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2016年04月02日

第65回 平塚式






文●ツルシカズヒコ



 三人の話題はいつしか、らいてうのことになった。

「紅吉はね、とうとう平塚さんとは絶交よ」

「そう、どうして? 本当? 手紙でもよこして?」

「ええ、手紙が来たんです。私はなんとも思ってやしません。これから落ちついて勉強するんです。生田先生もたいへん私のために喜んで下さいました」

 野枝は『青鞜』に関わるようになってから、なにかすっきりしないままのらいてうと紅吉と西村のことを考えていた。

 野枝はらいてうと紅吉が、どのくらいまでにいった間柄なのかよくは知らない。

 けれども、ふたりが親しみ合ったことは事実だろう。

 言うことなすことがすべてその場の気分次第である紅吉に、野枝は怒らずにはいられないことがたびたびあった。

 しかし、らいてうは紅吉のそういう気紛れと突飛な行為に、いつも理解を示し寛大だった。

 この点に関して、紅吉はらいてうに一番感謝しなければならない。

 そういうらいてうに紅吉は愛着を持っていたが、同時に不満と疑惑と不安も抱いていた。

 その理由が野枝には最初のうちはよくわからなかったが、次第に見えてくるものがあった。

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 いつでも自分を紅吉より一段上に置くらいてうには、紅吉に対する愛はあっても、自分を忘れるようなことはなかった。

「愛してやる」位置から決して動かなかった。

 だから紅吉に対する理解も寛大さも、野枝や哥津の目にはそっぽを向いて相手にしない調子に見えた。

 らいてうの西村への接し方にも同様のことを感じた。

 そういうらいてうのことを、哥津も当人の紅吉もわかってはいる。

 哥津が言った。

「あんな遊戯的な恋愛が、いつまでも続くものじゃないわ」

 紅吉が続いた。

「ずいぶんふざけたがるのが、あの人のいけないところなんです。あの人の恋愛は片手間なんです。それに気づかなかった私が馬鹿なんです」

「本当にあの方に悪ふざけする癖さえなければ、本当にいいのにね」

森田さんとのことどう思う?」

 紅吉が考え深い顔をして野枝の目を見つめた。

「そうね……」

 野枝はちょっと躊躇したが、すぐに答えた。





「他人の恋愛に立ち入るのは間違っていやしないかと思うけれど、私はこう思うのよ。平塚さんに言わせればずいぶん嘘が書いてあるかもしれないけれど、あるところは非常に正直にありのままを書いていると思うの」

「あなたもそう思う? 平塚さんの方が確かにエライと思う。エライというのは、人が悪いという意味ですよ。平塚さんは初めから死ぬ意志なんか少しもなかったんですよ」

「そりゃ草平という人だって、その点はわからないわね」

「だけど、なんでも平塚さんは繃帯(ほうたい)なんか用意して行ったっていうじゃないの」

「まさか、そんはこともないでしょう」

「いいえ、それは本当なんですって、やはり狂言だわ」

「私はあのときのように嫌な気がしたことはなかったわ」

「なあに?」

「哥津ちゃんが西村さんにあげた手紙を、平塚さんが持っているって聞いたときよ」

「へえ、そんなことがあるんですか」

 紅吉は目を丸くして野枝の顔を見つめた。

「え、紅吉、知らなかったの?」

「知らなかった。そのくらいのことはしかねない人よ、あの人は。だけど、ずいぶんひどいわね」





「ええ、けれどね、私が腹の立つのは西村さんよ。ごめんなさい、哥津ちゃん、西村さんの悪口なんか言って。だけど西村さんは本当に意気地がないわ。平塚さんが持って来いって言ったって、はねつけてやればいいじゃありませんか。それを麗々と持っていくなんて、実に気のきかない話だわ」

「だって断れなかったんでしょうよ」

 哥津は仕方なしにそう言って、火鉢の中をかき回した。

「本当に平塚さんって人が悪いのね」

「ええ、だけど平塚さんはいったいそんなふうな人なのよ。そんなことを言うのは、またなんとも思っていないのだわね」

「そうね、平塚さんが私に言えば、それが哥津ちゃんに伝わるのが見え透いているじゃありませんか」

「そのところが平塚式なのよ」

「西村さんとだって、いつまで続くか疑問だわね」

「でも西村さんって人、承知でおもちゃになっているんなら、なおさら気がきかないわね」





「平塚さんだって、そんなに期待されているほど決して偉くはないんですよ。それは私が一番よく知っているんです。あの人に独創なんてものはないんです、ただ普通の人なんです。ただね、他の女友達よりも悧巧で大胆なんです。あの人はいつでも弱点を見透かされない用意ばかりしているんですよ」

 紅吉は興奮して眼を光らせながらひと息に話し出した。

 野枝もいつのまにか紅吉の興奮に引き込まれてしまった。

 野枝たちは哥津の部屋で日が暮れるのも知らずに話しこんでいた。

 けれども、野枝はらいてうの側になって考えてもみる。

 らいてうは紅吉に絶交を宣告したが、それは冷静な判断だと思える。

 らいてうは、紅吉をもっと真面目な立派な芸術家にしたいと願っているのだ。

 紅吉が生田長江の家に寄宿するようになったころから、紅吉は彼女を取り巻く有象無象にらいてうの悪口をぶちまけ、そして有象無象はそれを安易に信じこみ喜んだ。

 らいてうもここにきて、寛大であることを断念せざるを得なくなり絶交を宣告したが、それは至極、自然な道理である。

 紅吉は無茶苦茶にらいてうの悪口を言っているが、彼女の本心はらいてうへの愛からどうしても逃れられない。

 それを考えたくなくて、紅吉は無闇にしゃべり続けているのだ。

 野枝は幾度も同じことを並べ立てる紅吉の顔を痛ましく眺めた。


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 16:51| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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