2016年04月09日

第72回 円窓より






文●ツルシカズヒコ


 五月一日、らいてうの処女評論集『圓窓より』(東雲堂)が発行されたが、発売と同時に発禁になった。

「世の婦人達に」が収録されていたからである。

 発禁理由は家族制度破戒と風俗壊乱だった。

 野枝はこうコメントしている。


 らいてうの「圓窓より」が禁止になりました。

 私は何と云つていゝか分りません。

 当分は何も云へません。

 私の感想もあぶなつかしくてとても書く気になりません。


(「編輯室より」/『青鞜』一九一三年六月号・第三巻第六号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)


『圓窓より』は「世の婦人達に」を削除し装幀も変え、六月に『扃(とざし)のある窓』と改題して出版された。

 下田歌子、鳩山春子、嘉悦孝子、津田梅子ら、女子教育家も「軽率にも、無責任にも、ジャーナリズムの描くところの青鞜社なるものを目の敵にし」(『元始(下)』)て見当外れの批判をした。

 らいてうの母校である日本女子大の校長、成瀬仁蔵の「欧米婦人界の新傾向」が『中央公論』四月号に載ったが、らいてうから見れば「俗論に媚び」た批判であり、「世の婦人達に」はこの成瀬仁蔵の「欧米婦人界の新傾向」に対する挑戦、反論だった。

 府下巣鴨町に事務所が移ってから、らいてうはそれまで円窓の部屋に迎えていた来客を事務所の方で会うことにした。

 毎日のようにらいてうの書斎に行っていた、野枝の足も次第に遠のいていった。

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 五月初旬のある日だった。

 その日、野枝はらいてうの書斎を訪ね、『青鞜』の編集作業についていろいろ打ち合わせをした。

 おおかた仕事の話を終えたころ、らいてうが思い出したように微笑みながら呟いた。

「ねえ、燕が大阪から手紙を寄こしてよ」

「そう?」

 野枝は眼を丸くして開いた。

「いつかね、もう、紅吉に脅かされて行ってしまったときに、残り惜しい気がしたから、燕だから時がくればまた帰って来るでしょうというようなことを、私が言っておいたのよ。それを忘れずに寄こしましたよ」

「そう、今、大阪にいらっしゃるの」

「ええ、もう近いうちに帰るでしょう」

 三月の末に帝国劇場で公演し大当たりした近代劇協会の『ファウスト』は、五月一日から大阪の北浜帝国座で十日間の公演をしていたので、出演者のひとりだった奥村も上阪していた。

 北浜の旅館・水明館に宿泊していた奥村は、こう回想している。


 ……或る日、孔雀は大阪朝日新聞を持って彼の部屋にはいって来た。

 浩が指差されたところを見ると、学芸消息欄に広岡の病気を伝えている。

 浩は俄に気になった。

 孔雀はすぐに見舞を出せという。

 それで彼は……居どころ知らさず、名前も書かず、女優の誰かに貰った箕面の風景の絵はがきで昭子に見舞を書いた。


 (奥村博史『めぐりあい 運命序曲』)





『青鞜』五月号「編輯室より」には「らいてうは十日ばかり前からひどい熱に苦しめられてずつと床について居ます」とある。

「だけど、奥村さんってよほど気の弱い方なんですね。あんな紅吉に脅かされて行っておしまいなさるなんて」

「ええ、だけど、紅吉もあのときはずいぶん興奮していましたからね」

「そうですかね。だけど、この前、紅吉に会ったときに、奥村さんとは上山さんのところですっかり仲直りをしたなんて言っていましたよ」

「あの人の言うことですもの、しかし嘘じゃないかもしれないわ」

 野枝はまだ奥村のことを知らなかったので、他に話すこともなく、その話はそれでおしまいになった。

 奥村から絵葉書を受け取ったらいてうは、奥村に手紙を出していた。


 ……近代劇協会と「詩歌」発行所の両方へ奥村の住所を問い合わせると、大塚窪町の新妻莞さんのアドレスを報らせてきました。

 むろんそこが奥村の下宿先と信じたわたくしは、処女出版「円窓より」に手紙を添えて、その宛先へ送りました。

 燕は元の巣に帰ってきました。

 ところがそれは、わたくしの手紙を見たからではありませんでした。

 どういうお考えか、新妻さん気付で送った奥村宛の手紙をこの人は押えてしまい、奥村の手には渡さなかったのでした。


(『原始(下)』)





 そのころ奥村のねぐらは、築地のむさ苦しい貧乏長屋の二階で、原田潤と同居していた。

 関西を旅していた奥村がそのねぐらに戻ったのは、六月の初めだった。

 らいてうが『円窓より』に添えた手紙の文面は、こうだった。


 燕の来るシーズンがきたのでしょうか、ほんとうに!

 私は何だか夢のような気がして只もうあれから興奮しつづけています。

 どうぞあの頃の私をちょっとでも思い出して見て下さい。

 あのことがどれほど大きく私を悲しませ失望させたかを!


(奥村博史『めぐりあい 運命序曲』)


 辻と野枝が芝区芝片門前町から、北豊島郡巣鴨町上駒込三二九番地の借家に移ったのも五月だった。

 隣家は『青鞜』の寄稿者でもある野上彌生子の家だった。



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 13:17| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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