2016年03月23日

第42回 吉原登楼






文●ツルシカズヒコ



 紅吉こと尾竹一枝は菊坂の女子美術学校を中退後、叔父・尾竹竹坡の家に寄寓していたが、一九一一(明治四十四)年十一月に実家のある大阪に帰郷していた。

 紅吉がらいてうの存在を知るきっかけとなったのは、森田草平が『東京朝日新聞』に連載(一九一一年四月二十七日〜七月三十一日)した小説「自叙伝」だった。

 森田は塩原事件(煤煙事件)を題材にして小説「煤煙」を『東京朝日新聞』に連載(一九〇九年一月一日〜五月十六日)したが、「自叙伝」は「煤煙」の続編である。

『青鞜』創刊前から、紅吉は塩原事件(煤煙事件)のヒロインのモデルであるらいてうに憧れ、崇拝の念を持っていた。


 私が一番最初平塚さんを知つたのは草平氏の自叙伝を読んだ時なんです。

 そしてどうも不思議なすばらしい人だとも考へ、恐ろしい人のやうにも考へ、女として最も冷つこい意地の悪い人のやうにも思つてをりました。

 そして読み終つた日などは、すぐにでも東京に出て面会して私の解釈がどうだか見きはめたいとまで好奇心を一ぱいもつてをりました。


(尾竹紅吉「自叙伝を読んで平塚さんに至る」/『中央公論』一九一三年七月増刊・婦人問題号「平塚明子論」)

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 紅吉は大阪から、青鞜社の社員になりたい旨の熱い手紙をらいてうに書いた。

 らいてうが入社了承の返事を出し、紅吉が社員になったのは一九一二(明治四十五)年一月だった。

 それからたびたび、らいてう宛てに熱い手紙が来るようになり、編集部では大阪の「へんな人」と見られていた。

 一九一一年十二月に社員になった小林哥津は、知り合いを通じて紅吉と面識があり、紅吉の印象をらいてうにこう語っていた。


 ……男のようなたいへんな大女、声が大きくてあたりかまわずなんでもいう女(ひと)、白秋の詩が大好きな十九歳の娘ーー「そりゃあずい分変わった女(ひと)よ、恐い女だわ」

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下)』※以下『元始(下)』と省略)


 大阪から上京した紅吉が哥津に連れられて、らいてうの書斎を訪れたのは一九一二年二月十九日だった(らいてう「一年間(つづき)」/『青鞜』第三巻第十二号)。

 尾竹紅吉「自叙伝を読んで平塚さんに至る」によれば、「東京にロダンの展覧会を見に来たとき平塚さんに初めてお目にかゝつたのです、丁度二月の十八日でした」。

 らいてうは二月十九日と書き、紅吉は二月十八日と書いている。

「ロダンの展覧会」というのは、白樺主催第四回展覧会のことである。

『白樺』一九一〇(明治四十三)年十一月号は特集「ロダン号」だったが、ロダンから白樺同人に彫刻作品三点が贈られ、一九一二年二月に白樺同人が公開したのである。

 らいてうに初めて面会した紅吉は以後、青鞜社の事務所にも顔を出すようになり、編集の手伝いや表紙絵やカットの仕事などをするようになった。

 久留米絣に袴、あるいは角帯に雪駄ばきと粋な男装で、風を切りながら歩き、言いたいことを言い、大きな声で歌ったり笑ったり、因習とは無縁な生まれながらに解放された人、紅吉。

 らいてうは紅吉に好感を抱き、紅吉は他の社員からも可愛がられた。





 一九一二年五月、尾竹越堂は一家で上京し、中根岸に居を構えた。

 紅吉は第十二回巽画展に「陶器」と題する二曲一双の屏風を出品し、褒状三等を受けた。

 五月十三日、紅吉は『青鞜』の仲間を中根岸の自宅に招き祝いの会を開いた。

 その祝いの席でらいてうと紅吉は抱擁し接吻した。

 紅吉は『青鞜』にらいてうへの想いを書いた。


 不意にあらわれた、年上の女、

 私は只それによつて、生きていきそうだ、又、行かねばならぬ、

 冷たいと思はせて泣かせられる時も来るだらう、けれど私は、恋しい、

 私は如何なる手段によつて私自身の勝利が傷けられても、
 
 その年上の女を忘れる事が出来ない、

 DOREIになっても、いけにえになっても、只、抱擁と接吻のみ消ゆることなく与えられたら、

 満足して、満足して私は行こう。


(「或る夜と、ある朝」/『青鞜』一九一二年六月号・第二巻第六号)





 らいてうも「ふたりの紀念すべき五月十三日の夜」のことを書いた。


 紅吉を自分の世界の中なるものにしやうと私の抱擁と接吻がいかに烈しかつたか、私は知らぬ。

 知らぬ。

 けれどああ迄忽に紅吉の心のすべてが燃え上がろうとは、火になろうとは。


(「円窓より」/『青鞜』一九一二年八月号・第二巻第八号)


 紅吉は五月十三日の「青鞜ミーチング」で、みんなで日本酒、麦酒、洋酒を飲んだことも書いた(「編輯室より」/『青鞜』一九一二年六月号・第二巻第六号)。

 たちまち『読売新聞』や『中央公論』で非難された。

 さらに追い打ちをかけるように、紅吉が絡んだふたつの「醜聞」が報道された。

 当時、日本橋区小網町鎧橋筋にあったレストラン兼バー、メイゾン鴻の巣は若い文士や画家たちに人気があった。

 六月、紅吉は『青鞜』に載せる広告を取りにメイゾン鴻の巣を訪れ、比重によって色わけされるカクテルを見せられて「五色につぎ分けたお酒を青いムギワタの管で飲みながら」(『青鞜』第二巻第七号)と書いた。





 そして七月の初旬。

 紅吉、らいてう、そして青鞜社発起人のひとり中野初が吉原見学に出かけた。

『元始(下)』によれば、そういうところを見ておくのも、社会勉強になるのではないかと誘ったのは紅吉の叔父・尾竹竹坡だった。

 竹坡のお膳立てで吉原でも一番格式が高い妓楼「大文字楼」に上がり、「栄山」という花魁(おいらん)の部屋に通された。

 寿司やお酒が出て、栄山を囲んで話をした。

 その夜、らいてうら三人は花魁とは別の部屋に泊まり、翌朝、帰った。

『青鞜の時代』によれば、七月十日の『万朝報』が「女文士の吉原遊」を記事にした。

『国民新聞』は「所謂新しい女」のタイトルで四回連載(七月十二日〜十五日)を組み「五色の酒」や「吉原登楼」に言及したが、それは噂話を面白おかしく暴露的に綴った中傷記事だった。

 世間は青鞜社を非難した。

 得体の知れない男が面会を強要したり、脅迫状が届いたり、らいてうの家には石のつぶてが投げられた(『元始(下)』)。

 青鞜社の社員からも、紅吉と彼女をかばうらいてうへの非難の声が起こった。

 塩原事件で受けた心の痛みを知るらいてうは、紅吉をかばい叱咤激励した。


 私の少年よ。

 らいてうの少年をもつて任ずるならば、自分の思つたこと、考えたことを真直に発表するに何の顧慮を要しよう。

 みずからの心の欲するところはどこまでもやり通さねばならぬ。

 それがあなたを成長させる為でもあり、同時にあなたがつながる青鞜社をも発展させる道なのだ。


(「円窓より」/『青鞜』一九一二年八月号・第二巻第八号)





 発起人のひとりで、らいてうが雑誌創刊を最初に相談し、青鞜社の事務を一手に引き受け、社員から「おばさん」と親しまれていた保持研子(やすもち・よしこ)からも、らいてうに叱責の手紙が届いた。


 君達三人は吉原に行つたさうだ。

 随分思ひ切つた惨酷な真似をしましたね。

 私は君達が行つた深い理由は知らないが、何だか自分が侮辱されたやうで悲しかつた。

 さうしてたまらなく不快だつた。


(「円窓より」/『青鞜』一九一二年八月号・第二巻第八号)


『元始(下)』によれば、小学校や女学校の教師からは職を失うことを恐れ、『青鞜』の購読中止を申し出る人もいたし、青鞜社の事務所を置くことを家の人から断られた物集和子が、藤岡一枝というペンネームを使い始めたのもこのころからだった。


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 11:38| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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