですから、何とかその方法がつくまでは動けませんのです。ここにまあこうしていれば、不自由しながらも、ああして少しずつ地面も残っておりますし、まあ食うくらいのことには困りませんから、余儀なくこうしておりますようなわけで、立ち退くには困らないだけのことはして貰いたいと思っております」

「もちろんそのくらいの要求をするのは当然でしょう。じゃ、また当分延びますかな」

「そうです。まあひと月やふた月では極まるまいと思います。どうせそれに今播いている麦の収穫が済むまでは動けませんし」

「そうでしょう。で、堤防を切るとか切ったとかいうのはどのへんです、その方の心配はないのですか?」

「今、ちょうど三ヶ所切れております。ついこの間、すぐこの先の方を切られましたので、水が入ってきて、麦も一度播いたのを、また播き直しているところです」



★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 12:08| 本文

2016年06月02日

第232回 田中正造






文●ツルシカズヒコ



 大杉は乾いた道にステッキを強くつきあてては高い音をさせながら、十四、五年も前にこの土地の問題について世間で騒いだ時分の話や、知人の誰かれがこの村のために働いた話をしながら歩いて行った。

「今じゃみんな忘れたような顔をしているけれど、その時分には大変だったさ。それに何の問題でもそうだが、あの問題もやはりいろんな人間のためにずいぶん利用されたもんだ。あの田中正造という爺さんがまた、非常に人が好いんだよ。それにもう死ぬ少し前なんかには、すっかり耄碌して意気地がなくなって、僕なんか会ってても厭になっちゃったがね。少し同情するようなことを言う人があると、すっかり信じてしまうんだよ。それでずいぶんいい加減に担がれたんだろう」

「そうですってね。でも、死ぬときには村の人に言ってたじゃありませんか。誰も他をあてにしちゃいけないって。しまいには懲りたんでしょうね」

「そりゃそうだろう」

「だけど、人間の同情なんてものは、まったく長続きはしないものなのね。もっとも、各自に自分の生活の方が忙しいから仕方はないけれど。でも、この土地だって、そのくらいにみんなの同情が集まっているときに、何とか思い切った方法をとっていれば、どうにか途はついたのかもしれないのね」

「ああ、これでやはり時機というものは大切なもんだよ。ここだってむしろ旗をたてて騒いだときに、その勢いでもっと思い切って一気にやってしまわなかったのは嘘だよ。こう長引いちゃ、どうしたって、こういう最後になることはわかりり切っているのだからね」

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 けれどとにかく世間で問題にして騒いだときには、多くの人に涙を誘った土地なのに、それがなぜに何の効果も見せずに、こうした結末になったのだろう?

 よそごととしての同情なら続くはずもないかもしれない。

 しかし、一度はそれを自分の問題として寝食を忘れてもつくした人が、もう思い出して見ないというようなことが、どうしてあり得るのであろう? 

 野枝はこの景色を前にして、いろいろな過ぎ去った話を聞いていると、最初に自分が、この事件に対して持った不平や疑問が、新たに浮かんできた。





 行く手の土手に枯木が一本しょんぼりと立っている。

 低く小さく見えた木は、近づくままに高く、木の形もはっきりと見えてきた。

 木の形から推すと、かつては大きく枝葉を茂らしていた杉の木らしい。

 それはこの何里四方というほどな広い土地に、たった一本不思議に取り残されたような木であった。

 かつては、どんなに生々と、雄々しくこの平原の真ん中に突っ立っていたかと思われる、幾抱えもあるような、たくましい幹も半ばは裂けて凄ましい落雷のあとを見せ、太く延ばしたらしい枝も、大方はもぎ去られて見るかげもない残骸を、痛ましくさらしている。

 しかも、その一本の枯れた木は、四辺の景色が、他の一帯に生気を失った、沈んだ、惨めな景色よりも、いっそう強い何となく底しれぬ物凄さを潜めていた。

 行くほど空の色はだんだんに沈んでいき、沼地はどこまでとも知らず広がり、葦間の水は冷く光り、道はどこまでも曲りくねっている。

 連れの男はずんずん先に歩いて行くので、折々姿を見失ってしまう。





 ふたりの話がとぎれると、野枝たちの足元から発する草履と下駄とステッキの音が、はっきりと四辺に響いてゆく。

 野枝は黙って引きずるように歩いている自分の足音を聞きながら、この人里遠いあたりの荒涼たる景色に目をやってゆくと、まるで遠い遠い旅で知らぬ道に踏み迷っているような心細さに襲われた。

「どうしたい?」

「まだかしら、ずいぶん遠いんですね」

「もうじきだよ。くたびれたのかい。もっとしっかりお歩きよ。足を引きずるから歩けないんだ。今から疲れてどうする?」

「だって私こんなに遠いとは思わなかったんですもの。こんなところ、とても私たちだけで来たんじゃわかりませんね。あの人が通りかかったので、本当に助かったわ」

「ああ、これじゃちょっとわからないね。どうだい、ひとりでこんなに歩けるかい。僕は来ないで、野枝子ひとりをよこすんだったなあ。その方がきっとよかったよ」

 大杉はそんなことを言ってからかった。

「歩けますともさ。だって、今そんなことを言ったって、もう一緒に来ちゃったもの仕方がないわ」

 けれど大杉の冗談は、野枝には何となくむずがゆく皮肉に聞こえた。





 先刻から眼前の景色に馴れ、真面目な話が途切れると、他に人目のない道を幸いに、野枝は大杉に甘えたり、ふざけたりして来た。

 彼のその軽い冗談ごかしの皮肉に気づくと、野枝はひとりでに顔が赤くなるように感じた。

 その感じを胡魔化すようにいっそうふざけてもみたが、野枝の内心はすっかり悄気てしまっていた。

「何しに来た?」

 そういって正面からたしなめられるよりも幾倍か気がひけた。

 本当に、考えてみれば、あの先に歩いて行く男にも遇わず、大杉も来てくれないで、自分ひとりで道を聞きながら、うろうろこんな道を歩いてゆくとしたら?

 ふたりで歩いていてさえ、あまりにさびしすぎるこんな道を――。

 野枝は黙り、急にあたりの景色がいっそう心細く迫ってくるようにさえ思えた。





 蘆の疎らな泥土の中に、傾いた土台の上に、今にも落ちそうに墓石が乗っているのが二つ三つ、他には土台石ばかりになったり、長い墓石が横倒しになっていたりしている。

 それが歩いて行くにつれて、あっちにもこっちにも、蘆間の水たまりや小高く盛り上げた土の上に、二つ三つと残っている。

 弔う人もない墓としか思われないような、その墓石のそばまで、土手からわざわざつけたかと思われそうな畔道が、一条ずつ通っているのも、この土地に対する執着の深い人々の、いろいろな心根なのだろう。


 泥にまみれて傾き横たわった沼の中の墓石は、後から後からと、野枝に種々な影像を描かせる。

 その影像のひとつひとつに、野枝の心はセンティメンタルな沈黙を深めていった。





 あたりは悲し気に静まり返って、野枝の心の底深く描かれる影像を見つめている。

 亡ぼしつくされた「生」が今、一時にこの枯野に浮き上がってきて、みんなが野枝の心を見つめている。

 ――その感じが野枝に迫ってくる。

 同時に今にもあふれ出しそうな、あてのない野枝の悲しみを沈ますような太いゆるやかなメロディが、低く強く野枝を襲ってくる。

 今までただ茫漠と拡がっていた黄褐色と灰色の天地の沈黙が、みるみる野枝の前に緊張してくる。

 けれど、やがてそれもいつの間にか消え去った影像と同じく、その影像を描いたセンティメントが消えてしまう頃には、やはりもとの何の生気もない荒涼とした景色であった。

 しかし、野枝はそれで充分だった。

 わずかに頭をもたげた野枝のセンティメントは、本当のものを見せてくれたのだ。

「何しに来た?」

 もう野枝はそういってとがめられることはない。

 ひとりで来たら彼女のセンティメントは、もっと長く彼女をとらえただろう。

 もっと惨めに彼女を圧迫したろう。

 だが、もう充分だ。

 これ以上に何を感ずる必要があろう。

 野枝はしっかり大杉の手につかまった。


★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)


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2016年06月01日

第231回 廃村谷中






文●ツルシカズヒコ



 しばらくすると、大杉と野枝の方向に歩いて来る人がいた。

 待ちかまえていたように、野枝たちはその人に聞いた。

「さあ、谷中村といっても、残っている家はいくらもありませんし、それも、みな飛び飛びに離れていますからな、何という人をお訪ねです?」

嶋田宗三という人ですが」


「島田さん、ははあ、どうも私にはわかりませんが」

 その人は少し考えてから言った。

「家がわからないと、行けないところですからな。何しろその、みなひとかたまりになっていませんから」

「まだ、余程ありましょうか?」

「さよう、だいぶありますな」

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 ちょうどそのとき、野枝たちの後から来かかった男に、その人はいきなり声をかけた。

「この方たちが谷中へお出でなさるそうだが、お前さんは知りませんか」

 その男はやはり、今までと同じように妙な顔つきをして、私たちを見た後に言った。

「谷中へは、誰を尋ねてお出でなさるんです?」

「島田宗三という人ですが」

「ああ、そうですか、島田なら知っております。私も、すぐそばを通って行きますから、ご案内しましょう」

 前の男にお礼を言って、ふたりはその男と一緒になって歩き出した。





 男はガッシリした体に、細かい茶縞木綿の筒袖袢纏(はんてん)を着て、股引(ももひき)わらじがけという身軽な姿で、先にたって遠慮なく急ぎながら、折々振り返っては話しかける。

「谷中へは、何御用でお出でです?」

「別に用というわけではありませんが、実はここに残っている人たちがいよいよ今日限りで立ち退かされるという話を聞いたもんですから、どんな様子かと思って」

「ははあ、今日限りで。そうですか、まあいつか一度は、どうせ追い払われるには決まったことですからね」

 男はひどく冷淡な調子で言った。

「残っている人は実際のところ、どのくらいなものです?」

 大杉は男がだいぶ谷中の様子を知っていそうなので、しきりに話しかけていた。

「さあ、しっかりしたところはわかりませんが、十五、六軒もありますか。みんな飛び飛びに離れているので、よくわかりません。嶋田の家がまあ土手から一番近いところにあるのです。その近くに二、三軒あって、あとはずっと離れて飛び飛びになっています。島田の母親と私の母親が姉妹で、あの家とはごく近い親戚で。え、私ももとはやはり谷中の者です。宗三もどうもお百姓のくせに、百姓仕事をしませんで、始終何にもならんことに走り回ってばかりいて困ります」

 彼はそんなことも言った。





 宗三は谷中のために一生を捧げた田中正造翁の亡き後、その後継者のごとく残留民の代表者になり、いろいろな交渉の任に当たっていた。

「堤防を切られて水に浸っているのだと言いますね」

「なあに、家のあるところはみんな地面がずっと他よりは高くなっていますから、少々の水なら決して浸るようなことはありませんよ。宗三の家の地面なんかは、他の家から見るとまた一段と高くなっていますから、他は少々浸っても大丈夫なくらいです。お出でになればわかります」

 彼はさも何でもないことを大げさに信じている野枝たちを笑うように、また野枝たちにそう信じさせる村民に反感を持ってでもいるように、苦い顔をし、またスタスタ先になって歩き出した。

 いつのまにか、行く手に横たわった長い堤防にふたりは近づいていた。

「あ、あの堤防だ。橋番のやつ、すぐそこのようなことを言ったが、ずいぶんあるね。でもよかった、こういう道じゃ、うまくあんな男にぶつかったからいいようなものの、それでないと困るね」

「でも、よくうまく知った人に遇ったものね、本当に助かったわ」

 ふたりはやっと思いがけない案内者ができたのに安心して、少し遅れて歩きながら、そんな話をした。





「これがずっと元の谷中です」

 土手に上がったとき、男はそこに立ち止まって、前に拡がった沼地を指して言った。

 荒涼とした景色だった

 遙かな地平の果てに、雪をいただいた一脈の山々がちぢこまって見える他は、目を遮るものとては何物もない、ただ一面の茫漠とした沼地であった。

 重く濁った空は、その広い沼地の端から端へと同じ広さで低くのしかかり、沼の全面は枯れすがれて生気を失った葦で覆われて、冷たく鬱した空気が鈍くその上を動いていた。

 歩いて来た道も、堤から一、二丁の間白く見えただけで、ひと曲りしてそれも丈の高い葦の間に隠されている。

 その道に沿うてただ一叢、二叢わずかに聳えた木立が、そこのみが人里近い気配があるが、どこをどう見ても、底寒い死気が八方から迫ってくるような、引き入れられるような、陰気な光景だった。





「まあひどい!」

 廃村谷中の跡をひと目に見渡せる土手に立った野枝は、そういったなりで、後の言葉が続かなかった。

 広大な地に、目の届くところにせめて、一本の生々とした木なり草なり生えてでもいることか、ただもう生気を失って風にもまれる枯れ葦ばかりだった。

 虫一匹生きていそうな気配さえもなかった。

 ましてこの沼地のどこに人が住んでいるのだろうーー野枝はそう思った。

 案内役になった連れの男は、さっさと歩いていく。

 どこをどう行くのかもわからずに、ついていくのに不安を感じた野枝が聞いた。

「谷中の人たちの住んでいるところまでは、まだよほどあるのですか?」

「そうですね、この土手をずっと行くのです。一里か一里半もありますかね」

 道は幅も広く平らだったが、乗物などの便宜がなく、帰りもあるのにこの道をもう一里半も歩かなければならないのだ。

 野枝にはかなり思いがけない辛いことだった。

 雪が降り出しそうな寒空に自分から進んで、大杉までも引っぱって出かけて来ておいて、まさかそのようなことまでも口へ出しかねるので、野枝は黙って歩いた。





「こうして見ると広い土地だね。荒れていることもずいぶん荒れてるけれど、これで人が住んでいた村の跡だとはちょっと思えないね」

「本当にね。ずいぶんひどい荒れ方だわ。こんなにもなるものですかねえ」

「もうずいぶん長い間のことだからね。しかし、こんなにひどくなっていようとは思わなかったね。なんでも、ここは実にいい土地だったんだそうだよ。田でも畑でも肥料などは施(や)らなくても、普通より多く収穫があるくらいだった、というからね。ごらん、そら、そこらの土を見たって、真っ黒ないい土らしいじゃないか」

「そういえばそうね」

 今はこうして枯れ葦に領されたこの広い土地に、かつてはどれだけの生きものが育まれたであろう。

 人も草木も鳥も虫もすべてのものが。

 だが、今はそれらのすべてが奪われてしまったのだ。

「なぜこのように広い、その豊饒な土地をこんなに惨めに殺したものだろう?」




 
 元のままの土地ならば、この広い土地いっぱいに、春が来れば菜の花が咲きこぼれるのであろう。

 麦も青く芽ぐむに相違ない。

 秋になれば稲の穂が豊かな実りを見せるに相違ない。

 そうしてすべての生きものは、幸せな朝夕をこの土地で送れるのだ。

 それだのになぜその豊かな土地を、わざわざ多くの金をかけて、人手を借りて、こんな廃地にしなければならなかったのだろう?

 それは、野枝がこの土地のことについての話を聞いた最初に持った疑問であった。

 そして、野枝はその疑問に対する多くの答えを聞いている。

 しかし現実にこの広い土地を見て野枝は、やはり、そのような答えよりも最初の疑問がまず頭をもたげ出すのであった。

 歩いていく土手の道の内側のところどころに、土手と並んでわずかな畑がある。

 先に歩いていく男は振り返りながら、

「こういうところはもと人家のあった跡なのですよ」

 と思い出したように教えてくれる。





 もとは、この土地に住んでいた村民の一人だというその男は、この情けないような居村の跡に対しても、別段に何の感じもそそられないような無神経な顔をして、ずっと前にこの土地の問題が世間にかれこれ言われたときのことなどをポツリポツリ話した。

 そして、それもかつての自分たちのことを話しているというよりは、まるで他人の身の上のことでも話しているような無関心な態度を、野枝は不思議な気持ちで見ていた。

 彼は惨苦のうちにこの土地に未練を持って、今もなお池の中に住んでいる少数の人たちに対しても、冷淡な侮蔑を躊躇なく現わした。

「ずっと向こうにちょっとした木立がありますね。ええずっと遠くの方に煙が見えるでしょう? あの少し左へ寄ったところに、やはり木の茂ったところが見えますね、あれが嶋田の家です。まだだいぶありますよ」

 指さされた遙かな方に小さな木立が見えた。

 細い貧し気な煙も見えた。

 いつか土手に添うた畑地はなくなり、土手のすぐ下の沿岸の疎らになった葦間に、みすぼらしい小舟がつなぎもせずに乗り捨ててあったり、破れた舟が置きざりにされてあったり、人の背丈の半ばにも及ばないような低い、竹とむしろでようやくに小屋の形をしたものが、腐れかかって残っていたりする。

 長い堤防は人気のない沼の中をうねり曲って、どこまでも続いている。



★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




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2016年05月31日

第230回 葦原






文●ツルシカズヒコ



 一九一六(大正五)年十二月九日、夏目漱石が四十九歳十ケ月の生涯を閉じた。

 翌十二月十日、野枝と大杉は栃木県下都賀郡藤岡町(現・栃木市)の旧谷中村を訪れた。

 野枝はこの旧谷中村訪問を「転機」(『文明批評』一九一八年一月号・二月号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)という創作にした。

 旧谷中村を訪れる四、五日前のことだった。

 村の残留民がこの十二月十日限りで強制的に立ち退かされるという十行ばかりの新聞記事を読んだ野枝は、二年ほど前に渡辺政太郎(まさたろう)に聞いた話を思い出した。

「もういよいよ、これが最後だろう」

 という大杉の言葉につけても、ぜひ行ってみたいという野枝の望みは、どうしても捨てがたいものになった。

 とうとうその十日が今日という日、野枝は大杉を促して一緒に旧谷中村を訪れることにしたのである。

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 不案内な道を教えられるままに歩いて古河(こが)の町外れまで来ると、通りは思いがけなく、まだ新らしい高い堤防で遮られている。

 道端で子供を遊ばせている老婆に野枝が、谷中村に行く道を尋ねた。

「なんでもその堤防を越して、河を渡って行くんだとか言いますけれどねえ、私もよくは知りませんから」

 老婆は野枝と大杉の容姿に目を留めながら、はっきりしない答えをした。

 当惑している野枝たちが気の毒になったのか、老婆は他の人にも聞いてくれたが、やはり答えは同じだった。

 しかし、とにかくその堤防を越して行くのだということだけはわかったので、ふたりはその町の人家の屋根よりはるかに高いくらいな堤防に上がった。

 堤防の上からふたりの眼前に現われた景色は、ふたりにとって想像もつかないものだった。





 ふたりが立っている堤防は黄褐色の単調な色をもって、右へ左へと遠く延びていって、ついにはどこまで延びているのか見定めもつかない。

 しかも堤防外のすべてのものは、それによって遮(さえぎ)りつくされて一、二ヶ所木の茂みが低く暗緑の頭を出しているばかりである。

 堤防の内は一面に黄色な枯れ葦に領された広大な窪地であった。

 ふたりの正面は五、六町を隔てたところに横たわっている古い堤防に遮られているが、右手の方に拡がったその窪地の面積は数理的観念には極めて遠い野枝の頭では、ちょっとどのくらいというような見当はつかないけれど、とにかく驚くべき広大な地域を占めていた。

 高い堤防の上からの広い眼界は、ただもう一面に黄色な窪地と空だけでいっぱいになっている。

 その思いがけない景色を前にして、野枝はこれが長い間、本当にそれは長い間だった、一度聞いてからはついに忘れることのできなかった村の跡なのだろうと思った。





「ちょっとお伺いいたしますが、谷中村へ行くのには、この道を行くのでしょうか?」

 ちょうどその窪地の中の道から、土手に上がってきた男を待って、野枝が聞いた。

 その男もまた、不思議そうにふたりを見上げ見下ろしながら、谷中村はもう十年も前から廃止になり沼になっているが、残っている家が少々はないこともないけれど、とても行ったところでわかるまいと言いながら、それでもそこはこの土手のもう一つ向こうになるのだから、土手の蔭の橋のそばで聞けと教えてくれた。

 窪地の中の道の左右は、まばらに葦が生えてはいるが、それが普通の耕地であったことはひと目でわかる。

 細い畔道や田の間の小溝がありしままの姿で残っている。

 しかし、この新らしい高い堤防が役立つときには、それも新らしい一大貯水池の水底に葬り去られてしまうのであろう。

 人々はそんな関わりのないことは考えてもみないというような顔をして、坦々と踏みならされた道を歩いて行く。

 土手の蔭は、教えられたとおりに河になっていて舟橋が架けられてあった。





 橋の手前に壊れかかったというよりは、拾い集めた板切れで建てたような小屋があった。

 腐りかけたような蜜柑やみじめな駄菓子などを並べたその店先きで、野枝はまた尋ねた。

 小屋の中には、七十にあまるかと思われるような目も鼻も口も、その夥だしい皺の中に畳み込まれてしまったようなひからびた老婆と、四十くらいの小造りな、貧しい姿をした女とふたりいた。

 野枝はかねがね谷中の居残った人たちが、だんだんに生計に苦しめられて、手当り次第な仕事につかまって暮らしているというようなことも聞いていたので、このふたりがひょっとしてそうなのではあるまいかという想像と一緒に、何となくその襤褸(ぼろ)にくるまって、煮しめたような手拭いに頭を包んだふたりの姿を哀れに見ながら、それならば、たぶん尋ねる道筋は、親切に教えて貰えるものだと期待した。

 しかし、谷中村と聞くと、ふたりは顔を見合わせたが、思いがけない嘲りを含んだ態度を見せて、野枝の問いに答えた。

「谷中村かね、はあ、あるにはあるけんど、沼の中だでね、道も何もねえし、いる人も、いくらもねいだよ」

 あんな沼の中にとても行けるものかというように、てんから道など教えそうにもない。

 それでも最後に橋番に聞けという。





 舟橋を渡るとすぐ番小屋があった。

 三、四人の男が呑気な顔をして往来する人の橋銭をとっている。

 野枝は橋銭を払ってからまた聞いた。

「ここを右に行きますと堤防の上に出ます。その向こうが谷中ですよ。ここも、谷中村の内にはなるんですがね」

 ひとりの男がそう言って教えてくれると、すぐ他の男が追っかけるように言った。

「その堤防の上に出ると、すっかり見晴らせまさあ。だが、遊びに行ったって、何にもありませんぜ」

 彼らは一度に顔見合わせて笑った。

 一丁とは行かないうちに、道の片側にはきれいに耕された広い畑が続いていて、麦が播いてあったり、見事な菜園になっていたりする。

 畑のまわりには低い雑木が生えていたり、小さな藪になっていたりして、今、橋のそばで見てきた景色とは、かなりかけ離れた、近くに人の住むらしい、やや温かな気配があった。

 片側は、道に添うて河の流れになっているが、河の向こう岸は丈の高い葦が、丈を揃えてひしひしと生えている。





 その葦原もまたどこまで拡がっているのかわからない。

「おかしいわね、堤防なんてないじゃありませんか。どうしたんでしょう?」

「変だねえ、もうだいぶ来たんだが」

「先刻の橋番の男は堤防に上るとすっかり見晴らせますなんて言ってたけれど、そんな高い堤防があるんでしょうか?」

 野枝と大杉がそう言って立ち止まったときには、小高くなった畑地はどこか後の方に残されて、道は両側とも高い葦に迫られていた。

 行く手も、両側も、後も、森(しん)として人の気配らしいものもしない。

「橋のとこからここまで、ずっと一本道なんだからな、間違えるはずはないが、まあもう少し行ってみよう」

 大杉がそう言って歩き出した。

 野枝は通りすごしてきた畑が、何か気になって、あの藪あたりに家があるのではないかと思ったりした。



★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)



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第229回 センチメンタリズム






文●ツルシカズヒコ




 大杉が逗子の千葉病院を退院したのは、一九一六(大正五)年十一月二十一日だった。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、看病をした野枝と、近くに宿泊して見舞いに通った村木が付き添い、夕刻の電車で本郷区菊坂町の菊富士ホテルに帰った。

『東京朝日新聞』(十一月二十二日)によれば、大杉たちは「午後六時四十三分逗子駅発列車」で帰京した。

 近藤富枝『本郷菊富士ホテル』によれば、菊富士ホテルの玄関に通じる細い露地を、頭から肩にかけて痛々しい包帯姿で杖をついて大杉が、野枝の肩にすがり歩いて来るのを、ホテルの人たちが総出で出迎えた。

『東京朝日新聞』(十一月二十七に日)によれば、菊富士ホテルに戻った後、神近からの二通の書簡が届き、大杉は慰謝の返事を書いた。

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 近藤富枝『本郷菊富士ホテル』によれば、大杉と野枝のカップルは野枝の帯まで質入れするほど窮乏していてが、野枝は療養中の大杉の体を気づかって、

「牛乳をほしい」

「今晩は牛肉を買ってきてちょうだい」

 と遠慮なく女中に注文した。

 牛乳も牛肉もホテルの立て替え払いなので、大杉も野枝も気楽に構えているのだった。





 佐藤春夫は日蔭茶屋事件後、大杉と野枝が滞在していた菊富士ホテルに二度訪れてふたりに面会している。

 一度目は冬の夕方、荒川義英と一緒だった。

 荒川は菊富士ホテルの応接間を覗きこみながら呟いた。

「尾行の奴が退屈してやがらあ!」

 ふたりの尾行が応接間にいることによって、大杉の在宅を知った荒川は案内も乞わずに三階に上がり、ふたりは階段のとっつきの部屋に入った。

 野枝はふたりを歓迎の言葉で迎えた。

 佐藤の記憶によれば「野枝は針仕事か何かをしてゐたような気がする」。

 碁盤を前に座っていた大杉は、例のように吃って言った。

「やろう」

 佐藤が大杉に会うのは一年か一年半ぶりぐらいだった。





 ……大杉の私に対する様子はまるで昨日も逢った人間に対するもののやうにわだかまりがなかつた。

 その自然な調子につり込まれて私も、碁盤の前へ座つたなり五目並べを三四へんやつた。

 大杉が上手とも格別下手とも覚えないところを見ると、きつと私同様に下手だつたのであらう。

 荒川は野枝と何かと話題に耽つてゐた。


(「吾が回想する大杉栄」/『中央公論』1923年11月号/『佐藤春夫全集 第十一巻』_p313)





 その晩、大杉はひどく愉快そうに興に乗って獄中の話などをした。

「新しく同棲するやうになった野枝が傍にゐたので、大杉は楽しかつたに違ひない」と佐藤は書いている。

 四人は夜の十二時まで話しこんだ。

「こんなお客は尾行泣かせだな。どーれ、いよいよ帰ろう」

 荒川が最後にそう言って立ち上がった。

 気がつくと、部屋は煙草の煙でいっぱいになっていた。

 玄関の脇の部屋にいたふたりの尾行は居眠りをしていたらしく、荒川は半ば揶揄するように、

「や! ご苦労さん」

 と大声で呼びかけた。

「君……」

 佐藤は下駄をはきながら荒川に囁いた。

「尾行というものは、いったい何時まで番をしているのだい?」

「必要あればいつまででもさ。奴さんたち、僕らが帰るのを待ちくたびれていたのだぜ。署へ帰って、大杉はもう寝ましたとも報告はできずさ。この寒いのにーーまったくご苦労さまなことだよ」

 荒川はそんなことを言った。





 佐藤が二度目に菊富士ホテルを訪れたのは、佐藤も同ホテルに下宿しようかと思い、大杉にいろいろ相談するためだった。

 すると大杉は「それじゃ、この部屋に来ちゃどうだ」と言った。

 下宿代を支払わず、食事が不味いと言って自炊する大杉と野枝は、菊富士ホテルからすると早く厄介払いしたい対象になっていたからである。


 大杉の宿料は一度も支払われないまま、二ヶ月、三ヶ月と経った。

 我慢出来ず主の(羽根田)幸之助がさいそくに行った。

「大杉さんのような社会主義者が私たちのような小商人を苦しめるなんておかしいじゃありませんか」

 となじると、

「いや、決してそんなつもりではありません。必ず支払うから待って下さい」

 と大杉は苦味走った顔に、いよいよ当惑の色をうかべて返辞する。

 そして「いついつまでに必ず支払う」という誓約書を書いて幸之助に渡す。


(近藤富枝『本郷菊富士ホテル』_p71)





 そのころ大杉の部屋の筋向こうには印度人の青年が住んでいたが、その部屋は西洋間だったので、大杉はその部屋に佐藤を連れて行き見学させてくれたりした。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、シャストリーというその印度人の青年は「無政府主義者との評のある者にして早稲田大学哲学講師」である。

 佐藤は結局、当時の自分の経済状態では住めそうにないと思ったが、大杉の部屋で話しているうちに、ふたりの会話は文壇の話題になった。

 当時、新進作家といわれる者が輩出していた。

 佐藤は大杉に誰か気に入った作家がいるかと尋ねてみた。





 大杉は只一口につまらないと言つたが、「武者小路だけはちよつと面白いよーー機会があつたら論じて見てもいいと思つてゐる」と言つた。

 志を得ないでゐた私は誰のことでも、感心したくはなかつた。

 それで私は大杉に「だつて武者小路の人道主義は要するにセンチメンタリズムぢやないか」と言った。

 その時の大杉の答を私は面白いものに思つて忘れないでゐる。

 大杉は答へたーー

「さうさ。センチメンタリストだよ。まさしく。だけどすべての正義といひ人道といふものは皆センチメンタリズムだよ、その根底は。そこに学理を建てても主張を置いても科学を据ゑても決して覆へらない種類のセンチメンタリズムなのだよ」

「佐藤さん。人の悪口などばかりおつしやらずに、あなたも早く何かなさいよ」

 野枝がそばから私にそんなことを言つたりした。


(「吾が回想する大杉栄」/『中央公論』1923年11月号/『佐藤春夫全集 第十一巻』_p316)



★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★近藤富枝『本郷菊富士ホテル』(中公文庫・1983年4月10日)

★『佐藤春夫全集 第十一巻』(講談社・1969年5月30日)



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第228回 塩瀬の最中






文●ツルシカズヒコ



 日蔭茶屋事件が起きる直前、大杉と野枝の訪問を受けていたらいてうは驚いた。

 神近が『青鞜』から離れて以降、らいてうは彼女と疎遠になっていたが、彼女が大杉が主宰するフランス語教室やフランス文学研究会に参加しているらしいという噂話はどこからともなく聞いていた。

 しかし、らいてうは神近と大杉が傷害事件に発展するような深い間柄であることは、まったく知らなかった。

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 こんないたましい破局に、神近さんが、しかも野枝さんの介入によって追いこまれたことを、心から悲しみながら、そのなかでおのずから心に浮かぶのは、初対面のときから強くわたくしの印象に残っている神近さんのあの妖しく光る、神経質なやや血ばしっているような大きな眼でした。

 人相からいえばなんというのだろうなどとそのときからちょっと気になっていたものでしたが、あそこまでやらねばならなかった神近さんの性格をあの眼がすでに物語っていたように思えてならないのでした。

 神近さんとしてはああするよりほかなく、ああしなければ気持の転換はできなかったのでしょうから、神近さんの行為ばかりをむやみに非難しようとは思いません。

 それよりもわたくしは恋愛の自由ということを踏みはずしたあの多角恋愛の破綻が、古い封建道徳に反対し、新しい性道徳を打ちたてようと努力するものの行く手の大きな支障となることを、おそれずにはいられませんでした。

 ……自己革命だけに終始していた「青鞜」の婦人たちも、ようやくいままでの個人的な立場から、目を社会に転じなければならないようになってきました。

 多くの錯雑した、容易に解決しがたい問題がーー少なくとも個人の力ではどうすることもできないような多くの問題が、目の前にむらがってきました。

 こうして、わたくしたちは、大きな壁の前につき当たったのです。

 ここで、わたくしたちの「青鞜」は終わりました。

 そして「日蔭茶屋事件」が、好むと好まざるとにかかわらず、わたくしたちの「青鞜」の挽歌であったことも、いなみ得ないことです。

 同時に、わたくし自身の青春も、このへんで終わったのではないかと思います。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p608~611)





 自由恋愛によって引き起こされた日蔭茶屋事件に関し、らいてうは大杉と野枝を批判した。


 一体恋愛の自由といふことは、氏等が意味するやうな、一種の一夫多妻主義(或時は多夫一婦人ともなり、多夫多妻ともなる)委しく言へば、相愛の男女は別居して、各自独立の生活を営み、また若し是等の男女にして他の男女に恋愛を感ずれば、其等とも同時に、しかも遠慮なしに結合することが出来るのみならず、愛が醒めれば、子供の有無に拘らず、いつでも勝手に別れることが出来るといふやうな無責任な、無制限な、従つて共同生活に対する願望も、その永続の意志をも、欠いた性的関係でありませうか。

 これは恋愛の自由の甚しき乱用でなくて何でせう。

 然るにその新婦人と呼ばれる者の中から真の恋愛の自由は……永久の共同生活に対する願望と、未来の子供に対する責任感との伴った恋愛のみにある事を忘れ、自分の愛人の間違った恋愛観を、深き反省も批判もなく受け容れ、それを実行させるやうな婦人を出したといふことは、しかもその果は殺傷沙汰まで引き起したといふことは、どう考へても残念なことでした。


(「所謂自由恋愛と其制限 大杉・野枝事件に対する批評」/『大阪毎日新聞』1917年1月4日/『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p610より引用)





「オウスギカミチカニササル」という電報を受け取った安成二郎が、逗子の千葉病院に見舞いに行ったのは十一月十二日だった。

 新聞に生命に別状なしとあったので、ゆっくり構えていたのである。


 行って見ると「創(きず)の経過思ひの外よしとて、昼飯の馳走になり、三時間も話した。山崎今朝弥弁護士来り、神近君の弁護の件につき、大杉君が単独で話してゐた。(原因、前夜肉的関係なし)という句がチラと見えた。それは検事の訊問に答へた要領の一つであつた」とその日の私の日記にある。

 それは神近君の弁護をする山崎氏と大杉君が神近君の刑を少しでも軽減するための打合せをしてゐるのであつた。

 私の日記はそれだけで、もつと細かに書いておくべきだつたと今にして思はれる。

 大杉君への見舞に「塩瀬にて栗のきんとんのもなかを買つて行く」とも書いている。


(安成二郎『無政府地獄 大杉栄襍記』_p53)


「塩瀬」の最中は甘党の大杉の好物だった。



★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★安成二郎『無政府地獄- 大杉栄襍記』(新泉社・1973年10月1日)



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2016年05月30日

第227回 宮嶋資夫の憤激






文●ツルシカズヒコ




 十一月十日の『東京朝日新聞』は、五面の半分くらいのスペースを使って、この事件を報道している。

 見出しは「大杉栄情婦に刺さる 被害者は知名の社会主義者 兇行者は婦人記者神近市子 相州葉山日蔭の茶屋の惨劇」である。

 内田魯庵は、こうコメントしている。


 ……近代の西洋にはかう云ふ思想とか云ふ恋愛の経験を持つてゐる人がいくらもある……彼が此恋愛事件に就いて或る雑誌に其所信を披瀝したのを見ると、フイロソフイーとしては確かに徹底してゐた……只日本現時の教養の上からは彼の云ふフイロソフイーは理論としては兎も角、感情の上では容易に許されない性質のものである……神近の無恥な行為に至つては全然長屋の婦女と揆を一にする醜悪な事実として、面を背けざるを得ない

(『東京朝日新聞』1916年11月10日)


 与謝野晶子は、こうコメントしている。


 あの人達が発表したものを見ても私はその思想を肯定することは出来ませんでした……三人と恋をするといふことは不自然であります何時かは何かの形で破裂するであらうといふ予感が時々せぬでもありませんでした

(『東京朝日新聞』1916年11月10日)

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 十一月十日、夜が明けると、宮嶋たちは神近を見舞うために葉山の警察に行くと、すでに護送した後で面会することができなかった。


 そこで其方達はその足ですぐ病院へ行くと、入口の庭で野枝に逢つたので、又癇癪を起こして野枝を泥濘(ぬかるみ)へ突倒し、散々打擲を加へたといふ事を後で聞きました。

 間もなく宮島さんから電話で『大杉君には言ふべき事をいひ、野枝には制裁を加へたから、僕はもう用がない、すぐ東京へ帰る。今東京から電話で山川君が来ると云ふ知らせがあつた』と申されました。


(堀保子「大杉と別れるまで」/『中央公論』1917年3月号_p22)





 このときのことを山鹿泰治は、こう記している。


 明くる朝病院に行つて見ると、杉は首に繃帯をして寝てゐた。

 意識は明瞭だがしやべると苦しいと言つた。

 僕は杉に『これから一層進んだ運動に入らなければならぬ今日、君が女の問題位で蹉跌しては同志が離散するから、一時女の問題は打ち切つて野枝さんを遠さかつて貰つてはどうか』と言つて見たが、頑として聞かなかつた。

 そこへ宮島らその外五六人であばれ込んで来て、外出から帰つて来た野枝さんを捕へて泥の上にころがして蹴り飛ばした。

 僕も何の分別もなくこの暴徒に加つてドロ靴で一つ二つ蹴り付けた。

 なほ宮島は病室へ飛び込んで来て、『やイ大杉、てめえは抵抗力がないから今はゆるしてやるが、おぼえてろ』とか言つてタン呵を切つた。

 何でも『クロポトキンよりや国定忠治の方が偉いんだ』とか何とか言つたやうだ。

 それがすむと、今度は警察へ行つて神近に面会するんだと云つて自働車を雇つて来たから僕も行つて見たが、もう神近は前夜の内に横浜監獄へ送られてゐた。


(山鹿泰治「追憶」/『労働運動』1924年3月号_p39)





 堀保子「大杉と別れるまで」と山鹿泰治「追憶」では、微妙な違いがあるが、ともかく野枝が複数の男たちから泥濘(ぬかるみ)の上に転がされて暴行を受けたのである。

 野枝に対するこの暴力は「野枝殴倒(はりたほ)さる 友人宮島の憤激 大杉も罵倒さる」という見出しで、『東京朝日新聞』の記事にもなった。


 大杉等の友人宮島資夫、山鹿、有吉外(ほか)二名は十日朝葉山分署に神近を見舞ひたるが既に横浜に護送されたるを知り失望裡に自動車を雇ひ千葉病院に大杉を訪問する途中午前十一時頃野枝が病院手前の高橋商店にて買物せる姿を見、

 一行は病院玄関口にて待伏せして野枝が小鍋、皿、茶碗、林檎、葡萄類を抱へ伊藤巡査部長と共に玄関に差懸るや宮島は突然野枝に向ひ『お前の為めに親友一名を殺したのだ』と言ひ矢庭に鉄拳を以つて野枝の横面を乱打し不意を喰ひて玄関外に仆(たふ)れたる野枝を井戸端の泥濘(ぬかるみ)中に突倒したり

 斯る処に巡査が懸け付け野枝を大杉の病室に連れて行きしに宮島等も続いて病室に押かけ野枝が大杉の胸に顔を伏せて泣き崩れ居る体を見るや宮島は又も蹴飛ばし或は踏みにぢりつつ『貴様は今死にさうな自分の子供を打(うつ)ちやつて置いて斯んな所に来て居るのは既に虚偽の恋に陥つて居る』と怒号したり

 此の騒動を目前したる大杉は無言の儘(まま)凄き眼(まなこ)をもて宮島等を睨み付けしが宮島は仁王立の儘『君も意気地のない男だ僅か一婦人の恋に溺れて主義主張を葬り去るとは……、君が此の不幸に遭はなかつたら僕は此の女を殺して終ふ処だ もしこの有様を見て残念だと思ふなら全快してから遣つて来い何時でも決闘するから』と罵りつゝ其儘立ち去れり


(『東京朝日新聞』1916年11月11日)


 宮嶋資夫の『遍歴』にこの日の前日、前述したように「三時頃に一人で東京へ帰らうと思つて出て来ると井戸端の処で野枝に出会つた。何だか知らないが無茶苦茶に癇癪が起つたので、番傘で頭を擲りつけた」という記述があるが、これが事実だとすると宮嶋は二度も野枝に暴力を振るったことになる。

 同日、および翌日の『東京朝日新聞』によれば、十一月九日未明に逗子の派出所に自首した神近は、葉山分署に移され殺人未遂罪の令状を執行され、十一月十日朝に横浜監獄に護送された。





 宮嶋が自伝『遍歴』の執筆を始めたのは一九五〇年一月、書き終えたのは同年五月だった。

 このとき宮嶋は六十四歳、宮嶋が逝ったのは翌年だった。

 宮嶋は三十四年前に野枝に振るった暴力について、こう書いている。


 神近からいつも彼女が苦しい思ひをしては金策をしてゐる事を聞いてゐた。

 病院に大杉を見舞つたときには、彼等がドライブした事など聞いてはゐなかつたが、それでも彼等の行動に好感を持つ事はできなかつた。

 辻の事も意識下にあつたのであらう。

 野枝といふ女が、いやに図々しく、横着なように私には思われた。

 愛する男を切つて、今は留置場にゐる神近と、愛人を独占する喜びに浸つてゐる野枝との間に、何か感傷的になつて、遂(つい)かつとして擲つてしまつたのだ。

 後になつて、つまらない事をしたものだと自分でも恥てゐる。


(「遍歴」/『宮嶋資夫著作集 第七巻』_p127)





 十一月十日の夕方、宮嶋と入れ替わりで山川均が日蔭茶屋にやって来た。

 保子は大杉の看護を自分がやるのか野枝がやるのか、大杉にはっきりと決めてほしいと思い、その旨を山川に伝え、大杉の返事を聞いてもらいたいと山川に頼んだ。

 病院に行った山川は二、三時間後に日蔭茶屋に戻って来た。


 山川さんの云ふには『大杉君は成る程自分達も不謹慎だつたらう。があんな暴動を起こした以上、野枝は帰されぬ。野枝も又全責任を負ふて今後看護するといつてゐる、といふ返事をした』との事でした。

(堀保子「大杉と別れるまで」/『中央公論』1917年3月号_p22)


 その夜、保子は山川や大杉の次弟・勇らと逗子を引き上げて帰京した。



★『宮嶋資夫著作集 第七巻』(慶友社・1983年11月20日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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第226回 オースギカミチカニキラレタ






文●ツルシカズヒコ




 一九一六(大正五)年十一月九日未明、神近に左頸部を短刀で刺された大杉は、神奈川県三浦郡田越村(たごえむら)逗子の千葉病院に入院した。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、大杉の傷は「右下顎骨下一寸の個所に長さ一・八センチ、深さ二・五センチの創傷」だった。


 大杉の容態は一時思わしくなかったが、夕刻にはだいぶ回復して、話ができるようになったので、医師は一命に別状はないだろう、と診断する。

 病院には朝から野枝が駆けつけて看護。

 午後には保子と宮嶋が、次いで荒畑寒村と馬場孤蝶が見舞いに急行して来た。


(大杉豊『日録・大杉栄伝』_p198)


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 近藤富枝『本郷菊富士ホテル』によれば、十一月九日早朝、菊富士ホテルの帳場の電話がけたたましく鳴った。

 葉山の日蔭茶屋で、大杉が神近に刺され重態であることを、野枝に伝えてくれという。

 電話に出たのは菊富士ホテルの主人、羽根田幸之助の三女で当時、淑徳高女在学中の八重子だった。

 八重子はあわてて三階の野枝の部屋に走った。

 宮嶋資夫は「オースギカミチカニキラレタスグコイ」という電報が売文社から来たので、京橋の売文社に駆けつけた。

 堺利彦からおおよその状況を聞き、堀保子も売文社に来ていたので、ふたりで逗子に向かった。





 大杉は病院に入つてゐた。

 首にホータイをして寝てゐた。

 声が出ないと言つて余り話はしなかつた。

 野枝も已に来てゐたが、やす子さんの顔を見ると、どこかへ引込んでしまつた。

 枕頭には、村木源次郎がつき添つてゐて馬場先生も来ておられた。

 村木はだれに聞いたのか知らないが、神近が大杉に「浅間しいとは思ひませんか」と言つた、と言つては笑つていた。

 神近はすぐ自首したといふので、警察に行つたが、面会は許されなかつた。

 大杉は黙つて眠つてゐるばかりであるし、やす子さんは、気まづい顔をして枕頭に坐つてゐる。

 変な空気であつた。

 三時頃に一人で東京へ帰らうと思つて出て来ると井戸端の処で野枝に出会つた。

 何だか知らないが無茶苦茶に癇癪が起つたので、番傘で頭を擲りつけた。

 そしてそのまま帰つてしまつた。


(「遍歴」/『宮嶋資夫著作集 第七巻』_p123~124)





 十一月九日の朝、堀保子は差出人不明の逗子からの電報を受け取った。

「オホスギビヨウキ、オイデマツ、キトクノオソレナシ」

 保子が堺利彦に連絡を取ると、堺が保子の家にやって来た。

 売文社から電話で問い合わせてみることになり、堺と保子は京橋の売文社に行った。

 日蔭茶屋に電話してみると、大杉は逗子の千葉病院に入院しているというので、保子は売文社に来合わせていた宮嶋と逗子に急行した。

 売文社にはすでに新聞記者が押しかけ、混雑していた。


 千葉病院へいつてみると、重態と思つたのに引代へ、咽喉の所へ繃帯をした大杉は平生の如く口をきいて、そして煙草をふかしてゐるのです。

 稍(やや)安心はしましたが、そばに野枝がゐるのを見て不快でたまりませんでした。

 宮嶋さんは此際野枝が此処にゐるのは不都合だからといつて野枝に退去を迫つたのですが、野枝は看護をしたいといつて去りませんでした。

 私も看護をしたいとは思ひましたが、野枝と一所にゐることは好みませんから、其事を宮嶋さんに話して大杉の意見を聞いて貰ふ事にしてゐる処へ、又東京から馬場さんと荒畑さんとが来ました。

 馬場さんも、此の看護は奥さん(私)がすべき筈だといつて、野枝に一時引取つてはどうかとお勧めになつたやうですが、野枝は泣いてゐて返事をしない。


(堀保子「大杉と別れるまで」/『中央公論』1917年3月号_p20)





 宮嶋が保子に紙を渡した。

 その紙には大杉の字でこう書いてあった。

「当分あなたと野枝と二人にゐて貰ひたい」

 もどかしくなった保子が大杉の枕元で「自分一人で看護をしましょう」と言うと、大杉は「そんな事を言わんで野枝(あれ)を置いてもいいじゃないか。当分は見舞客も多いことだろうから、ふたりでいてくれ」という。


 私は最前から野枝が不遜の態度を極めてゐるのを見て不快に思つてゐましたから、大杉に『二人にゐて貰ひたいと言ふなら、私に対して野枝に何とか挨拶をさせたら好からう』と申しました。

 そこで大杉が野枝をよんで注意すると、『私は御挨拶をしやうと思つてゐたのですけれど、もう随分皆さんから侮辱されました。何んと御挨拶をしたら可(よ)いのでせう』と野枝は云ひました。

 大杉は『ソレだからあなたは人に誤解されるのだ……二人がそんな事なら二人共帰つてくれ』といひました。

 私はもう/\こゝに居るのに堪へられませんので、次ぎの室に居られた宮島さん……に『私はこゝを引上げる』といひました。

 こんな事をしてゐる間に、宮島さんは大いに激昂して頻りに野枝を罵り、『保子さんが来てゐるのに貴様がづう/\しくこゝに居るのはどういふ訳だ』なぞ叫んだやうでした。


(堀保子「大杉と別れるまで」/『中央公論』1917年3月号_p21)





 保子と宮嶋は日蔭茶屋に一時、引き上げることにした。

 日蔭茶屋には保子も大杉と一緒に来たことがあった。

 馴染みの女中のお源さんに、大杉がいた二階の八畳間に案内された。

 廊下の血潮はきれいに拭き取ってあったが、まだ生々しい血が畳の間や壁に付着していた。

 前夜、大杉と神近が茶受けにした煎餅のかけらなどが散らばっていた。

 お源さんから事件の様子などを聞いているところに、三、四人の見舞客が病院から引き上げて来て、その夜はその部屋で朝の五時ごろまで語り明かした。

 見舞客の中には山鹿泰治がいた。





 寒い夜、逗子の日蔭茶屋に行つて見ると、堀保子が泣いてゐるそばに宮島資夫君が切歯扼腕してゐた。

 保子さんは『他人の男を盗んで又それを盗まれたからといつて、その盗まれた男を殺すなんて馬鹿な話しがあるものか、野枝さんも亦私しに対して何とか挨拶のありさうなものなのに、逢つても知らん顔をして大杉が挨拶をしろといつても嘯(うそぶ)いてゐるなんていまいましい』と言つて怒つてゐるし、宮島くんは『神近は僕のワイフの古い友達だからよく知つてゐるが、神近がこんな事をしたのは皆な野枝が悪いんだ。大体大杉が悪い。主義の上では強くても女には弱くて丸で決断力がないからこんな事になるんだ。神近から金を取つて二人で贅沢をするなんてフトい奴だ』と憤慨してゐる。


(山鹿泰治「追憶」/『労働運動』1924年3月号_p38~39)


山鹿泰治2


★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★近藤富枝『本郷菊富士ホテル』(中公文庫・1983年4月10日)

★『宮嶋資夫著作集 第七巻』(慶友社・1983年11月20日)


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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