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2016年04月02日

第66回 上山草人





文●ツルシカズヒコ



 一九一三(大正三)年二月二十日、哥津の家で紅吉がらいてうについて散々語った日ーー。

 しゃべった紅吉よりも、野枝はすっかりくたびれて荒木郁子の火事見舞いどころではなくなり、日も暮れたので家に帰ることにした。

 野枝が立ち上がると、紅吉も一緒に行こうと言って野枝より先にさっさと出てしまった。

 ふたりは牛込見附から赤坂見附行きの電車に乗った。

 野枝は外濠線の電車の中で居眠りをするつもりだった。

 しかし、紅吉のらいてうへの悪口は止まなかった。

 しかも、哥津の部屋でしゃべったことの繰り返しだった。

 野枝はフンフン頷きながら聞いてはいたが、紅吉のあの突発的な声が車内の視線をふたりに集中させるので、はらはらした。

 野枝は土橋まで我慢した。

 電車を降りて帰ろうとすると、紅吉は野枝を食事に誘った。

 興奮している紅吉は独りにされることを恐れていた。

 食事をすますと、今度は紅吉がしばしば出入りしている、近代劇協会を主宰している上山草人(かみやま・そうじん)のところに連れて行かれた。

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 野枝は草人にはパウリスタで人を通じて紹介され、青鞜社の講演会の慰労会の席でも会ったことがあった。

 草人は坪内逍遙の起こした文芸協会演劇研究所第一期生で、松井須磨子は同期生だった。

 しかし、文芸協会とは折り合いが悪く、退会して近代劇協会を立ち上げた。

 草人の妻は女優の山川浦路だが、女優の衣川孔雀(きぬがわ・くじゃく)は妻公認の愛人だった。

 化粧品開発に熱心だった草人は、新橋駅近くの自宅階下に「かかしや」という化粧品店を開店し、草人が考案した眉墨は人気を集めていた。

 谷崎潤一郎によると、「かかしや」の商品は以下のような感じだったらしい。


 化粧品といってもほかのものはいっこう売れもしなかったが、彼が薬を調合して作ったという眉墨だけがわりに売れていた。

 これを草人は「碁石型浦路眉墨」と名付けて、自分の発明品だといって威張っていたが、この眉墨のお陰でどうやら暮らしを立てていた。

 そのほかには紀州熊野の名産である「音無紙」という桜紙のような紙を扱っていたのが、ぽつぽつ売れていただけであった。


(「老俳優の思ひ出」/『別冊文藝春秋』一九五四年一月号/「上山草人のこと」に改題して中央公論社『谷崎潤一郎全集 第十七巻』に収録)





 帝劇に出ていた浦路は出かける時間だからと言って、すぐに出て行った。

 孔雀はお店に座って眉墨か何かをしきりにいじっていた。

 二階に通されると、紅吉は野枝がうんざりするほど聞かされた、らいてうの話を草人に立て続けにしゃべり始めた。

 草人も紅吉の尾について、らいてうへの反感を語り出した。

 まだらいてうを単純に尊敬していた野枝は、こうした人たちがらいてうに悪い感じを持つということが不思議な気がした。

 そのころ、近代劇協会では森鴎外訳『ファウスト』の稽古が始まっていた。

 野枝が疲れた頭でいろいろ勝手なことを考えているうちに、いつのまにか『ファウスト』の話になった。

「原田という方がお入りになったって本当ですか?」

 野枝はひとりだけあまり話に加わらないと変に思われそうだったので、新聞の消息欄で読んだことを聞いた。

「ええ、今、一生懸命に稽古をしてるんですよ。そういえば、紅吉、若い燕が入ったことを知っていますか?」

 上山は半ば野枝に、半ば紅吉に向かって言った。





「えっ、若い燕って本当ですか、奥村さんですか?」

「ええ、そうですよ」

「いえ、ちっとも知りません。今、あなたと一緒に稽古をしているのですか?」

「ええ、なかなか熱心です」

「どうして入ったんです、どうして?」

「原田くんの紹介ですよ」

「今までどこにいたのでしょう」

「何でも千葉県に原田くんと一緒に暮らしていたのだそうです。あの人はまるで女ですね、どう見ても女だ」

「今夜は来ないんですか?」

「ええ、今夜は来ないでしょう。愛宕下にいますよ、毎日通ってきます」

 紅吉は好奇心旺盛な眼を輝かせて、上山に奥村のことを根掘り葉掘り聞こうとした。


上山草人2 ※上山草人3 ※衣川孔雀2 ※森鴎外訳『ファウスト』 ※『ファウスト』あらすじ



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 20:59| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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