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2016年04月15日

第83回 動揺






文●ツルシカズヒコ


 野枝がようやくの思いで染井の家に帰り着き部屋に入ると、机の上にまた荘太からの手紙が乗っていた。

 息が詰まりそうなので、横になり目を瞑ったままじっとしていた。

 二十分もたってやっとの思いで手紙を開いた。


 今日私は少し苦しみ始めました。

 よく/\反省すれば僕の心の中には強くあなたを得たいといふ願ひが潜んでゐるのを知つたからなのです。

 僕はこの今の自分の若しみを甘受します。

 苦しくつても少しも暗くはありません。

 僕ははじめからしてあなたを愛しろと何かに命ぜられてゐるやうな気がします。

 若しかして先々に僕にあなたの愛が得られる日があれば、さればあなたの持つてゐられるいいもののチヤアムがたゞにあなたにのみでなく僕の為めにもいゝものになつて成長すると信じてゐるのです。

 その牽引は神秘です。

 僕は若しあなたと僕と互ひに愛し得る運命に作られてゐるものだとすれば、この僕の愛がまたあなたをも生かす力を有する事を疑ひません。

 若しさうでなく僕のみひとりあなたを愛して行かねばならない運命だとすれば僕にはそれでもやはりいゝのです。

 僕があなたに注いでゐる愛はたゞ 僕ひとりのみをよく生かします。

 昨日はからず大分前から心懸けてゐた絶版の『ソオニア、コワレフスキイ』の自伝が手に這入(はい)りました。

 若しもあなたがまだこの本をお読みになつてゐなかつたらば私は自分のこの喜びをあなたにもお分ちしたく思ひます。 

 二十五日朝


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p195~197/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p44~45)

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 左の手でおさえている額のあたり、指の下あたりから恐ろしい激しい影が動いて、疲れた頭がきしむように痛み出した。

 嵐のように狂った感情を強いて鎮めるでもなく、野枝は夢中にペンを執って原稿紙に書いた。


 昨日一日 私は午前に書いた御返事を持つたまま苦しみました。

 私はまた返事を持つて文祥堂に出掛けました。

 あの二階で何かもつと書いてからと思ひまして――でも何にも書けませんでした。

 私の頭はあなたの事で一ぱいになつて居りました。

 帰りますと机の上にあなたの御手紙が待つてゐました。

 私はもうどうしていいか分りません。

 私はあなたのお言葉の一 句々々も気が遠くなる程の力強さを覚えます。

 こんな真実なそして力強い愛を語られる私は本当に幸福だとしみ/″\思ひます。

 けれども私は本当に、それと同時に心からおわびしなければなりません。

 私の一昨日の態度――あなたに対する――それの本当に鮮明でなかつた事をおわびします。

 私は昨朝の手紙を書きますとき、たゞあはてゝ居りました。

 あゝ誰が――あなたの愛を却け得ませう。

 私は心からあなたを愛します。

 本当に、本当に心から――然し私は自分を偽り度くは御座いません。

 また同時に他人をも欺き度くはないのです。

 苦しい心をおさへてあれだけ書きました。

 もう私には、何にも書けません。

 すべての判断解決はまじめなあなたにおまかせ致します。 

 二十五日夜九時


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p198~199/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p45~46)





 野枝は読み返す苦しさに堪えられないので、昨日書いた手紙と一緒にして封筒に入れ封を閉じた。

 平静を著しく逸した手紙だったが、野枝の気持ちがそのまま出ている文面だった。

 前にも後にも荘太に対して烈しい熱情を持ったのは、この瞬間だけだった。

 もし辻が自分の意識に現れたら、こんな手紙はとても書けなかっただろうと思った。

 野枝はすぐに臥せった。

 何も考えたくなかった。

 一時間ばかりはどうしても目を瞑れなかったが、それでも何時のまにか眠りに落ちた。





「私はあなたのお言葉の一 句々々も気が遠くなる程の力強さを覚えます」

「こんな真実なそして力強い愛を語られる私は本当に幸福だとしみ/″\思ひます」

「あゝ誰が――あなたの愛を却け得ませう」

「私は心からあなたを愛します」

「本当に、本当に心から」

「すべての判断解決はまじめなあなたにおまかせ致します」

 といった文面に注目したらいてうは、野枝をこう批評している。


 此手紙に於て私は野枝さんの心の働き方のいかにも或意味で女性的なのに驚いた。

 そして或可愛らしさを感ずると同時に余りに無自覚だつた態度を咎めねばならない。

 まだ年齢が若いと云ふことも考へてやらねばなるまい、又妊娠中の女の生理状態や心理状態も考へてやらねばなるまい、が併し……苟しくも自覚した女なら、私はもうどうしていゝか分りませんだの、自分自身のことを判断してくれの、解決してくれのと頼んだり、訴へたりするやうなことは自分に対して恥かしくて出来ない筈だと思ふ。

 日頃の野枝さんにも似合はぬことだ。

 私はかういふ点に於てなほ野枝さんの中に男の愛の陰に、その力の下に蔽はれて生きやうとするコンヴエンシヨナルな女の面影の残つてゐるのを見る。


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号_p90~91)





 性科学者の小倉清三郎は、野枝の動揺はこの六月二十五日の夜に極点に達したとして、ハヴロック・エリスなど学者の研究に照らして、検証を試みている。

 小倉によれば、女は物理的刺激に対しても心的刺激に対しても、反応が男よりも早い。

 こういう反応のことを感動というが、女は男よりも感動し易く、それは女が男より情的であることを示している。

 情は脳の現象ではなく、内臓血管及び筋肉に土台を有する現象である。

 女が男よりも涙を流し易いのも、笑い易いのも、女が男より感動し易いからである。

 野枝にもこの傾向が著しく表われている。

 腹立ち易いのも女に多い。

 別けても月経中には、この傾向が著しい。

 野枝子にもこの傾向が見られる。

 男はより多く熟考的であるが、女は熟考的であるよりは、知覚が早く行動も早い。





 野枝子は……男に対し、四つの返事を書いた。

 その中の第一は、最初男から手紙を貰つて、其の次の日に書いたものである。

 彼女がいくらか考へて書いたのは、此の返事だけである。

 その他の三通は、就(ママ/「孰=いず」の誤植?)れもよく考へて、書かれたものではない。

 殆ど反射的に書いて居る。

 感動性が大きいといふ事は、反応の早いこと……である。

 反応が早いといふ事は、疲労し易いことと関連してゐる。

 大きな感動性を表はした野枝子は、著しい疲労性を表はしてゐる。

 二十五日の晩にあれほどの烈しい手紙をかきながら、一晩寝つて次の日になつて見るともう何を昨晩かいたのか、昨晩の自分の気持が、どんなであるかを忘れてゐる。

 彼女の感動が如何に大きかつたのか、それに伴ふ疲労が如何に大きかつたが察せられる。

 彼女は当時、妊娠七八ケ月の状態に於てあつた。

 且つ時は六月の後半であつた。

 新しい暑さが強く感ぜられる頃であつた。

 此状態も、此の時節も、共に感動性を大きくするに、力を添ゆるものである。


(小倉清三郎「野枝子の動揺に現はれた女性的特徴(梗概)」/『青鞜』1914年1月号・4巻1号_p137~140)




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 16:14| 本文

第82回 校正






文●ツルシカズヒコ



 一九一三(大正二)年六月二十五日、その日は『青鞜』七月号の校正を文祥堂でやる日だった。

 野枝は荘太に宛てた第二の手紙を書き直そうと思ったが、朝出る前に書き直すのは無理だと判断し、第二の手紙を包みの中に包んで仕度をしていると、また荘太からの手紙が来た。

 荘太は二十三日夜に続けて書いた二通の手紙に番地を書き落としたから、野枝の手元へは届いていないだろうと思いますと、その手紙に書いているが、野枝は二通とも受け取っていた。

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 私はこれからあなたと交渉し得ずに自分が一番いゝ生き方をし得るといふ事をどうしても想像する事が出来ません。

 あなたの若しお気が向ひたらば御序での節に汚い処ですが御立ち寄りなすつて下さい。

 至極貧しい蔵書ですが何か御参考になるようなものもあるかも知れません。

 直接に言ひます。

 私は烈しくあなたを恋するようになるかも知れないと思ひます。

 私はいつか自分があなたの手を執るべき日の事を夢見ます。
 
 二十四日ひる


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p189~191/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p41~42)





 野枝の頭は何かに覆われてしまったかのように真っ暗になったが、ぐずぐずしているわけにもいかないので、この手紙を持ったまま出かけた。

 野枝は電車に乗ってもそのことばかり考えていた。

 なんのためにこんなに苦しんでいるのだろう。

 馬鹿馬鹿しくなったり、一生懸命な荘太を気の毒に思ったり、最初に会ったときに言うべきことを言わなかった自分を責めたりした。

 辻と同じくらいの荘太の熱情を理解することができなかったら、荘太は野枝のことを無智な女と思うだろう。

 辻との愛がどんなに熱烈であっても他の愛を受け容れないことで、侮蔑されたり憐れまれたりすることも野枝は嫌だった。





 文祥堂の二階に行くと、哥津はまだ来ていなかった。

 野枝は荘太から今朝届いた手紙を、もう一度読んでみた。

 野枝は荘太の愛に動かされている自分に改めて気づいた。

 荘太の愛を無視することはできないが、同時にふたりの人を愛することもできない。

 どちらかの愛を却(しりぞ)けるしか方法はない。

 今のところ辻を離れては生きていけない。

 荘太を却(しりぞ)けるしかない。

 わかりきったことだ。

 しかし、苦しい。

 なぜ心が動く?

 そうだ、天が辻と自分の愛に試練を与えているのだ。

 無智だと言われても侮蔑されてもいい。

 荘太の愛を明らかな態度で断ろう。

 あの返事じゃだめだと思った野枝は、じっとしていられなかったので、ペンを手にして書きかけたがどうしても書けなかった。





 そのうち校正がいっぱい出てきた。

 野枝は一生懸命やろうとしたが、なかなか集中できなかった。

 しばらくして哥津と岩野清子が一緒に校正室に入ってきた。

 ちなみに、野枝はこのときの校正のことをこう書いている。


□校正つて本当に嫌やな仕事です。厄介な仕事です。出ない間ボンヤリして機械の廻る音を聞いてゐますと気が遠くなつてしまひます。一昨日歌津ちやんは眠つてしまひました。こゝの校正室は風通しがよくていゝ気持ちに眠れるのです。

□今日は岩野さんがゐらしたのですけれども歌津ちやんとしんこ細工を見に行くつて出ていつてしまひました。


「編輯室より」/『青鞜』1913年7月号・3第7号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p41)


「一昨日」というのは六月二十三日、荘太が来た日のことだろう。

 この号の「編輯室より」には、野枝のこんな発言も載っている。


□先月号の表紙の裏に広告を出したのが大変に感じを悪くしました。青鞜ではあんな事をした事はないのです。あれは書店が禁を犯したのです。以後はきつとあんな感じの悪い事は致さないつもりです。

□街路がどれも勢いよく葉を出しました。あの御徒士町(おかちまち)の通りのツン/\したプラターヌスの葉も真青になりました。

□歌津ちやんはお芝居や寄席や新内や歌沢で日を暮してゐます。私は、うちにゴロ/\して、いつからいてうと岩野さんと歌津ちやんと私と四人で堀切に行つたときに買つて貰つた小さな独楽をまはして遊んでゐます。

□小母さんのうちにはいろ/\な花が咲きました。大変きれいです。いまに小母さんの家は花でかこまれるでせう。


「編輯室より」/『青鞜』1913年7月号・3巻7号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p40~41)





「先月号の表紙の裏」の広告というのは、『青鞜』六月号(三巻六号)の表二(表表紙の裏)の広告であろう。

 宝石を身に着けた貴婦人のイラストとともに、以下のコピーが記されている。

 
 正確(たしか)な貴金属品は

 永年専業の商店(みせ)として信用ある、

 大西白牡丹(おほにしはくぼたん)へ御申付下(おもをしつけくだ)され度(たく)候(さふらふ)。

 ◁よそほひ第七号発行無料贈呈▷

 東京南伝馬町 大西白牡丹


(『青鞜』1913年6月号・3巻6号)


 現在の雑誌にたとえるのはちょっと無理があるかもしれないが、『アエラ』にジュエリーマキの広告が入っているようなものだろうか。

 そういう違和感を『青鞜』編集部の面々は抱いていたようだが、広告収入を稼ぐため、東雲堂書店の社長・西村陽吉が捻じこんだのだろう。





 四時か五時ごろ、野枝たち三人は文祥堂を出て、一昨日も行った築地の居留地の方に歩き、銀座に出た。

 野枝はそこでふたりと別れ帰宅して返事を書き直そうと思ったが、この日は辻が不在なのでひとりで苦しむのが嫌だったので、ふたりと一緒に歩いた。

 銀座を真っ直ぐ歩いて京橋を渡り中通りから日本橋に出て、常磐橋から電車に乗った。

 水道橋で哥津と別れ、春日町で清子が降りた。

 野枝は巣鴨橋で降りて山手線に乗り換えるころから、頭も体も何かにはさまれたように固くなった。


京橋2 




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index





posted by kazuhikotsurushi2 at 11:16| 本文

2016年04月14日

第81回 第二の手紙






文●ツルシカズヒコ


 一九一三(大正二)年六月二十四日の朝、辻が出かけるとすぐに「京橋釆女町(うねめちょう)にて」と裏書きされた、荘太からの手紙が届いた。

 それは荘太が前日の夕方に書いた手紙だった。

 野枝は前夜、荘太への手紙を書こうとしたが疲れていたので書かなかったので、書き遅れてしまったと思った。

 そして、何かしらその手紙を開けたくないような気もしたが、開封して読んでみた。

 野枝は昨日、話すべきことを話さなかったという自責の念に駆られた。

 そして、こういう手紙を書かせてしまった荘太にとても申し訳なく思い、ジッとしていられなくなった。

 野枝はすぐに机に座り、筆を執って半紙に墨文字を書き連らねていった。

 野枝はまず、昨日、話すべきことを話さなかった非礼を詫びた。


 私はあなたに何とお詫びしたらよろしいので御座いませう。

(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p173/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p33/「書簡 木村荘太宛」 一九一三年六月二四日

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 そして荘太に自分のことを理解してもらうために、まず辻と同棲するに至った経緯を順を追って書き始めた。

 女学校五年生の夏に結婚を強制されたこと。

 卒業式の翌日、学校の英語の先生と一緒に展覧会を見に行き、帰りに抱擁されたこと。

 婚家から出奔したこと。

 上京して英語の先生の家に厄介になったこと。

 そのころからその男と愛し合う仲になり、それが原因で男が失職したこと。

 今は離婚問題が解決し、男と同棲していること。

 きびしい状況下ではあるが、ふたりの結合は固く離れることができない関係であること。

 荘太からの最初の手紙を男に見せて相談し、男が返事を書くように勧めたことも書いた。





 今後の荘太との関係について、野枝はこう書いた。


 ……もしあなたがお許しになるならば私はこのまゝ意味もなくお別れするよりも親しいお友達として御交りして頂き度いと思ひます。

 そうしてその上にもなを御許し下されば私の半身である男にもお合ひ下さればどんなに幸でせう。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p180/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p36)

 
 エレン・ケイの翻訳については、こう答えた。


 それからエレン、ケイの翻訳のこと、勿論私の極くまづしい語学の力で完成する筈はありません。

 たしかに男の力によるのです。

 私も出来る丈け勉強して他人の力などに依らずに自分で出来るやうにしたいと心懸けて勉強してゐます。

 私は決してそれをかくしたり偽つたりはしません。

 ……六月二十四日


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p181~182/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p37)


 野枝は書き終わってから読み返し、すぐに出そうか出すまいか迷った。

 しかし、まあ辻に一度見せようと思い封筒に入れて表を書いて、わざと封をせずに机の上に置いた。

 野枝はホッと息をついた。

 長文になったので封筒は分厚く膨れていた。

 少し落ちついてくると、荘太の手紙の終わりの方の「生田長江氏」という文字が目に入り、野枝は訳もなく腹立たしくなった。

 先生ほどの方がなにも私のような小娘を相手に、そういうことを公言するなんて馬鹿馬鹿しくなり、本当のことではないような気もした。

 けれどもまさか、荘太が出鱈目なことをわざわざ書くはずもないだろう。

 野枝はらいてうが『中央公論』新年号に書いた「新しい女」のことを思い出した。

「新しい女」は『ジャパン・タイムス』にも英訳して掲載された。

 紅吉によると、長江はこの「新しい女」について自分がらいてうに話したことだと言ったという。

 紅吉の言うことだから信用していなかったが、本当かもしれないと思った。

 野枝はそういうことを好んで吹聴する長江のことがおかしくなった。

 長江は誰にでも調子のいいところがあった。

「先生先生」と言って相当に尊敬の念を払っていたのが、なんだか馬鹿馬鹿しくもなってきた。





 そんなことを思っていると、荘太が昨日の夜に書いた手紙が届いた。

 それを読んだ野枝は、どうしていいのかわからなくなった。

 真面目なある力が、遠慮もなくぐんぐん自分の生活の中に押し寄せてくるような気がした。
 
 野枝は外に飛び出し、息をつかせぬものに追われるようにむちゃくちゃに歩いて、保持のところに行った。

 保持は出かけようとする間際だったが、かなり長い間話した。

 出かける保持と一緒に出て帰ろうとしたが、崖の道をそのまま帰ることができず、林の中に入ってしばらく歩いた。

 足どりがややゆっくりになるにつれて、昂(たかぶ)っていた心も落ちついてきた。

 野枝はふと不安になった。

 自分が書いた返事は自分の態度の明瞭さを欠いているのではないか……。

 またせかせか歩き出した。

 染井の墓地に出たころ、野枝はフラフラする自分の気持ちがおかしくなってきた。

 今ごろ辻が帰っているだろうと思うと、なんだか悲しくなってきた。

 静かな墓地を歩きながら、あれこれ考えをめぐらしていると、何がなんだかわからなくなってしまった。

 一度会っただけで深い印象を持ったわけでもない人が、嵐のように襲ってきて、自分の生活をかき乱していることに腹が立ってきもした。

 気狂いか何かに抱きすくめられて、あがきのとれない苦しさも感じた。

 苦しくなって大急ぎで歩いた。

 家の前まで来ると、いつものようにジョンが飛びついてきたが、邪険に突き飛ばし家の中に駆け込んだ。





 帰宅していた辻は机の前に座り、野枝が書いた返事の手紙を読んでいた。

 野枝の方にちょっと振り向いた辻の顔は、なんとも言えないほど険しかった。

 野枝は体中に漲っていたある感情がグッとこみ上げてきて、辻の手から手紙をひったくり、辻の体に抱きついた。

 悲しいのか恐ろしいのか得体の知れない涙が、止めどなく流れた。

 再び手紙を読み始めた辻の顔を見上げると、激した辻の顔は恐ろしいほど締まり、細い筋肉の微動さえわかるほどだった。

 野枝は辻の胸のあたりに顔を埋めて、じっとしていた。

 辻の心臓の鼓動が野枝の額に伝わり、野枝の体の中へ消えて行くのがはっきりわかった。

 辻が手紙を読み終えたが、ふたりはひと言も言葉を交わすことができなかった。

 しばらくして、野枝が紙に鉛筆で書いた。

「怒つてるんですか」

 辻も紙に書いて答えた。

「僕はなんにも別に怒ってはいない、木村氏の手紙は皆気持がいい、ただおまえの昨日の態度の明瞭でなかったのが遺憾だ」

 野枝は責められなくていいことを、責められたような気がしてちょっと嫌な気がした。

 しかし、やはりそれが一番いけなかったのだと気づくと、野枝は何も言えなかった。

 野枝は返事をもっと明瞭に落ちついて書き変えようと思った。

 辻はそれならもっと簡単に書いたらいいだろうと、野枝に注意した。

 辻と並んで座っているうちに、野枝は辻の力がグングン自分の体内に流れ込むのを感じて、やはりこの人なしには生きていくことはできないと思い、ホッとした。

 野枝はすっかり疲れて頭が重くなったので寝(やす)んだ。





 野枝が書いた第二の手紙について、らいてうはこう書いている。


 私は第二の手紙を読んだ時、すぐ昨年の初夏未見の野枝さんから受取つた最初の長い手紙のことを思ひ出した。

 今日の境涯を切開いた過去の野枝さんの苦しい経験を思つて涙が出たと同時に、すぐ一筋に思ひ詰めて無我夢中になれるこの種のパツシヨネートな人や又自己をよくもまだ知らぬ人の前にすぐ語ることの出来る人を羨ましくも思つた。

 そして野枝さんの何処か野生的の処のある血色のいゝ顔や、無邪気に話すあの大きな声や締つた筋肉や、よく発育した肉体が心に浮かんだ。

 と同時にその野枝さんが真白な水泳服を着て高い櫓から水の中に飛び込む時の様子を思つた。


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号・3巻11号_p89)




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 12:55| 本文

2016年04月13日

第80回 高村光太郎






文●ツルシカズヒコ





 野枝は辻との関係を早く話してしまいたいとあせっていたが、なかなかきっかけがつかめないでいた。

 そのうちに荘太は『中央新聞』の野枝の記事について話し出した。


「僕にはあなたがひとりの方ではないか(ママ)といふ不安があつたのでした。中央新聞 に出たとかいふ記事の事を聞いてからです。そしてさうだとすれば大変失礼な事をしたと思つたのです。けれども僕が手紙を書いた時には、ちッともさういふ事は知らなかつたのですから。」

 といふと、野枝氏は肯いて、

「ええ、あれはこのごろよく新聞の人や何かが会ひたいと言つて来て、前にはそのたび会つてよくお話したのですけど、それがいつでも誤つて書かれたりしますで(ママ)、今ではそれをなるたけお断りする事にしてゐるのです。それで中央新聞の人にも平塚さんだけ会つて(?) 私は会いませんでした。さうするとあんな事を書かれてしまひまして。」

 と僕には事実を打ち消すと取られるやうな口調で答へた。


(木村荘太「牽引」/『生活』1913年8月号)

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 野枝自身はこう記している。


 そのうちに、此の間の中央新聞の記事の話になりましたときには、私は、あれは、全部偽りだと云ふ事を、話したのです。

 そして、G氏と、私の間には何もない全く新聞の伝へたのは虚偽だけれども、私と、Tといふ男と同棲してゐるのは事実だと云ふ事を、別に話さうと、私がその話をし出す緒(いとぐち)を見つけてゐるうちに、木村氏の方では、私が、あの新聞の記事を否定した事によつて、私の周囲には、別に、男がゐないといふ風に思つてしまつたらしいのです。

 その時気はつきましたが私はすぐにとり消せなかつたのです。

 帰つて、手紙にでも委(くは)しく書かうと、思つてしまつたのです。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p164/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p28)


 Gとは巣鴨小学校教師・後藤清一郎である。

 荘太は『魔の宴』では、こう回想している。


 挨拶が済んで、向い合って話すうちに、私は聞いた新聞の記事のことについて糺(ただ)した。

 すると、

「あれはなんでもありません。みんな嘘ばかり書いてあるのです」との答えだったので、私はホッととした。

 ことがことだったから、初対面にそう立ち入ってもいえず、翻訳のことまではいわなかったが、対手(あいて)の否定が全面的な語気だったので、もうこれでよいとした。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p204/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p166)





 野枝と荘太の話は『青鞜』や青鞜社のこと、それに対する最近の誹謗中傷、婦人問題などになった。

 話題が広がってきたので、野枝も発言しやすくなった。

 『フュウザン』に載った、『青鞜』に関する記事が話題になった。

 「動揺」の「解題」(『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p399)によれば、「『フュウザン』第四号(一九一三年三月)に載ったS・K(木村荘八)と署名のある『消息』のこと」である。

 『魔の宴』(p204~205)、『日本人の自伝18』(p166~167)によれば、『フュウザン』の六号活字の「消息」の話の口火を切ったのは野枝だった。

 平塚らいてうが、『フュウザン』同人の高村光太郎に、青鞜社主催の公開研究会の講義を頼んだところ、講義はできないが、講義録なら書いてもよいとの返答を得た。

 しかし、『青鞜』は高村が講義をするような広告を出してしまった。

 この広告に対して、『フュウザン』が「消息」で、抗議をしたのだった。

 野枝は「S・K」を木村荘太だと思いこんでいたようで、『青鞜』の手落ちではあるが、わざわざ公に書かなくてもよいのではないかと、荘太に言ったのである。

 荘太は、高村が不愉快に思っていると聞いてはいが、個人として行動している自分にとっては、どうでもよいことだった。





 野枝はこう書いている。

 T氏は高村光太郎。


 ……私は、何だかT氏がしきりに、怒つてお出になつたと云ふ事を木村氏に聞いて、何故その位に、怒つてお出になるのなら、もつと男らしく正面から青鞜社に、抗議を申して下さるとか、又はフユーザンで書くにしても御自身で、ちやんと、書いて下さらないのだらうと思ふと、何となく忌々(いまいま)しくなつて来ました。

 そして、また、新しく、あの六号の活字をまざまざと目の前に浮べて見ました。

「……たのまれた訳ではないが青鞜社でもこの頃そんなやうな商売をはじめたさうだ。」といつたやうな事が書いてあつたそしてその下に、S、Kといふ頭文字が書いてあつた事を思ひ出したから私は臆面もなく、あんな事を書かれては本当につまりません、私共は二月からあの事で随分な迫害を、うけながらどれだけの時間や労力を、費したでせう、商売や道楽と一緒にされては耐(たま)りませんつて、云つたりしました。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p165~166/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p29)





 荘太は長尾が生田長江から聞いたという翻訳のことも確かめたいと思ったが、部屋の隅にいる哥津を妙に感じて、とうとう直接にそれを聞くことができなかった。

 哥津も交えて三人はいろいろと雑談をした。

 野枝は仕事のことばかり多く語った。

 真面目にやっている自分たちの仕事が世間から誤解され中傷されていること、当分、自分たちはひっこんで勉強してゆくよりほかはないこと……。

 荘太は女の解放や新しい男女関係を、男も要求すべきだと言った。

 野枝はジッと聞き入った。

 荘太は自分の「心」の一端を、野枝にこう伝えたという。


 柴田柴庵(しばた・さいあん)が訳したストリントベリのユートピア物語、現代社会で一しょになれない医学生の男女が、社会主義の実現された理想社会で一しょになる、という小説の訳文が、生だという評もあるが、あの調子はむしろ好きだ、という点などではかの女と私の意見は一致した。

 で、その日は私はあんまり立ち入ったことは結局話せなかったが、そのなかで私の心が洩らせたような話としては、その近くにエマースンの「スウェデンボルグ論」で読んだスウェデンボルグの説に、天国での結婚は夫婦がおなじ真理を見ることで結ばれる、とあるというのに私が打たれていたのを伝えたようなことぐらいが、話せたにとどまった。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p166~167/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎_p204~205)





 午後五時ごろ、三人は文祥堂を出た。

 三人は明石町など築地近辺を散歩してから、銀座に出ることにした。

 おしゃべりをしながらずいぶん歩いて、そろそろ店に燈りが点き始めるころ、三人は銀座へ出て街角で別れた。

 荘太は別れ際に「野枝氏が一瞬間僕を見上げて、さうして僕はその好意のハッキリと読み得た短かい凝視を深く心の底に仕舞つ」(「牽引」)たが、野枝は「銀座の角でお別れするまでの間にもさして、深い印象をその人から受ける事は出来ませんでした」(「動揺」)。

 野枝が帰宅すると、まもなく辻も帰ってきた。

 野枝は軽い調子で笑いながら言った。

「今日、木村さんに会いましたよ」

「そうかい、どんなだったい?」

 辻はくすぐったいような真面目なような表情をして訊いた。

「どんなって……」

 野枝はそう言いかけて困ってしまった。

 ただ髪をきれいに分けて、眼鏡をかけた色白な明るい顔の輪郭と敏(さと)しげな眼、その他のことは浮かんで来なかったからだ。

 あまりにも不用意に荘太に会ってしまったことが、辻にも自分にも恥ずかしくなり、そして荘太にもすまないような気がしてきた。

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 荘太はその日、銀座に近い京橋区采女町(うねめちょう)の牛鍋店「いろは」の母のもとに立ち寄り、そこに泊まることにした。

 荘太はすぐに野枝に宛てた手紙を書き始めた。


 ……あなたがひよつとすると御一人の方ではないかも知れないといふ掛念に非常に悩まされてゐたのでした。

 ……さう云う掛念は去りました。

 ……あなたに対する愛の種子がこれから日毎に成長する事を感じます。

 ……若しもあなたに私を尚ほ知らうとなさるお心がありましたらばこの後もまたお会ひする事をお許し下さるようにお願ひしたいのです。

 ……実は私は已(すで)にあなたを愛してゐました。

 ですから私は今日若しあなたがその私の愛を激しく裏切る方であつたら、(私は随分人の外観に対する選択なぞもあるものですから)実にこの上のない不幸だと思つてゐたのでした。

 で私はその運命の前に盲目に震えてゐたのでした。

 私はもつと自分の運命を信じていいといふ勇気を得ました。

 ……今日特に第一にあなたにお訪ねしたく思つてゐて小林さんがゐたもんですから言はずにゐました事があります、ある友達が生田長江氏の許であなたのお訳しなすつたエレンケイは他の方(あなたに交渉のある方と云う意味で)の手になつたと聞いたと数日前私に伝へた事なのでした。

 六月廿三日


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p168~172/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p31~32)





 荘太はこの手紙を書き終えると、すぐに投函し銀座を散歩した。

 散歩から戻ると、荘太はまた野枝に手紙を書いた。


  私は今いろいろあなたの事を思ひ浮べつゝ歩きました。

 でやはりこの事を申し上げやうといふ決心をして帰りました。

 実は私は何れあなたの手を執りたいとしてゐるのです。

 私には近くにあなたにお目に懸り度いといふ気が頻(しき)りにします。

 私は自分を露骨に直接にあなたに接触させ過ぎるかも知れません、大変失礼な事を申してゐるのかも知れません。

 併し私にかう云う凡てを云はせるものはあなたです。

 私の心の中のあなたが何でも構はずに話していゝといはれるやうに私には思はれるのです。

 二十三日夜


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p183~185/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p38~39)


 荘太はこの手紙もすぐに投函した。





 荘太と野枝のラブアフェアの始まり、野枝の荘太に対する心情について、らいてうはこんな分析をしている。

 
 それは木村氏に対する純なる恋愛からではない。

 ……自分の上に注がれる思ひ上つた男の真実さうな恋に対して何かは知らず、すまないやうな気の毒のやうな気がしたのだ。

「動揺」に現はれた処丈で見るとあの事件の間、只の一度も自分が妊娠の身であるといふことは意識的には野枝さんの頭に上つて来なかつたらしい。

 だが私は之が不思儀でならない。

 女自身は自分の妊娠といふことに対して元来これ程無意識なものであらうか。

 お腹の中にゐる子供とそれほど無関係でゐられるものなのだらうか。

 之れでまたいゝものなのであらうか、自分に経験のないことを口にするのは僭越かも知れないが、一寸不思儀でならない。

 いま一つ野枝さんを動かした他の理由がある。

 それはふたりの中の或る類似点である。

 都会人でないだけに遊戯的もしくは技巧的な分子を全く見出さない、野枝さんのあの真面目な全力的な人格が木村氏の随分故意な、不自然な若い男の常として思ひきり独合点な内容の貧しい興奮ではあるが……いつも調子の高い緊張し切つた気分と直に共鳴し、そこに野枝さんが常に憧憬していた或力を感じたのだ。


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号・3巻11号_p88~89)





鈴木貞太郎『天国と地獄』

築地2




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』(朝日新聞社・1950年5月30日)

★『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』(平凡社・1981年12月10日)





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2016年04月12日

第79回 文祥堂






文●ツルシカズヒコ






 一九一三(明治三十六)年、六月十八日。

「動揺」(『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p27)によれば、その日の朝、野枝と辻はいつものように、辻の母・美津や妹・恒(つね)より遅れて起きた。

 ふたりともまだ寝衣(ねまき)のままのところに、木村荘太からの第二信と帯封の『フュウザン』六月号が届いた。

 野枝は手紙に目を通し、辻に渡した。

 辻が野枝より先に『フュウザン』を読みたいと言ったが、野枝はそれを拒んで、辻が外出してから読み始めた。

 荘太が寄稿した「顫動(せんどう)」を読み終えた野枝は、真実なある力がズーッと迫ってくるように感じた。

 そして、保持が言っていた「若い人」という感じがしなかった。

 染井の林の緑が日増しに濃くなり、田圃の菖蒲(しょうぶ)も半ば咲き始めた。

 六月十九日、野枝はらいてうの書斎を訪ね、荘太のことをちょっと話した。

 翌六月二十日、金曜日、青鞜社事務所に社員が集まった。

 野枝とらいてうは以後、しばらく会う機会がなかった。

 六月二十六日、らいてうは奥村と赤城山に向かったからである。

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 六月二十三日の朝、野枝は今月は校正を少し早く切り上げるから、二十六日まではかからないかもしれないという旨の葉書を荘太に書いた。

 先に家を出る辻に、それを投函してもらうことにして、辻が家を出た後、野枝は文祥堂に行った。

 文祥堂には哥津が来ていた。

 以下、「動揺」と「牽引」の記述に沿って、野枝と荘太の初対面のようすをみてみよう。

 その日、徹夜仕事が続いていた荘太は昼ごろに起きた。

 野枝からの葉書が届いていた。

 荘太はすぐ弟の下宿へ行って文祥堂へ電話をかけた。

 電話がかかっていると知らされた野枝は、東雲堂(とううんどう)からだろうかと思いながら、二階の校正室から階下に降りて行った。

「木村荘太です。今、お葉書を拝見しました。もしお差し支へなければ今日これからお伺いしたいと思いますがいかがでしょう」

 野枝はちょっとびっくりしたが、落ち着いた声で答えた。

「ええ、どうぞいらして下さいまし。暇でございますから」

 二階の校正室に戻った野枝は、涼しい窓際に椅子を置いて、哥津の持って来た小説を読みながら荘太を待った。

 荘太はすぐに下宿を出て築地の文祥堂に向かった。

 途中、電車の中でも通りでも「暇でございますから」という快い訛りのある声が耳の底に響き続けた。





 荘太が文祥堂に着いたのは午後三時ごろだった。

 荘太が来たことを知らされた野枝が階段を降りて行くと、金縁眼鏡をかけた荘太は帽子を取ってお辞儀をした。

 荘太の髪はきれいに分けてあった。

 野枝もお辞儀をして、ふたりが簡単に挨拶をすませると、野枝が荘太を二階の校正室に案内した。

 ふたりは二階のテーブルに向き合って座った。

 この日、野枝は眼鏡をかけていた。

 さほどの近眼ではない野枝は普段めったに眼鏡はかけなかったが、校正に行くときにはかけていた。

 髪を銀杏返しに結った哥津は窓際の椅子にもたれて、何か小説を読み始めた。





 荘太は文祥堂二階の校正室に案内された際のことを、「牽引」ではこう記している。


 とうとう文祥堂の前へ行つた。

 僕は入り口に近づいた時、二階の窓のところに依りかか つてゐる後ろ向きの人の髪の毛をチラリと見た。

 胸が躍つた。

 這入つて、聞いて、暫らく 店先に佇んでゐて待つと、その人が階段を降りて来た。

 簡単に挨拶をして、僕はその人の後から階段をつづいて登つて、校正室へ這入ると、そこにはもう一人婦人がゐた。

 僕にはそれが小林歌津(小林清親の娘)だと直ぐに解つた。

 歌津氏は窓際の椅子に靠れて何か小説を読み始めた。

 僕は中央にある大きな卓を隔てて、 野枝氏とはす~ ゙に対ひ合つた。

 僕は野枝氏がまだ極く子供らしい感じの人であるのを少し意外に思つた。

 暫らくするうちその意外なのが却つてシックリその人に合つてゐるらしく思はれて来た。


(木村荘太「牽引」/『生活』1913年8月号)


『魔の宴』では、こう記している。


 ……二階の校正室に通されて、机を隔ててそのひとと向い合つて腰かけると、室にはもうひとり若い女のひとがいて、離れた窓際に立つて行つた。

 髪を銀杏返しに結つた日本風の姿のひとで、明治年かんに名高い版画家、小林清親のむすめの小林哥津さんとあとで解った。

 私と向い合った当のひとのほうは、豊頬(ほうきょう)な丸顔に髪を無造作に束ねて結って、洋銀ぶちの眼鏡をかけ、なりは目立たぬ質素なふうで、単衣(ひとえ)の上に木綿の被布(ひふ)のようなものを着ていた。

 どこかの女工さんといつたぐらいの身なりに見えて、飾りなく、それだけに素顔のなりの顔がそのまま目について、生地を蔽(おお)う付属物がなにもないといつたような感じのひとだつた。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p203/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p165)


 野枝はこのとき妊娠七ヶ月だった。

 六月末の暑い時節に薄い被布を着ていたのはそのためであるが、『魔の宴』によれば荘太は野枝の妊娠に気づかなかった。





 話しているうちに、荘太は野枝に対してこんな感想を抱いた。


 その時目の前にゐたのは全然僕の想像と違つた人だ。

 あまりにその人の若かつた。

 あまりに生地のまま過ぎた。

 確かな口調で淀まずぐんぐん自分の事を話す態度――さうしてしかも目が出会ふ時々眞赤になつて下を見てうつむく様子――でまたある時紅潮しながらキッと目を僕にそそいでゐて語り継ぐさま――かういふ態度の矛盾がすべて自然に一つにこの人に結合した印象となつてゐる不思議なチヤアムが、直ぐ僕の心を牽いた。


(木村荘太「牽引」/『生活』1913年8月号)





 野枝は初対面の荘太にこんな印象を持った。


 私は、木村氏の外観とか風采について、いろ/\……想像したり、なんかしてゐませんでしたので、すべて、知らないうちで、不用意に、未知の人に会つたやうな気持ちでした。

 座についてからも私は何を話していゝのか分りませんでした。

 暫くしてから、其の人は、可なり低い声で私に手紙を出した動機とか気持ちと云ふ事を話し出しました。

 しかしその調子は極く軽くて、そして、口早やなので、私の方には、何にも、来るものがありませんでした。

 態度には可なり落ち附いた処が見えないでもありませんのに、一寸、変な気がし出して来ました。

                                         
(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p163/『定本 伊藤野枝全集 第一巻_p28)





 野枝は「動揺」で自分が妊娠中だという言及をまるでしていないが、らいてうはそのあたりをこう指摘している。


 女自身は自分の妊娠といふことに対して元来これ程無意識なものなのであらうか。

 お腹の中にゐる子供とそれほど無関係でゐられるものなのだらうか。

 之れでまたいゝものなのであらうか。

 自分に経験のないことを口にするのは僭越かも知れないが、一寸不思儀でならない。


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号・3巻11号_p88)






東京DOWNTOWN STREET 1980's「兄荘太から解き明かす荘八」

木村荘八の作品/青空文庫






★木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』(朝日新聞社・1950年5月30日)

★『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』(平凡社・1981年12月10日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)





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第78回 フュウザン






文●ツルシカズヒコ


 木村荘太「牽引」(『生活』1913年8月号)によれば、六月十二日か十三日ごろの晩、長尾豊が荘太を訪ねてきた。

 荘太は友人である長尾に、自分が伊藤野枝に興味を持っていることを話していた。

 長尾はいきなり野枝のことを話し出した。

 数日前、生田長江を訪ねた折りに、野枝について聞いてみたという。

 長尾が長江から得た情報によれば、野枝には「ある人」がいて、それが夫なのかラヴァアなのかわからないが、その人が野枝の署名している翻訳の筆を執っているのだという。

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 長尾はまもなく帰ったが、荘太は「ある人」に対して軽いエンヴイ(嫉妬)を抱き、いい知れぬ当惑の情を感じた。

 すぐに手紙を書いて、長尾から聞いたことが事実かどうか確かめようと思ったが、面倒くさくなってやめた。

 翌日、長尾から葉書が来た。

中央新聞』に野枝の記事が載っていて、それによると彼女には後藤某という内縁の夫があつて、近く出産したのだそうだ、ということが簡単に書いてあった。

 荘太は自分のことを一種の興味で見ているやうな長尾の葉書の書き方に軽い不快を感じ、ますます自分の気持ちが野枝から離れ去るのを感じた。

 もうこの件に関して、自分から何かしようという気が全然なくなった。

 図書館へ行って新聞を見ようと思ったが、 それすら嫌になった。

 返事が来るかもしれない。

 来ないかもしれない。

 とにかく、会うという返事かもしれない。

 事実をハツキリ知らせてくるかもしれない。

 どうでもいい。





 それから十五日まで、荘太はフセーヴォロド・ガルシンの短篇小説の翻訳に没頭した。

 徹夜をして翻訳し終えた原稿を持って、佐藤惣之助の家に行ったのが六月十五日の夕方だった。

フュウザン』の同人が集まっていて、みんなで七月号の編集作業をやった。

 この号から「フュウザン」を「生活」と改題することになったのだ。

 作業を終えると、みんなで打ち上げをやった。

 夜の十時過ぎに高村光太郎がやってきた。

 明け方近くまで話し続けた。





 六月十六日は佐藤の家で昼まで寝て、夕方、下宿に帰ると野枝からの手紙が来ていた。

 手紙を手に取る刹那、荘太はまったく自分の知らない感情を蔵しているのに気がついて、驚愕した。

  手紙の内容によっては、自分が強い打撃を受けるかもしれないと思った。

 荘太は運命と面接するような気持ちがした。

 不安のほか何物も感じなかった。

  そして、やはり自分はこの手紙が来ることを待っていたーーそのことに気づいた。

 荘太は二、三分間、手紙を持ったまま開けることができなかった。

「市外上駒込染井三二九 辻方 伊藤野枝」と書いてある封筒を見詰めていた。

「本式な崩しの草書で、伸びやかに、うまい字」(『魔の宴』_p201)だった。

 荘太はその字に少し圧倒されるのを覚えた。
 
 荘太はますます不安になり、急いで封を破って読み始めた。





 荘太は野枝からの返信について、こう書いている。

 
 僕はこの手紙を何度読み返したらう。

 さうしてこの手紙を書いた人を幾たび想像したらう。

 この人がこの手紙を書いた気持をいくたびいろいろに推し量つたらう。

 繰り返しいくたびか読むうち、僕はだんだんこの手紙が好きになつた。

 僕にはその書き方からして、かなり筆者をよく想像し得るように思へた。

 Nから耳にした事がいつか頭から消えてしまつた。

 この手紙の書き方の自由さが、今度は僕にさういふ事實のあるといふのを疑はした。

 ただ何となくそれを否定するやうな気分にさへも僕にならした。

 といふより僕に全然その事を考へさせなくなつてしまつた。

 僕には野枝氏がかういふ字体で、かういふ返事をよこす人だつたのがただ嬉しかつた。

 そのほかに何もなかつた。

 僕は仕事をしてしまつてから、ゆつくり落ちついて会ひたく思つて、次の日とにかく返事を出した。


(木村荘太「牽引」/『生活』1913年8月号)


 Nは長尾豊である。

 荘太は野枝への第二信を、こうしたためた。


 御返事ありがたく拝見しました。

 それでは二十六日の午後に文祥堂へお伺ひする事に致します。

 電話を一寸伺ふ前におかけしてから上るつもりでをります。

 まづその節申あげます。

 私には今凡(すべ)て自身の上に起つて来る事毎がみな必然のやうに思はれてゐてなりません。

 かうしてあなたとお会ひすることもまたやはり一種の自然な機会のやうに思はれて参りました。

 私をして過日の手紙をあなたに差し上げさせたものはどいふ力でせう。

 あなたがその私に御会ひ下さらうとなさるのもまた何によるものでせう。

 私は敬虔に慇懃に運命と握手しながらあなたに御会ひする日を待ちます。

 私はほんとうにあなたの御手紙を読む事を喜びました。

 あのお手紙で私にあなたがこれまでよりもずつとハッキリ解つたやうに思はれたからなのでした。

 ではその節をお待ちします。

 六月十七日夜

 ○「フユーザン」が手許にありましたから同便にて御送りします。

 来月は「生活」と改題して同人が変更します。

 私はそれにガルシンを訳しました。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・第3第8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p160~161/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p26~27)





 野枝からの最初の手紙を受け取った際の心の高ぶりを、荘太はこう回想している。


 ……本式な崩しの草書で、伸びやかに、うまい字なので、それに心を第一ばんに打たれた。

 そして私はそのとき、水道端から麹町平河町に移って、ひとりでいたのだが、この心躍る会見の場所には、私の好きな旧知の築地を選んで、指定の日そこに行って会うことにして、このいかにも素直な感じのする文面を繰り返し読んで、心に刻みつけた。

 会わしめずに止まぬと期すように、全心力を打ち込めて書いた私の手紙ではあったけれども、その思いをこう予期以上になだらかに受け入れて来ている返事を見て、まず心の通ったことが知れ、胸が喜びにわななき震えた。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p202/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p164)





『フュウザン』復刻版



★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』(朝日新聞社・1950年5月30日)

★『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』(平凡社・1981年12月10日)









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第77回 拝復






文●ツルシカズヒコ



 一九一三(大正二)年六月十四日の朝、野枝は気持ちよく辻を送り出し、机の前に座った。

 木村荘太への手紙の返事を書こうと思った。

 なんと書いていいかちょっと困ったが、とにかく会ってみることにして、思い切って書いた。


 拝復、御手紙はたしかに拝見致しました。

 暫く社の方へまゐりませんでした為めに御返事が後れました申訳が御座いません。

 どうぞあしからず御許し下さい。

 それから先日は社の方へわざ/\御出下すつて後社の方へは二三度まゐりましたけれども社に居る人が忘れてゐて私にさう云つてくれませんでしたので、ちつとも存じませんでした。

 御手紙を拝見して私はたゞはづかしう思ひました。

 私の幼稚なつまらない感想でも読んで下さる方があるかと思ひますとふしぎな気が致します。

 まだ私など他の人に手を引いて頂かなければ歩けない位の子供なので御座いましてこれからすべての事に就いて研究して行かなければなりませんので本当は雑誌に麗々とあんな感想など書ける柄ではないので御座います。

 私は、なるべく勉強したいと思つてゐましてもなまけてばかし居ますのでこの上他人との交渉に忙しくなつたりしてはとてもどうにも出来ませんから、なるべく止む得ない少数の人との他はすべて交りを絶つてゐるのです。

 いろいろの事で私は周囲の人と今は全く絶縁の形です。

 青鞜社の内部四五人の他は誰とも今の処係はり度くないので御座います。

 それで、私はあなたのお手紙を拝見していろ/\考へて見ました。

 あなたは私を知り度いと云つてゐらしやいます、そして私についていろ/\の期待やなんかで待つてゐらつしやるとさう思ひますと期待される程の何物をも持たない私は矢張り自然にお会ひする機会を待つてお目にかゝるのならまだしもですが、強いて機会をはやめると云ふ事が何とはなしに避け度いやうにも思ひました。

 然しまた、まじめなあのお手紙を繰り返して考へて見ますと、どうも矢張りおことはりすると云う事が如何にも傲慢な礼を失した事の様にも思へてまゐります。

 それで兎に角お目にかゝつた結果はどうなりますか分りませんがお望みにおまかせする事に決心致しました。

 時間の御都合や何かもあなたの方でおよろしい時にし私の方はこの次の金曜をのぞく他さしつかへは御座いません。

 もしあなたの方の御都合では金曜日に社にお出下さつてもさしつかへは御座いません。

 二十五六日は大抵校正に築地の文祥堂へまゐります。

 校正も二時間位間をおいて出たり少しづゝ出たりしますので割合にひまで御座いますから印刷所の方が御都合がよかつたら印刷所でもかまひません。

 その他は大抵ひまで御座います。

 然し今月は原稿の集り方がおそう御座いましたら催促にまはつたりしなければならないかも知れませんが大抵は都合が出来ますからあなたの御都合次第でお伺ひします。

 フューザンにおかきになりましたのを是非拝見したいと思つてゐますが社には来てゐませんので一寸ついでがなくてまだ拝見しません。

 近いうちに拝見しやうと存じます。

 六月十四日


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p157~158/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p24~25)

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 野枝は書いてしまうとなんだか安心して、木村荘太という人のことをいろいろ想像してみた。

 辻が帰ってきてこの返事を読んだらなんと言うだろうかなどと考えて、だるい体を横にして辻の帰るのを待った。

 野枝はこのころ、妊娠六ケ月くらいだろうか。

 野枝は辻が帰る夕方が待ちどうしかった。

 退屈なのでもう一度、荘太の手紙を開いて読んだ。


 ……或は御会ひして見た上であなたの個性と僕の個性は相反撥し合ふ性質のものであるかも知れないと思ひます。

 またはあなたが一層ほんとに僕の心に生き始めるやうになるかも知れないと思ひます……。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p159/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p25~26)


 野枝は思った。

「会って反発し合うのならいいけれども……そうでなかったら? 私はどうする? そんなことはない。まず一番に私が辻と共棲している事実を話すことだ。それでも私に愛を持ってくれて、苦痛を語られたらたまらない。どうしよう?」

 しかしーー今、自分と辻の間には寸分の隙間もない。

 どんなに強く来られても、突き放すことができるという自信が湧き上がってきた。

 特に、芝から染井に帰ってきたころから、野枝の辻に対する恋着はいっそう執拗になっていた。

 野枝はひとりで微笑みながら、大きいふたつの袋にいっぱい詰まった、自分と辻の間で交わした手紙を思い出し、苦しい辛い、しかし本当に楽しい自分たちの満一年以上も同じに続いてきた恋を想った。

 夕方、辻が帰宅した。

 辻に手紙を見せ、一緒に外出して投函した。





 荘太から来た第一の手紙を無視できず、返事を書き、ともかく荘太の要求を入れて面会し、その上で辻と同棲している自分の境遇を話そうと思った野枝の心理を、らいてうはこう分析している。


 ともかく野枝さんが第一の手紙の時から無頓着に打捨てゝおかれなかつたといふことは明である。

 T氏に見られては困ると云つて小母さんにあづけたなどはその証拠で、いかにも若々しい女の心が見える。

 けれど誤解してはいけない。

 野枝さんが無頓着でゐられなかつたのは、寧ろ野枝さんの疑ふ処のない若い心があの手紙の全面から受けた誠実に感じたことなのである。

 けれどそこにはなほ一つの理由がある。

 それは自分は木村氏の手紙を同情と理解とを有つて受納し得る女だといふ自信(一種の誇り、わるくいへば自惚だ)と男の申出を只々退けては何等の理解のない無智の女と軽蔑されはしまいかというふ懸念とである。

 自分の価値を認められないといふことは野枝さんのやうな女にとつては殊に不愉快なことであらうから。

 それも一種の虚栄だといふならそれ迄だが、かういふ心から恋愛なしに出来る丈け接近してゆくこの種の女の心を了解する男は少いやうだ。


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号・3巻11号_p85~86)




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)



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2016年04月11日

第76回 中央新聞






文●ツルシカズヒコ



 野枝が木村荘太からの手紙を、青鞜社事務所で受け取ったのは、六月十三日の朝だった。

 野枝がこの日、青鞜社事務所に来たのはこの日が金曜日であり、金曜日は読者と交流を持つ日だったからであろう。

 野枝はこの日のことを、らいてう(R)に宛てる手紙文スタイルで、こう書いている。

 
 R様 こないだの金曜日はゐらつしやるかと思つて待つてゐました。

 私は午前から行つてゐました。

 小母さんといろいろな話をしながら待つてゐましたら勝ちやんが来ました。

 でもすぐに帰つて行きました。

 私は四時頃まであなたを待つてゐました。

 私は堀切へ行つてから非常に疲れてその日までなんだか大変に倦怠(だる)い気持ちが去らずに居ました。

 それとその朝、私は全く知らないーー姓名位は知つてゐましたがーーKと云ふ方からの手紙を読んで、それにも可なり悩ましい気持ちを抱かされてゐたのです。

 小母さんも可なり疲れておゐでのやうした。

 私と小母さんと二人きりでは何だかあの涼しい八畳の座敷もだるい空気が漲つてゐるやうで、何となく気分が重くなつて来るのでした。

 あなたでもゐらしたらまた堀切の話でもしてすこしは気分をはづます事が出来るかと思つてました。

 でもとう/\ゐらつやしやらなかつたのですね、私はまた重い頭を抱えて小母さんの処を出ました。

 例の崕(がけ)の道を歩いてゐますと、あの林の前の叢の真青な笹や草が目にしみてツン/\した青い薄が頭の中を突きさすやうでいやな/\気持でした。

 その日だけは林の中に、はいつて見る気もしませんでした。


(「染井より」/『青鞜』1913年7月号・3巻7号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p37)

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 荘太とのラブアフェアについて、野枝がその一部始終を書いたのが「動揺」である。

 これも、らいてうに宛てる手紙文スタイルで書かれている。


 この手紙を受け取ったのはたしか六月十三日の朝だったと覚えて居ります。

「木村荘太」という差出人の名が忘れつぽい私の頭の中の何処かの隅に、二三度も雑誌の上で見た名だと残つて居りました。

 そして、最近にTと二人で本郷を歩いたとき、ふと開けたヒューザンの中に見出した名である事も覚えて居りました。

 私は一応その手紙をよんで見て、何かにハタと躓いたやうな気持ちがしました。

 何とはなしに、当惑して終(しま)いました。

 丁度その日は金曜日でした。

 私はその手紙を小母(おば)さんに見せて、困つた/\と云つては、寝ころんでいろ/\に考へました。

 私は、何だかその手紙をTに見せると、いふ事が大変、恐いやうな気がしました。

 この手紙に対する私の態度がどうであるかといふ事より先きに、私は、この手紙によつて、Tが、どんな持ちを抱かされるかと考へますと、悩ましい気持ちがつきまとってゐるやうな気がしてこまつたものを貰つたと云ふ気がしました。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p153~154/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p23)


 さて、どうしたものか。 

 自分の態度が決まるまではと思い、野枝はいったん保持にこの手紙を預けた。

 しかし、考えを変えた。


 ……私とTの間には何の秘密もないのです。

 Tは今日も夕方、いつもと変らない穏かな気持ちで帰つて来るに相違ないのに、私は暫く、Tにかくしてゐなければならない事を胸に持つて帰らなければならないと思ひますと、何とはなしに、圧(お)しつけられるやうな気持ちがして、矢張り何時ものやうにさつぱり打ち明けてしまつた方がいゝといふやうな気がして、小母さんからその手紙をもらつて、かへりました。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p154~155/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p23)





 帰宅すると辻は出先からまだ帰宅していなかった。

 ぐったりして机の前に座った途端、辻の妹の恒(つね)が部屋に入ってきた。

 この日の朝の『中央新聞』に青鞜社の記事が載っていて、野枝の私行上のことも書いてあるが、まったくのでたらめであるという。

「染井より」解題によれば、「屏息(へいそく)せる新らしい女」というタイトルで、『中央新聞』が記事にした。

 記事は六月十二日付に(上)、六月十三日付に(下)、二日連続で掲載された。

 野枝のでたらめなプライバシー記事が載ったのは六月十三日付の(下)である。


 伊藤野枝は巣鴨小学校の教師後藤清一郎と好い交情(なか)になつて二三日前に安産があつたので既に家庭の人である

(「染井より」解題/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p456)





 恒からだいたいの記事の内容を聞いた野枝は激怒した。

 野枝はすぐに岩野清子の家を訪れ、清子に付き添ってもらい中央新聞社に行った。

 抗議に行ったのであろう。

 名誉毀損だから「訂正記事を載せて謝罪しろ」ぐらいは言ったであろう。

 野枝はこの一件について、「染井より」にはこう書いている。


 屹度(きつと)あの男なんです。

 中央新聞の記者だと云つて尋ねて来た、白田天坡とか云ひましたね。

 あの男に違ひありません。

 本当に世の中に新聞記者ほど下等な、度し難いものはありませんね。

 私の事にしろ小母さんの事にしろ、まるで間違つた事を書いてあります。

 純然たる名誉毀損なのです。

 数多い新聞の中でも最も俗悪な低級な中央にあんな愚劣な記者のゐるのもふしぎではありませんね、私は本当に会はないでよかつたと思ひますよ。

 けれどもあの記者は私たちが会はなかつたと云ふ事を非常に不快に思つたんですよ、で何にも種がとれなかつたので自分勝手にいゝかげんな事を綴り合はして記事をこしらへたんですね。


(「染井より」/『青鞜』1913年7月号・3巻7号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p37~38)



 

 さらに、野枝はこの一件について、『青鞜』の「編輯室より」でも、こう言及している。
 

 この間中央新聞の白田天坡といふ記者が事務所に来て皆に会ひ度いと云つたさうです。

 ……小母さん一人だつたので断りますと、その記者は玄関先きに立つて、いつまでも一人で勝手な事をシヤベツて出て行つたさうです。

 その日私は頭痛がして臥つてゐますと、矢張りその記者が来ました。

 勿論私も断りました。

 らいてうもるすで会はなかつたさうです。

 ちつとも種がとれなかつたわけです。

 十二三日頃に……出た、「屏息せる新しい女」といふ題の……青鞜社の記事は滅茶々々なものでした。

 本当に世の中に新聞記者ほど下等な、度し難いものはありませんね、後で私はその記事を読んで見ましたが実に下等な記事なのです。

 あらん限りの悪意を持つて書いたものです。

 私の事にしろ小母さんの事にしろ、まるで間違つた事を書いてあります。

 純然たる名誉毀損なのです。

 数多い新聞の中でも最も俗悪な低級な中央にあんな愚劣な記者がゐるのもふしぎではありませんね、私は本当に会はないでよかつたと思ひますよ。

 ……あの記者は私たちが会はなかつたと云ふ事を非常に不快に思つたんですよ、で何も種がとれなかつたので自分勝手にいゝかげんな事を綴り合はして記事をこしらへたんですね。


(「編輯室より」/『青鞜』1913年7月号・3巻7号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p40)





 中央新聞社を出てからも銀座の方で用を足してきたので、帰宅したのは夜の十一時ごろだった。

 辻は起きて仕事をしていた。

 野枝は辻の傍らに座り、木村荘太の手紙を見せた。

 辻は黙って読み終えて、こう言った。

「返事を書いたらよかろう」

 野枝は木村の手紙の文面が真面目なところに引かれていたが、笑いながら返事をしなかった。

 手紙を熱心に繰り返して読んだ辻が言った。

「返事を書かなければいけない……」

 辻は木村の書いたものを読んだことがあり、野枝よりはよほど木村のことについて知っていた。

 それからふたりはいろいろな話をして十二時すぎに臥せった。



★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 21:49| 本文

第75回 魔の宴






文●ツルシカズヒコ






 一九一三(大正二)年五月十六日。

 雨が降る中、若い男が北豊島郡巣鴨町の青鞜社事務所を訪れた。

 男の名は木村荘太

 荘太は応対した保持に野枝との面会を請うたが、野枝は不在だった。

 野枝はその後二、三回、事務所に行ったが、保持は荘太が来たことを忘れてしまっていたので、野枝には伝えなかった。

 らいてうは荘太が青鞜社を訪れたときのことを、こう書いている。


 五月の或雨降りの金曜日に私は小母さんと事務所で話しをしてゐると、玄関の方に人が来た。

 取次ぎに出て戻つて来た小母さんは木村といふ人が野枝さんに逢ひたいと云つて来たのだと云つた。

 そしてそれは若い書生風の男だといふことだつた。

 けれど私達は野枝さんからついぞそんな姓の人のことを聞いた覚えもないので、いづれ例の紹介もなしに、又これといふ用事もなしにとりとめもない好奇心から訪問しに来る青年の一人だらう位に思つてそれなり忘れて仕舞つた。


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号・3巻11号_p84~85)

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 荘太は野枝に興味を持った理由を、こう書いている。


 そのころ、こんな私の注意を引いたひとりの若い女性の姿が現われた。

 そのひとを見てでなく、そのひとの書いたものを読んでだつたが。

 これにすこし遅れるか、前後してか、高村君に寄り添つた女性ーー智恵子さんーーも、当時出ていた雑誌「青鞜」の同人だったが、この新らしい婦人の解放を求めて、雑誌「青鞜」に集まつた若い女性たちのなかに、際立つて若若しく、水水しく、率直な文章を書き、かたわら翻訳ーーしかも、エレン・ケイのものなどーーをもして、雑誌に載せている一女性があつた。

 その仲間のものたちが、鴻の巣あたりで五色の酒を飲んだといつたり、吉原に遊びに行つたりしたいというような、新聞などでの世間的ゴシップの種子になつて、私が過去に見捨てた享楽的な世界の消息などを女だてらに窺う興味に生きるひと群れもあつたようななかに、この私が見いだした若い女性の書くものは、伸び伸びとして、自己の解放にむかつてひたむきに進んで生きようと真実さ、真剣さが感じとられるようなものだつた。

 いく号かにわたつて、それを読むうち、私の注意は興味に変り、興味はそれに引きつけられて行く気持に変つた。

 そして私が、ここに新たな恋愛観、結婚観についたとすれば、この光りのもとに、おなじ光りを見る道連れと手を携えて立ち直れたら、というような夢想もいだかれて、心ではこのひとにあてる気持で心が顫動(せんどう)して書いた稿を、そのまま「顫動」という題にして、雑誌「フュウザン」に出した。

 ……そうして私の前のメートルのスタンダールへの想起には、「愛のない結婚生活で、妻が貞操を守るなどということは、おそらく自然に反する。」という言葉を「恋愛論」から引いて、この言葉を「エレン・ケイの訳者に贈る。」と書いて、最後に載せた。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p197~198/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p160)





 エレン・ケイに関しては、らいてうが『青鞜』に翻訳を連載していたが、同誌五月号に載った『恋愛と道徳』の訳者名が野枝になっていたのは、同号「編輯室より」によれば、そのころらいてうが体調を壊し「十日ばかり前からひどい熱に苦しめられてずっと床について居」たからだ。

 しかし、「恋愛と道徳」を翻訳したのは野枝ではなく辻だった。

 青鞜社は毎週金曜日を読者との面会日にしていたので、荘太は五月十六日の金曜日に青鞜社を訪れたのである。

 荘太が「顫動」を寄稿したのは『フュウザン』六月号である。

 野枝に会いに行ったが会えなかった荘太は、手紙を書くことにした。

 その心情を荘太はこう記している。


 そうして私はこういうものを書いた以上、会えたら会つて、そのひとにこのことが告げたい気がして、ある日、巣鴨の青鞜社を訪ねて見た。

 そのひとは編輯に携わつていることが、雑誌で知れていたから。

 と、これには、私はそのひとの受けている思想に関心があるという意味で、こうして訪ねて行つて会うのを憚らぬ、というような公然たるに近い気持を表面に持つて行つていた。

 それと、当時は武者君と「世間知らず」にあるC子さんとの交渉が直き前にあつたのにづづいて、長与君の「盲目の川」に書かれた恋愛のこと、岸田に突然手紙を送つて会つて、結婚した美術女学生上りの婦人蓁【シゲル】さんのことなど、高村君と智恵子さんのことなど以外にも、こんな新らしい男女かんの自由な交渉が身近に繁げ繁げ行われていたことにも誘われるところもあつたのだと思われる。

 が、その訪ねた日には編輯所には向うがいないで会えなかつたから、そのまま帰つて、あとは自分でも、そんなに性急に知らないひとを訪ねたりした軽挙が顧みられうような気もしたり、そうしているうちにも、心が一そう引かれるのを感じたりする思いに、心がそれ以上に定まりかねて日をすごすうち、やがてやつぱり引かれる気持が勝つたままに、こんどは手紙を書いて出した。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p198/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p161)


「武者」は武者小路実篤、「C子」は武者小路の最初の妻・竹尾房子(宮城ふさ)で、武者小路の小説『世間知らず』に登場する「C子」。

「長与」は長與善郎、「岸田」は岸田劉生





 麹町区平河町の下宿に住んでいた荘太は、野枝に手紙を書いた。


 拝啓、未知の私から手紙を差し上げる失礼を御ゆるし下さい、さて先月の中程の金曜日に編輯所へ上つてあなたをお訪ねしたのは、私でした、実はその頃からして私はあなたを知り度く思つてゐまして、それで突然御伺ひして見たのでした。

 ……僕には……かなり烈しくあなたに対する興味を抱かせようとしてゐるものがあるのです……私はあなたの書かれるものゝ幼稚さがかなり純らしい処から出てゐるようなのを愛してゐます……僕はかう云ふ自分の気持ちが……幾分ラヴに似てゐる事を驚くのです。

 ……もし御会ひ下さるようでしたら御都合の時処をお知らせ願へば幸甚です。

 或は御会ひして見た上ではあなたの個性と僕の個性は相反撥し合ふ性質のものであるかも知れないと思ひます。

 或はまた只一個の友達として静かに気持よくお話しする事が出来るかも知れないと思ひます。

 尚この手紙はあなたにプライヴエエトのものである事を御承知のほど願ひあげます。

 以上、六月八日夜


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p151~153/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p21~22)





 荘太は翌日、自分の下宿から半と離れていない、紀尾井町三番地の下宿にいる弟(木村荘八)のところへ行き手紙を見せた。

 木村荘太、荘八の父は木村荘平、牛鍋屋のチェーン店を何人もの妾に経営させていたという明治の豪傑である。

 荘太、荘八は妾の子で同腹の兄弟だった。

『定本 伊藤野枝全集 第一巻』の「動揺」解題(p399)によれば、荘太は一八八九年、東京市日本橋区生まれで、当時二十四歳。

 一九〇六年に本郷区の京華(けいか)中学を卒業した後、英語を学び、第二次『新思潮』に参加、一九一一年から翻訳著述を行なっていた。

『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』は、荘太の37後前の回想であるが、リアルタイムの記述である「牽引」では、ここまでの経緯について、荘太はこう記している。


 六月九日の午ごろ、僕は「青鞜」の伊藤野枝氏に宛ててかういふ手紙を書いた。

 直ぐそ れを麹町平河町の僕の下宿から半町と離れてゐない、紀尾井町三番地の下宿にゐる弟(木村荘八)のところへ持つて出懸けて行つて、出して見せた。

 僕は一月ばかり前から弟にこの事を話してゐた。

 手紙の中に書いてある先月中程の金曜に、巣鴨の青鞜事務所へ訪ねて行つて見て、留守で会へずに帰つて来た事も、弟は知つてゐるのだ。

「フユウザン」六月号の僕の感想を読んだ人には疾によく領解して貰へたと思ふが、極く最近に僕は自分の女性観、恋愛観が急速に一変した。

 さうして僕は自由恋愛の使徒になつた。

 あの感想を書いた当時に、眞に自身の要求がそこまで動けば、僕は遠からずそのプロパガンドをする気でゐ た。

 また自分には強くその要求が動いて来さうな気がしてゐた。

 僕は殆んどこのごろ囂(やかま)しくなりかけて来た婦人問題に就いて説かれる日本の人の論議を読んだ事がない。

 それから「青鞜」あたりの人達の事も全く無視してゐた。

 僕はその時前者の方はどうでもいいが後者は無視してゐられなく思はれて来た。

 眞に僕等の近くの女でほんとうに生きようとしてゐる人達があるのだらうか。
 
 その要求を真に感じて進んでゆかうとしてゐる人達があるのだらうか。

 僕は痛切にこの事が知りたくなつた。

 僕が先月雨の土砂降りの日に、突然野枝氏を巣鴨の事務所に訪ねて見たのは、ただ主にかういふ動機からだけであつた――それは丁度僕があの感想を書かうと思ひ立つてゐた時だ。

 元より既にその頃からして僕は漠とした気持で恋愛を求めてゐた。

 眞に自身を生かすべき恋愛を求めてゐた。

 けれどもそれを特に野枝氏に待たうとしてゐるといふ予期は少しもなかつた。

 僕はただ二三号極く最近の「青鞜」を読んで見て、野枝氏が下らない歌や小説を書かずにゐるのが目についたのだ。

 書くものの上に微力にしか現はれてゐないが、しかしあるいい要求を懐いてゐる人らしく感じたのだ。

 それで一番年若い人だといつか何処かでふと耳にしてゐた事が頭に泛(うか)んで来たのだ。

 全く内容を知らないけれど、この春の演説会にこの人がひとり聴衆の前に出て語つた事があつたと聞いてゐた記臆(ママ) が、ひきつづき泛んで来たのだ。

 僕はこれだけの理由で少くともこの人を真面目に進まうとしてゐる人と解釈した。

 またそれに純なところのある人らしいと推定した。

 僕が始めに訪ねて会つて見ようとしたのは、理由は単にこれだけで、若しこの人に対する牽引が起るとしても、それは第二の後の問題なのであつた。

 会つた結果で自然に起るべきそれらの第二の問題の一切を、僕は別段避けようともせねば、期さうともしてゐなかつた。

 それで会へずに帰つてからは、六月の雑誌に僕の感想が出てから野枝氏がそれを読んでから、前に自分が訪ねた事をいつて、さうして手紙を出して見ようと思つた。

 で僕はそれ から半月忙がしい思ひで立て込んだ仕事の中に没頭した。

 月の終りにそれが大方片づくと僕は漸くホッとした。

 野枝氏の事が頭に泛んだ。

 がその時半月以前とは僕はだいぶん変つてゐた。

 僕は一層内へ進んだ。

 一層深い根本のものに次第に余祐(ママ)なく触れて来かけた。

 僕は凡ての一 切を悉く直接に僕のライフに触れてゆかしたいと思つて来てゐた。

 また随つて現在の自身のライフの充實に資さないものは凡て自身の思議から、行為から排除し尽さうと思つて来 てゐた。

 現下の自分自身の生活に深い交渉を齎(もたら)さない事はなんにもすまい。

 そして自身の 生活に交渉する一切はなんでも、どんな事でも飽くまで恐れずに徹底して遣つてゆかう。

 すれば一足一足に自身の生活の深さが増せば、随つてますます深くの底にあるものが生か されて来る。

 自身の生活の大きさが増せば、また随(したが)つてますます自身の面する問題が大きくなる。

 といふのがそれからの僕の第一のモツトオになつて来てゐたのである。

 この意味からして広く社会を対手にプロパガンドするといふ態度が僕には遠くなつた。

  書いて多くの知らない女性を覚醒させようといふより、直ちに近くの僕を牽引するに足るひとりの婦人に触れて、自身の生活の力-恋愛の力にその人を導かうとする要求のみ、全然僕の心を占め終るようになつた。

 さうして僕はその僕の恋愛に、刻下の自身を先づ第一 によく生かしたく思つて来てゐた。

 随つていつか自然と僕の心の中で、野枝氏の姿はさういふ僕の要求の対照(ママ)に変形した。

 前出の手紙を僕が書いた動機は、外でもない、僕がこの自身の要求を自覚したか らなのである。

 でまた僕の今の全然肯定に傾く思索は、僕に一度失つた女性に対する信頼を回復せしめた。今の日本のエンヴァイロンメント(環境)に全然にじられ尽して、その育つ芽を枯らし切られぬ力が、吾々の異性にもまたあると信ずる大きな信頼を僕は心に懐き始めた。

 で僕は感じた.......もう僕はぶつからずにゐられない。

 自分の生活の全部を挙げてぶつからずにゐられない。

 製作と恋愛とまた自身を生かす凡てに僕の全力を傾倒してぶつからずにゐられない......弟は黙つて僕の手紙を読んで、黙つてそれを僕に返した。

「若い綺麗な人ださうだ。」

 と暫らくして僕にいつた。

「とにかく会ふといつてよこせば面白いだらうと思ふ。」

 僕はさういふ自分の気持がやや静平(ママ)でないのを覚えた。

 その時僕の心にも言葉にも、既に対手のよく知つてゐるラヴァアの上を語る時-特に兄弟にそれを語る時-思はずも伴ふやうな微動があつた。

 ふたりはそれなり直ぐに話題をいつもの普通の事に移した。

 さうして暫らく話した後で、 僕は別れて、途で手紙を投函すると、やがて一種の期待を湛へた安らかな心になつた。

 で尚少しそこらを散歩してから帰つた。


(木村荘太「牽引」/『生活』1913年8月創刊号)

 


江戸老人のブログ「明治の豪傑”いろは”木村荘平」

Art & Bell by Tora「生誕120年木村荘八展」

※木村荘八「私のこと




★木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』(朝日新聞社・1950年5月30日)

★『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』(平凡社・1981年12月10日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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2016年04月10日

第74回 堀切菖蒲園






文●ツルシカズヒコ



 
 一九一三(大正二)年六月中旬。

 野枝がらいてうの書斎を訪れ、奥村の話に一段落ついた後、野枝が堀切菖蒲園の話をらいてうに振った。

 そのちょっと前、らいてうが田村俊子と堀切菖蒲園を訪れていたからである。


「この間の堀切行きは面白かつて?」

「えゝ、面白かつたわ。田村さんがすつかり酔つぱらつて大手をひろげて駆け出す恰好つたら……」

 平塚さんはさも可笑しさうに一人で笑つた。

「田村さんお酒を沢山めし上るの?」

「弱いわ、すぐ酔つちやつてよ」

「さう、二人で歩いてらしやる様子が見えるやうだわ」

「もう時間が遅かつたから割りにつまらなかつたわ、今度一緒に往きませうよ、哥津ちやんや岩野さんを誘つてね」

「えゝ往きませう、私はまだ行つたことはないんです」

「さう一寸いゝわ」

「何時往きます?」

「明日でも明後日でもいゝわ」


(「雑音」/『大阪毎日新聞』1916年4月10日/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p134~135/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p196)

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 そして、ふたりはその後も引き続き、こんな会話を交わした。

「田村さんはこのごろ、よく貴女を訪ねていらっしゃるのね」

「そうね、気紛れだから、あの人も」

「でもあの方は気が強いようで案外、弱いんじゃないかと思うところがありますね」

「そうね、あの御夫婦の喧嘩だって、気が強いからってのじゃないでしょうね」

「ええ、それはこのあいだ私が伺ったときに話していらっしゃったわ。締め切りが来ても書けないでイライラしていらっしゃると、旦那様が心配なさるんですって。それがまた癪にさわって、つい喧嘩になるんだっておっしゃったわ」

「嘘じゃないでしょうね」

「だけど、私、お書きになったものでなんか見ると、軽蔑し合っていらっしゃるようでいながら、御一緒にいらっしゃるわね。あんななら、お別れになったらいいだろうと思いますがね」

「私は松魚さんは世間じゃつまらない方のように言っているけど、ひょっとするとたいへん偉い人じゃないかって気がするのよ。たいへん偉い人かたいへん意気地のない人か、どっちかだわ。ああやって、一緒にいらっしゃるのだって、きっと俊子さんが別れたくないのだろうと思うの」

「そうかもしれないわね」





「気の弱いところは、荒木さんだってよく似ているわね。深みに入ってしまって、もうどうすることもできないんでしょう」

「荒木さんは今、一緒にいる人とはちっとも愛がないの?」

「ええ、もちろんでしょう。この前、私が行ったら泣いていたわ。辛いんでしょうね。ずいぶん気兼ねをしているようですものね」

「可哀そうだけど、なぜそんな人と一緒にいなければならないんでしょう」

「だって、もう今じゃどうすることもできないでしょう。あの人はたいへん執念深い人だって言うから」

「初めはお金なんでしょう。いつまでもそうやって縛られているなんて馬鹿馬鹿しいわね」

「つまり、あの人は目先だけの悧巧なのよ。あの目白の家を売るのにずいぶん高くあの人に売ったんでしょう。で、その利益はあったけれど、今度は自分自身ってものを失くしてしまったんですよ」

「そう、私そんなことちっとも知らなかったわ。じゃ、あの増田(増田篤夫)って人との関係はどうなんです?」

「あの人には真実愛があったんでしょうけど、妙なふうになっているんでしょう。まあ、弱い弱い人ね」

「馬鹿げてるわ、そんな。いつか野上さんに、そんなこと聞いたのよ。ちっとも知らなかったんですよ。だけど、荒木さんはなんとかしてその束縛から逃れる気はないのかしら?」

「ないことはないんだわ、そうして苦しんでいるんですもの。恐くてできないんでしょう」

「そう? おかしいわね」

「あの人から復讐されるって言うのよ。それを恐がっているのよ」

「そんなこと馬鹿馬鹿しいわ」





「あなたは荒木さんの話を聞いていないから。あの人は復讐を大真面目に考えているんですって」

「私ならそんな嫌な奴のそばで嫌な月日を送るくらいなら、それよりいっそ殺されでもした方がいいくらいのものだわね」

「まあ、そうだわね。だけど荒木さんにはそれだけの勇気はないんだから仕方がないわ」

「あんなにも手練手管を心得ていそうな人だから、もっと何か智慧が出そうなものね。向こうが嫌がるように、こっちから仕向けるとかいうわけにはゆかないもんかしら」

「そんな貴女がやっきになったって駄目よ、自分のことかなんかのように」

「だって気になるんですもの。本当に、アイヌのゼントルマンだなんて悪口言いながら、あんなに縮こまっている人ってありゃしないわ。増田さんって貴公子みたいな人ですってね」

「ええ、たいへんきれいな人だそうね」

「だけど、まったく荒木さんはつまらない目をみているのね」

「自分でそうなっているんですもの、他から手の出しようはないわね。荒木さんに比べると、お姉さん(荒木滋子)って方はずいぶんいろいろなことをなすったって。だけれども、確(しっか)りしたところがあるらしいわね」

「そう、私このあいだ火事のときにちょっとお目にかかったわ」





 青鞜社員の堀切菖蒲園行きの話は、実行に移されたようで、野枝はこう記している。


 □歌津ちやんはお芝居や寄席や新内や歌沢で日を暮らしてゐます。私は、うちにゴロ/\して、いつからいてうと岩野さんと歌津ちやんと私と四人で堀切に行つたときに買つて貰つた小さな独楽をまはして遊んでゐます。

(「編輯室より」/『青鞜』1913年7月号・3巻7号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p41)


 堀切から持つて来ましたスウヰートピーは土曜日まで生きてゐました。

(「染井より」/『青鞜』1913年7月号・3巻7号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p39)



明治37年の堀切菖蒲園2 ※堀切菖蒲園3 



★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)




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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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