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2017年02月26日

第433回 オートミル






文●ツルシカズヒコ


 一九二三(大正十二)年九月十五日、乳母車に子供を乗せて出かけた大杉は、豊多摩郡大久保百人町の荒畑寒村宅を訪れた。

 寒村はロシアに亡命中で留守だったが、寒村の妻に「お玉さん、寒村がいないでも、僕らがついているから心配することはないヨ」と励ました(筑摩叢書34『新版 寒村自伝 下巻』)。

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 松下芳男「殺さるゝ前日の大杉君夫妻」によれば、『中央法律新報』編集長だった松下が、大杉宅を見舞いに訪れたのはこの日の午後だった。

 松下は郷里の新発田では大杉の家の背中合わせに住み、大杉の長弟・伸とは竹馬の友、大杉の三妹・松枝とは小学校の同級で、大杉は新発田中学の先輩でもあった。

 仙台の陸軍幼年学校から士官学校に進んだ松下は、大杉の『近代思想』に触れて「社会」への目を拓かれ、陸軍歩兵中尉時代に「社会主義に共鳴」した将校として新聞に報じられ停職処分を受けた。

 松下にとって大杉は、主義や運動に共鳴するところは少なかったが、最後まで親しい懐かしい、そして尊敬する先輩だった。





「大杉さんはいますか」

 煙草を吸いながらぼんやり縁側に座っていた服部浜次に、松下が声をかけると、服部が答えた。

「ああ、いるよ。入り給え」

 すると、服部のそばで遊んでいた魔子が大声で、

「パパー、パパー、お客様!」

 と、二階を見上げて呼んだ。

 大杉は原稿書きに疲れて昼寝をしていたが、しばらくして下りて来て、庭の籐椅子に腰かけた。

「大杉さん、まだ生きていましたね。僕は方々で大杉栄の暗殺を聞きましたよ」

 と、松下が言うと、大杉は充血したような目をむき出し、笑いながら、

「僕はこのとおりさ。僕も訪ねて来る人から大杉栄の暗殺を聞かされるけれども、どこかの大杉はやられても、この大杉はかくのごとくに健在さ、アハハハハ」

 と、こともなげに言い放ち、香の強い煙草を例のごとくスパスパやっていた。

「近ごろの流言やら騒ぎやらで、何か押し寄せては来なかったですか」

「いや、さっぱり。このへんは比較的静かなものさ」

「どこかへ出ましたか」

「焼け跡を見たいと思っているが、なにしろ君、歩くんだろう。たまらんから、家にばかりいるよ。でも、この間の晩、ちょっと散歩と思って提灯つけてこの付近を廻ったら、夜警していた連中が『大杉の旦那が夜警して下されば、主義者も鮮人も大丈夫だ』と喜んでいたよ」

 そこへ野枝が出て来た。

 野枝も出産後で外出をしていなかったので、外の話に興味を持った。

 日比谷の家を焼け出され、日比谷公園で何日か家族とともに野宿をした服部が、こんなことを言った。

「なにしろ自分の家が丸焼けになると、焼けない家が癪にさわるのは、どうも共通の心理らしいね。避難者の中にずいぶんこんな意味のことを言った、不届き者があったぜ」

「そんなやつが放火する気になるのかな」

「そうかもしれないね」

「今度の地震で、そんなにたくさん放火をしたやつがあったのかね」

 九月七日ごろ、松下が御茶ノ水付近を歩いていると、鉄道省の制服を着たふたり連れの男が、鎌倉の惨状について話していた。

 そしてひとりが、こんなことを言った。

「なにしろ鎌倉には大杉栄という社会主義の親分が住んでいたので、子分二、三十人を指揮してずいぶんあばれたそうだよ」

 松下がそのときの話をして、

「たくさん放火したと伝えられるのは、たいがいはこんな類いじゃないですかね」

 と、言うと、みんなが笑った。

「とにかく今度の流言蜚語はたいしたものさ。宇都宮師団の参謀長のごときは公然と、東京の騒乱を社会主義者と朝鮮人と露国過激派との三角関係によるのだと明言し、その地方の新聞は三段抜きで大々的に書いているのだから、助からんよ」

「いったい主義者の放火というが、どの連中がやったのかね」

 大杉は不思議そうに言った。

「さあ、わからんね。どうも郵便はきかず、電車はなし、同志の消息などちっともわからんので困るよ」

 服部が困ったような顔をして言った。

「わからんと言えば、僕の弟の勇がね、あの川崎にいる。どうもあれの家もむろん潰れたと思っているが、音信がないのでその生死さえ懸念していたところ、今朝ようやく無事だというハガキに接して安心したわけさ。ずいぶんひどくやられたらしい。明日にでも見舞い行こうかと思っておるところさ」

 みんなは地震以来のさまざまな珍談を語り合い、そして玄米食には誰も弱ったなどと笑い合った。





『僕は玄米飯は余り厭でもないよ』

 大杉君がそういつた。

『でも子供が食べないので気の毒ですよ』

 野枝さんはそういつた。

『此間の新聞にあつたぢあないか、一昼夜米を水にひたして、十何時間とか煮ればいゝつて……』

『ひたすのはいゝとしても、十何時間側に居て炊く人が大変ですわ』

 更に野枝さんは言葉を継いだ。

オートミルの様にしてやつたら、子供も食べるでせう。私、明日そうしませうかしら』

 其中にマコちやんが、蒸し甘藷を満たした鍋を抱いて来て、座敷中を持ち廻り、俗謡「何所までも」の節で、

『おいもの蒸かしたのはいりませんか、蒸かしたおいもはいりませんか』

 などゝ歌つたら、大杉君は

『マコ! おいもをお呉れ、みんなに一つ宛上げなさい』

 マコちやんは其言葉の通りにして、尚も持ち廻りを初めたら野枝さんから、

『マコちやん! 止めなさい!』

 と強く云はれたら、鍋を放りだした。

 甘藷は一面に散つた。

『マコ! 仕方のない児だね』

 野枝さんは叱りながら甘藷を拾ひ集めて、私共の前に置いた。

 私共は尚暫く語り合つた後私が辞さうとした時野枝さんは、いつた。

『お宅はどの辺? あの火葬場の付近ですか』

『エゝ、火葬場と小滝橋との中間です。どうぞ御閑の時御出で下さい』

『有り難う、私、火葬場付近ならよく存じてゐますわ』

 私は辞し去つた。

 ーーそしてそれは大杉夫妻と最後の別になつたのである。


(松下芳男「殺さるゝ前日の大杉君夫妻」/『改造』一九二三年十一月号)





 村木源次郎「彼と彼女と俺」(『労働運動』一九二四年三月号)によれば、村木が柏木の大杉の家を訪れたのは、九月十五日の夕方だった。

 村木と大杉は労働運動社の関係者がみんな検束されている話などをし、大杉は社の今後の展望を語った。

「みんなが出て来たら、大阪に本社を移して活動するも面白い。東京には俺一人頑張っていれば大丈夫だろう。こっちの通信は俺が送ってやるようにして。ひとつみんなが出て来たら相談してみたい」

 夕立の烈しく降る中、野枝と村木は柏木の家を一緒に出た。

 ふたりは神楽坂上で別れ、野枝は神楽坂にある叢文閣の足助素一を訪ね、村木は労働運動社に戻った。

 野枝が足助を訪ねたのは借金をするためだった。

 野枝は前日も叢文閣に足助を訪ねたが、足助は留守だった。

 この日、社にいた足助は「赤ん坊にやるミルクも買えない」という野枝に、二十円貸した(安成二郎「二つの死」/『無政府地獄 - 大杉栄襍記』・新泉社・一九七三年十月一日)。

 大杉と野枝はこの二十円を手に、翌日、神奈川県・鶴見に避難している大杉の次弟・勇の見舞いに行くことになる。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、「この日夕刻、東京憲兵隊大尉・甘粕正彦は大杉を検束する目的をもって、特高課員の森慶治郎曹長と鴨志田安五郎・本多重雄両上等兵を連れて淀橋署へ行き、同署特高課の巡査部長・滋野三七郎の案内で大杉の家を確認した。その際、鴨志田を淀橋署に残し、大杉の監視に当たらせた」。




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 14:35| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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