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2016年04月26日

第125回 引き継ぎ






文●ツルシカズヒコ



 一九一四(大正三)年十一月、平塚明『現代と婦人生活』が出版されたが、野枝はその「序」を書いた。


 らいてうさま、

 ほんとうに私は嬉しうございます。

 私はあなたの第二の感想集が出版されるのだと思ひますとまるで自分のものでも出すやうな心持ちがいたします。

 最近の私達の生活を知つてゐるものは私達自身きりですわね、私たちは私たちの周囲の極く少数の人をのぞく他の誰からも理解や同情など云ふものを得ることは出来ませんでしたね、まるで私だ(ママ)ちの周囲は真暗でしたもの。

 疑惑と中傷と誤解と威圧とそして侮蔑と嘲笑と揶揄とが代る/″\に私達を一番親しく見舞つてくれましたわね、けれどもその中からこのあなたの論文集が生まれたのですわね……。

 あなたの……最近の生活の努力によつて生れた尊い思想の断片として私は私の能ふるかぎりの尊敬をこの書に捧げます。

(三、一一、八)

 小石川にて 野枝


(「序に代へて」/『現代と婦人の生活』・反響叢書第二編・日月社・1914年11月27日/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p132)

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 十一月十三日の夜、らいてうは御宿から上京し、十一月十五日の朝、野枝宅を訪ねた。

 自分に『青鞜』の編集や経営の一切を譲ってほしいという野枝がらいてうに書いた第二信の手紙は、らいてうの上京と行き違いになったが、御宿かららいてうの実家に廻送されたので、らいてうはその手紙を読んでいた。

 ひと月ぶりに野枝の顔を見たらいてうは、野枝は相変わらず元気いっぱいでピチピチしていると思った。

 野枝はらいてうに『青鞜』を引き継ぐ決意を力強く語った。


「一生懸命やってみますから、ひとつ委せて下さい。あなたはなにもしないでいいんです。ただ毎月書くことだけはかならずして下されば。しかし雑誌の署名人だけはあなたに御願いします。責任は何処までもわたくしたちが負います、ご迷惑になるようなことはしないつもりです。編集の方は辻がやるから大丈夫です」

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p552)





 らいてうは辻と野枝夫妻の決意はうれしかったが、経営面など楽観しているころがあるのではないかと危惧し、いろいろ注意した。

 野枝は雑誌を簡素化し、金銭も切り詰め、自分たちの生活の形式も変えて対応したいと自信たっぷりだった。

 しかし、辻にしても野枝にしても事務的な仕事をこなし、継続していけるタイプの人間ではないーーらいてうはそれを知っているだけに、危惧の念は去らなかった。

 らいてうは名だけの署名人の件は断り、原稿も書きたいときに書かせてもらうことにした。

 二日後、野枝がらいてうの上駒込の家を訪れて事務引き継ぎを行ない、野枝は翌年の一月号から『青鞜』の編集人兼発行人を務めることになった。





 青鞜社の所有品全部ーー寄贈の図書、雑誌類、英語や日本語の辞典や書類、名簿「青鞜」の合本、本箱、机、文房具など一切合財、野枝さんの引越し先、小石川竹早町の家へ運んでもらいました。

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p553)


 らいてうは『青鞜』には、こう書いている。


 十七日の昼近くに野枝さんが社に来ました。

野枝さんの眼には自信と勇気と決心の色が輝いて居ました。

 私は野(ママ/※野枝)さんに譲り渡し(ママ/※渡した)社の責任と仕事と、所有物の総てを手渡しました。

 只創刊号から三週(ママ/※周)年紀念号までーー丁度三年間の『青鞜』各一部を私の手に残して。

 午後、社の荷物は野枝さんのお宅に運ばれました。

 私は長い間の重荷をやつと卸したやうな気持がしました。

 そして私の心には野枝さんに対するある感謝の念が湧いて来ました。


(平塚らいてう「青鞜と私」/『青鞜』1915年1月号・第5巻第1号_p133)





★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 20:17| 本文

第124回 平民新聞






文●ツルシカズヒコ



 大杉と荒畑寒村が編集発行する、月刊『平民新聞』創刊号が発行されたのは、十月十五日だった。

 しかし、即日発禁になり、この日の正午、印刷所から持ち運ばれるや否や直ちに全部を押収された。

 全紙面が安寧秩序に有害だというのが発禁の理由だった。

 起訴はせず、印刷直後に発禁、押収して経済的に追いつめるのが官憲の手口だった。

 野枝は『青鞜』で果敢に官憲の批判をした。

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 大杉荒畑両氏の平民新聞が出るか出ないうちに発売禁止になりました。

 あの十頁の紙にどれ丈けの尊いものが費やされてあるかを思ひますと涙せずにはゐられません……。

 ふとして私は新聞を読むことが出来ました。

 ……書かれた事は主として労働者の自覚についてヾある。

 私は書かれた理屈が労働者ばかりについてヾなくすべての人の上に云はるべきものであると思ふ。

 そしてそれが労働者についてのみ云はるゝときに限って何故所謂その筋の忌憚にふれるのか怪しまないではゐられない。

 私は此処に出来ることならその一部丈けでも紹介したいけれどもあの十頁すべてが忌憚に触れたのださうだ。

 だからまた転載した罪をもつて傍杖(そばづえ)でも食ふやうな事になると折角私が骨を折つて働いたのが無駄になるから止めと置く。

 けれども大杉荒畑両氏にも心から同情いたします。


(「編輯室より」/『青鞜』1914四年11月号・第4巻第10号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p131)





 大杉は野枝のこの文章を心からありがたいと思った。

 そして大杉は『平民新聞』十一月号・第二号の「発売禁止の反響」の中にこれを転載するようにと、荒畑に言った。

 荒畑はいわゆる「新しい女」に妙に反感を持っていたが、すぐにこう書いた。


 「凡ての新聞雑誌が大隈内閣の言論圧迫に満足して、本誌の発売禁止に関しては全く口を噤み、本誌の存在すら黙殺しつゝある時、青鞜誌上に独りこの文を見るは、吾々の寧ろ意外とする処である」

(『青鞜』1914年11月号・第4巻第10号「編輯室より」解題/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p462)


 しかし、『平民新聞』は第二号も発禁になった。





 らいてうによれば、野枝がらいてうに宛てた手紙には、こんな主旨のことが書かれていたという。


 自分がつくった雑誌があまり不出来なので、自分にあいそがつきた、出来るなら十二月号の編集はお断りしたい。

 尤もこの仕事が自分の生活とピッタリくっついてしまえばいいのだが、あなたの代理としてやるのはやりにくくて困る。

 もしあなたが『青鞜』の編集、経営のすべてを私共の手に委して下されば、もう一度覚悟し直して、辻と一緒に出来るだけやってみてもいいと思う。

 この際、むしろ、思いきって、『青鞜』をあなたの個人誌としてあなたの生活と仕事を統一して再出発されるがいいと思う。

 とにかく冷静なあなたの判断を待ちます。

 そのうちには、私の考え方もちがってくるかもしれません。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p550)





 野枝はらいてうに宛てた手紙について、こう書いている


 十一月号の編輯をしてゐる間に私はいろいろなことを考へました。

 私は充分に働かうといたしましたけれど家のことや子供に大部分の時間をそがれてどうしても思ふやうに動けませんでした。

 そうして遅れながら雑誌が出来上つたとき私は私の仕事の間抜さ加減がいやになつて仕舞ひました。

 そのみすぼらしさがかなしくなりました。

 私は何を考えるひまもなく直ぐに御宿の平塚氏の処へ長い手紙を書きました。

 それは重(おも)に雑誌が不出来なこと…こんな事では駄目だから十二月号の編輯もお断はりしたいと云ふこと……。

 それから……思ひきつて平塚氏に雑誌をすつかりあなたのものにして……経営なすつたらどうでせう。

 私はそれが一番最上の方法だと思ひます。

 けれども……続けていゆく上にあなたが真実に苦痛をお感じになれば……私に全責任を負はして頂いて私の仕事としてもよろしう御座います。

 然し今のやうな状態では……私のやつてゐることがどつちつかずで……あなたに対する心づかいが私自身を不快にしていけませんからとても十二月号は出来さうもありません。

 と云ふやうなことを書き送りました。


(「『青鞜』を引き継ぐに就いて」/『青鞜』1915年1月号・第5巻第1号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p151)






 野枝の手紙の内容はかなり錯綜していたが、らいてうは野枝に返事を書いた。


 十二月号は、あなたが一たん引受けたことであり、とにかく今のままでやって下さい。

 無理なことはよくわかっています。

 これからのことは今考えています。

 わたくしの考えがまとまるまでしばらく待って下さい。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p550)





 らいてうは『青鞜』を出し続けることに伴う雑事に振り回されることが苦痛だった。

『青鞜』以外の雑誌に原稿を書いて、原稿料を稼ぐ必要にも迫られていた。

 らいてうは奥村とふたりで勉強したり、原稿を書いたりという自由な生活を望んでいたので、『青鞜』はここできれいに廃刊すべきだと考えた。

 しかし、苦労して育ててきた雑誌の未来を、自分ひとりの考えで断つのも残念に思われたので、ともかく、らいてうは野枝に会いよく話してみようと思った。

 らいてうから返事を受け取った野枝は、十二月号はいったん引き受けた仕事なので編集作業にとりかかることにしたが、次第に『青鞜』の仕事を自分が引き受けてもよいと考えるようになった。

 そして、らいてうに第二信を書いた。


 私はこれから十年ひとりで忙しい思ひをした処でまだ三十だ。

 まとまつた勉強はそれからで沢山だ。

 十年のうちには少しは手伝ひをしてくれる人位は出さうに思はれます。

 そう思つて私は私の仕事にしてやつて見る気になりました。


 ……私は私の心持をありのまゝに書きました。

 ……私はいろいろな誤解をのぞく為めすべての責任は私が背負ひます。

 ただ署名人にかゝるやうなことは決していたしませんから署名人にはあなたになつて頂きたいと云ふことを書きました。


(「『青鞜』を引き継ぐに就いて」/『青鞜』1915年1月号・第5巻第1号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p152)




★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index






posted by kazuhikotsurushi2 at 14:57| 本文

第123回 人間問題






文●ツルシカズヒコ




 一九一四(大正三)年十月に奥村と千葉県の御宿に行ったらいてうは、当初、上野屋という旅館に宿泊していたが、しばらくして漁師の家の広い部屋を借りた。

 野枝が書いた『青鞜』十二月号(第四巻第十一号)「編輯室より」(『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)によれば、らいてうが滞在した漁師の家は「千葉県御宿村須賀、長尾浅吉方」である。

 らいてうは御宿海岸が気に入った。


 つよい日の光を反射して白く見える大きな砂丘が、波浪のような豊かな曲線をえがいていくつもつづき、その面に、雲が紫色のかげを大きく落としてゆっくり流れてゆきます。

 砂丘と砂丘の間に坐っていると、まるで砂漠のなかにひとりいるような孤独感が迫ってきます。

 でも足もとを見れば、菊のようで、もっと花びらの厚ぼったい黄色い花が、日をうけて、逞しく金のように光ってあちこちに咲いていますし、遠くには、青草をはむ牛の姿ものんびりと目に映ります。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p547)

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『青鞜』にはこんな文章を寄稿している。


  野枝さん、

 何か書いて御送りしたいと思つて……原稿紙をもち出して浜に出て来た処です。

 まだ五日ばかりですが私の皮膚はもう大分黒くなりました。

 それもその筈です、かうして殆ど終日浜にゐて、海や山や雲を見ながら日なたぼつこをしてゐるのですもの。

 先刻(さつき)から真裸(まつぱだか)な浜の子が二三人私のまはりに突つ立つて、不思議さうに私の書いてゐるのをしばらく見守つて居ました……。

 ……白い蝶々が二つもつれながら飛んで来ました。

 そして今、私のペンの先で戯れて居ます。

 波の音は静かに、そしてリズミカルに寄せては退き寄せては退きして居ます。

 どうしてこの地球上に今大戦争が起りつゝあるといふやうなことが信じられませう。

 号外の呼声もあの鈴の音も私にはもうあんまり遠ひことのやうに思はれますもの。


(平塚らいてう「御宿より」/『青鞜』1914年11月号・第4巻第10号_p50~52)





 このらいてうの滞在先に、野枝から『青鞜』十一月号と厚い手紙が届いた。

 野枝は『青鞜』同号に以下の原稿を書いている。

 ●「人間と云ふ意識」

 岩野清「個人主義と家庭」(『青鞜』第四巻第九号)を読んだ、野枝の論考である。

 自分の家族とのしがらみを断ち切り婚家から出奔した野枝だったが、辻家の姑、小姑との関係が深刻になってきたことによる葛藤が書かれている。

 注目すべきは、野枝の思考に「社会問題」という視点が入り込んできたことである。


 私は今こそ本当に直接にヒタと本当の問題に出会(でく)はした。

 それは社会と云ふ大きなものに包まれたいろ/\なものについての疑問である。

 それは痛切な私の問題である。

 それは無論他人の問題をも含んでゐるに違ひない。

 一人の私が直接した問題であり数万数億の人の面前に迫つてゐる問題である。

 そうして私は真実に自分の孤独と云ふことが今迄考へてゐたやうに狭くも何ともないことを発見した。

 その孤独は自分一人丈けの孤独でなくあらゆる人をとり巻いてゐる孤独であつた。

 もつと広い深いものであつた。

 あらゆる事物を包含した偉大な孤独であつた。

 私の今迄の考へはあまりに狭く小さかった。

 私は今迄足元ばかりを見詰めてゐた。

 漸く私は人達の所謂社会問題を自分の問題として考へることが出来るやうになつた。

小さな私の問題が拡がつた。

そして深い根ざしをもつた。


(『青鞜』1914年11月号・第4巻第10号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p125~126)





 ●「松本悟郎氏に答ふ」(※「悟郎」は「悟朗」の誤記)

『第三帝国』(第二十二号・十月二十五日)に掲載された、松本悟朗「青鞜社同人に与ふ」に答えたもの。

 野枝は社会問題について、こんな発言をしている。


 ……それが自分の生活に関はつて来る時にはじめて問題になるのです。

 ……私にとっては何をするのにも自分の要求から出たことでなくては満足が出来ません。

 自分の本来の心からでたことと他動的な事との差はその熱情の点に於てまた力の点に於て、忍耐の点に於て大きな懸隔があるとはお思ひにはなりませんか、所謂社会の為めの社会改良と自分の為めの社会改良……その差は殊によくわかります。


(『青鞜』1914年11月号・第4巻第10号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p127~128)


 そして、野枝は今後、自分がどこへ向かっていこうとしているのか、その回答をした。


 先づ根本から改革してゆかなければ何の効果もありません。

 婦人問題と云ふよりも私はまだ人間問題だと思ひます。

 私の漸く社会と云ふものに向つてあいて来た目に、久しい以前から私の心の隅にちヾこまつてゐたものと一緒に個人主義を根底としたアナーキズムに向つてあるものをもとめやうとしてゐます。


(『青鞜』1914年11月号・第4巻第10号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p129)






『青鞜』の業務をひとりでこなさなければならなかった野枝は、その大変さをこう書いている。


 私はすつかりまごついてしまつた。

 相談する人もいない。

 加勢を頼む人もいない。

 こんな時に哥津ちやんでもゐてくれるとなど愚痴つぽいことも考へる。

 広告をとりにゆく、原稿をえらぶ、印刷所にゆく、紙屋にゆく、そうして外出しつけない私はつかれきつて帰つて来る、お腹をすかした子供が待つてゐる、机の上には食ふ為めの無味な仕事がまつてゐる。

 ひまひまを見ては洗濯もせねばならず食事のことも考へねばならず、校正も来ると云ふ有様、本当にまごついてしまつた。

 その上に印刷所の引越しがあるし雑誌はすつかり後れそうになつてしまつた。

 広告は一つも貰へないで嘲笑や侮蔑は沢山貰つた。

 私はすべてのことを投げ出したくなつてしまつた。

 そんな訳なのでこの号は本当に間がぬけて手落ちがあるけれどこの号丈けはどなたもがまんして頂きたい。


(「編輯室より」/『青鞜』1914年11月号・第4巻第10号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p130)




★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 14:05| 本文

2016年04月25日

第122回 根本の問題






文●ツルシカズヒコ



 野枝の胸中に今まで抑えに抑えていた辻に対する微細な不満が、頭をそろえて湧き上がってきた。

 野枝が言いたいことを言い、したいことをすれば、家の中の人たちの不平や不満は、どれもこれも辻に向かうに決まっていた。

 野枝はそういう経験をいくつもしてきた。

 それを繰り返すのが嫌なので、辻から穏やかに話して欲しかった。

 野枝が苦しんでいるのを知らないわけでもないのだし、そのくらいの話を義母や義妹にしてくれるのは当然だと野枝は思っていた。

 辻は妻のそういう心持ちを知ってか知らずか、素気なく突き放した。

 彼はしたいことがあれば、言いたいことがあれば、勝手に自分でしろと言った。

 彼はいつも何に対しても、そう主張する。

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 だから、辻と話しても無駄であり、自分で解決するよりは仕方がない。

 辻は日常に起こる些細な交渉に対してすら、できるだけ避けたがっていた。


『面倒くさい、いゝ加減にやつてくれ』

 さう云つて大抵の事は、逸子や母親にまかしてゐた。

或場合には、面倒くさい事以上の不快や損が、その結果の上に表はれて来る事が当然に解つてゐてさへ、矢張り彼は、そのまゝ其処に座りきつきりにしてゐた。

『お前は懐手をしながら勝手なことばかし云つてゐるんだもの、ちつとは、自分で手を出して御覧、それで世間が通つてゆくものだかどうか。』

 母親も時々は、彼のさうした態度に怒つて云つた。

『俺は世間なんか相手にしやうと思はないよ』

『さうはいきませんよ、そんなに威張つてお前、ちつとも威張る丈けの事をしないぢやないか、お前がそんな勝手な太平楽を並べるのだつて、皆世間へ向つては私たちが代りをしてやつてるからぢやないか』


「惑い」/『新日本』1918年10月号・第8巻10号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p316~317/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p290)


 辻はコンヴェンショナルに対する野枝の遠慮や気兼ねを叱っているのかもしれないと思ったこともあるが、実際は妻と家の人たちとの間の面倒ごとに入って話をするのが煩わしいだけなのだーーそう考えて、野枝はまた彼に対する腹立たしさを呼び戻すのであった。





 野枝の苦しみの原因は、一緒の家にいて始終顔を見合わせているから問題になるような、些細なことばかりだった。

 そういう家庭内の些事(さじ)に煩わされ、自分のしたいことをやれずに苦しむことが、野枝にはつくづく馬鹿馬鹿しいこととしか思えなかった。

 けれど、家族の他の人々にとっては、そんな些事が一大問題になるのだった。

 そして野枝がそうした些事にインデイファレントであれば、辻にはそのことがさらに大問題になる。

 そして、野枝もまたその問題から逃れられなくなる。

 些事とはいえ、それはやはり彼女の考えをすぐに擾(か)き乱してしまうだけの可能性は持っていた。

 辻も野枝もコンヴェンショナルなものに反抗心や憎悪を持っているのは、お互い理解している。

 けれど、辻はその反抗心や憎悪を直接それに向けず、できるだけ没交渉でありたいと願っている。

 その理由は到底、自分の力がまだ及ばないからだという。





 それなら諦めてそれに屈するからと言えば、憎悪は持ち続けているのだが、辻は憎悪をもって戦おうとはしない。

 辻についてここまで考えた野枝は、この問題は自分にとっても根本の問題であることに気づいた。

 野枝は辻の家族と一緒に暮らすようになって、習俗に対する反抗心や憎悪を隠して生きてきた、それは事実だ。

 しかし、隠すくらいなら捨ててしまう方がいい、でなければ堂々と主張すればいいのだ。

 後者を選択した場合、自分が辻の家族と暮らし続けることは、彼らとの軋轢が格段に増え、自分とは違って習俗や情実に従って生きている人を犠牲にしてしまう。


『どうしても、この家からは出なければならない。』

 逸子は、考へれば考へる程その覚悟を強いられた。

 出来る丈けの努力をして、家族の人達に対抗して、自分の考へを押し立てるとしても、かれ等の力も強い。

 その周辺の考へも後盾てになる。

 その上に、嫁と姑小姑と云ふ悪い概念を持つた関係にある。

 それ等のいろんな事から云つて、この争ひは何時まで続くかしれない。

 その位なら、もつと根本的なものに迫つてゆく、大きな広い闘争の仲間入りをした方がどの位いゝかしれない。

 効果の上から云つても、自分の気持ちの上から云つても、大変なちがひだ。

 少々の批難位はなんでもない、

『出よう、出よう、自分の道を他人の為に遮ぎられてはならない。』


「惑い」/『新日本』1918年10月号・第8巻10号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p324~325/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p294~295)





 野枝の考えはひとつのところばかりに帰って来るーー。

 現在の人間生活のすべてに不自由と不合理が当然なものとしてついて廻っているのだ。

 それに立ち向かおうとすれば、ただ初めから終りまで苦しまなければないない。

 諦めてとうてい及ばないとして見逃してしまうか、苦しみの中にもっと進み入るか……。
 
 野枝はそこまで決心がつくと、そのテキパキした考えに対する自信がさらにまたその決心を強めた。

 場合によっては辻と絶縁をしてもいい、そして学生時代に帰って勉強しようと思った。

 子供は野枝が連れて出るしかないが、それは子供をそう不幸にはしないとも思えた。

 考えの整理がつき頭がスッキリした野枝は、家の日課を滞りなく果たしながら、具体的な計画について二日ばかりは熱心に考え続けた。

 今の平穏な空気を故意に乱すでもあるまいと、腹の決まった野枝はそのままそっとして機会を待った。

 毎日、気持ちのいい秋晴れが続いた。

 野枝は朝から忙しく洗濯や掃除に立ち働いて、折々は子供の相手になってやりながら、呑気らしく子守歌を歌ったりした。

 夜は疲れた体を横にすると、そのままぐっすりと眠りこんだ。

 子供も秋風に肌心地がよくなると、目に見えておとなしくなった。

 四、五日すると母親は陽気な笑顔を見せて帰って来た。





 家の中には隅々まで和(やわ)らかな気分が広がつてゐて、逸子のねらつてゐるやうな、険悪な機会は、何処にも潜んではゐなかつた。

 一度は確つかりと考へ固めた彼女の決心が、知らず/\の間に、ほぐれ始めた。

 けれど逸子は、そんな事にはふり向きもせずに、一日々々と近づいて来る冬仕度についての、考への方が、遥かに大事な事でゝもあるやうに一生懸命に、あれ、これと、考へては手を下ろして行つた。

 日が傾いて、よく乾いた洗濯物を腕一杯に抱へて、家の中に這入つて来る彼女の顔には、何の不満らしい曇りもなく、疲労に汗ばんではゐても晴れやかな眼をして子供をあやしたり、母親の話相手になつたりしてゐた。


「惑い」/『新日本』1918年10月号・第8巻10号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p327/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p296)




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 20:01| 本文

第121回 小石川植物園






文●ツルシカズヒコ



 野枝が西原から金策をしてきた日の翌朝。

 辻も野枝も義母の美津も、それぞれに不機嫌だった。

 野枝は朝の仕事をひととおりしてしまうと、机の前に座って子供の相手をしながら読書を始めた。

 野枝にとって読書が最も寛(くつろ)げるときだった。

 書物に引きつけられた母親に物足りなくなった子供が、いつのまにか茶の間の方に逼(は)って行った。

「坊や、おとなしいね、母ちゃんは何してるの。また御本かい、本当に仕様のないお守りさんだね。昼日中、子持ちが机の前で本を読んでいるなんて、とんでもない話だ。することは後から後からといくらでもありますって、坊やそうお言い。あんまりお呑気がすぎますよ」

 野枝は頓着なしに、そのまま強情に机の前から離れないでいた。

 遅く目を覚ました辻は、ひとりで朝食をすませ、しばらく縁側にしゃがんでいた。

 ふと野枝の方に向いた辻は、

「お前の方ではどうにかならないかい」

 と、できるだけ平気な顔で聞いた。

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『駄目ですよ、あなたはまた他人に押しつける気でゐるんですね。偶(たま)にはひとをあてにせずに何とかしなさいね、あんまりだわ』

 逸子はプン/\しながら隣室にも聞こえるやうな声で冷たく云ひ放つた。

『何て意気地のない男だらう』

 さう云ふ考へが何の前置きもなく、今、かつとした気持の後から浮んで来ると、何時か書物に向けた注意は離れて仕舞つた。

 心の底からこみ上て来る忌々(いまいま)しさを耐へかねて、彼女は書物を伏せると一刻も家にぢつとしてゐられないやうな気持ちで一杯になつた。

 帯をしめ直して子供を抱いて立ち上ると、そのまゝツカ/\玄関まで出たが、思ひ返して懐から財布を出すと子供を其処に待たしておいて幾枚かの紙幣を机の上に置いて後もふり向かずに出て行つた。


「惑い」/『新日本』1918年10月号・第8巻10号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p309~310/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p286)





 野枝と子供が小石川植物園で散々遊び疲れて帰ったのは、もう日暮れに近い時分だった。

 野枝が予期したとおりに、美津の姿はもう見えなかつた。

 辻は陰欝な顔をして庭先に突っ立っていた。

 それを見ると、野枝の気持ちは急に暗いところに引き込まれるように沈んだ。

「ああ、つまらない!」

 野枝はもう何もかも投げ出してしまいたいような、やるせなさを感じて焦(じ)り焦りした。

 彼女は子供にまで遣り場のない気持ちを当たり散しながら、すぐに可哀そうになって一緒に泣き出しそうになったりした。

 夕飯がすむと、疲れた子供と一緒になってうつらうつらしているうちに眠ってしまった。

 二時間ほどの眠りから醒めた野枝のぼっとした頭の隅の方から、昼間の不快さがもたげ始めた。

 彼女は体を起こし衣紋(えもん)を直しながら、もう昨日からのことについては何も考えまいと思い、茶の間に入りお茶を飲んだ。

 そして壊れかかったた髪のピンをさし直したりして、ようやく机の前に座った。

 野枝は昼間に伏せたままの書物を開いて読み始めたが、先刻の眠りで疲れた頭はもうすっかり緩みかけていて、読んでいる文字はなんの意味もなさずに、バラバラに眼に映るだけだった。

 その気持ちのうつろな隙を狙って、考えまい考えまいとしていることがチョイチョイと頭をもたげ出す。

「なぜ、こうなのだろう……」

 とうとう野枝は机の上から眼を離すと、いろいろな考えが一度に押し寄せてきた。

「あの金にどんな顔をして手を触れたろう?」
 
 そんなことをまず思い、あの人は自分では決して嫌なことをしないですますことばかり考えている、意気地がないというよりは横着で手前勝手な人間のように、野枝には思えてくるのだった。





『何んだ、まだこれを読んでしまはないのか、こんなものに幾日かゝるんだ?』

 谷は逸子の机の傍に座ると直ぐ、書物の頁を返しながら云つた。

『毎日々々、用にばかり追はれてゐて、読む事も何も出来るもんですか、あなたとは違ひますよ』

 今が今まで考へてゐた、谷に対する感情をそのまゝむき出しに。弾き返すやうに云つて逸子は口を一文字に引き結んで黙つた。

 思ひがけないやうな返事に出遭つた谷はムツとしたやうに後の言葉をそのまゝ引つこめて暫く無言でゐたが、やがて穏やかな調子になりながら話かけた。

『そんなに、用と云ふ用を皆んな、お前がしなくつても済むだらう? いちんちあくせくして騒がないで、何とかもう少し時間の出るやうな工夫をすればいゝじゃないか』

『そんな事は、今更あなたの指図を受ける迄もないんですけれど、そんな事とても駄目です』

『何故だい、家の中の用はお糸だつて、お母さんだって、やれない事はないんだし、骨の折れないものを読む位の事は、守りをしながらでも出来るだらう? 夜だつ、かうして相応に時間はあるぢやないか』

『さう、はたで見てゐるやうなものぢやありませんよ。どうして、皆書物をよむのは無駄話をするよりもぜいたくな道楽だ位にしか思つてはゐないんですもの。その為めに時間を拵(こしら)へるなんて、飛んでもない事ですわ、少しばかり時間を見出したつて何の役にも立ちやしない。夜は夜で疲れてしまつてとても駄目です。こんなぢや、私もうどうなるか分りやしない。皆はずん/\勉強してゐるのに、私ひとりは取り残されてゆくんだわ』


「惑い」/『新日本』1918年10月号・第8巻10号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p312~313/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p288)





「まさか道楽だとも思ってやすまい」

「思ってやすまいって、今朝だって、あんなに言っていたのがわらないんですか」

「そんなら、黙っていないで、道楽でないとよく話してやればいいじゃないか。黙っていたんじゃ、いつまでたってもわかりはしないよ」

「そう思うんなら、あなたが話して下さいな。私じゃ駄目なんですから」

「自分のことは自分で話せばいいじゃないか、なぜ駄目なんだい?」

「私が言ったんじゃ変に取られるばかりです。あたり前のことだって、あの人たちにゃ、何ひとつ、私の口からは言えないんですよ」

「そんな馬鹿なことがあるもんか。それはお前の余計なひがみだ。言わないでいるだけ、自分の損じゃないか。言いたいことはずんずん言い、したいことはどしどしかまわずするさ。下らない遠慮をしているから馬鹿をみるのさ」

「私とあの人たちの間と、あなたとあの人たちの間は別ですよ。ひがむわけじゃありませんけれど、あなたが言いたいことを言ったり、したいことをして、たとえ一時は怒ったり怒られたりしたって、その場きりですみますけど、私じゃそうはゆかないんです。あたり前なことひとつ言っても、十日も廿日も不快な顔ばかりしていられたり、辛らいことを聞かされるのじゃ、やりきれませんからねえ」

「じゃ仕方がない、どうともお前のいいようにするさ」

 辻はそう言ったままプイと立って行った。

 同時に野枝の頭の中では、彼の冷淡な思いやりのなさへの怒りが、火のやうに一時に炎(も)え上がった。




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




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第120回 毒口






文●ツルシカズヒコ



「お前さんも、あんまり呑気だよ。用達しに行ったとき、遊びにいったときとは違うからね。子供を他人に預けてゆきながら、いつまでもよそにお尻をすえていられたんじゃ、預かった方は大迷惑だよ。もう少し大きくなれば、どうにか誤魔化しもきくけれど、今じゃ一時だって他の者じゃ駄目なんだからね、そのつもりでいてもらわなくちゃ」

 ただ美津の不機嫌な顔を見るのが嫌なばかりに、ようやくの思いで金をもらいに行き、どうにか持って帰って、まだ座りもしない前からいきなり、そうした言葉を美津に投げつけられ、野枝は心外ともなんとも言いようのない口惜しい腹立たしい気持ちでいっぱいになった。

 一時間や二時間くらいかかるのは初めからわかりきっているのだし、場合によっては、もつと延びるくらいのことは考えてくれてもよさそうなのに……。

 こんなことなら少々不機嫌でいられても、行かなければよかったとさえ野枝は思った。

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 野枝はこの上いやな言葉は聞きたくなかったので、

「どうもすみません」

 と簡単に言ったきり、子供を抱いて次の間に入った。

 美津の気持ちはいつまでたっても直らないと見えて、耳を覆いたいような毒口が後を追っかけて来た。

 とうとう野枝もたまらなくなって言った。


『彼処(あそこ)まで、行つて帰るだけだつて二時間はかゝります。私だつて用足しに行つて、無駄な時間なんぞ呑気につぶしてやしませんよ。頼まれたつて落ちついてなんかゐられやしません。用の都合で一時間や二時間遅れる位の事はあたり前だと思つて行かなくつちや。さう用を足しに出る度に一々小言を言はれたり、当たられたりしちやたまりませんわ、好きで出てる訳ぢやないんですからね』

『あたりまへさ、好きで出られてたまるもんかね』


「惑い」/『新日本』1918年10月号・第8巻10号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p304/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p283~284)


 野枝はそのまま黙ってしまった。

 普段、耐えている言いたいことのありったけがこみ上げて来るのをじっと抑えて、無心に乳房に吸ひついている子供を抱きしめながら、

「もう、あんなこと言われて金なんか出すものか」

 と思い、机の上の財布に目をやった。

 その中には義母の必要を充分にする金額の三、四倍もの金が入っていた。





 先刻まではその金でどんな嫌な思いをしたにしろ、もう自分の手で自由に使うことのできる金だと思うと、強い口をきいている美津に対して、なんとなく皮肉な嘲笑を投げたくなるのだった。

「いくらでも、なんとでも言うがいい。そのくらい言えば、金をくれとはまさかに言えまい」
 
 意地の悪い野枝の考えは、それからそれへと募っていき、もう少しなんとか言いたいことを言って、この金でどこか旅行でもしてこようかしら、それとももうこのままこんな煩さい家は出てしまおうか。

 そんなことまで野枝は考えていた。

 辻は朝出かけたままで、夕飯過ぎまで帰らなかった。

 美津と野枝はふたりとも意地悪く黙りこくって、いつまでも不機嫌な顔をし合っていた。

 夜になると野枝は子供を早く寝かして、そのまま机の前に座って、四、五日も前から半ば読んでそのままになっている書物を開いた。

 座ると不思議に険しい気持が去ってゆったりと落ちついた気分になり、久しぶりでしみじみと、書物に対することができたような快さを感じた。





 夜もふけてから、辻はぼんやり帰って来た。

 美津はまだ茶の間で、彼の帰りを待っているらしかった。

 野枝は帰って来た辻の顔をちょっと見ただけで、そしらぬ顔で書物に目を落とした。

 辻はさっさと茶の間に入っていった。


『何処を歩いてたの今時分まで』

「彼方此方(あちこちさ)さ』

『それで、何とか出来たかえ』

『駄目だ』

『それぢや困るぢやないか、お前は本当にどうしてさうなんだらうね。あんまり意気地がなさすぎるぢやないか、たんとのお金でもないのに。』

『明日どうかするよ』

『明日ぢや間に合ひはしませんよ』

『ぢや仕方がないや』

『仕方がないつて、それぢや済みませんよ、だから、朝もあんなに念を押しといたんだのに、お前のやうに当てにならない人間はありやしない。』

『だつていくら念を押したつて間に合はないものは仕様がないや、それよりはお茶を一杯おくれよ』

『お前はそれで済ましてゆけるけれど、お母さんは困つて仕舞ふぢやないか、お前が何時までも、さうやつて意気地なくのらくらしてゐるから、何だつて彼だつて皆家の中の事に順序がなくなつて仕舞うぢやないか、お前が第一確(し)つかりしてゐないからこの年になつて、嫁にまで馬鹿にされるのだよ、自分さへのんきにしてゐれば、他人はどうでも構まわない気かもしれないけれど、そうはなか/\ゆきませんよ』


「惑い」/『新日本』1918年10月号・第8巻10号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p306~307/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p285)





 美津は今までひとりで長いこと考えためていたことを、また片っぱしから辻の前に並べようとしていた。

 だが、それはやはり今朝、散々並べたてた愚痴となんの違いもなかった。

 けれどやがて、なにをどう言っても平気な顔で聞いているのかいないのかわらないやうな辻の態度に、なんの手応えも感じなくなった美津は独り言のような調子から涙声になって黙ってしまった。

 野枝は同じ愚痴を聞きたくもないと思いながら、どうしてもそれが耳について、いったんそこに向いた注意がどうしても、書物の上に帰って来なかった。

 野枝の固く閉じた先刻の気持ちは、どこまでも開かないで遠い冷たい気持ちで次の間の話を聞いていた。

 野枝の心の奥底の方のどこかでは、いい気味だというような笑いさえ浮べているのであった。






★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




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第119回 自己嫌悪






文●ツルシカズヒコ



「ああ、またどうしても行かなければならないのか……」

 上野高女五年時のクラス担任だった西原和治の家を訪れると、いつも西原は野枝が黙っていても察して金を出してくれるが、そういう用事で西原に会わなければならないことが、野枝はたまらなく苦痛だった。

 辻は口もきかずにブラリと家から出て行った。

 その後姿を見送りながら、野枝はまた西原のところへ行こうか行くまいかと迷っていた。

 美津がどうしても都合してくれという金が、そうまで必要な金でないことはわかっていた。

 神田へはいつものように知り合いの家で四、五日、呑気な日を送るために行くので、少々の手みやげを買う金や、小遣いや、雇人たちへのわずかな心づけが入用なのであった。

 野枝はそれよりもまだもっと苦しい必要に迫まられるときがあるのだと思うと、なるべくなら嫌な思いをして西原のところに行きたくはなかった。

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 けれど、明日にも美津がどうかして出かけようとしているのに、それが出かけられないとなると、またつまらない不快な愚痴や嫌味を聞かねばならない、それも苦しかった。

 野枝は辻がどうかしてくれるかもしれないとも思ってみたが、それは自分が嫌な思いをしないですましたいという願望であり、ああしてブラリと出かけたところで、金策に出かけたのではないことはよくわかっていた。

 辻も自分もまだ一人前の人間じゃない、自分たちの歩く道さえまだ定まってはいない。

 満足に食べていくことさえできないのだ。

 それだのに、子供を連れて、年老いた母親にすがられて、どう彷徨しなければならないのだろう?

 これから先、どんなに母親を苦しめ、自分たちも苦しまなければならないことか?

 考えつめていくと、野枝の目にはその将来の惨めさに対する涙がしみ出すのだった。

「このままでは仕方がない。どうにかしなければ……」

 現在の生活のどこかに間違いがあることに気づきながら、それから出ることができないのは、第一には野枝の辻に対する愛には別段なんの変化もないからである。

 しかし、彼との関係が断てない間は、彼を通じての間接の関係を奇麗に断ってしまえないことも事実だった。





 またもうひとつ、野枝にとって新たな絆を持った子供は離しがたいものであり、辻の係累にとってもそうだった。

 そうなると、辻と子供とに執着がある間は、野枝はこの不自由から逃がれることは到底できないのであった。

 といって、辻を棄て子供を棄てて、自分の自由を通すことができるかどうかーー野枝にとって、問題はまたいっそう大きくなってくるのだった。

 辻と別れることも、子供と別れることも、本当に自分の行くべき道の障碍となる場合には止むを得ないーー野枝はここまで考えてみた。

 しかし、それを実行に移せるか否かは、自分の本当の道に対する所信によって決せられることである。

 所信――それがまた、困難なひとつの考へごとだった。

 何かのきっかけから、野枝が一生懸命にそういふことを考えているうちに、時間はずんずん経っていった。

 そして、日が暮れ夜が明けると、先刻、あるいは昨日、ムキになって感じた不自由や不平や不満は、もうそれほど近くに迫ってはいないのだった。

 野枝の思考はそこで中断する。

 そして、また不平が頭をもたげ出すと、初めから考へ直していく。

 こうして、結局どうすることもできずに、引きずられて来た。

 野枝はその不甲斐なさをたまたま反省することがあっても、それは自分の力が及ばないような矛盾や不条理や運命だと、大ざっぱに諦めてしまうよりほかはなかった。





 野枝が西原のところを訪れると、西原は嫌な顔も見せずに金を都合してくれた。

 西原に金を都合してもらうたびに、野枝はまともに西原の顔を見ることができないような片身の狭い思いを募らせ、卑屈になっていくような自分に対する自己嫌悪が胸に迫ってきた。

 あれほど意地を張って今宿の両親と争ったのだって、こういう生活をするためではなかったのだ。

 本当に一生懸命に勉強して、並みの親がかりの女たちとは少しは違った道を歩いてみせるためだった。

 こうした暮らしをするくらいなら、あれほどの辛い思いをして両親に楯つくまでもなかったかもしれない。

 もしこれがありのままに国許にでも知れたら、どんなに非難を受けることだらう?

 野枝の気持は重く沈んでいった。

 今こうして、母親のために嫌な用事をたしに来ていても、細かな家内の人々の感情のいきさつまでは、なかなか他人には明かせなかった。

 西原がこうして、なんのいわれもない金を惜し気もなく野枝のために出してくれるのも、少しでも野枝を自由にしてやりたいためだった。

 けれど、野枝が苦労して金策をしてきても、家内の人たちにとって、それは極めて当然のことだった。

 といって、野枝はそういうことを明らさまに西原に告げることもできなかった。

 こうして顔を合わすたびに、西原は何も他のことは口にせずに、ただ野枝が家庭生活の中に引き込まれてしまうことだけを気づかってくれる。

 西原は今まで、野枝の行為に対して非難がましいことを言ったことは一度もなかった。

 いつでも黙って、見ていた。

 それだけ、野枝の方でも彼に対しては、いい加減な態度ではいられなかった。





 云ふがまゝに、嫌やな顔も見せずに、出してくれた金を受取ると逸子はほつとした。

『どうだい、少しは勉強するひまは出来るかい?』

 龍一は重い唇を動かしてきいた。

『駄目です。一日中、用事に遂(お)はれ通しですわ、これぢや仕様がないとおもつてゐるのですけれど』

『子供がゐちやそれもさうだらうが、他の人と違つて、あんたは何とかして勉強だけは続けなきやいけないよ……』

『えゝ』

『谷さんの仕事が、早く見つかるといゝね、そしたら、少しは楽になれるだらう。何しろ毎日の食ふことの心配からしなくちやならないやうぢや、なか/\落ちつく事も出来まいね』

『えゝ、これでその方の心配がなくなればずつと違いますわ、だけど彼の人も何時の事だかあてにはならないんですもの、私も、もう少し何とか考へなければならないと、おもつちやゐるんですけれど』

 彼女は、何時までも龍一と、そんな話をつゞけるのは、何んとなくだん/\に自分の肩身を狭めるやうな辛さを感じるので思ひ切つていとまを告げて帰つた。



「惑い」/『新日本』1918年10月号・第8巻10号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p300~303/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p281~283)




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




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第118回 義母






文●ツルシカズヒコ




 野枝は『新日本』一九一八(大正七)年十月号に「惑い」を寄稿している。

 創作のスタイルで書いているので仮名を使用しているが、「谷」は辻、「逸子」は野枝、「母親」は辻美津(ミツ)、乳飲み子である「子供」は一(まこと)である。

「谷が失職してからもう二年になる」とあるので、時の設定は一九一四(大正三)年である。

 辻一家はこの年(一九一四年)の夏に北豊島郡巣鴨町上駒込三二九番地から小石川区竹早町八二番地に引っ越したが、「逸子はつい二三ケ月前までゐた郊外の、殊更に澄み切つた秋の空気が、忘れられないのであつた」とあるので、季節は十月〜十一月ごろと推測できる。

「惑い」には家計のやりくりに苦しむ逸子に金銭援助をしてくれる「龍一」という人物が登場するが、堀切利高『野枝さんをさがして』は、この「龍一」のモデルは野枝の上野高女時代の恩師である西原和治だと推測している。

 以下、「惑い」に従って話を進めてみたい。

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 野枝は窓から真っ青な秋空を見上げながら、この日の朝に交わされた辻と義母・美津とのやりとりを思い浮かべた。

「本当にどうかしてもらわないじゃ困るよ、明日はぜひ神田の方に出かけなきゃならないんだからね」

 美津はそう言って、辻の生返事にしきりに念を押していた。

 といって、彼女が決して辻を当てにしているのではないことは、次の間で聞いている野枝にはよくわかっていた。

 そして、また苦しい金策をしなければならないのだなと思うと、野枝はなんとも言えない嫌な気持ちになった。

 月々の決まった入用の金にもこと欠いて苦しみ通しているのに、たとえわずか五円ばかりの金でも、きっと出来るという当ては、いつも馳け込む女学校時代の恩師である西原和治のところをおいて、他にはまるでなかった。

「なにも明日にかぎったことじゃないんだろう? 神田なら――」
 




 辻はいつものように、気のりのしない調子で相手になっていた。

「そんな呑気なこと言っちゃ困りますよ。もうこの間から行かなきゃならないはずのが、延び延びになってるんじゃないか。明日はどうしても行くはずにしてあるんですよ」

「金がないと行けないのかい?」

「あたり前ですよ、そんなこと」

「俺だって別に当てがあるわけじゃないんだから、きっと出来るかどうかわからないよ」

「それじゃ困るじゃないか。たまに頼むんだもの、なんとかしてくれたってよさそうなもんだね」

「だけどなにもそう、神田に行くのに大騒ぎすることはないじゃないか、たいした用があるんじゃなし、遊びに行くのに――」

「誰がわざわざ肩身の狭い思いをして、遊びになんか出かけるものか。お母さんはいくら落ちぶれても、長いつき合いの人たちに義理を欠くようなことをするのは御免ですよ。第一、お前の恥になるじゃないか」

「俺は恥になろうと何しようと、ちっともかまわないよ。お母さんももういい加減に、あんな下らない交際は止めてしまっちゃどうだい?」

「余計なお世話だよ、そんなことまでお前の指図を受けてたまるもんかね。それよりは少し自分のことでも考えてみるがいいや。なんだい本当に、親に散々苦労をさして、一人前になりながら、たった一人の親を楽にさすことも知らないで、大きな顔をおしでないよ。親を苦しめることばかりが能じゃないよ。いつまでもいつまでもブラブラしていて、世間の手前も恥ずかしい。私しゃお前のおかげでどこに行っても、肩身を狭めなきゃあならない。全体どんな了見でいるのか知らないが、親のことなんかどうなってもいいのかい。お母さんが行く先々で、お前のことをなんて言ってるか知ってるかい。そのうちにゃあ、少しはどうにかなると思うから口惜しい思いをしながらも耐えているものの――いつまでも呑気にしていられたんじゃあ、私の立つ瀬はありゃしない。よく考えて御覧、下らない奴からなんとかかんとか言われて、お前だってそれで済ましちゃいられまい。ワタシャそんな意気地なしには生みつけやしないよ」





「お母さんは生みつけない気でも、俺はこういう人間なんだよ。下らない奴の言うことなら、なにもいちいちと気にする必要はないじゃないか」

「下らない奴に言われないでも済むことを、いろいろ言われるから口惜しいんじゃないか。お前はかまわないだろうけれど、お母さんは嫌だよ」

「お母さんも随分わからないなあ。下らない、何も知らない奴に言われなくてもいいことを言われるのだから、何言われたってかまわないじゃないか。何が口惜しいんだい? 相手にならなきゃあいいじゃないか、すましておいでよ。だから下らない奴とのつき合いなんか、よせってんだよ」

「お前さんと私とは違うって言ってるじゃないか。お前さんはいくらでもすましておいでよ、ワタシャ嫌だよ」

「じゃ勝手にするさ」

「ああ、するとも。だからどうとも、もっと私の肩身の広いようにしておくれ」

「俺がそんなこと知るもんか」

「知らないとは言わさないよ。どうしてそんな口がきけるんだい! お母さんの肩身を狭くしたのはお前じゃないか」





「冗談云つちや困るよ。お母さんさえ馬鹿な真似をしなきやあ、何一つ不自由しないでも済むんじやないか。俺があたり前なら勉強ざかりを十年も棒にふつたんだってお母さんが無茶をやつたせいぢやないか! お母さんはもう若いときから、散々勝手な真似をして来たんぢやないか。俺だって偶(たま)にや自由な体にでもならなくつちややり切れるもんか。世間の奴らが何を云やがったって、俺は嫌な奴に頭を下げて少しばかりの金を貰ふよりは、少々食ふに困つたつて、かうやつてる方がいゝんだからそのつもりでゐてくれ。楽をしやと思ふなら俺の事なんか当てにしないでゐても貰ひたい」

「惑い」/『新日本』1918年10月号・第8巻10号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p281/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p271)


「まあ、本当に呆れた了見だね、お前はそれで済ます気でも、世間がそれじゃ通しませんよ。俺を当てにするなって、それじゃ誰を当てにすればいいんだい? 私ばかりじゃないよ。お前には子供もいるんですよ、子供はどうして育つんですよ、親や子供の面倒も見られないでどうするつもりなんだい。金もないくせに、一生懐手で通すなんてことができると思うのかねえ。そんな了見じゃ、これから先だってどんなひどい目に遇わされるか知れたもんじゃない。本当になんて言い草だい!年老(としと)った私がこれから先、幾年生き延びると思うの。明日にもどうかわからないものを捕へて、俺を当てにするななんてよく言えた。それじゃ、まるで死んでしまえって言うようなもんじゃないか。死ねならワタシャいつでも死んで見せるけれど、今までなんのために苦労して来たと思うのだい! まあそんなことを言っていいものかどうか、ようく考えてみるがいい」





 もう相手にはしないというように、辻は黙ってしまった。

 勢いこんだ美津の言葉もだんだんに愚痴っぽい調子になり、いつか震えるような涙声になって聞こえなくなった。

 野枝は黙って聞いていた。

 こうした機会に繰り返される義母の愚痴はいつも同じだった。

 野枝はそれを聞くのが堪らなく嫌だった。






★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★堀切利高編著『野枝さんをさがして 定本 伊藤野枝全集 補遺・資料・解説』(學藝書林・2013年5月29日)



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2016年04月24日

第117回 下田歌子






文●ツルシカズヒコ




 結局、『青鞜』の「三周年記念号」は十月号(第四巻第九号)になった。

 野枝は『青鞜』同号に「遺書の一部より」と「下田歌子女史へ」を書いている。

『定本 伊藤野枝全集 第二巻』の「解題」によれば、「下田歌子女史へ」は『新日本』九月号の「現代思想界の八先覚に与ふる公開状」に掲載されるはずだった。

「丁度新日本では戦争がはじまつて記事が輻輳(ふくそう)して困るから十月にまはすと云つて来た」(「下田歌子女史へ」本文はしがき/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)ので、原稿を返してもらい『青鞜』に掲載したのである。

「戦争」とは第一次世界大戦のことで、日本は第三回日英同盟協約により八月二十三日、ドイツ帝国へ宣戦布告し連合国の一員として参戦した。

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 下田歌子は明治天皇の皇后、美子(はるこ/昭憲皇太后)の寵愛を受け、伊藤博文の庇護もあり(伊藤の愛人だったと言われている)、華族女学校学監(後に学習院教授兼女学部長)を経て、自ら創設した実践女学校校長を務める女子教育界の女帝だった。

 英国の良妻賢母教育を視察するためロンドンに滞在中の一八九五(明治二十八)年五月、歌子はバッキンガム宮殿で十二単を着てヴィクトリア女王に謁見した。

 野枝はこの原稿を「嫌でたまらないものを二度も三度も催促をうけて無理な努力で書いた」(本文はしがき)のである。

 なぜなら、野枝は歌子にまったく興味がなかったからだ。

 それもそのはずだ。

 一八五四(安政元)年生まれの歌子は、野枝より四十歳以上も年長の天皇崇拝者である。

 しかし、野枝は実際に歌子に面会して、原稿を書いてみようと思い、面会を申し入れる葉書を書いた。

 その理由をこう書いている。


 私は棚橋絢子(たなはし・あやこ)とか跡見花蹊(あとみ・かけい)とか云ふ人たちがあなたのお仲間であるかないか知りませんがおなじに並んでゐらつしやるあのお婆さん達なら実際てんからそんなはがき処か書くことをうけ合ひはしません。

 けれどもあなたはあの人たちよりもいろんな意味から所謂(いわゆる)「えたいの知れない人」であることが私の注意を少し引きました。


(「下田歌子女史へ」/『青鞜』1914年10月号・第4巻第9号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p115)


 歌子からの返信はなかった。

 しかし、野枝にとって天皇を崇拝する国家主義者である歌子は、あまりに思考がかけ離れ過ぎて批判の対象にはなりえなかったが、野枝は野望に向かって自力で道を切り拓いてきた、「一筋縄ではいかない女」であり「肝っ玉の座り処のある」歌子の「才能」を認めている。





 野枝は『廿世紀』十月号「女と男の戦」特集に「喧嘩両成敗」を書いた。

 野枝はエマ・ゴールドマンの言葉を引用している。


 私は男と女が半分づゝ持寄つて合はせたものが完全な一つの世界であることを信ずる。

 私の敬愛するゴルドマンはその両性の関係について「両性関係の真意義は征服者被征服者と云ふが如き関係を許さない……」と云つた。

 ノラが家出をしたことは妻であり母であることをいとふたのではなくて、「八年間見ず知らずの他人と同棲して子供を生んだと云ふことに気がついたからだ。二人のあかの他人が一生の親密の関係を造ると云ふより以上に陋劣な堕落したことがあり得やうか」とゴルドマンは云つた。


(「喧嘩両成敗」/『廿世紀』1914年10月号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p119~121)

 ノラの下りの原文は以下である。

Nora leaves her husband, not − as the stupid critic would have it − because she is tired of her responsibilities or feels the need of woman’s rights, but because she has come to know that for eight years she had lived with a stranger and borne him children. Can there be any thing more humiliating, more degrading than a life long proximity between two strangers?

(「Marriage and Love」/Emma Goldman『Anarchism and Other Essays』)





『青鞜』十月号の編集を終えたらいてうは十月十二日、奥村と一緒に千葉県の御宿海岸に旅立った。

 らいてうは『現代と婦人生活』という本を日月社から上梓し、その稿料の一部を印刷所への支払いの一部にあて、その残りを御宿滞在費にあてた。

 らいてうは留守中のことは、すべて野枝に頼んだ。

 岩野清子はこの年の二月に男児の母になっていたし、保持も哥津も既婚者になっていた。

 らいてうが頼れるのは、野枝しかいなかった。


 十一月号と十二月号の編集のことも、野枝さんに無理とは思いながら押しつけたのでした。

 ……わたくしにとっては、身近な野枝さんが、いまは一番たよりになる存在なのでした。

 赤ちゃんをかかえて、人一倍忙しい野枝さんですけれど、若さのあふれた笑顔で、「お留守の間のことは引受けます。辻にも手伝ってもらいますから……」と、旅に出るわたくしを励ましてくれるのをほんとうにうれしく思いました。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p546~547)

 
 野枝はこう記している。


 永い間不如意な経済の遣繰りや方々の書店との交渉やそれからまだ外の細々とした面倒な仕事と雑誌編輯で疲れ切つたらいてう氏は十月十二日に千葉県の御宿村へ行つた。

 後に残された私はそれ等の仕事をすつかりしなければならなかつた。

 二ケ月位はどんな苦しいことでも忍ぶ義務があるとらいてう氏は十一日に私が社に行つたときに笑ひ笑ひ云つた。

 私も苦しむでも仕方がないと思つた。


(「編輯室より」/『青鞜』1914年11月号・第4巻第10号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p130)




★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)




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第116回 世界大戦






文●ツルシカズヒコ



 一九一四(大正三)年、九月。

 創刊「三周年記念号」になるはずだった『青鞜』九月号は、休刊になった。

『青鞜』の一切の仕事をひとりで背負うことになったらいてうは、疲れていた。

 部数も東雲堂書店時代を頂点に下り坂に向かう一方だった。

 堀場清子は『青鞜』の部数減と第一次世界大戦との因果関係を指摘している。

 
 一九一〇年に始まった“女の時代”に、終りが来ていた。

 それは“青鞜の時代”の終りをも意味する。

 戦争が起れば窒息させられ、平和が蘇えれば息を吹きかえすーー女性解放運動の鉄則に添った現象が、この時はじめて日本社会にも生起していた。


(堀場清子『青鞜の時代ーー平塚らいてうと新しい女たち』_p219)

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 山川菊栄は第一次世界大戦について、後年こう回想している。


 大正三(一九一四)年の夏、七・八月の交、ジッとしていてもあぶら汗のにじみ出るような暑い、暑い日でした。

 私は庭に向かった風通しのいい茶の間で、新聞をひろげて外電の大きな活字にくい入るように見入っていました。

 すると頭のうえで父の声がしました。

「たいへんなことになるぞ、これは。ヨーロッパ中の戦争だ。たいへんなことになる。世界中めちゃくちゃだ」。

 父はそれきり黙って考えこみ、じつに沈痛な顔つきで畳の上を、のっし、のっしと歩きまわっていました。

 今から思えば、父は戦火のなかのヨーロッパの美しい都市、むかし世話になった人々の姿を思っておののいたのではなかったでしょうか。

 しかしそのときの私は、またお父さんが大げさなことを、と思っただけでした。

 というのは、私がまだ学生時代、例の時事問題の時間に国際情勢が話題になるごとに、やれモロッコ問題だ、近東の利権だとか、ドイツやイギリス、フランスの間にゴタゴタのたえまがなく、しかもいつでも最後のドタン場にはなんとか危機がきりぬけられたので、こんどもなんとかなるものとタカをくくっていたのでした。

 それがみごとに裏ぎられて、たちまち父のいったとおりになった。

 なんという恐ろしさ!

 私の父の見通しが当ったこととともに、この恐しい現実の前に頭をさげました。

 人間の世の中にはどんなことでも起りかねない、世界戦争なんてそんなばかなことが、と頭から問題にしなかったようなことでさえも。

 私はあの日の驚き、あのときうけたショックを今でも忘れることができません。

 じりじりてりつけるあの日の暑さをまだ肌に感じ、庭に鳴く蝉の声さえもまだきこえてくるような気がするほどです。

 じっさいあの日から世界は変りました。


(山川菊栄『おんな二代の記』_p210~211)


 第一次世界大戦が勃発した一九一四年夏、菊栄は二十四歳、麹町区四番町の実家に住んでいた。

 菊栄の父・竜之助は食肉製造・貯蔵の研究のためヨーロッパに滞在経験があった。





 『定本 伊藤野枝全集 第二巻』解題によれば、『婦人評論』一九一四年六月一日に、下田次郎「日本婦人の革新時代」が掲載され、新しい女は「その主張の真の根底を有し、真の自覚をして居る訳では」なく、周囲から新しくさせられただけだと批判した。

 野枝は『青鞜』一九一四年七月号に「下田次郎氏にーー日本婦人の革新時代に就いて」を書き、下田に反論した。

 これに対して、石橋臥波が『婦人評論』一九一四年八月十五日に「新しき女の反省を促すーー伊藤野枝女史に与へて」を寄稿し、名指しで野枝に反論。

 石橋臥波は鬼の研究などで知られる民間学者。

 野枝は『反響』一九一四年九月号に「石橋臥波氏に答えて再考を促す」を書き、石橋に反論した。

 『反響』は生田長江と森田草平の共同編輯の文芸思想雑誌である。

 当時の日本の常識ではアメリカは先進国なのだが、エマ・ゴールドマンはそのアメリカを批判している。

 エマ・ゴールドマンに刺戟を受けた野枝は、そこまで自分は深く思考していると反論した。





 大杉と荒畑寒村は『近代思想』九月号を最後に、『近代思想』(第一次)を廃刊にして、十月から月刊の『平民新聞』を発刊することにした。

 文学的哲学的になりすぎた『近代思想』に嫌気がさし、もっと実際の社会運動に直結した出版物を出したくなったからである。

 大杉が渡辺政太郎(わたなべ・まさたろう)と小石川区竹早町の辻と野枝の家を訪れたのは、『平民新聞』創刊のための金策になんとか目処が立った九月のある日だった。

 渡辺は大杉の同志であり、辻の知り合いでもあった。

 大杉がこのときのことを書き記している。





『ほんとうによくいらして下さいました。もう随分久しい前から、お目にかかりたいお目にかかりたいと思つてゐたんですけれど。』

 彼女は初対面の挨拶が済むと親しみ深い声で云つた。

『まあ随分お丈夫さうなんで、わたしびつくりしましたわ。病気で大ぶ弱つてゐらつしやるやうにも聞いてゐましたし、それにSさんの「OとA」の中に「白皙長身」なぞとあつたものですから、丈はお高いかも知れないが、もつと痩せ細つた蒼白い、ほんとうに病人々々した方とばかり思つてゐたんですもの。』

『ハハゝゝゝゝ。すつかり当てがはづれましたね、こんなまつ黒な頑丈な男ぢや。』

 一言二言話してゐるうちに、二人はこんな冗談まで交はし合つてゐた。


(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p553~554/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p242~243)


「Sさんの『OとA』」とは、堺利彦が『近代思想』創刊号(一九一二年十月号)に書いた、大杉と荒畑の人物評のことである。

 大杉は二年前の『近代思想』に載った、そんな記事を野枝がよく覚えていることが不思議だった。


 ……そして曽つてS社の講演会で、丁度校友会ででもするやうに莞爾々々(にこにこ)しながら原稿を朗読した、まだ本当に女学生女学生してゐた彼女が、すつかり世話女房じみて了つた姿に驚いて、暫く黙つて彼女の顔を見つめてゐた。

 眉の少し濃い、眼の大きくはないが、やさしさうな、しかし智的なのが、其の始終莞爾々々しながら綺麗な白い歯並を見せてゐる口もとの、あどけなさと共に、殊に目立つて見えた。


(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p554/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p243)





 しばらくして大杉が帰ろうとすると、野枝はあわてたように引き止めた。

「まあ、いいじゃありませんか。もう辻も帰って来ますから」

「辻」という言葉を耳にして、大杉は少し面食らった。

 今の今まで赤ん坊に乳房をふくませながら話している野枝と対面していて、辻のことは大杉の頭にちっとも浮かんでこなかったからだった。

「それに辻もお会いしたがっているんですから」

 大杉は仕方なしにまた腰を下ろした。

 辻はすぐに帰って来た。

 しかし、大杉は野枝との受け答えには、なんでもないことにでも何かの響きを感じたが、辻との話には少しもそんな響きを感じなかった。



★堀場清子『青鞜の時代ーー平塚らいてうと新しい女たち』(岩波新書・1988年3月22日)

★山川菊栄『おんな二代の記』(岩波文庫・2014年7月16日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)

★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 21:43| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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