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2017年03月27日

第435回 梨 






文●ツルシカズヒコ



 一九二三(大正十二)年九月十六日、大杉たち三人は日比谷を経て往路と逆に帰ったと推測される。

 大杉たちが薩摩原(三田四国町)で下車したときから、尾行が三人を見失った。

 鴨志田が憲兵隊本部に戻ると、佐藤特高係長にお前が淀橋にいると思い、甘粕と森らは淀橋に行ったと言われ、車で淀橋署に駆けつけた。

 江崎は日比谷経由で柏木の大杉の家に行ったが、大杉が不在なので淀橋署に戻った。

 江崎と鴨志田はほとんど同時に張り込み中の甘粕のところへ行き、大杉らがまもなく帰宅することを伝えた。

 甘粕は森、本多、平井利一を従えていた。

 五時半ごろ、大杉、野枝、宗一が柏木に着き、自宅まで二、三分の角にある八百屋で野枝が梨を買い出て来たところを、甘粕らの憲兵隊に検束された。

 甘粕が「調べることがあるから憲兵隊まで同行してもらいたい」と詰め寄ったので、大杉は「用事があるなら行ってもよいが、一度家に帰ってからにしてもらいたい」と言うと、言下に拒否された。

 大杉は淀橋署に停めてあった車に、野枝と宗一は鴨志田が乗って来た車に乗せられ、七時ごろ大手町の憲兵隊本部に連行された。

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 瀬戸内晴美(現・寂聴)が、大杉ら三人が連行されたこのシーンを目撃したという女性から、手紙を受け取ったのは、瀬戸内が『文藝春秋』に「諧調は偽りなり」を連載中の一九八一(昭和五十六)年十二月だった。

『文藝春秋』の創刊以来の愛読者であり「諧調は偽りなり」にも目を通しているという玉井協子は、在米十二年、シアトル郊外に在住、「間もなく八十歳になります」というから当時、満年齢は七十九歳、一九〇二年生まれだろうか。


 あの日はまだ残暑がきびしく流れる汗にまみれ乍ら、私は柏木の当時郡役所通りとよばれる青梅街道の北側の通りを大久保駅方面に歩いて居り、右へ曲ると淀橋第一小学校、今一つは左の方へと三つ股になっている角に公衆電話のある二三軒先の果物店へ参りました。

 どこにもある小さな店で中央と両側に商品を並べてその間が通路になって居ります。

 私より先にその頃としてはまだ珍しいハイヤーが止っていてそこから降りたであろう客が三人店内に居り、洋装の婦人が右奥の方で贈物らしい立派な手かごをとみこうみしておりました。

 婦人の洋装などこの田舎町で身(ママ/筆者ツルシ註)かけたことのない当時二十一歳の至って旧式に育てられた無智な私は忽(たちま)ちこの姿に目を奪われました。

 時たま街中で見かける洋装は大方無地か細い柄ですのにこれは白地に大柄なワンピースで美しいとはいえない平顔にベッタリと厚化粧して智的な感じはなく三十歳代の感じでした。

 同伴の男性はチラッと視た丈(だけ)でどんなだったか殆ど印象に残りませんが婦人よりずっと上品で紳士的でした。

 好奇心に満ちた年頃の娘とて洋装ばかり注目していたので男の子がいたのは見ていますが、これもさっぱりどんな様子だったか記憶にありませんで、その洋装に似合わない厚化粧やら深い夏帽子との調和も考えられずみんなチグハグと私の眼にうつりました。

 唯この三人が親子とも夫婦とも思われず、好感を持てないのに何となくはなやかフンイキが漂い、帽子のツバに手をかけ乍ら車にのり込んで走り去ったあとの淋しさというかホッとためいきをつきたい気分になりました。

 私は店内へ一歩入った所に佇(た)って、多分ポカンと唇でもあけてこの情景をみていた事でしょう。

 後日新聞で、あれは死の首途の数時間前の彼等だったと覚り、読みかけのおくの細道の塚も動けの句に慟哭する芭蕉と一緒にひとの命のはかなさ、測り知られぬ運命等に涙していつになってもこの情景が目に灼きついて忘れることが出来ません。

 其後私は遠方へ移りこの店の前を通る事もなく、どうなったか存じませんがあの辺は明治末年現在の安田ビルあたりに煙草専売局が出来たについて発展した処とて土着の人が多く、戦災は最後の五月二十五日の大空襲を被った処で避難先もなく大部分小屋など建てて居残りましたから今もあるかもしれませんし、付近の古老に知っている人もありますでしょうーー略ーー


(瀬戸内晴美「諧調は偽りなり」・『文藝春秋』・一九八三年五月号/『諧調は偽りなり』・文藝春秋・一九八四年三月/『諧調は偽りなり』・文春文庫・一九八七年四月十日/『瀬戸内寂聴全集 第十二巻』・新潮社・二〇〇二年一月十日/瀬戸内寂聴『諧調は偽りなり 伊藤野枝と大杉栄(下)』p229~232・岩波現代文庫・二〇一七年二月十六日)


 玉井の手紙には地図まで書き込んであったという。

 津田光造(辻潤の妹・恒の夫)も、大杉が憲兵隊本部に引っ張られて行くのを目撃したという(小牧近江『ある現代史』/法政大学出版局/一九六五年 )。

 大杉は八時半ごろ憲兵司令部応接室で、野枝は九時半ごろ元憲兵隊長室で、宗一は同時刻ごろ特高課事務室で、次々に扼殺された。





 安成二郎「甘粕の供述」によれば、扼殺される直前、甘粕に話しかけられた野枝は甘粕とこんな会話を交わした。


 私は室内を歩行しながら、

 戒厳が布かれてバカなことであると思つてゐるであらうと言ひましたら笑つてをり答へませぬから、

 兵隊なんかバカに見えるであらうと言ひましたれば、

 今日兵隊さんで無ければならぬやうに言ふではありませんかと答へ、

 自分等は兵隊で警察官であるから君達から見れば一番いやな者であらうと言ひ、

 且つ君達は只今より一層混乱に陥ることを好んでゐるであらうと言ひましたれば考へ方が違ふのでありますから致し方ありませんと笑ひながら答へ、

 ドウセ斯様(かよう)な状況を原稿の資料にするであらうと言ひましたれば既に本屋から二三申込を受けてゐると答へました。


(「甘粕の供述」/安成二郎『無政府地獄 - 大杉栄襍記』・新泉社・一九七三年十月一日)





「甘粕の供述」によれば、十時半ごろ、三人の死体は裸にされ、菰で包み麻縄で梱包され、憲兵隊内の火薬庫のそばにある井戸の中に投げ込まれた。

 三人の遺体が投げ込まれた井戸には、震災で破壊された火薬庫の煉瓦が多数投入され埋められた。

 翌、九月十七日、三人の遺体が投げ込まれた井戸には、甘粕の指図により人夫によってさらに尿糞や塵なども投げ込まれ、井戸は全く埋没してしまった。

 三人の着用していた衣服、およびオペラバッグ、手提袋、帽子、靴下、下駄などは、同日の夕方、甘粕が築地に巡視に行った際、自動車に積み込み、逓信省の焼け跡の石炭が燃えている中に投げ入れて焼却した。

 扼殺される前に、大杉と野枝が肋骨が骨折する激しい暴行を受けていたことが判明したのは、五十三年後の一九七六(昭和五十一)年だった。

 同年八月二十六日の『朝日新聞』が、三人の死体解剖をした軍医・田中隆一の残した「死因鑑定書」が発見されたと報道し、その事実が公になったのである。



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 02:17| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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