2017年02月19日

第430回 流言蜚語






文●ツルシカズヒコ



 一九二三(大正十二)年九月三日、野枝は代準介に手紙を書いた。

 宛先は「福岡市住吉花園町」。


 未曾有の大地震で東京はひつくりかへるような騒ぎです。

 しかし私共は一家中無事ですから御安心下さい。

 恐ろしい地震につづいて三日にわたる火事で東京の下町は全部焼けてしまひましたさうです。

 火の手は私共の家からもよく見えました。

 私共も二日は外にゐました。

 今日は雨ですから家にはいつてゐます。

 恐いのは食物のない事です。

 お米はもう玄米しかなくそれをやつと二斗手には入れましたがそれさへもあとはもうないのです。

 一升八十銭とか九十銭とか云つてゐるさうです。

 何もかもまたゝく間になくなつてゆきます。

 御都合がつきますなら出来るだけ早く白米を二三俵が四五俵鉄道便で送つて頂き度うございます、当分の間は恐ろしい食糧難が来るとおもひます。


(『福岡日日新聞』一九二三年十月四日・二面/「書簡 代準介宛」一九二三年九月三日『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)


『定本 伊藤野枝全集 第三巻』解題によれば、この手紙は野枝の死後、『福岡日日新聞』(一九二三年十月四日・二面)に「恐ろしい震災を認めた野枝が最後の手紙 白米四五俵を送つて下さい 福岡の叔父に当てた依頼状」と題して収載された。

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 同日、野枝は今宿の父にも葉書(官製)を書いた。

 宛先は「福岡県糸島郡今宿」で、ペン書き。


 大変な大地震でしたが私共は幸ひにみんな無事でした。

 東京市中は三日にもわたつて目貫きの処が全部焼けてしまひました。

 全くの野原です。

 私共の方は市外なので火事をのがれたので無事にすんだのです。

 それでもまだ揺れるのはやみません。

 二日はそとにゐましたが今日は昼から雨で家の中にゐます。

 もう心配はあるまいとおもひます。

 またくはしくはあとで手紙をかきます。

 とにかく私共は無事で本当にしあはせです。

 九月三日


(『長崎新聞』一九二三年十月十日・二面/「書簡 伊藤亀吉宛」一九二三年九月三日/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)


『定本 伊藤野枝全集 第三巻』解題によれば、この葉書は野枝の死後、『長崎新聞』(一九二三年十月十日・二面)に「野枝より実父へ宛てた最後の葉書……」と題して写真版で掲載された。

 矢野寛治『伊藤野枝と代準介』によれば、九月三日、野枝は代準介に電報も打っている。

 野枝から米を送ってくれという電報を受け取った代準介は、震災で東海道線が不通になり鉄道便では届かぬと考え、博多から船便で米五俵を送ったという。





 九月一日は、近藤憲二がアルスに入社して満一年目だった。

 この日、近藤はアルスに出社せず、朝から本郷区駒込片町の労働運動社で仕事をしていた。

 地震による労働運動社の被害は、棚の本が洪水のように崩れ落ちた程度で、二階で病臥していた和田久太郎も無事だった。

 九月二日の早朝、近藤が銀座のアルスの焼け跡に行った後、日比谷公園に立ち寄ると焼け出された服部浜次一家が避難していた。

 近藤の記憶では、近藤が駒込から柏木の大杉の家まで徒歩で行ったのは、九月四日ごろだった。


 柏木へは、服部浜次さん夫婦と、大杉の弟伸さんの友人袋一平君(今はソ連映画の評論家)が焼け出されており、大杉は「これで『日本脱出記』の原稿を催促されないで助かった」と、のうのうとしていた。

 その後、大杉の家をも一度(ママ/※「もう一度」だろう)訪ねたかも知れぬが、はっきりした記憶がない。

 たぶんそれが大杉たちと別れた最後であったろうと思う。


(近藤憲二『一無政府主義者の回想』_p259/平凡社・一九六五年六月三十日)





 九月初旬のある晩だった。

 内田魯庵が夜警の提灯を持って家の角に立っていると、買い物帰りらしい野枝が通りかかって、魯庵に声をかけた。

 野枝は左手に大きな分厚い洋書を二冊抱え、右手に新聞と小さな風呂敷包みを下げていた。

「報知の夕刊をご覧なすって?」

「いえ」

 そのころはまだ新聞が配達されなかった。

「鎌倉は大変ですわ。八幡さまが潰れて、大仏さまが何寸とか前へ揺り出しましたって。ご覧なさいまし」

 と、野枝が手に持った新聞を魯庵に見せた。

 提灯の照明(あかり)でははっきり解らなかったが、魯庵がちょっと覗いてすぐ返すと、

「お宅へ持ってらしてご覧なさいまし」

 と、野枝がしきりに言ったが、買ってきたばかりで野枝もまだ読んでないようだったので、魯庵は新聞を野枝の手に無理に押し返した。

「夜警は大変ですわね。家から椅子を持ってまいりましょうか、いくらもありますから」

「いえ、家にも持ってくればあるんですが、面倒なもんですから」

「そうですか。でもおくたびれでしょうね。大杉もご近所同士で家の角へ夜警に毎晩出ておりますわ。町内のお付き合いですもの」

 と、野枝は笑った。





 能く大杉は夜警に出ると思つたが、実際毎晩ステツキを持つて、自宅の曲り角へ夜警に出てゐたのを見た。

 鮮人襲来の流言蜚語が八方に飛ぶと共に、鮮人の背後に社会主義者があるといふ声がイツとなく高くなつて、鮮人狩が主義者狩となり、主義者の身辺が段々危うくなつた。

 此騒ぎを余所(よそ)に大杉は相変らず従容として児供の乳母車を推して運動してゐた。

『用心しなけりやイカンぜ』と或時邂逅(であ)つた時に云ふと、

『用心したつて仕方が無い。捕まる時は捕まる』と笑つてゐた。

 後に聞くと、大杉に注意したものは何人もあつたが、事実此頃の大杉は社会運動からは全く離れて子守ばかりしてゐたから、危険が身に迫つてるとは夢にも思つてないらしかつた。


(内田魯庵「最後の大杉」/初出は『読売新聞』一九二三年十月二日〜六日、八日に掲載された「此頃の大杉の思出」/『思ひ出す人々』・春秋社・一九二五年六月)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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