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2016年04月17日

第96回 あの手紙






文●ツルシカズヒコ




 一九一三(大正二)年七月二日の午前中に行なわれた、野枝と辻と木村荘太の面談。

 荘太がリアルタイムで書いた「牽引」の記述に沿って、その経過を追ってみたい。

 この日また下宿に来てくれと野枝に手紙を書いたのは、荘太だった。

 午前九時頃、下宿の婢が「伊藤さんがいらっしゃいました」と荘太に来訪を告げた。

 荘太が取り散らかしていた部屋を片づけていると、障子を開けて入って来たのは、思いがけず辻だった。

 その後に野枝が続いた。

 荘太は野枝だけが来るものと思っていたのである。

 三人は向かい合い、挨拶がすむと、辻が野枝の方を向いていった。

「おまえが申し上げたらよかろう」

 野枝はうつむいて目を落とした。

 一昨日の晩とはまるでその顔が違っていて、散々泣いたという目つきだった。

 荘太は野枝が完全に自由を失っていると即座に感じ、「間抜けなやつだ」と思って冷やかに彼女を見た。

 野枝はそのままうつむいて黙っていた。

 辻が原稿紙を荘太に渡した。

 荘太が受け取って読みかけると、辻がいい添えた。

「お読みになるうちに、不快に思われるようなことが書いてあるかもしれません」

「僕も先日あなたにいい感じを持てませんでした。とにかく拝見してみます」

 と荘太は応え、読み始めた。

 その内容は、前夜、辻が野枝に見せた白紙に鉛筆で細かく書いたもの(第94回)をベースに、加筆・修正したものである。

 以下、おもな加筆・修正した部分を引用。

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 あなたは偉大なる正直を宝にしたいとおつしやいました。

 私も同感です。

 私は昨日あな たに御自にかかつてからの心持、また私の野枝子に対する心持を一切正直に御話したいと思ひます。

 これは私が今日午前労働の最中、僅かの暇をぬすんで書きつけたものでございます。

 母の事は御話しなくつては解りません。

 一月許り家を出て行衛がわからなかつたのです。

 さうしてやうやく一昨日わかつたのです。
 
 長くなりますからこれは略します。

 私は昨夜、野枝子に対して All or Nothing の態度に出たのです。

 しかし野枝子は何分にも激動して口もろくには聞けません――只だ明日ゆつくり落付て書きますといふばかりです――私は苦しくつて耐りません。

 とても安眠することなどどうして出来ませう。

 私は幾度かうながしました。

 しかし彼女の激動がはげしく稍もするとヒステリックになるので、 私には弱い心が起つてとにかく一日丈忍ぶことにしたのです。

 無論私は今日外に出て働いて居ります間も絶へず苦しみに苦しみました。

 私は野枝子の返事に対してさまざまの危惧を抱いて急いでかへりました。

 私は帰ると早速書いたものを要求したのです。

 けれどあなたからの御手紙の他はなにものをも見ることが出来ませんでした。

 私は又不安で耐らなくなりました。

 夕飯をすましてから野枝子には父に宛てた書面を出しに行こうとしました。

  私はその手紙を求めました。

 野枝子はそれを拒みました。

 私は又憤がムラ~~と発してきて彼女の手からその書面を奪とりました(ママ)。

 野枝子は又昂奮して泣き倒れました。

 而してヒステリーの状態になつて喘ぎ初めました。

 私は水を口うつしにしてやり、彼女の心を出来る丈静めやうと務めました。

 暫時後、落付たので私は今日書きましたものを見せて、 静かに又解決を促がしました。

 そうして私は急(ママ)ぐ今夜にもあなたに御目にかかつて私等の態度を明瞭にしたいと思ひました。


(木村荘太「牽引」_p34~35/『生活』1913年8月号)





 この後の文面は、前夜、野枝と辻が筆談で交わしたもの(第94回)が続いている。

 そして、締めの文章は「もつと書きたいのですが、今朝あなたの御宅に出かけることになりましたので書けません。まだ言ひたりないことが沢山ある様に感じてゐますからいづれ落付てから書きたいと思ひます。(二日朝)」。

 荘太がこの手紙を読んでいる最中、辻が便所に立った。

 荘太はその時、野枝に糺した。

「じゃあ、あなたは僕を離れようとするんですね。もう僕を離れてしまえるんですね」

 野枝は微かに肯いた。

 辻が戻ると三人は無言になった。

 荘太が手紙を読み終えると、辻が荘太にいった。

「これでなんにも後に残さず、お互いに理解し合ってお別れしたいと思います」

 荘太が答えた。

「僕はそうはゆきません。僕にはあなた方に対して嫌な感じが残るだろうと思います。自然にそれが残るものなら僕はどんどん残します。それに、あなたも僕を理解されてると思いません。あなたは野枝さんがあなたに隠して出した手紙を、ひとつだけだと思つておいでになるのでしょう。外にもうひとつあるはずです」

 荘太は野枝の顔を見ながら続けた。

「ねえ、文祥堂から出した後の方のは、あなたは辻さんにお見せにはなりますまい」

 野枝は苦しい色を浮べて肯いた。

「そんな手紙があるのか」

 と辻は咳き込んで、野枝の顔を見つめた。

 野枝は黙って肯いた。

「あの半紙へ黒で書いた手紙、あれはあなたも御覧になったと思いますが、であの手紙は出すまでに二日遅れているのです。そしてもう一通、あなたの知らない手紙と一緒に僕のところへ来ているのです。それが御解りにならないでいては、僕はほんとうに御解りになりはしません」

 すると、辻がきっぱりといった。

「その手紙を拝見させて頂きます」

「今、僕のところにありません。弟のところへ置いて来てあります」

「じゃあ、弟さんのところへ、ご一緒に参りましょう。弟さんにもお会いしたいし」

 辻が小学校の教師をしているとき、家庭教師として木村荘八に初歩の英語を教えていたことがあった。

 それを荘太が辻から聞いたのは、六月三十日に荘太が辻の家を訪れたときだった。

「ええ、行きましょう」

 荘太はそういって笑った。

 辻はその時、

「これで解った」

 といいながら軽佻に立ちあがった。

「ああ、これで気持ちがいい、気持ちがいい」

 荘太はその辻の態度を冷やかに鑑賞し、軽蔑しかつ不快に思った。

 三人は赤坂の木村荘八の下宿に行き、荘太が辻に野枝から届いた手紙をすべて見せた。

 辻はそれを読み終ってから、

「こりやみんな本当で書いたんだな」 と肯くようにいって、野枝を顧みて、それから荘太の顔を見た。

「とにかく解決しておきましょう」

 といって、荘太は再び今度は辻の前で野枝にいった。

「あなたは僕を離れるのですね」

  野枝はわずかに反抗するやうに決意を示して、

「ええ、私もっとゆっくり落ちついて、後の手紙を書けばよかったのです。それに手紙で想像したのとは、お会いした感じがすっかり違ったのです。大変に冷静でした……。私は今のまんまで幸福だと思います。それにこの上、自分が激動したくありませんから」

 そして、辻がいった。

「もう、これでお互いに嫌な思いを後に残したくないと思います」

「そうはいかないと思います」

 と荘太は答え、さらにこう続けた。

「必然に残れば残す外ありません。僕はあなた方を憎悪、いや蔑視します」

 辻は少しせき込んだ。

「憎悪されてもかまいません。しかし、蔑視はできないと思いますね。僕はあらゆる場合に、蔑視だけはしたくないのです」

「僕は蔑視するのです」

「ああ、そうでしょう。僕もあなたの場合なら、きっと蔑視するでしょう。蔑視しなければ、生きてゆかれませんからね」

 荘太はもう何もいいたくなかつたが、最後に野枝に向かっていった。

「僕はあなたを蔑視して棄てます」

 野枝は荘太から受け取った手紙を持って来ていた。

 荘太がこの出来事を書くからといって、野枝に頼んでいたからである。

 荘太はその手紙を受け取って、野枝から受け取った手紙と一緒にした。

 辻が野枝にいった。

「おまえも自分のを、いただいていったらよかろう」

「いえ、僕がいただいた手紙ですから、お返しはできません。野枝さんからは、これは拝借するのです。いけないとおつしゃれば、自分の手紙は思い出しても書きますが、もしかそうして嘘になるより拝借したいと思うのです」

「あ、そうですか。では、もしまたこちらでも入用があったら、それを拝借するかもしれません」

「ええ、ええ」

 それから、辻は野枝を下へ残し、荘太と二階へ一緒に上がり、荘八と少し話した。

 野枝が見なかった手紙の一件について、辻が弁解がましくいった。

「市外でよく届かないことなぞがあるんです」

 そうして直きにふたりは帰っていった。


 僕はふたりが戸口を出るのを見送ると、男は女が隠して出した手紙の事を今日までも尚隠してゐた事、女はまたその男が僕の手紙を奪つた事に就き、途々互ひに安価なレコンシリエエション(和解)をしながら帰つてゆくさまを想像した。

 するうち僕には女に対するヂスイリユウジョン(幻滅)の思ひも、予期の全く外れ終つた失望の感も、一切すべてが湧き上る強い力の自覚のうちに溶け去つた。

 僕はその快感のうちに思はずひとりして肩をゆすつた。


(木村荘太「牽引」_p39/『生活』1913年8月号)


 野枝と荘太は、お互いに相手から届いた手紙を相手に一時返却することにし、それを写し終えたら返却することにした。

 この事件の顛末について、野枝と荘太はお互いに「事実」を世に発表することにしたからである。

 そして、荘太は『生活』八月号に「牽引」を寄稿し、野枝は『青鞜』八月号に「動揺」を寄稿した。





 さて、この騒動から37年後の1950年、荘太が上梓した『魔の宴』ではこの一件をどう「総括」しているのか。

 傲慢、高慢だった若き日の自分を荘太が切々と回顧しているように、私には思えるが、それを追ってみたい。

 ちなみに、『魔の宴』執筆時、荘太は「牽引」を掲載した雑誌『生活』をなくしてしまい、『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』に収録された「動揺」を見ながら、執筆しているのである。


 だが、私には、そうして捨てたといいながら、あとまでもこのひとが捨てきれないで、なぜ、こうなつたのだろう?

 なぜ、こんなふうにこのひとを失つたのだろう?

 と考えられて仕方がなかつた。

 ……思い当つたことは、私があまりに高慢な態度をとつていたこと。

 こうなつた以上、来るならば迎えるというような態度をとつていたこと。

 これが対手の独立人格を尊重するゆえんだと思つていたこと。

 そうして女性が寄り添つて来て、結び合わされるので、他人の家庭崩壊の行為が許されるのだと信じたこと。

 そしてそういう反応を向うから示して来なかつた対手をーー不幸な行き違いもあつてーーただちに軽視する気になつたこと。

 しつかりしているようでも、当年とつて僅か十九の幼な妻に、私は過大な要求をかけていすぎたわけだつた。

 いたわることをしないで、一途に難きを強いていたわけだつた。

 という悔いにも似た痛烈な後思案。

 これも当時二十五の男の一途な、むきな若げのいたりだつたのだろう。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p248~252/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p202~205)


 荘太が書いた「牽引」と野枝が書いた「動揺」、両方を読んだ武者小路実篤が、荘太に宛てた葉書を書いた。

 荘太を批判するこの手紙を読んで、荘太は「私はガンと、これで参つた」と書いている。


 ……私がハツとしたのは、私のうちのドン・フアン!

 無意識のうちに、そのドン・フアンは、あのひとが私のために苦しみ、悩み、打ち倒れ、息も詰つて、四苦八苦した有様を、その書いたものでまざまざと見たとき、ひそかに喜んで、私の心の奥では、飛んで、跳ねて、躍つているものがさつぱりなくはなかつたのである。

 手紙のときからそうでなかつた、といえないのである。

 で、征服の効果を一そう強めるために……女を無視して、捨てて、心を傷け破つて、こんどは女に死ぬほども怨ませて行くーーこれがドン・フアンの奥の手なのではなかつたか。

 ひしひしとこう私は自分を顧みて、そのとき武者君の批評に服し、そうして私のドン・フアン的過去をそうまでよく知らないのに、武者君がこう私の急所を突いて来た、この洞察の鋭さを思つた。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p253~254/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p206~207)


 荘太が「自分の物語をつくるため」に、接近したんじゃないかという、野枝の疑いに関してはこう言及している。


 かつて芸術作品ちゆうの主人公のような生きかたをすることに気が向いたひとときを生きていたことがあつたような私。

人妻ゆえに私のほうから一たん思いあきらめても、向うからも心が私に傾いて来ていると知つた女性なら、公然奪うことを敢えて辞さない。

 といつたような心境、場面は、こんど私が筋書きとして心に描いたようなことではちつともなかつたが……私の動機は……そこへ私を躍身させたものには、これが人生の劇の場面としても、自由恋愛の一実験にも当る、一個の爽快事だという感じがしてでもなくはなかつたかもしれない。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p255/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p207~208)


 辻は荘太の第一印象について「私にはあの人の何となく艶めかしい様子(具体的に云へば金縁の眼鏡をかけたり髪をきれいに別けたりしてゐる様子)に少なからず反感を持つた」と書いているが、この記述に対して、荘太はこう反論している。


 この髪をきれいに分けて、というのはかれの見間違えだ。

 私は清子のとき以来、髪に櫛目を入れて分けたということはない。

 ぼうつと伸ばしていただけである。

 金縁の眼鏡のほうは、近視で掛けていたのだが、縁は金なら厳寒のところに行つても、耳に凍りつかぬと聞いていて、家を出てからも、実用の意味で掛けていたのだつたが、この金縁がそう見えるかと思つたら、それでいやになつて、この辻に書かれてからは、売つ払つて、黒の赤銅縁に代えた。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p256/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p209)


『魔の宴』のラストは、辻が野枝に書いた文面の引用で始まり、それをじっくり読み返した荘太の述懐で終わっている。

 
 俺は傍にピストルでもあれば頭を打ち貫きたい位に考へた。

 お前は俺と生活するより以上によい生き方が出来ると信ずる男があれば、俺はその時お前を止める資格はないと思ふ……

 で私は、おまへの事を考へて見る。

 おまへは家事の些細な仕事は到底自分の進んでゆく道の大なる邪魔になると思ふなら、そして亦子供を養育すると云ふやうな煩雑に耐え得ないと信ずるなら、又そんな事をするために自分の欲してゐる生き方を妨げられると云ふやうな念をたえず頭に持つてゐるなら、私はどうしたらよいだらう。

 私は……私は……

 と最後に慟哭するように男がこう書いたものを読んだときに、かの女の心はついにそれに屈した、とあるのをさらによく読んで、私は眼光紙背に徹したとき、あのひとは身篭つていたのだと知つた。

 ああ、思い当ればあのひとは六月の末で、もうかなり暑いのに、単衣の上に薄い被布のようなものを着ていた。

 若い男の身でもつて、私はそれで目を蔽われていた。

 そう思つて、私はいじらしく、かの女のそのときの、そのいい得ないものも心に持つていた立ち場のことも思いやる思いに堪えられぬ心持にもなつた。

 来られなかつたのも無理はない。

 ものがはつきりいえなかつたのも無理がない。

 ああ!

 人の世にはいろんなことがあるものだ。

 こうと思つたとき、私の心のなかには深い憐憫と、悔恨が静かに湧き上つて来た。


(木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』_p257~258/『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』_p210)
 




 辻はこの事件を、短くこう回想している。


 野枝さんはそのうち「動揺」と云ふながい小説を書いて有名になつた。

 僕の長男が彼女の御腹(おなか)にゐる時で、木村荘太とのイキサツを書いたもので、荘太君はその時「牽引」と云ふやはりながい小説を書いた。

 荘太君のその時の鼻息はすばらしいもので、その中で僕は頭から軽蔑されてゐるのだ。

 僕はその時も、野枝さんの気持ちを尊重して別れてもいいと云つたのだが、野枝さんがイヤだと云ふのでやめにしたのであつた。


(「ふもれすく」/『婦人公論』1924年2月号_p11~12/五月書房『辻潤全集 第一巻』_p392~393)





 この事件の顛末について、らいてうはこう総括している。


 かうして事件はともかく解決されたのだが、日頃の野枝さんを知つてゐる私にはあの解決の仕方は野枝さんとしては少し恥づかしいものではないかと思ふ。

 野枝さんが今少し強くて、あの激動の中にあつてもなほよく自己を最後まで保つてゐられる人だつたなら、T氏にあゝ迄干渉されずとも(T氏は決して好んで干渉する人ではない。)あんな不面目な位置に(自分のしでかした事件の解決をT氏に委ねて、自分はT氏に引きずられて出かけたといふやうな)身を置かずともいくらも自分で処置する方法はあつたらうと思ふ。

 それはともあれ、全体としてあの事件は野枝さんに少し荷が重すぎた。

 あれ丈の激動をもち答へる丈の力はまだ野枝さんにはなかつた。

 だから時として激動に食(は)まれて、いたづらに精力を浪費するのみで、あれ程の苦悶も比較的価値なき苦悶に終つた処のあるらしいのは惜しいことだつた。

 けれども私はあの一篇が野枝さんにとつてどれ程の力であるか、又どれ程の真実をもつてかゝれたものであるかといふことは信じて疑はぬものである。

 最後にここでは木村氏とT氏に関する自分の感想は成るべく語らないやうにしたといふことを御断りしておく。

(終り)


(平塚らいてう「『動揺』に現はれたる野枝さん」/『青鞜』1913年11月号_p100~101)




★木村艸太『魔の宴ーー前五十年文学生活の回想』(朝日新聞社・1950年5月30日)

★『日本人の自伝18 木村艸太・亀井勝一郎』(平凡社・1981年12月10日)

★『辻潤全集 第一巻』(五月書房・1982年4月15日)






●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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