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2016年04月04日

第69回 国府津(こうづ)






文●ツルシカズヒコ



『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p449~450)によれば、 一九一三(大正二)年三月、前年暮れの岡本かの子の処女歌集『かろきねたみ』を青鞜叢書第一編として出版したのに引き続き、『青鞜小説集』が第二編として東雲堂から発行された。

 社員の小笠原貞子の自画自刻の装幀本で、野上弥生子ら青鞜女流作家十八名の作品が収録されている。

 しかし、青鞜の講演会は反響を呼んだが、新聞の無責任な記事による被害もまた甚大で、青鞜の「悪評」が人口に膾炙(かいしゃ)されるようになった。

 この受難期に社員の結束を新たにするために、そして世間の雑音に煩わされないために、らいてうらは自分たちを守り育てることに専念すべきだと考えた。

 そのために「青鞜社文芸研究会」と、地方の社員のためにその講義録の発行を計画した。

「青鞜社文芸研究会」はそれまで内輪の社員だけが集まってやっていた研究会を、広く一般から会員を募集し、会費を徴収し、講師陣に講演を依頼するものだった。

 四月開講予定だった。

 しかし、まず会場探しが難航した。


 保持さんがあのふとった体で、文字どおり足を棒にしてあちこち歩きまわり、どこへ行っても、結局、青鞜社では、新しい女ではというので断わられた末、やっと神田のキリスト教青年会館が引き受けてくれホッとすると、あとを追って断わりがきて、ぬかよろこびとなるのでした。

 ある教会では「あたな方はお酒をあがったり、吉原でお遊びになるそうだから」といって断わられ、またあるところでは「お貸しすることはしますが、待合などには使わないで下さい」と、こんな噴飯ものの誤解を浴びせられて、重い足を引きずりながら帰って来た保持さんが、涙ぐんで報告します。

 わたくしたちは、いまさらながら無責任な新聞記事による、被害の大きさに気づきました。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p451~452)


 保持がひと月歩き回った末にやっと会場は確保したが、周囲を慮ってか会員が集まらなかった。

 申し込んだ後のキャンセルもあった。

 計画は頓挫した。

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 そのころの暮らしについて、野枝はこう記している。


 その頃、私達二人はいろ/\な事から芝の去る家の二階を借りて住んでゐた。

 私達は毎日のやうに辛うじて生きてゆくと云ふばかりの困り方であつた。

 さうして丁度私は悪阻(つわり)の為めに不快な日ばかりが続いた。

 私は暗い惨(みじめ)な生活の中にも私を理解してくれる平塚さん岩野さん哥津ちやんに、それから保持さんと云つたやうな人達に取まかれてゐるのが唯一つの私の慰めであつた。

 さうして私達は更に、窮迫に陥る程いよ/\良人との結合を固くすることも一つの喜びであつた。

 私は丁度その頃講演会以後受る不当な圧迫に私達の心は憤りに満ちてゐた。

 私達が多大の労力と熱心とを以て計画した研究会も重なる世間の誤解の為めにとう/\破れてしまつた。

 さうして私達は飽くまで歩調を一つにして各自、一生懸命に勉強しやうと云ふことになつた。

 芝にゐた大分の時間を私は読書に費した。

 私は出来る丈けいろ/\な書物を読んだ。


(「雑音」/『大阪毎日新聞』1916年2月12日/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p86/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p169)





 本郷区駒込蓬莱町、万年山(まんねんざん)勝林寺の青鞜社の事務所に、らいてう、清子、紅吉、野枝が居合わせたときのことだった。

 岩野泡鳴と同棲する前に、清子は失恋から小田原の国府津(こうづ)の海に入水自殺を謀った。

 その話になった。

 森まゆみ『断髪のモダンガール 42人の大正怪女伝』によれば、清子が入水したのは一九〇九(明治四十二)年の夏だった。

 妻帯者だった新聞記者、中尾五郎を熱愛した清子は「私がどうしても欲しいのなら奥さんと別れて下さい」と迫ったが、中尾は清子との別れを切り出してきたのだった。


 この事件が翌日「ハイカラ美人の入水」として住所実名年齢入りで『二六新報』に報じられる。

 茶番ではないかと思えるほど報道は迅速、そして当時のジャーナリズムの人権感覚のなさもこれまた異様である。

 すっかり有名になった清子にストーカーまがいの求婚者もあらわれる。

 泡鳴が清子と会ったのも、興味本位からかも知れない。


(森まゆみ『断髪のモダンガール 42人の大正怪女伝』_p136)





 事務所を出てからも、四人は歩きながらその話をし、紅吉が寄寓している生田長江宅の部屋に行った。

 野枝は清子の話を聞きながら、清子にそんなローマンチックな過去があったことに驚いた。

 それまで野枝にとって清子は硬い感じのする人だった。

 野枝は清子に会うと心がぎこちなくなった。

 らいてうに対しても、彼女がキチンと坐っているときや、電車の中で隣り合わせて腰かけたりするとき、野枝は堅苦しいような感じがしないではなかったが、初めかららいてうに対しては非常に和らかな親しみを持っていた。

 野枝はらいてうのいつも優しいところに引かれていた。

 子供が自分をかわいがってくれる大人に甘えるような、たわいもない気持ちになったりした。

 そのために、紅吉に当たられたことを後になって気づくことが何遍もあった。

 野枝が自分の心を安心して清子に開けるようになったのは、国府津の話を聞いてからだった。

 ローマンチックな愛のために、生命まで投げ出したことが非常な驚異であり、感激であった。

 国府津の海に下駄を脱いでジャブジャブ入って行ったという話を聞いて、野枝はいつもあの汽車の窓から見える国府津の海の色を思い出した。

「ちょうどそのとき、私はこの着物とこの時計を身につけていました。偶然ですが不思議ですね」

 野枝たちはたいがい黙って聞いていた。





 清子の話はなかなか終わらなかった。

 檜町(ひのきちょう)の清子の家に泡鳴が来て共同生活をするようになり、世間からさまざまに言われながら、遠藤、岩野と表札も軒灯もふたりの名前で並べ、とうとう泡鳴の切なる願いによって結婚生活をするまでの経路はずいぶんと時間がかかった。


 平塚さんは、煙草をゆっくり喫(ふ)かしながら微笑をもつてーー又時には深い目の色を一層深くしながら熱心に聞き入つゐいる。

 紅吉もその夜も初めは色々な事を云つて饒舌つてゐたのがそれも沈黙してしまつた。

 私はたゞ不思議な感激に浸つて其話を聞いた。

 一度死んだ人ーー私はそんな奇怪な気持ちにもなつてつく/″\清子さんの横顔をながめた。


 (「雑音」/『大阪毎日新聞』1916年2月12日/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p79/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p166)


 野枝たちはすっかり夜になってから、紅吉の部屋を出た。

 らいてうと清子と別れた野枝は、ひとりで歩きながら、清子の過去をまたつくづくと思い返してみた。

『耽溺』や『放浪』や『発展』を透して見た泡鳴は、現実的で肉欲的な野蛮人である。

 清子は感傷的で伝奇的な背景を持った、厳格なピューリタンである。

 このふたりが一対であることが、野枝の目にいかに奇怪に見えたことか。

 痛々しいほど痩せた清子の傍らに、泡鳴の膏(あぶら)ぎった赤ら顔と精力の満ちあふれるような動作を見ると、いつも野枝は泡鳴に対してある反感を持たずにはいられなかった。

 清子は哥津や野枝にとっては、いつも親切な年長者だった。

 それはらいてうの甘えるような親しい気安さとは違い、厳格な先輩という距離を置いての親しみだった。

 なんとなく近づき難いところがあって、そこになんとなく頼りたさをも覚えさせるものだった。





 桜の咲く時分になると、野枝は悪阻(つわり)がおさまり体調がよくなった。

 目黒に住む清子を訪ねようと思って、野枝は芝区芝片門前(かたもんぜん)町の家を出た。

 その少し前の天気のいい日に、清子とふたりで目黒の苔香園(たいこうえん)からずっと奥に入った万花園(ばんかえん)の方に散歩した。

 その野道の感じがよかったので、また行ってみたくなったのだ。

 野枝が増上寺の大門(だいもん)の電車通りを突っ切って浜松町の山手線の停車場の方へ行こうとしたとき、ちょうど停車場を出て歩いてくる人がいた。

 清子だった。

 ふたりで大門をくぐり山内(さんない=境内)から池の方に歩いた。

 清子はこの二、三日、泡鳴と仲違いをしていて、口をきいておらず、出歩いているのだと話した。

 ちょいちょい、そんなことがあるらしい。

「大久保にいたころにもよくそんなことがあったのだけれど、うちにおいた婆やが近所の人に、うちの旦那様と奥様のように仲のいいご夫婦を見たことがないって言ったそうよ。年寄りなんかには、ちょっとわからないようね」

 と言って清子が笑った。

 昨日は三崎町の荒木郁子のうちに遊びに行って、帰りに三崎神社の中で占いしてもらったという。

 何物にも惑わされそうにない清子でも、そんなことをしてみることもあるのかと、野枝は不思議な気がした。


「占ひと云へばね、岩野の先妻が随分凝つてゐるのよ、子供が皆育つてしまつたら自分は占ひ者になるなんて云つてゐるんですものね、でも信じてゐれば幾分か当る処もあるらしいわね」

 清子さんはそんなことも話した。

 池の畔(ほとり)の茶屋で一と休みしてから二人は山内を斜に、お成門へ出てそれから電車に乗つて曙町の平塚さんを誘ひに行つた。


(「雑音」/『大阪毎日新聞』1916年2月12日/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』_p87~88/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p170)


 清子と野枝が休んだ茶屋は、高浜虚子が『六百句』の中で「春雨や茶屋の傘休みなく」と詠んだ田川亭のことと思われる。


増上寺絵葉書1 ※増上寺今昔1 ※増上寺今昔2 ※腕時計のはじまり ※腕時計を見せたがる馬鹿の図

※長谷川時雨「遠藤(岩野)清子




★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★森まゆみ『断髪のモダンガール 42人の大正怪女伝』(文藝春秋・2008年4月25日)



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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