2017年05月28日

第446回 本能主義者






文●ツルシカズヒコ




『婦人公論』一九二三年十一月・十二月合併号の特集「殺された野枝さんの事」。

 山川菊栄が寄稿した「大杉さんと野枝さん」はまず、菊栄と野枝の最初の接点となった、『青鞜』誌上で交わされたふたりの廃娼論争について言及。

 それが縁になり、一九一六(大正五)年の一月に野枝、菊栄、神近が対面し、菊栄が大杉の仲介で野枝宅(辻家)を訪問したこと、一九一七(大正六)年暮れには大杉一家が山川夫妻宅を訪れて正月を過ごしたことなどに言及している。

 大杉と野枝、両者と親交があった菊栄の証言には重みがある。

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 私は結婚後程なく病を得て籠居(ろうきよ)がちであつたから、大杉さんと野枝さんの同棲生活を訪(と)ふたことも遂に一回として無く、殊にこの三四年殆ど交際が絶えてゐたので家庭の様子などは一向知らない。

 が金のはいつた時は、いはゞ手当り次第賑やかに華やかに面白可笑(おかし)く使つて楽しむ代り、無い時はまた極端で、文字通り飢ゑるやうな生活にも平気でゐるやうな点では、二人ともいかにも呼吸が合つてゐたらしかたつた。

 或年の冬、私のところで主人が入獄の留守中に、『野枝さんが見舞にいきたがつてゐんだが、まだ浴衣の寝衣(ねまき)で顫(ふる)へてゐる仕末で外出ができない』といふ手紙が大杉さんから来たことがある。

 がその後程なく、どこからか好い風が吹いて来たと見えて、野枝さんが新調のお召の重ねで自働車をとばしてゐるといふ噂が伝はつて来た。

 二人は何年かの間、パツと日の射すやうな華やかな享楽生活と、食ふにも事を欠く寒貧(かんぴん)な生活とを交互に繰返して、その間ぢう、降つても照つても呑気に睦まじく暮して来たらしく想像される。


(山川菊栄「大杉さんと野枝さん」/『婦人公論』一九二三年十一月・十二月合併号))





 大杉については「彼は天成(てんせい)の社交家であり、天才的な魅力の持主」であり、「男に珍らしい子供好き」だったと言及。


 今度殺された宗(そう)一さんなども、大杉さんがその病身を気づかふ余り、自分の手許へ引取ることにした上、鶴見からの帰りをわざ/\診察を受けさせるために医者の家へよつて一時間余り待ち、それから柏木へ帰る途中であんなことになつたのだといふ。

 大杉さんの例外の子供好きと其親切とが、却(かへつ)て自分と子供とを亡す結果にならうとは誰が思ひがけよう?


(同上)





 野枝については、以下である。


 野枝さんの方は、大杉さんのやうに著しい特徴のある人でもなく、世間の愛憎の的となるやうな英雄的な人物でもなかつた。

 至つて普通な婦人でどちらかといへば寧(むし)ろ非理智的な、感情によつて動くたちの人で、理論的な方面ではとり立てゝ云ふほどのこともなく、何処までも本能的、衝動的な、単純な人だと思はれた。

 外出の時はよく夏も冬も無地の縮緬(ちりめん)の羽織などを着流してなまめいた様子をしてゐたに拘らず、都会人といふ感じがせず、何となく野生的な、生地のまゝの『文明』や『教養』によつて磨きもかけられぬ代り、自然を曲げたり偽善化されたりしてもゐない原始的の女性を思はせるところがあつた。

 時には非打算的で強く勇敢に、時には無思慮無責任でめくら滅法、行(ゆ)き当りバツタリの感を抱かせたのもそのためであつた、その云ふこと、為(す)ることに秩序が立たず、矛盾があつて足もとが危なかしく思はれた一方、人間としては無邪気な、表裏(へうり)のない、気分にムラはあつても悪気のない人であつた。

 その美点でもあれば欠点でもあつた単純な衝動的な性格こそは、それよりも遥かにスケールが大きく、複雑で、よく発達しては居(お)つたが、同じく本能的、衝動的な傾向を多量に帯び、且つその傾向を理論的に重要視してゐた大杉さんとよく一致した原因かと思はれる。

 野枝さんのやうな人は、世間の賢夫人とか貞女とかの標準から見ればいろ/\難も多いことであらうが、少くとも大杉さんにとつては申分のない良妻であつたらしい。

 実際あの二人は無政府主義者であると同時に、かなり徹底した本能主義者であり享楽主義者であつた。


(同上)





 菊栄はこの文章を、こう結んでいる。


 天才的、劇的な大杉さんの一生は、名誉ある帝国軍人の活動により、おあつらへ向きの劇的な場面をもつて其幕を閉ぢられた。

 日本の陸軍が天才的な戯曲家の役を務めることにならうとは、運命の皮肉も徹底して居(ゐ)る。(十月十五日)


(同上)





 なお、菊栄が大杉と野枝、橘宗一虐殺の第一報を得たのは、麹町区四番町の彼女の実家に一家で寄寓しているときであったが、その感懐をこう回想している。


 九月二十三日の朝でしたか、まだしらじら明けのころ「お客さま」といって姉によび起され、玄関へ出ると、

「ああ生きてましたか。山川さんは? 山川さんはぶじですか」

 と、とびつきそうにして感動に声をふるわせている人は、もう十年も前、まだ若々しい学生姿で私の家へ一、二度来たこのある吉本哲三氏。

 今は見ちがえるほど成長して、堂々とした『時事新報』の記者で、ゲートルばきの非常時姿でした。

「大杉君がやられましたよ、野枝さんもいっしょに、憲兵隊で。あなた方もやられた、行方不明だというもっぱらの評判で、心配してとんで来たんですよ、ここへきたらわかると思って。ああよかった。よく生きてましたね」。

 子供好きの大杉さんは妹あやめさんの子で病身の橘宗一少年を震災のドサクサから守るために引きとって帰る途中、奥山先生に寄って注射をうけさせ、自宅まで来た所を待ちうけた憲兵の車にのせられたのでした。

 その夏奥山先生の所で会った美しく弱々しいあやめさんと、関節炎で片腕のうごかぬ青白い宗一少年の顔を思いうかべ、私の子と同じ年ごろだけに、私には言葉も出ませんでした。

 あやめさんもこのあと幾年も生きなかったようです。

 大杉さんたちの虐殺は吉本記者がまっさきに知り、その日『時事新報』のスクープとなって世論をわきたた せ、それによってそれ以上の残虐行為が防がれたのでした。

 もしもあの事件があんなに早く新聞にもれなかったら、何も知らずにこの憲兵隊本部とは眼と鼻の麹町の実家へ避難した私たち一家も、大杉さんと同じ運命にあったかもしれません。

 そのころ、松下芳男という陸軍中尉が軍人をやめて一時社会主義者の仲間入りをしていましたが、後年山川にあったとき、士官学校のクラス会で同期生の一人がこんな思い出話をしたと話したそうです。

「あの当時自分は大森方面の警備隊長を命ぜられ、山川夫妻をやるつもりでさんざんさがしたが家がつぶれてどこかへ避難した、警察にきいても、誰にきいても、わからなかった。そこへ大杉の事件がバッとなり、甘粕が軍法会議にひっぱられてびっくりした。あの時は社会主義者をやっつければ出世できるとわれわれ仲間はみな思ってたんだが、危いところだったよ」。

 結局私たち親子三人は天災と人災とをともにまぬがれ、一時に二度命びろいをしたわけですが……。


(山川菊栄『おんな二代の記』_p356~357/岩波文庫・二〇一四年七月十六日)







●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 22:05| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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