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2016年04月10日

第74回 堀切菖蒲園






文●ツルシカズヒコ



 野枝は『青鞜』六月号の「編輯室より」を担当し、ホワイトキヤツプから届いた封書のことやらいてうの処女出版『円窓より』が発禁になったことに言及しているが、他にこんな言及もしている。


□五月の第一日曜日に茶話会を開きましたが、事務所にお集り下すつたのは、内部の四人をのぞく他、多賀さんが一寸ゐらして下すつたのと岩野さんきりでした。これから一々おしらせ致しませんが、毎週金曜日の他、毎月第一日曜日になるべく御都合の出来る方はゐらして下さいまし。

□九月号には、皆うんと書くつもりでゐます。思い切つたものをおめにかける事が出来るかと思ひます。

□今しばらくの間は、お互ひに沈黙して勉強するのが一番だと思ひます。皆様にも出来得る丈け御勉強をおすゝめ致します。各自の内部の充実と云ふことが、すべての場合に於て最も望ましい事なのです。

□青鞜創刊号は方々から送つて下さいましたので、もう沢山です。


(「編輯室より」/『青鞜』一九一三年六月号・第三巻第六号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)

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 六月中旬のある日、らいてう、清子、哥津、野枝は堀切の菖蒲園で遊んだ。

 ちょっと前、らいてうは田村俊子と菖蒲園を訪れていたが、入園した時刻が遅かったのであまり楽しめず、みんなを誘って再度、訪れたのである。

 野枝が堀切の菖蒲園を訪れるのは初めてだった。

 野枝は何種類もの菖蒲が咲き乱れている園内を歩きながら、数日前、らいてうと交わした会話を思い出していたーー。

「堀切行きはおもしろかった?」

「ええ、田村さんがすっかり酔っ払って、大手を広げて駆け出す格好ったら……」

「田村さん、お酒をたくさん召し上がるの?」

「弱いわ、すぐ酔っちゃってよ」

「田村さんはこのごろ、よく貴女を訪ねていらっしゃるのね」

「そうね、気紛れだから、あの人も」

「でもあの方は気が強いようで案外、弱いんじゃないかと思うところがありますね」

「そうね、あの御夫婦の喧嘩だって、気が強いからってのじゃないでしょうね」

「ええ、それはこのあいだ私が伺ったときに話していらっしゃったわ。締め切りが来ても書けないでイライラしていらっしゃると、旦那様が心配なさるんですって。それがまた癪にさわって、つい喧嘩になるんだっておっしゃったわ」

「嘘じゃないでしょうね」

「だけど、私、お書きになったものでなんか見ると、軽蔑し合っていらっしゃるようでいながら、御一緒にいらっしゃるわね。あんななら、お別れになったらいいだろうと思いますがね」

「私は松魚さんは世間じゃつまらない方のように言っているけど、ひょっとするとたいへん偉い人じゃないかって気がするのよ。たいへん偉い人かたいへん意気地のない人か、どっちかだわ。ああやって、一緒にいらっしゃるのだって、きっと俊子さんが別れたくないのだろうと思うの」

「そうかもしれないわね」





「気の弱いところは、荒木さんだってよく似ているわね。深みに入ってしまって、もうどうすることもできないんでしょう」

「荒木さんは今、一緒にいる人とはちっとも愛がないの?」

「ええ、もちろんでしょう。この前、私が行ったら泣いていたわ。辛いんでしょうね。ずいぶん気兼ねをしているようですものね」

「可哀そうだけど、なぜそんな人と一緒にいなければならないんでしょう」

「だって、もう今じゃどうすることもできないでしょう。あの人はたいへん執念深い人だって言うから」

「初めはお金なんでしょう。いつまでもそうやって縛られているなんて馬鹿馬鹿しいわね」

「つまり、あの人は目先だけの悧巧なのよ。あの目白の家を売るのにずいぶん高くあの人に売ったんでしょう。で、その利益はあったけれど、今度は自分自身ってものを失くしてしまったんですよ」

「そう、私そんなことちっとも知らなかったわ。じゃ、あの増田(増田篤夫)って人との関係はどうなんです?」

「あの人には真実愛があったんでしょうけど、妙なふうになっているんでしょう。まあ、弱い弱い人ね」

「馬鹿げてるわ、そんな。いつか野上さんに、そんなこと聞いたのよ。ちっとも知らなかったんですよ。だけど、荒木さんはなんとかしてその束縛から逃れる気はないのかしら?」

「ないことはないんだわ、そうして苦しんでいるんですもの。恐くてできないんでしょう」

「そう? おかしいわね」

「あの人から復讐されるって言うのよ。それを恐がっているのよ」

「そんなこと馬鹿馬鹿しいわ」





「あなたは荒木さんの話を聞いていないから。あの人は復讐を大真面目に考えているんですって」

「私ならそんな嫌な奴のそばで嫌な月日を送るくらいなら、それよりいっそ殺されでもした方がいいくらいのものだわね」

「まあ、そうだわね。だけど荒木さんにはそれだけの勇気はないんだから仕方がないわ」

「あんなにも手練手管を心得ていそうな人だから、もっと何か智慧が出そうなものね。向こうが嫌がるように、こっちから仕向けるとかいうわけにはゆかないもんかしら」

「そんな貴女がやっきになったって駄目よ、自分のことかなんかのように」

「だって気になるんですもの。本当に、アイヌのゼントルマンだなんて悪口言いながら、あんなに縮こまっている人ってありゃしないわ。増田さんって貴公子みたいな人ですってね」

「ええ、たいへんきれいな人だそうね」

「だけど、まったく荒木さんはつまらない目をみているのね」

「自分でそうなっているんですもの、他から手の出しようはないわね。荒木さんに比べると、お姉さん(荒木滋子)って方はずいぶんいろいろなことをなすったって。だけれども、確(しっか)りしたところがあるらしいわね」

「そう、私このあいだ火事のときにちょっとお目にかかったわ」

 野枝は菖蒲園でみんなととりとめのない話に興じながら、数日前らいてうと交わした会話を思い出し、ひと筋縄ではいかない男と女の関係を思った。

 菖蒲園からの帰り際、野枝は土産物売り場でらいてうに小さな独楽(こま)を買ってもらった。

 帰宅した野枝は、菖蒲園から持ってきたスイートピーを花瓶に飾り、ゴロゴロしながら独楽を回して遊んだ。


明治37年の堀切菖蒲園2 ※堀切菖蒲園3 ※田村俊子『生血(いきち)』 ※田村俊子『木乃伊の口紅



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 12:35| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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