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2016年04月18日

第101回 エマ・ゴールドマン






文●ツルシカズヒコ



 大杉と荒畑寒村が編集発行していた『近代思想』八月号に、「夢の娘ーーエンマ・ゴールドマン」が掲載された。

「夢の娘ーーエンマ・ゴールドマン」は、エマ・ゴールドマン『Anarchism and Other Essays』に収録されている、ヒポリット・ハヴェルによる「エマ・ゴールドマン小伝」を、寒村が抜粋訳したものだった。

 寒村はその冒頭で青鞜社の面々を挑発する文章を書いている。


 僕は此の一篇を、彼の社会改革を除いて個人的解放の存せざるを悟らず、女性の奴隷的境遇が現社会の経済組織の所産なるを知らず、自己完成と称する羊頭をかけて芸術的遊戯の狗肉を売れる、謂ゆる『新らしい女』に示したいと思ふ。

(荒畑寒村「夢の娘ーーエンマ・ゴールドマン」/『近代思想』1913年8月号)

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 野枝は『近代思想』八月号に掲載された「夢の娘ーーエンマ・ゴールドマン」に触発されたという。

 野枝は自分と『近代思想』との関わりについて、こう書いている


 私は何にも知らずに、そのうすつぺらな創刊号を手にしたのであつた。

 私の興味は一度に吸ひ寄せられた。

 号を逐ふて読んでゐるうちに、だん/\に雑誌に書かれるものに対する興味は、其人達の持つ思想や主張に対する深い注意に代つて行つた。

 そのうちに私の前に、もつと私を感激させるものが置かれた。

 それは、エンマ・ゴルドマンの、特に、彼女の伝記であつた。


(「転機」/『文明批評』1918年1月〜2月号・第1巻第1号〜第2号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p403~404/『定本 伊藤野枝全集 第一巻_p230)





 そして野枝はさっそくエマ・ゴールドマンの伝記を読んでみた。


 頭の上には、真青な木の葉が茂り合つて、真夏の焼けるやうな太陽の光りを遮ぎつてゐた。

 三四間前の草原には、丈の低い樫の若木や栗の木が生えてゐるばかりで、日蔭げをつくる程の木さへなく、他よりずつと高くのびた草の、深々とした真青な茂みの上を遠慮なく熱い陽が照つて、草の葉がそよぐ度びによく光る。

 とし子は、森の奥から吹いて来る冷たい風を後ろに受けながら、坐つて、草の葉の照りをうつむいた額ぎわに受けながら、ぢつと書物の上に目を伏せてゐた。それは、

『伝道は、或る人の想像するやうに、「商売」ではない。何故なら、何人でも奴隷の勤勉を以て働らき、乞食の名誉を以て死ぬかも知れないやうな「商売」には従事しないだらう。かくの如き職業に従事する人々の動機は、ありふれた商売とは違つてゐなければならない。誇示よりは深く――利害よりは強く――。』
 
 と云ふ言葉を冒頭においた、エンマ・ゴルドマンの伝記であつた。


(「乞食の名誉」/『文明批評』1918年4月号・第1巻第3号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p348~349/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p258)





「とし子」は野枝のことである。

『伝道は、或る人の想像するやうに……』の原文は、以下である。


 Propagandism is not, as some suppose, a "trade," because nobody will follow a "trade" at which you may work with the industry of a slave and die with the reputation of a mendicant.

 The motives of any persons to pursue such a profession must be different from those of trade, deeper than pride, and stronger than interest.


(Hippolyte Havel「Biographical Sketch」/Emma Goldman『Anarchism and Other Essays』)





 野枝は「エマ・ゴールドマン小伝」を読んだ感動を、こう書いている。


 自分は彼女の小伝を読むにあたつて自分のもつた大いなる興味と親しみと熱烈な或る同情と憧憬を集注させて、いろいろな深いところから来る感激にむせびつゝ読んだ。

『何と云ふすばらしい、そして生甲斐のある彼女の生涯だらう!』

 自分はある感慨に打たれながら心の中でかう叫んだ。


『婦人解放の悲劇』自序/『定本 伊藤野枝全集 第四巻』_p11)





 寒村が抜粋訳した「夢の娘ーーエンマ・ゴールドマン」には、冒頭の『伝道は、或る人の想像するやうに……』の下りがないので、野枝は英文の原書『Anarchism and Other Essays』を入手したのであろう。

『定本 伊藤野枝全集 第四巻』解題によれば、エマ・ゴールドマンらマザーアースのグループが幸徳秋水らが連座した大逆事件に対する抗議運動をしたことなどを理由に、日本政府はアナキズム関連の洋書の輸入を厳しく規制していた。

 では、野枝は『Anarchism and Other Essays』をどこから入手したのだろうか。

『定本 伊藤野枝全集 第四巻』解題は、辻潤を通してか、あるいは直接的に大杉や寒村から本を借用したのではないかと推測している。

 野枝の英語力では原文を読みこなせないので、辻の助けを借りて日本語に訳したと思われる。



★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『定本 伊藤野枝全集 第四巻』(學藝書林・2000年12月15日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 18:24| 本文

第100回 アンテウス






文●ツルシカズヒコ


 野上夫妻の故郷は大分県臼杵(うすき)だったが、野枝の故郷が大分県の隣県である福岡県だったことは、弥生子と野枝に一層の親しみを抱かせた。


「ぢやあなたは泳げるでせう。」

「えゝ、あなたは?」

「私も、だけど私は泳ぎは極下手の部類ですよ。」

 伸子は全く一丁ほど泳げるか泳げないかでありましたが、彼女にはそれは自信がある技らしく見えました。

 高い櫓から飛ぶ事も、水に潜る事も男の子に負けずにやつたのだと云つて南国の夏の海に特有な開つ放しの自由な楽しみを追想するような熱情を現して話しました。

「お転婆だつたのねぇ。」

 二人は声を出して、笑ひ合ひました。


(「彼女」/『中央公論』1917年2月号・第32年第2号/『野上彌生子全集 第三巻』_p290~291)


「伸子」は弥生子のことである。

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 ふたりは長い間知り合った友達のように無邪気に話し合ったが、野枝は自分の現在の境遇については、多くを語らなかった。

 その長い対座の間、弥生子が知り得たのは野枝が今年十九歳であること、都下の女学校の卒業生であり、今はその先生の家に同居していること、および青鞜社との関係についてであった。

 野枝はらいてうの話もよくした。

「あなたはまだ逢ったことはないのですか」

 弥生子は前年の秋のある展覧会の会場での、一分以上ではない一瞥の会見を語った。

 野枝は逢ってみたらいいだろう、きっといい話し相手になれる人だからと勧めたが、弥生子はまだそんな気にはなれなかった。

 弥生子はらいてうの書いたものを通じてその説も理解していたが、らいてうの本質的傾向に関してはかなりの疑問と懼(おそ)れがあった。

 弥生子にとってらいてうは一種のスフィンクスであった。

 けれど、野枝はらいてうの若い嘆美者であった。

 野枝がらいてうを語る言葉には、深い信頼と妹らしい愛慕があった。





 弥生子は野枝のことを南国に育った娘特有の多血質であり、強い知識欲を有し、人生に対する態度にも年にしては大胆なところがあると見ていた。

 そして、それは野枝の率直な表情や疑念のない快活な話しぶりに調和されて、図々しいような感じになることは決してなかった。

 そのうちに、弥生子は野枝の家が野上家と垣根一重の裏であることを知った。

 それは一本の古い椎の古木の下に一郭をなしている、三、四軒のちんまりした小家の群れのひとつだった。

 オルガンを弾いたり、尺八を吹いたり、歌ったり、男女の賑やかな笑い声がする一家族がそこいらに住んでいること、野枝が若い男とよく連れ立って出て行くことなど、弥生子は女中を通じて知った。

 弥生子は野枝が『青鞜』八月号に発表した「動揺」を読み、野枝が辻と同棲するに到った経緯、そして野枝という人間について多くのことを知った。





 あの子供のやうな無邪気な頬と目の持主が、こんな複雑な人情の波を潜り抜けて来たのかと思ふと、伸子は不思議な位ゐでありました。

 同時にそれ等の出来事に対して、彼女が如何にも正直な徹底した態度を現はしてゐるのが伸子の心をひきつけました。

 善い事も、悪い事も、美も醜も一切を偽はりませんでした。

 虚飾や胡魔化しに馴れた世間の多くの女達には、想像もされない卒直を以つて自己を解剖台に投げ出す誠実と勇気がありました。

 この態度の前には一つの失敗は一つの経験であり、負ける事は更に打ち勝つ事でなければなりません。

 土に転ぶ度に新らたな力を握って立ち上るアンテウスの強さが、彼女の強さでありました。

 その明るい、開けつ放しな行き方は、重々しく落ちついた、同時に底の測られないやうなA子の性格と鮮やかな対照を作る事となつたのでありました。

 且つその一篇は彼女の内的生活の真摯とよき傾向を示す一記録であつた計りでなく、その文学的才能のたしかさを証拠立つるものでありました。

 彼女はもう単なる正直そうな、可愛らしい娘だけではありませんでした。

 伸子は新たな尊敬を以つて若い隣人を見ました。

 而して二人の間によき友情の芽ぐみつゝある事を楽しみの目を以つて見てゐました。


(「彼女」/『中央公論』1917年2月号・第32年第2号/『野上彌生子全集 第三巻』_p295~296)


「A子」はらいてうのことである。



★『野上彌生子全集 第三巻』(岩波書店・1980年10月6日)


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 16:36| 本文

第99回 ジプシイの娘






文●ツルシカズヒコ




 一九一三(大正二)年から一九一四(大正三)年にかけて、野枝は隣家に住む野上弥生子と親密な交わりをしていた。

 弥生子は『青鞜』の寄稿者であったが、野上邸は野枝が住んでいた借家と生け垣ひとつ隔てた隣り合わせにあった。

 辻と野枝が北豊島郡巣鴨町上駒込三二九番地、妙義神社前の借家に住み始めたのは一九一三(大正二)年五月ごろであるが、そのころから弥生子と野枝の公私にわたる親交が始まった。

『定本 伊藤野枝全集 第一巻』「雑音」解題によれば、弥生子の「ソニア、コヴアレフスキイの自伝」の翻訳の連載が『青鞜』で始まったのは、この年の秋である(一九一三年十一月号〜一九一五年二月号)。

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 野上弥生子はこのころの野枝をモデルにした短篇小説「彼女」を書いている。

「平塚さんからこれをことずかりましたから」

「さようですか、どうもご苦労でございました」

「急ぎますか。ならすぐ速達ででも出させましょう」

「それには及びません。午後からまた社に参りますから、そのときまでに直しててくだされば出がけに頂きに参ります」

 弥生子と野枝が出会ったころ、ふたりは野上邸の玄関先でこんな会話を交わすことが常であった。

 当初、弥生子は野枝の名前も知らず、ただ彼女が『青鞜』の編集を手伝っていること、そして彼女と自分の住居が極めて近い距離にあることぐらいしか関心がなかった。

 女中が取り次ぐ「いつもの青鞜社の方」は、声が太く調子も粗野だったが、それがかえって弥生子には率直に響いた。

「いつもの青鞜社の方」は小柄であったが、お下げにしたり、束髪であったり、またときには銀杏返しに結ったりしているので、弥生子は彼女の年齢の見当がつかなかった。





 一九一三年(大正二年)五月半ば過ぎ、締め切りの迫った『青鞜』の原稿を受け取りに、野枝が弥生子の家を訪ねた。

 銀杏返しに結っていた野枝を見た弥生子が尋ねた。

「あなたが小林さんでしょう」

 弥生子にとって青鞜社の社員は未知の存在だったが、誌面を賑わす社員たちの文章によって、小林哥津が下町風の意気な娘さんであることを知っていた。

「いいえ、私は伊藤です」

 野枝が底太い声で答えると、ふたりは一緒に微笑んだ。

 これがきっかけになり、ふたりは事務的関係から一歩踏み込んだ間柄になった。

「いつかゆっくり遊びにいらっしゃいな」

「お近いのですから、またお邪魔に上がります」

「どちらなのですか」

「ええ、すぐそこなのです」

 別れるときには、ふたりは友達のようなさよならをした。

 その夜、野上家には野上豊一郎の友達が集まり、晩餐をともにした。

 その席で弥生子は、野枝の野生的で素朴な美しさを話題にした。

「ジプシイの娘といったような顔つきをした人なんですよ」

 その日に焼けた円い頬や、大胆らしい黒い瞳、口をおおう薄い健康そうな唇、李桃(すもも)だの、野苺だの、林檎だのという形容詞を弥生子が並べ立てたので、要するに千疋屋の店先のような顔だと思えば間違いはないということになって、男たちは笑った。

「同じ果物でも水菓子屋の店曝らしではなくして、あの顔は果樹園の枝からもぎたてのものですわ」





 それからしばらくして、野枝は初めて弥生子の書斎に通された。

 野枝は茶っぽいネルの着物に、緋無地の真っ赤な帯を大きくお太鼓に結んでいた。

 いつも地味な、いやむしろ見すぼらしい身なりであった野枝の、その日の真っ赤な巾広な帯は、弥生子の目を著しく刺戟した。

 その帯の一色が野枝を十四、五の小娘のように見せた。

「なんて可愛らしい娘さんでしょう」

 弥生子はそう思って、ゴム人形のようにふくれた珈琲色の頬を眺めた。

 眼も一層底深く水々と澄み渡っていた。

 活気にあふれた頬や眼の輝きに反して、何か言うたびに額には不似合いな縦皺を印する不思議な一抹の翳があった。

 弥生子がその特殊な顔面表情の謎に気づいたのは、それから数ヶ月後のことであった。

 それは彼女が初めて経験しつつあった、女性としての重大な任務に対する、歓喜、期待、同時に懊悩、争闘、苦痛の表現であったのだ。



弥生子ゆかりの臼杵の地探訪


★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『野上彌生子全集 第3巻』(岩波書店・1980年10月6日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 15:22| 本文

第98回 生の拡充






文●ツルシカズヒコ



 一九一三(大正二)年七月初旬。

 奥山が赤城山から下山してまもなく、「緊急親展」と朱字で書かれた新妻莞からの手紙が、らいてうが滞在している赤城山の宿に届いた。

 らいてうの東京の自宅から転送されて来た手紙だった。


 啓 私はあなたに対して私の立場としてとった態度は、私以外の誰人が衝(あた)ろうとより外にあるまいと思われる処であったと思います。

 しかしそれに対してあなたは私にどうして下されたか、思い切った今度の行を決行なさるにハガキ一枚も飛ばして下さらなかった。

 そのお心はまんざら呑込めない訳でもありませんが、よく深く骨に染みるものがない訳にはゆきません。

 そしてそのお礼として、私は此の事件に関する事実の全部と、あなたが大野に与えた手紙の全部とを公開致します。

 これがせめてもの私の礼心、快よくお受け下さい。

(厚い好意が対者の出よう一つで比ぶべきなき憎悪と変るのも自然の理でしょうか。)

 七月六日 西嶋 坦


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p132)

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 らいてうと奥村が九ヶ月ぶりに再会した六月十三日の朝、実はらいてうは新妻から妙な手紙を受け取っていた。

 新妻はらいてうが新妻気付で奥村に宛てた手紙を密かに開封して読んでいたのだが、新妻の手紙は「大野宛てのお手紙拝見」という書き出しだった。

「大野」は奥村のこと。


 お手紙のうち私のこと、ああ仰言るのはご尤なのです。

 だからこの手紙ではあなたに対する私というものをとっくりお胸に入れて置きたいと思います。

 成る程あなたの仰言るようにあなたに対する私は《詩歌》の片隅で活字でお目にかかっているでしょう。

 ところが事実はそうではないのです。

 大野はあなたにお逢いする前から私の可愛い弟であったのです。

 私は大野がなくては淋しくてかなわなかったのです。

 昨年あのころ城ヶ嶋に二人で行っていたのです。

 そしてあなた及びしげりさんから大野に下されたお手紙は先ず私が先に拝見することにしてあったのです。


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p107)





 らいてうはこの手紙が来たことを奥村には知らせず、赤城から帰京してから、赤城に転送されて来た手紙とともに奥村に見せた。


 驚き呆れた奥村だったが、「私の可愛い弟」に心当たりがないこともなかった。


 はて妙な?……と浩は思いながら、ついこの間遭遇したばかりの出来事を思い出した。

 それは西嶋の下宿を訪ねたとき、問われるままに旅の話に遅くなり、電車はもうなし、歩いて帰る辛さに好きでもなく泊まったが、翌あさ息苦しいのに愕いて目を覚すと、西嶋に接吻されていた。


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p107)


『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p477)によれば、「およそわたくしの生涯でこれほど腹の立ったこと」がなかったらいてうは、即座に筆を取り新妻に向けて公開状を書き、『青鞜』九月号に「手紙の中から」として掲載した。

 奥村は新妻と絶交した。





 大杉栄と荒畑寒村が『近代思想』を創刊したのは一九一二(大正元)年十月だったが、一九一三(大正二)年同誌七月号に大杉は「生の拡充」を寄稿した。


 ……生の充実の中に生の至上の美を見る僕は、この反逆とこの破壊との中にのみ、今日生の至上の美を見る。

 征服の事実がその頂点に達した今日に於ては、諧調はもはや美ではない。

 美はただ乱調に在る。

 諧調は偽りである。

 真はただ乱調に在る。

 今や生の拡充はただ反逆によつてのみ達せられる。

 新生活の創造、新社会の創造はただ反逆によるのみである。


(「生の拡充」/『近代思想』1913年7月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第一巻』_p30/日本図書センター『大杉栄全集 第2巻』_p34)





 七月、野枝は「動揺」を書くために、執筆に全力を傾けたことだろう。

 四百字詰め原稿用紙で百六十枚ぐらいある原稿を二十日間ほどで書き上げた。

 妊娠中でもありかなりハードだっただろう。

 野枝が「動揺」の原稿を書き上げたのは七月二十七日だった。

 毎月一日発行の『青鞜』の校了は、前月の二十五日ぐらいのようなので、通常の入稿締め切りを過ぎていたのかもしれない。

 野枝は「動揺」の末尾にこんなことを書いている。


 ……私は木村氏に対しては、話して私のその時の気分を明らかにして置かねばならない必要を充分に感じながら最後まで話してませんでしたから可なりに私がお分りでないだらうと思ひますと、若しそのまゝ書かれてはーー事件がおしまひにならないうちから書きかけてある事は知つてゐますのでーーまたどんな誤解がその間にあらうもしれない。

 殊に青鞜社に関係ある女として一切本名を用ひて書かれるのですからどんな誤解をまねくまいものでもないと思ひましたから、私はありのまゝ少しの虚偽もまじえずにこれ丈け書いて見ました。

 そうして私はあなた(平塚らいてう/ツルシ註)ならびに私の周囲の人々に私の行為が一層明かにお分りになれば大変うれしいと思ひます。

 随分長くかきましたけれどもまだ私自身の満足が充分に出来るほど細かくは書けてゐません。

 たゞ私はかうして書いたために自分自身の中のあるものをはつきり手にとつて見る事が出来ました。

 そして、これを書いたために無秩序に行つて来た事に対して自身の手でとにかく、一段落のしめくゝが出来る或る解釈を下す事の出来たのを喜んでゐます。

 今度、自分自身の落度と急所を手痛く自身の手であばき突く事の苦痛と、その後の清々しい気持ちをしみ/″\と味ふ事が出来ました。

(一九一三、七、二七、)

 これは小説では御座いません。

 単なる事実の報告として見て頂ければよろしいのです。

 もう少し細かく書きたかつたのですが時日が切迫してゐて、とてもかけませんでした。

 他に木村氏へあてたTの手紙を入れる筈になつていて二十五日までにそれを送つて下さる約束でしたがまだ送つてまゐりません。

 間に合ひませんから残念ながら入れられません。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p260~262/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p78~79)


『青鞜』八月号に野枝の「動揺」が載り、『生活』八月号に木村荘太の「牽引」が載った。

『時事新報』が野枝と荘太との恋愛事件を「別れたる恋人に対する心持」と題して、三回連載の記事にした。

(一)記者CS生「『牽引』と『動揺』と」(八月九日)

(二)木村荘太「『牽引』と私」(八月十日)

(三)伊藤野枝「『動揺』に就いて」(八月十一日)





 つとめて真実に大胆に自身の感を偽らない事に全力をつくして素直に書きました。

 木村氏は小説として発表せられたにもかゝはらず私は単なる事実の報告として発表いたしました。

 木村氏の「牽引」を拝見して……「シンセリテイを自己の最大の宝にしたく思つて居ります」とお書きになった事を思ひ出すと相手にする気にもなりません、何だか滑稽になつて来ます。

 私は「牽引」に現はれた私より以上の私が自分である事を信じています。

 それから事件の動機とかその他の外面的な事実についても私は他人に勝手な批評をされる事を好みません。

 それ等の些細な事一つ/\皆私自身の内部から湧き上つて来た私以外に知るものゝない気持から来た意味のあるものなのです。

(八月九日朝)


(「『動揺』に就いて」/『時事新報』1913年8月11日」/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p42~43)




★奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(現代社・1956年9月30日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★『大杉栄全集 第一巻』(大杉栄全集刊行会・1926年7月13日)

★『大杉栄全集 第2巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 13:27| 本文

第97回 赤城山






文●ツルシカズヒコ





 一九一三(大正二)年六月末、らいてうは奥村博と新緑の赤城山に出かけた。

『青鞜』七月号の文祥堂での校正にらいちょうが不在だったのは、この赤城行のためである。

 新緑の赤城の風景のすばらしさについては、らいてうは長沼智恵子から聞いていた。

 野枝は『青鞜』七月号に、こう書いている。


 らいてうは此の号の編輯をすますと同時に廿六日の夕方東京を立つて旅に出ました。

 多分行先は赤城だらうと思ひます。

 白樺の葉の貼つたはがきを送つてもらう約束をしました。

 私はそれを待つてゐるのです。


(「編輯室より」/『青鞜』1913年7月号・3巻7号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p40)
 
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 らいてうは『円窓より』の印税が入ったので、ひとりで赤城山に行く計画を立てていたが、奥村がふと現れたので手紙を書いて誘ったのだった。


 私は去年の秋からきょうまで幾度《私の大事の(ママ)鳥は逃げました》と言っては嘆いたことでしょう。

 お許し下さい。

 私はときおり相手の誰彼を問わずそう言ってはずいぶん泣きました。

 あなたの自画像で顔を覆って動かなかったこともございます。

 あなたに接吻し、ペパミントを飲ませた気違いじみた行為も笑わないで下さい。

 月のはじめ十日頃までは私にとって自由な時です。

 私は今心もからだも疲れきっております。

 誰も居ないところへ、静かなところへ只ふたりきりで行きたいのです。

 あなたと私といっしょに赤城の山で一週間ほどの日を送って下さらないでしょうか。

 今私の部屋は綺麗な花で一ぱいです。

 幾種類もの百合の花が悩ましいまで咲き匂っています。

 自画像はいつ頃出来上がりますの。

 私に一番先に見せて下さることをお忘れにならないで下さいね。

 六月十七日夜半 昭


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p110~112)





 ふたりが赤城に出発したのは六月二十二日だった。

 その日の午前中、奥山は銀座に出て竹川町の亀屋で、バタア、チイズ、缶詰、ヴァン・ホウテンのココア罐、緑色の瓢箪型の壜に赤いラベルが貼ってあるフランスのジェ・フレエルのPipermint(ピペルマン/ペパーミント)を一本買った。

 奥村は出雲町まで来ると、角の資生堂に寄り、らいてうに頼まれた水歯磨(オドオル)と口中香錠(ゼム)を買った。

 千疋屋では果物を買った。

 築地の下宿に戻り昼食をすませた奥村は、近所のチャリ社で焼きたてのコッペや黒パンを買った。

 買い物の金はらいてうから渡されていた。

 旅費もすべてらいてう持ちである。

 奥村は買い込んだものを草の蔓で編んだ大きなサックに詰め込み、絵の道具を抱え、上野駅に向かった。

 らいてうと奥村は、上野駅から前橋行きの二等車に乗り、車室の前よりに、行手の向きに並んで座を占めた。


 昭子はエリヨトロオプの匂をほのかに漂わせながら、晴ればれとした顔を浩に向けた。

 きょうのこの人の装いを見ると、薄色のオオルドロオズの半襟に仕立下しの紺絣銘仙の単衣を着、濃オリイヴのカシミヤの袴をつけ、キャラコの白足袋に紺無地のヴェルヴェットの鼻緒のすがった南部桐の下駄を履いている。

 持物は鼠色(グレイ)のしなやかなアストラカンのマントオに洋傘、黒革の小形トランク一個。

 また浩は白のベレをかぶり、例の赤い刺繍をした麻のルパアシュカにホウムスパンの上着を抱え、鼠色(ミネラルグレイ)の大縞のコオルテンのパンタロンに野暮な編上げの兵隊靴という、まるでロシアの百姓とでもいったふうの身なりである。


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p116~117)





 その日、ふたりは前橋駅の近くに宿をとり、翌六月二十三日、赤城山に登り、大沼の小鳥ヶ島の岸近くの宿に投宿した。


 女中の風呂の知らせに、浩は先に母屋へ立って行った……。

 疲れたからだを浩は沁みじみ湯に浸っているところへ、昭子が入ってきたが、流し場は狭く、ふたり一緒にはいるには窮屈な据風呂で、彼はすぐ出て昭子にゆずった。

 ーー背中を流してあげましょうね。

 言われるままに浩は向き直り、風呂桶のへりに腰かけて、からだを昭子に任せて……。

 浩が昭子を流す番がきた。

 彼は……昭子の肉体にじかに手を触れながら、全身にオリウヴ油を塗りでもしたかと思われる、きめのこまかいなめらかな、小麦色に張りきった餅肌に心は強く牽きつけられたが……。


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』_p120~121)






 投宿して数日が過ぎたある日の昼すぎ。

 ふたりは大沼の湖畔に繋いであった小舟に乗り、奥村が櫂(かい)を漕いで小鳥ヶ島に渡った。

 らいてうは、こう書いている。


 全山萌えるような新緑に掩(おお)われた赤城の山は、満開の山つつじに装おわれ……。

 輝く太陽、蒼い空、野鳥の囀(さえず)りや花と森の香り、標高千三百余メートルの展望と鏡のような山上の湖

 このあまりにも壮麗な大自然の無限のふところのなかで、求め合っていたふたりの若い魂が、一つ命にはじめて結ばれることに、なんの儀式が必要でしょう。

 滑かな湖の上に、小舟を浮かべたふたりは「小鳥ガ島」とよぶ湖心の小さな島に、太古のもののような厚い苔や羊歯類の密生する緑のその島に、永遠の愛の証しを残すことをためらいませんでした。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p476)


 二週間ほど赤城山に滞在した奥村は、白樺の林や山つつじの咲き乱れた高原や、放牧の牛などのスケッチをして過ごし、七月七日、らいてうよりひと足先に山を下りた。

 有楽座で公演する伊庭孝の旗揚げ芝居、バーナード・ショウ『武器と人』の稽古が始まるからだった。

 らいてうはもう数日、赤城山に残り、『青鞜』に送る書きかけの原稿を書き上げることにした。



★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)

★奥村博史『めぐりあい 運命序曲』(現代社・1956年9月30日)

★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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2016年04月17日

第96回 あの手紙






文●ツルシカズヒコ




 一九一三(大正二)年七月二日の午前中に行なわれた、野枝と辻と木村荘太の面談。

 荘太がリアルタイムで書いた「牽引」の記述に沿って、その経過を追ってみたい。

 この日また下宿に来てくれと野枝に手紙を書いたのは、荘太だった。

 午前九時頃、下宿の婢が「伊藤さんがいらっしゃいました」と荘太に来訪を告げた。

 荘太が取り散らかしていた部屋を片づけていると、障子を開けて入って来たのは、思いがけず辻だった。

 その後に野枝が続いた。

 荘太は野枝だけが来るものと思っていたのである。

 三人は向かい合い、挨拶がすむと、辻が野枝の方を向いていった。

「おまえが申し上げたらよかろう」

 野枝はうつむいて目を落とした。

 一昨日の晩とはまるでその顔が違っていて、散々泣いたという目つきだった。

 荘太は野枝が完全に自由を失っていると即座に感じ、「間抜けなやつだ」と思って冷やかに彼女を見た。

 野枝はそのままうつむいて黙っていた。

 辻が原稿紙を荘太に渡した。

 荘太が受け取って読みかけると、辻がいい添えた。

「お読みになるうちに、不快に思われるようなことが書いてあるかもしれません」

「僕も先日あなたにいい感じを持てませんでした。とにかく拝見してみます」

 と荘太は応え、読み始めた。

 その内容は、前夜、辻が野枝に見せた白紙に鉛筆で細かく書いたもの(第94回)をベースに、加筆・修正したものである。

 以下、おもな加筆・修正した部分を引用。

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 あなたは偉大なる正直を宝にしたいとおつしやいました。

 私も同感です。

 私は昨日あな たに御自にかかつてからの心持、また私の野枝子に対する心持を一切正直に御話したいと思ひます。

 これは私が今日午前労働の最中、僅かの暇をぬすんで書きつけたものでございます。

 母の事は御話しなくつては解りません。

 一月許り家を出て行衛がわからなかつたのです。

 さうしてやうやく一昨日わかつたのです。
 
 長くなりますからこれは略します。

 私は昨夜、野枝子に対して All or Nothing の態度に出たのです。

 しかし野枝子は何分にも激動して口もろくには聞けません――只だ明日ゆつくり落付て書きますといふばかりです――私は苦しくつて耐りません。

 とても安眠することなどどうして出来ませう。

 私は幾度かうながしました。

 しかし彼女の激動がはげしく稍もするとヒステリックになるので、 私には弱い心が起つてとにかく一日丈忍ぶことにしたのです。

 無論私は今日外に出て働いて居ります間も絶へず苦しみに苦しみました。

 私は野枝子の返事に対してさまざまの危惧を抱いて急いでかへりました。

 私は帰ると早速書いたものを要求したのです。

 けれどあなたからの御手紙の他はなにものをも見ることが出来ませんでした。

 私は又不安で耐らなくなりました。

 夕飯をすましてから野枝子には父に宛てた書面を出しに行こうとしました。

  私はその手紙を求めました。

 野枝子はそれを拒みました。

 私は又憤がムラ~~と発してきて彼女の手からその書面を奪とりました(ママ)。

 野枝子は又昂奮して泣き倒れました。

 而してヒステリーの状態になつて喘ぎ初めました。

 私は水を口うつしにしてやり、彼女の心を出来る丈静めやうと務めました。

 暫時後、落付たので私は今日書きましたものを見せて、 静かに又解決を促がしました。

 そうして私は急(ママ)ぐ今夜にもあなたに御目にかかつて私等の態度を明瞭にしたいと思ひました。


(木村荘太「牽引」_p34~35/『生活』1913年8月号)





 この後の文面は、前夜、野枝と辻が筆談で交わしたもの(第94回)が続いている。

 そして、締めの文章は「もつと書きたいのですが、今朝あなたの御宅に出かけることになりましたので書けません。まだ言ひたりないことが沢山ある様に感じてゐますからいづれ落付てから書きたいと思ひます。(二日朝)」。

 荘太がこの手紙を読んでいる最中、辻が便所に立った。

 荘太はその時、野枝に糺した。

「じゃあ、あなたは僕を離れようとするんですね。もう僕を離れてしまえるんですね」

 野枝は微かに肯いた。

 辻が戻ると三人は無言になった。

 荘太が手紙を読み終えると、辻が荘太にいった。

「これでなんにも後に残さず、お互いに理解し合ってお別れしたいと思います」

 荘太が答えた。

「僕はそうはゆきません。僕にはあなた方に対して嫌な感じが残るだろうと思います。自然にそれが残るものなら僕はどんどん残します。それに、あなたも僕を理解されてると思いません。あなたは野枝さんがあなたに隠して出した手紙を、ひとつだけだと思つておいでになるのでしょう。外にもうひとつあるはずです」

 荘太は野枝の顔を見ながら続けた。

「ねえ、文祥堂から出した後の方のは、あなたは辻さんにお見せにはなりますまい」

 野枝は苦しい色を浮べて肯いた。

「そんな手紙があるのか」

 と辻は咳き込んで、野枝の顔を見つめた。

 野枝は黙って肯いた。

「あの半紙へ黒で書いた手紙、あれはあなたも御覧になったと思いますが、であの手紙は出すまでに二日遅れているのです。そしてもう一通、あなたの知らない手紙と一緒に僕のところへ来ているのです。それが御解りにならないでいては、僕はほんとうに御解りになりはしません」

 すると、辻がきっぱりといった。

「その手紙を拝見させて頂きます」

「今、僕のところにありません。弟のところへ置いて来てあります」

「じゃあ、弟さんのところへ、ご一緒に参りましょう。弟さんにもお会いしたいし」

 辻が小学校の教師をしているとき、家庭教師として木村荘八に初歩の英語を教えていたことがあった。

 それを荘太が辻から聞いたのは、六月三十日に荘太が辻の家を訪れたときだった。

「ええ、行きましょう」

 荘太はそういって笑った。

 辻はその時、

「これで解った」

 といいながら軽佻に立ちあがった。

「ああ、これで気持ちがいい、気持ちがいい」

 荘太はその辻の態度を冷やかに鑑賞し、軽蔑しかつ不快に思った。

 三人は赤坂の木村荘八の下宿に行き、荘太が辻に野枝から届いた手紙をすべて見せた。

 辻はそれを読み終ってから、

「こりやみんな本当で書いたんだな」 と肯くようにいって、野枝を顧みて、それから荘太の顔を見た。

「とにかく解決しておきましょう」

 といって、荘太は再び今度は辻の前で野枝にいった。

「あなたは僕を離れるのですね」

  野枝はわずかに反抗するやうに決意を示して、

「ええ、私もっとゆっくり落ちついて、後の手紙を書けばよかったのです。それに手紙で想像したのとは、お会いした感じがすっかり違ったのです。大変に冷静でした……。私は今のまんまで幸福だと思います。それにこの上、自分が激動したくありませんから」

 そして、辻がいった。

「もう、これでお互いに嫌な思いを後に残したくないと思います」

「そうはいかないと思います」

 と荘太は答え、さらにこう続けた。

「必然に残れば残す外ありません。僕はあなた方を憎悪、いや蔑視します」

 辻は少しせき込んだ。

「憎悪されてもかまいません。しかし、蔑視はできないと思いますね。僕はあらゆる場合に、蔑視だけはしたくないのです」

「僕は蔑視するのです」

「ああ、そうでしょう。僕もあなたの場合なら、きっと蔑視するでしょう。蔑視しなければ、生きてゆかれませんからね」

 荘太はもう何もいいたくなかつたが、最後に野枝に向かっていった。

「僕はあなたを蔑視して棄てます」

 野枝は荘太から受け取った手紙を持って来ていた。

 荘太がこの出来事を書くからといって、野枝に頼んでいたからである。

 荘太はその手紙を受け取って、野枝から受け取った手紙と一緒にした。

 辻が野枝にいった。

「おまえも自分のを、いただいていったらよかろう」

「いえ、僕がいただいた手紙ですから、お返しはできません。野枝さんからは、これは拝借するのです。いけないとおつしゃれば、自分の手紙は思い出しても書きますが、もしかそうして嘘になるより拝借したいと思うのです」

「あ、そうですか。では、もしまたこちらでも入用があったら、それを拝借するかもしれません」

「ええ、ええ」

 それから、辻は野枝を下へ残し、荘太と二階へ一緒に上がり、荘八と少し話した。

 野枝が見なかった手紙の一件について、辻が弁解がましくいった。

「市外でよく届かないことなぞがあるんです」

 そうして直きにふたりは帰っていった。


 僕はふたりが戸口を出るのを見送ると、男は女が隠して出した手紙の事を今日までも尚隠してゐた事、女はまたその男が僕の手紙を奪つた事に就き、途々互ひに安価なレコンシリエエション(和解)をしながら帰つてゆくさまを想像した。

 するうち僕には女に対するヂスイリユウジョン(幻滅)の思ひも、予期の全く外れ終つた失望の感も、一切すべてが湧き上る強い力の自覚のうちに溶け去つた。

 僕はその快感のうちに思はずひとりして肩をゆすつた。


(木村荘太「牽引」_p39/『生活』1913年8月号)


 野枝と荘太は、お互いに相手から届いた手紙を相手に一時返却することにし、それを写し終えたら返却することにした。

 この事件の顛末について、野枝と荘太はお互いに「事実」を世に発表することにしたからである。

 そして、荘太は『生活』八月号に「牽引」を寄稿し、野枝は『青鞜』八月号に「動揺」を寄稿した。





 さて、この騒動から37年後の1950年、荘太が上梓した『魔の宴』ではこの一件をどう「総括」しているのか。

 傲慢、高慢だった若き日の自分を荘太が切々と回顧しているように、私には思えるが、それを追ってみたい。

 ちなみに、『魔の宴』執筆時、荘太は「牽引」を掲載した雑誌『生活』をなくしてしまい、『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』に収録された「動揺」を見ながら、執筆しているのである。


 だが、私には、そうして捨てたといいながら、あとまでもこのひとが捨てきれないで、なぜ、こうなつたのだろう?

 なぜ、こんなふうにこのひとを失つたのだろう?

 と考えられて仕方がなかつた。

 ……思い当つたことは、私があまりに高慢な態度をとつていたこと。

 こうなつた以上、来るならば迎えるというような態度をとつていたこと。

 これが対手の独立人格を尊重するゆえんだと思つていたこと。

 そうして女性が寄り添つて来て、結び合わされるので、他人の家庭崩壊の行為が許されるのだと信じたこと。

 そしてそういう反応を向うから示して来なかつた対手をーー不幸な行き違いもあつてーーただちに軽視する気になつたこと。

 しつかりしているようでも、当年とつて僅か十九の幼な妻に、私は過大な要求をかけていすぎたわけだつた。

 いたわることをしないで、一途に難きを強いていたわけだつた。

 という悔いにも似た痛烈な後思案。

 これも当時二十五の男の一途な、むきな若げのいたりだつたのだろう。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p248~252/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p202~205)


 荘太が書いた「牽引」と野枝が書いた「動揺」、両方を読んだ武者小路実篤が、荘太に宛てた葉書を書いた。

 荘太を批判するこの手紙を読んで、荘太は「私はガンと、これで参つた」と書いている。


 ……私がハツとしたのは、私のうちのドン・フアン!

 無意識のうちに、そのドン・フアンは、あのひとが私のために苦しみ、悩み、打ち倒れ、息も詰つて、四苦八苦した有様を、その書いたものでまざまざと見たとき、ひそかに喜んで、私の心の奥では、飛んで、跳ねて、躍つているものがさつぱりなくはなかつたのである。

 手紙のときからそうでなかつた、といえないのである。

 で、征服の効果を一そう強めるために……女を無視して、捨てて、心を傷け破つて、こんどは女に死ぬほども怨ませて行くーーこれがドン・フアンの奥の手なのではなかつたか。

 ひしひしとこう私は自分を顧みて、そのとき武者君の批評に服し、そうして私のドン・フアン的過去をそうまでよく知らないのに、武者君がこう私の急所を突いて来た、この洞察の鋭さを思つた。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p253~254/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p206~207)


 荘太が「自分の物語をつくるため」に、接近したんじゃないかという、野枝の疑いに関してはこう言及している。


 かつて芸術作品ちゆうの主人公のような生きかたをすることに気が向いたひとときを生きていたことがあつたような私。

人妻ゆえに私のほうから一たん思いあきらめても、向うからも心が私に傾いて来ていると知つた女性なら、公然奪うことを敢えて辞さない。

 といつたような心境、場面は、こんど私が筋書きとして心に描いたようなことではちつともなかつたが……私の動機は……そこへ私を躍身させたものには、これが人生の劇の場面としても、自由恋愛の一実験にも当る、一個の爽快事だという感じがしてでもなくはなかつたかもしれない。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p255/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p207~208)


 辻は荘太の第一印象について「私にはあの人の何となく艶めかしい様子(具体的に云へば金縁の眼鏡をかけたり髪をきれいに別けたりしてゐる様子)に少なからず反感を持つた」と書いているが、この記述に対して、荘太はこう反論している。


 この髪をきれいに分けて、というのはかれの見間違えだ。

 私は清子のとき以来、髪に櫛目を入れて分けたということはない。

 ぼうつと伸ばしていただけである。

 金縁の眼鏡のほうは、近視で掛けていたのだが、縁は金なら厳寒のところに行つても、耳に凍りつかぬと聞いていて、家を出てからも、実用の意味で掛けていたのだつたが、この金縁がそう見えるかと思つたら、それでいやになつて、この辻に書かれてからは、売つ払つて、黒の赤銅縁に代えた。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p256/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p209)


『魔の宴』のラストは、辻が野枝に書いた文面の引用で始まり、それをじっくり読み返した荘太の述懐で終わっている。

 
 俺は傍にピストルでもあれば頭を打ち貫きたい位に考へた。

 お前は俺と生活するより以上によい生き方が出来ると信ずる男があれば、俺はその時お前を止める資格はないと思ふ……

 で私は、おまへの事を考へて見る。

 おまへは家事の些細な仕事は到底自分の進んでゆく道の大なる邪魔になると思ふなら、そして亦子供を養育すると云ふやうな煩雑に耐え得ないと信ずるなら、又そんな事をするために自分の欲してゐる生き方を妨げられると云ふやうな念をたえず頭に持つてゐるなら、私はどうしたらよいだらう。

 私は……私は……

 と最後に慟哭するように男がこう書いたものを読んだときに、かの女の心はついにそれに屈した、とあるのをさらによく読んで、私は眼光紙背に徹したとき、あのひとは身篭つていたのだと知つた。

 ああ、思い当ればあのひとは六月の末で、もうかなり暑いのに、単衣の上に薄い被布のようなものを着ていた。

 若い男の身でもつて、私はそれで目を蔽われていた。

 そう思つて、私はいじらしく、かの女のそのときの、そのいい得ないものも心に持つていた立ち場のことも思いやる思いに堪えられぬ心持にもなつた。

 来られなかつたのも無理はない。

 ものがはつきりいえなかつたのも無理がない。

 ああ!

 人の世にはいろんなことがあるものだ。

 こうと思つたとき、私の心のなかには深い憐憫と、悔恨が静かに湧き上つて来た。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p257~258/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p210)
 




 辻はこの事件を、短くこう回想している。


 野枝さんはそのうち「動揺」と云ふながい小説を書いて有名になつた。

 僕の長男が彼女の御腹(おなか)にゐる時で、木村荘太とのイキサツを書いたもので、荘太君はその時「牽引」と云ふやはりながい小説を書いた。

 荘太君のその時の鼻息はすばらしいもので、その中で僕は頭から軽蔑されてゐるのだ。

 僕はその時も、野枝さんの気持ちを尊重して別れてもいいと云つたのだが、野枝さんがイヤだと云ふのでやめにしたのであつた。


(「ふもれすく」/『婦人公論』1924年2月号_p11~12/五月書房『辻潤全集 第一巻』_p392~393)





 この事件の顛末について、らいてうはこう総括している。


 かうして事件はともかく解決されたのだが、日頃の野枝さんを知つてゐる私にはあの解決の仕方は野枝さんとしては少し恥づかしいものではないかと思ふ。

 野枝さんが今少し強くて、あの激動の中にあつてもなほよく自己を最後まで保つてゐられる人だつたなら、T氏にあゝ迄干渉されずとも(T氏は決して好んで干渉する人ではない。)あんな不面目な位置に(自分のしでかした事件の解決をT氏に委ねて、自分はT氏に引きずられて出かけたといふやうな)身を置かずともいくらも自分で処置する方法はあつたらうと思ふ。

 それはともあれ、全体としてあの事件は野枝さんに少し荷が重すぎた。

 あれ丈の激動をもち答へる丈の力はまだ野枝さんにはなかつた。

 だから時として激動に食(は)まれて、いたづらに精力を浪費するのみで、あれ程の苦悶も比較的価値なき苦悶に終つた処のあるらしいのは惜しいことだつた。

 けれども私はあの一篇が野枝さんにとつてどれ程の力であるか、又どれ程の真実をもつてかゝれたものであるかといふことは信じて疑はぬものである。

 最後にここでは木村氏とT氏に関する自分の感想は成るべく語らないやうにしたといふことを御断りしておく。

(終り)


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号_p100~101)




★木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』(朝日新聞社・1950年5月30日)

★『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』(平凡社・1981年12月10日)

★『辻潤全集 第一巻』(五月書房・1982年4月15日)






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第95回 二通の手紙






文●ツルシカズヒコ





 一九一三(大正二)年七月二日の午前中、野枝と辻と木村荘太は三人で面談をした。

 まずは「動揺」の記述に沿って、その経過を追ってみたい。

 その朝、野枝は腫れぼったい目を押さえて目覚めた。

 午前十時ごろ、野枝と辻は家を出た。

 ふたりが麹町区平河町の木村の下宿に着くと、野枝は不思議なくらい心が静まっていた。

 前夜遅くまで起きて書いたものを荘太に渡した辻は、きっぱりと言った。

「とにかくこの事件の解決は昨晩、私どもふたりの間ではついたのです」

 そして辻は野枝の方を見て、

「お話したらよいだろう」

 と彼女を促した。

「そうですか」

 荘太は相変わらず軽い調子で答えて、辻の書いたものに目を通し始めた。

 辻も荘太も、野枝の予想に反して、昂奮しているふうなところはなかった。

 三人をとりまくその場の空気は、引き締まったものがなく、野枝も一昨日の夜の荘太との面会から昨夜まで続いた激しい気分を、ここで話すという気分になれなかったので、一昨日の夜のように黙っていた。

 辻がちょっと席を立ったとき、荘太が野枝にどう解決がついたのかを尋ねた。

「やはり、私と辻は離れることはできないのです。それに一番最後に私が書いた手紙の内容と今の私の気持ちはずいぶんと乖離してしまいました」

 そう答えた野枝は、どう乖離したかを話すでもなく、黙ってしまった。

 席にもどった辻と荘太がまた話し始めた。

 辻が知りたかったのは、野枝が辻に見せずに出した二通の手紙の内容だった。

 荘太もその手紙に辻が目を通さなければ、話の行き違いが生じると言った。

 野枝はその二通の手紙について、こう書いている。

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 ……手紙の文句などちつとも覚えてもゐませんし、第二のを書いたときの気持とは殆ど連絡がついてゐないのです。

 それが木村氏の方ではちやんとあつてゐるのです。

 尤も木村氏に対する恋は、第一のを書いたときから無意識の間に続いてゐたのかもしれません。

 続いてゐたのだらうと思ひます。

 そうすれば木村氏のその統一も連絡も間違ひはないのです。

 最後の責めは矢張り私にあるのです。

 私の態度が短かい間ながらグラグラ動いてゐたのによるのです。

 慎重を欠いてゐた事が一番悪いのです。

 といつて、私はそう一途に自分を責めるのも何だか可愛さうになつて来ます。

 けれども悪いには違いありません。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p257~258/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p76~77)





 二通の手紙を辻に見せることになったが、荘太によれば、それは荘太の弟である木村荘八のところに預けてあるという。

 野枝はそれを聞いて腹が立った。

 要するに荘太の本音は、このラブアフェアをネタに小説でも書いてみたい、というあたりにあるのだろうと認識したからである。

 三人は荘八の下宿のある赤坂まで歩いた。

 その途中、野枝は荘太から見せられた福士幸次郎の手紙の文面を思い浮かべていた。

「ハスには気の毒だが、今の我々には何の関係もない人だ。ハスのことなど問題じゃない」という文面である。

 荘太のとりまきがいかにも口にしそうな、あまりに乱暴な言葉に、腹が立つのを通り越して、嘲笑したい気分になった。

 若い男たちが四、五人くらいいるらしい、赤坂一ツ木(ひとつぎ)の荘八の下宿に着くと、荘太は二階に上がり手紙を持って下りて来た。

 荘太の顔には少し怒気があるように、野枝には見えた。





 Tは第一の手紙を見て私に渡しました。

 私はその手紙には自分の書いた手紙ながらかなりおどろきました。

 こんな事書いたかしらと首傾げる程激しい文句ああるのです。

 けれども私はそれを書くときに決してふまじめだつたのではありません。

 書いた事はみんなそのときの偽らない気分をそのまゝ発表したのです。

 で私は「この二通とも書いた気持は本当です。決して虚偽ではありません。」と申しました。

 私はTが必ずこの手紙には多少怒つた気色を見せるだらうと思ひましたがそれほどでもありませんでした。

 私は二人の人を前に顔を見ますとふと大きな声出して笑ひ度いやうな、小さな声で歌でも歌いたいやうな気持ちになりました。

 一昨日からあの恐ろしい激動と惑乱の中に私を投げ込んだ大事件の結末をいまつけやうとしてゐるのだと云ふやうな引きしまつた、はりつめた気にはどうしてもなれなくてたゞ、もうのん気な気持ちになつて、怒気を含んでギラ/\光つてゐる木村氏の目を見ても何とも感じませんし、おさへやう/\としてもふわ/\した気持ちになつてしまふのです。

「侮辱せずにはゐられません」と云ふ木村氏の言葉が耳に入ると私はもう少しでふき出す処でした。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p259~260/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p77~78)





 辻と一緒に荘太の下宿を辞した野枝は、急に浮ついた気持ちになって、まっすぐに体を伸ばして歩いた。

 二、三町も歩くと、今ごろあの二階でみんなでわいわいと、自分たちふたりに対してありったけの侮蔑と嘲笑を浴びせているのだろうなと思ったが、野枝は気持ちのいいほど大きな声で反対に嘲笑してやりたいような気がした。


 そうして、私は木村氏に対していくらか苦しい同情を持たずにはゐられまいと思つた来るときの期待がまつたく外れてしまつて紀尾井町(きおいちよう)の辺を歩いてゐるときには、もう全く私の頭の中には何物もないやうになりました。

 割合につまらない人だと思う他には、ただ、何だか四五本の手紙でも訳もなく動揺した自分がはづかしくなつたことゝあんな手紙をわざ/\まじめに書いて、すつかり自分を明けひろげた事が何だか損をしたやうな気持ちがして、どうしても私は是非この事を書かうと思つたきりです。

 それで一と先づ事件は片付きました。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p260/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p78)




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)



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第94回 筆談






文●ツルシカズヒコ



 辻が白紙に鉛筆で細かく書いたものには、こう記してあった。


 私は今非常に苦しんでゐる。

 もう落ちついて仕事なんぞしてゐられなくなる。

 私は実際昨晩位おまへに対して深い憎悪を抱いた事は恐らくあるまい。

 私は幾度も自分の心に湧き上つてくるあさましい嫉妬を消さうと試みた。

 然しそれは無駄であつた。

 私はそれに木村と云ふ人に対する第一印象があまりよくなかつた。

 私は成るべく外形に囚はれたくないと思ひ又自分の愛を奪はうとした男だと云ふ様な偏見から脱却して落ちついた公平な心持を抱きたいと努めた。

 しかし私にはあの人のなんとなくなまめかしい容子(具体的に云へば金縁の眼鏡をかけたり髪をきれいに別けたりしてゐる様子)に少なからず反感を持つた。

 しかし私は木村氏が帰つてからまた手紙を出して読んで見た。

 そうして私は務めて氏に対する悪感をのぞき去らうとした。

 私は少なくともおまへが夕方(母の処へ行く事になつてゐる。そうして妹はなんべんもそれを云つてゐた。)までには帰るだらうと思つたけれどもとう/\帰つて来ない。

 すると私は木村氏の云つた言葉を思ひ出した「野枝さんが是非お目に懸り度いと仰云つたのでーー」と云ふ様な事を聞かされたことを。

 私は……おれにだまつて書いてゐる手紙があるのだらうといふ考が起ると私は耐らない憤りを覚えずにはゐられなかつた。

 それに電報をかけるといふ程至急におまへに会ひたいと云ふ木村氏の態度にも了解出来ない処がある。

 私の頭はメチヤクチヤになつた。

 もう公平な判断なぞ出来なくなつてきた。

 そのうちに日は全く暮れる。

 妹は私に一緒に行つてくれと云う。

 一人で行けとどなつた。

 しかし妹はしきりに行きたがつてゐる。

 それにまた今夜行かなかつたら母はさぞ情なく心細く思ふであらうと考へると俺は傍にピストルでもあれば頭を打貫きたい位に考へた。

 私はWの家へ行つて母から色々な泣事をきかされても俺の方はそれよりもつと痛切なことで一杯になつてゐるという腹があるので黙つてきいてゐた。

 母がかあいさうだと思ふ他なんの気持ちも起らなかつた。

 俺等はかへつて来た。

 而してもう多分おまへが帰つてゐるだらうとそればかりを考へてゐた。

 そうしておまへは帰つてゐない。

 私は絶望のドン底に沈んでしまつた。

 おまえが帰つて来たときおまへのあの眼鏡をかけた姿を見た時俺は「女の浅薄」をまざまざと見せつけられた様に感じた。

 そうしておまへが見え透いたやうな弁解をした時俺は愈々(いよいよ)腹が立つた。

 そうして情なくなつた。

 私は今夜のこの心持ちをあいまいに葬り去りたくなかつた。

 私はおまへの心が……動揺してゐることを感ぜずにはゐられなかつた。

 私はおまへの心がはつきり知り度かつた。

 私とおまへの間は絶対でなければならない。

 私は正直におまへの心持を知り度いと思つた。

 おまへは俺と生活するより以上によい生き方が出来ると信ずる男があれば俺はその時おまへを止める資格はないと思ふ。

 私は私自からのために私を愛してくれる女を要求したのである。

 そうして今迄は汝が確かに俺を愛し俺と一緒によく苦しんでくれたことは私にはよくわかつてゐる。

 僕等の関係は常に進まなければならないと思ふ。

 出来得る丈相互に深く触れ合はなければならないと思つてゐる。

 出来得る丈け真実の生活を営まなければならないと思つてゐる。

 そして私は又考へる。

 若し私等三人の理解がたとへ明らかになり得た処で私等は今その様な(即ち友人を新しく作つて往来するといふやうなこと)余裕があるだらうか。

 それをよく考へてみたい。

 若し私等二人限(き)りの生活とした時に私は果たしておまへを自由に手放して昨夜の様におそく迄おまへの外出をゆるしてすましてゐることが出来るであらうかといふ事をつく/″\考へて見た。

 それは今の私には到底出来さうもない。(私がもつと進んだら或は出来るかも知れないないけれど、あるひは又出来ないのがほんとうなのかも知れない。)

 で、私はまたおまへの事を考へて見る。

 おまへは家事の些細な仕事は到底自分の進んで行く道の大なる邪魔になると思ふなら、而して又子供を養育すると云ふやうな煩雑に耐え得ないと信ずるなら、又そんな事をする為めに自分の欲してゐる生き方をさまたげられるといふ様な念を絶えず頭に持つてゐるなら私はどうしたらよいだらう。

 幸ひにして母でも健康である間は家事のことはまかして置かれるけれど一端病気にでもなつた時はおまへはどうしても家事のために自分を犠牲にしなければならない。

 そのときおまへは何の苦痛も矛盾もなくそれをやつて行かれるであらうか私はそんな事まで考へ初めたのだ。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』p246~250/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p71~73)

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 読みながら耐らなくなった野枝は、すぐに鉛筆を持って書いた。


 ……私の最後のーー私が木村さんに書いた手紙ついてはあなたに何にも云ひませんでした。

 それがあつたので私は私の明かな返事を木村さんに与へるに就いてもぜひあなたの前でなければならないと思つて何にも云はずにだまつてゐました。

 木村さんに私が書いた最後の手紙には私の方からお目に懸り度いと云ふ事も申しました。

 そうして私はかなりあの木村さんの心待に動かされたのです。

 それは本当です。

 木村さんの激した心にそれがどんな心持を与へるかと静かに考へたとき、私は恐ろしくなつたのです。

 たゞ頭一ぱいになるのはあなたに対して何と云つていゝかと云ふ事ばかしです。

 私はあなたのお留守の間机の前にすはつてその事ばかし毎日泣いてゐました。

 その返事が来しだいにあなたにそれを見て頂いて私の書いた手紙の内容もはなしておわびしやうと思つたのです。

 とうとう返事が来ないので私は木村さんに別に何の激動も与へずにすんだ事と安神しました。

 そのうちに昨日電報が来ましたのでどうしやうかと思ひましたけれどもあなたのおかへりまでに帰つておはなしすればよいと思つて出掛けたのです。

 けれども小母さんのうちでねてゐたりしたのでおそくなつてしまつたのです。

 七時頃木村さんが帰つて来ました。

 そして私ははじめて私の最後の手紙の為めに木村さんに大変感ちがいをされた事を覚りました。

 木村さんは私のその手紙を見ると直ぐに返事を出したのださうです。

 それに来てくれと書いておいたのに来ないので電報をうつたのだとの事です。

 その返事はとう/\私の手にはいらずじまひです。

 昨夜はかなりいろ/\な事を云つて迫られました。

 けれども私は手紙で稍々(やや)感動したのとはまるで反対に相対してゐましても私の心はさう騒ぎはしませんでした。

 たゞ私はそれが何も彼も皆あなたと私との間の固い結合に対する試みじやないかといふやうな気ばかり致しました。

 それで木村さんのいふことをだまつて聞いてゐました。

 そして何に対しても返事は致しませんでした。

 唯あなたと私との愛に就いて聞かれたときそれは真実で深い愛着があるといふ事を明言いたしました。

 帰つて来るまで別に大して違つた気持ちは持つてゐませんでしたけれどもたヾあなたが非常に私に憎悪の感を抱いて怒つてらつしやるとわかつたとき私の心は一斉に動き出したのです。

 そして何だか自分の気持ちが分らなくなつてしまひました。

 私の木村さんに対する苦しい気持ちはまつたく自分でいけないのだから仕方がありません。

 たヾ私はあなたにどうしていゝかわかりません本当にどうしていゝか分らないのです。

 私はいまあなたからはなれて行く位なら生きてゐない方がましです。

 生きられません。

 木村さんの処へは今夜行つてもかまひませんけれど私はまだ激してゐますから少ししづかになつて行きませう。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_250~254/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p73~75)





 さらにふたりは、こんな筆談を続けた。


「おまへの態度はよく分かった。

 しかしおまへが俺に対して与えた傷は容易に癒されさうもない。

 又私の木村氏に対する感情も余程変つたものになつて来た。

 しかし私はなるべく落ち付いて出来る丈理解したいと思ふ。

 然し私は若しも木村氏が友人として交際することを許してもらいたいと云ふとき私はそれを拒みたい。

 強いて自分をごまかして又後になつてつまらない結果をもたらしたくない。

 おまへはそれをハツキリ拒絶する事が出来るか」

「無論そうでなければなりません。」

「それでわかつた。出来れば今夜、しかし留守だといけないから明朝早く行かう。」

「明日午前に来てくれと云つて来ましたからあなたがさしつかえなければ行きます。」

「おまへは会つて木村氏が何と云つてもハツキリ拒絶する勇気があるか」

「きつとあります」


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』p254~255/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p75)


 鉛筆を置いて辻と顔を見合わせた野枝の顔に、思わず軽い微笑が浮かんだ。

 筆談中には張り詰めていたふたりの心が、緩みほぐれながら絡み合った。
 



★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index




posted by kazuhikotsurushi2 at 18:28| 本文

第93回 絵葉書






文●ツルシカズヒコ



 一九一三(大正二)年七月一日。

 野枝は前夜の疲れと頭痛のために昼ごろまで寝ていた。

 昼ごろ起きて机の前に座り、辻が帰るまでに自分の気持ちを書いておこうとしたが、なかなか書けなかったので、今宿の父のところに手紙を書いた。

 机の上に見覚えのない絵葉書があったので裏返すと、奥村博と赤城山に滞在中のらいてうからだった。

 長閑(のどか)な景色の絵を見ていると、緊張していた神経が緩んでボンヤリしてしまった。

 野枝はらいてうに返信の葉書を書き始めた。

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 おはがきうれしく拝見。

 随分待ちました。

 校正は廿六日にすみました。

 あなたからたのまれた事は廿五日に文祥堂に岩野さんが見えましたので話しました。

 雑誌がまだ出来ないので出来しだいHさんの処へお送りしやうと思つてゐます。

 私もこの頃例の事件で苦しめられてゐるのです。

 私はどうしていゝか分らない。

 ずいぶん困つた事になつたのです。

 私は身のおき場もないやうなんです。

 本当に困つたことになりました。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p242~243/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p68~69)





「H」はらいてうのこと。

 ここまで書くと、野枝は急に調子が軽くなって、なんだか他人のローマンスでも盗んで誇張して話してゐるやうな気持ちになり、後を続けた。


 私の目からは今のTもKもおんなじやうに真面目であり、そしてパツシヨネイトな点に於ては変らないのです。

 そして、TとKとが相互に理解し合つて明るい感情をもってゐるだけ私が一番苦しい処にたつてゐます。

 殊にKの周囲が極端に緊張してゐるせひか、Kの感激が非常なものです。

 Tはたヾだまつて私を見てゐます。

 私はTとはなれるといふ事は大変な大問題です。

 Kを拒む事にも努力を要します。

 然し解決は非常に急ぐのです。

 多分あなたが山からお降りになる頃は片がついてゐるでせう。

 私も山へでも逃げ出し度くなりました。

 あの絵葉書は大変気に入りました。

 閑古鳥のなくのはまだ一度も聞いた事がありません。

 いゝはなしを沢山に願ひます。

 さよなら。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p243~244/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p69)





「T」は辻で「K」は木村荘太のことである。

 こういう気持ちで書いたものを辻に見せたくなかったので、野枝はすぐに出しに行こうかと思ったが、体がだるかったので横になった。

 野枝が今宿の父に手紙を書いたその心理について、らいてうはこう書いている。


 野枝さんは……T氏との自由恋愛を遂げんが為め、背いて来たその親に、かうした時、かうした心でふと手紙を書く気になつた悲しい、淋しい、空虚を感じてゐる野枝さんの苦しい心持が無暗に可哀相なやうな気がして出来ることなら相談相手にでも出かけたいやうな気持になつた。

 ふだんは潜んで分らずにゐた親子間の愛情の微妙な働きを思はせられた。


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号_p100)





 辻がきつい顔をして夕方、帰って来た。

 辻と恒と三人でご飯を食べている間も、辻の眼は冷たく光っていた。

 野枝は辻のよそよそしさが口惜しく、これが自分の恋人なのかと思うと、情けなくなった。

 不味いご飯をすまして、野枝は先刻の郵便を出そうと思い、らいてうに宛てた葉書を懐にしまい、父に宛てた手紙を持って出ようとした。

 辻がどこへ出すのだと咎めた。

 野枝はその手紙を黙って辻に示すと、辻は自分の手に取って開こうとした。

「何も書いてありはしません」

 と言って野枝はそれを取り返して、すたすた台所を通って裏から外へ出ようとした。

 下駄をはこうとしている野枝を辻が追いすがって来て、野枝の手を取るやいなやズルズル引きずり込んだ。

 野枝は意地にも渡すまいとしたが、辻はその手紙を野枝の手からもぎ取った。

 野枝はそこにのめったまま大声で泣いた。

 野枝の目から涙が湧くように流れ落ちた。

 そこからまた辻は野枝を部屋まで引きずり入れた。





 野枝は今にも息が止まりそうになり、水を飲ませてもらったが、涙が後か後から湧くように流れた。

 野枝の感情が少し静まりかけたころ、辻は野枝の懐にあったらいてう宛ての葉書を見つけ出した。

 読み終えた辻が言った。


「僕は昨日からちつとも明るい気持ちでなんかゐないよ。僕は昨夜から苦しくつてたまらないのだ。」

 と、震えを帯びたたまらなさうな腹立声で叩きつけるやうな言葉つきなのです。

「おい、これから木村の処へ行かう」と云ひ出すのです。

 私の頭の中は何が何だか分らなくなつてしまひました。

 私は紙と鉛筆をとつてもらつて、

「あなたをはなれては私は生きられない。」

 と書きました。

「だからこれから木村の処へ行つてはつきりした態度を見せてこやう。」

「あしたの晩まで待つて下さい。」

「おまえの昨夜の態度はどうだつたのか。」

「私は何にも別に云ひません。殆んどだまつてゐました。そして、私はあなたに対するが愛が少しも虚偽でない事を明言して来ました。」

「兎に角これを読んでくれ。僕は苦しくてたまらないんだ。」

 とTは白紙に鉛筆で細かく書いたものを渡しました。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p245~246/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p70~71)




★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index




posted by kazuhikotsurushi2 at 17:14| 本文

第92回 ヴハニティー






文●ツルシカズヒコ





 一九一三(大正二)年六月三十日の夜十時ごろ、麹町区平河町の荘太の下宿を出た野枝は、半蔵門から市電に乗った。

 早く帰って辻に話したいと思い、電車の走るのももどかしかった。

 北豊島郡上駒込の家に帰ると、辻だけ起きていて何か書いていた。

 野枝が部屋に入りチラっと見た辻の眼は、激しい怒りに燃えていた。

 野枝は体が硬くなり、ひと言も口をきけなかった。

 辻は今まで見たことのない憎々しい眼で野枝を睨みつけていたが、黙って紙に何か書いて野枝に放り投げた。

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「おまへはヴハニティーがあるね」

 私は何にも答へる事もが出来ません。続いて

「そう云ふ自覚を持つてゐないとすればおまへは自覚がないのだ」

 それでもだまつてゐました。

 体がブル/\震えるのです。

 何の意味だかまるきり分りません。

「おまへは、今日、校正に行つたのか?」

 尖った、重い、頭をひどく打つやうな声なのです。

「眼鏡は何の為めにかけたのだ」


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p237/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p65~66)





 野枝は我慢ができなくなった。

 眼鏡をかけたのは今日が初めてではない。

 普段は用いなくてもすむようになったが、以前は眼鏡がなくてはならなかったのも辻は知っている。

 頭の具合が悪いときに使ってもいるし、辻自身がかけろということさえあるのに。

 今日はお湯の帰りに、あんまり眼がチカチカしたので、そうならないようにかけて出たのだ。

 それに木村に初めて会った日も、校正中だったので眼鏡をかけて会った。

 今日かけていっても、そんなに変わった感を与えはしないだろう。


 この男の私に対する愛は些細なこんな事にまで動揺するのかしら。

 あゝ私は何処までもひとりで行ける。

 屹度行つて見せる。

 あの憎らしい目は何だらう。

 あの目が憎らしい目が驚異にみはる程私はこの今のあの男に対する悲憤で自分を育てゝ見せてやる。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p238~239/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p66)


 いまいましくなって、野枝はそこに突っ伏した。

 思いつめた野枝の眼から涙が止めもなく流れた。

 野枝は汗ばんだ着物を脱ぎすてて、寝衣に着替えて床の上に長くなった。

 涙目で辻の背後を見つめていると、また、新しい悲しみが湧いてきた。

 今までふたりで歩いてきた道を振り返えると、辻はたったひとりの同情者、たったひとりの道連れだった。

 野枝は許そうという弱い気持ちにもなった。





 やがて、辻は野枝の枕元に書いたものを置いた。

 
 「私は木村といふ人に対してはなんとも思つてはゐない。

 おまへの態度に就いて非常に不満である、何故今日おまへは母の処に行つてくれないのか、俺が云はなくつても進んで行つてくれさうなものだ、俺はそれを望んでゐたのだ。

 おまへの態度は甚だ不純だと思ふ。

 今夜私はおまへの真実を聞き度いーーおまへは俺に対してハツキリした態度をとつてゐない。

 私は不満である」


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p239/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p67)






 そんなにまで自分の態度は不明瞭なのだろうかーー不快になった野枝が書いた。


「私は今夜疲れてゐて何も書けません。明日まで待つて下さい。」と書きました。

「明日まで待つてはゐられない。今夜中に今直ぐ書いてくれ。」

「今日木村さんとあなたの間にどんな話があつたのです。」

 私はふと思ひ出してこんな事を書きました。

「そんな事を聞いてはゐない。私は只だ書きかけたものを見せた迄だ」

「私には今夜は到底書けません。

 ……心からにくらしそうに怒つてゐらつしやるあなたに……何を云つても解つては下さらないやうな気がします。

 お母さんの事はすみません。

 早くかへり度いと思つて大急ぎで出かけましたけれども事務所によつたのです。

 崕を歩いてゐますと大変めまいがしましたので……四時すぎまで小母さんの処に休んで、それから小母さんんと一緒に出かけました。

 木村さんの処へ行きますと置き手紙がしてあつて、どうしても待つてゐなければなりませんでしたから、待つてやつと七時頃木村さんは帰つて来たのです。

 お母さんの処へは明日まゐります。」

「母の処へは、今晩妹と二人で行つて来たからもう行く必要はない。多分明日か明後日頃帰つて来るだらう。」


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p240/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p67)





 野枝は上向きになって、胸の上に手を重ねて目を瞑ってじっと、今朝からのことを考えた。

 辻はしばらく何か書いているようだったが、余程たって辻も横になった。

 野枝は身動きもせずにいた。

 辻はため息をついては動いていた。

 そうしているうちに、野枝はうとうとして、ふいと手を伸ばす拍子に、グイとその手を取られると、全身がブルブル震えた。


「おまえの心が動いてゐるのなら静かに別れやうその方がいゝだらう」

 息づまるやうな声でそつと囁かれると私の全身は電気にでもうたれたやうに手も足も胴も首もまつすぐに硬くなつてしまひました。

「いやだ!いやだ!」

 といふ自身の声さへ二言目には分らなくなつて、息もとまつてしまひ、意識も何も失せてしまふやうな苦しさなのです。

 ……やうやく一息ついたとき、Tのなだめる言葉がやつと耳に入りました。

 だん/\落ち着いて来て、先刻の言葉を思ひ出しますと、またしみ/″\と新らしい涙が浮んで来るのです。


(「動揺」/『青鞜』1913年8月号・3巻8号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p241/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p68)





 ここまでの過程での野枝の辻に対する態度と辻の反応について、らいてうはこう書いている。


 木村氏と自分の交渉がT氏にどういふ感じを与えるだらうかといふことは野枝さんの最初からの可愛いい心配だった。

 その心配は事件の発展と共に進んで、見せずに出した二通の手紙のあることに思ひ至つた時、野枝さんはもうまともにT氏の顔を見てはゐられなかつた。

 私はそこに愛するものの心でなく愛されるものの心を見た。

 人を愛さうとするよりも、愛されやうとする野枝さんを見た。

 妊娠してゐる女の弱味といふものも多少手伝つてゐるのかも知れないが野枝さんの中になほ女らしい女の心の多分にあるのを見た。

 殊に手紙に就いて問はれた時、とうと誤魔化して仕舞つて、「別に大したことも書かなかつたやうだ」などと思ひながらいつか眠て仕舞ふあたりは弱者である女の「かよわい強さ」を心憎い程感じさせる。

 あんまり子供らし過ぎるといふより外私には何の言葉も見出し得ない。

 今迄可成り寛大に見過してゐたT氏も、野枝さんの態度を不明瞭と見た時、烈しい嫉妬をもつて対した。

 そして「お前の心が動いてゐるのなら静かに別れやう、その方がいゝだらう」とまで遂に云ひ出すやうになつた。


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号・3巻11号_p99~100)



★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)




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posted by kazuhikotsurushi2 at 16:49| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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