2016年03月23日

第41回 同性愛






文●ツルシカズヒコ



 野枝が円窓のあるらいてうの書斎を初めて訪れた日の夜、青鞜社員の西崎花世が友達ふたりを連れてやってきた。

 ひとりは西崎が下宿している家の主婦で、もうひとりはやはり社員の小笠原貞だった。

『元始、女性は太陽であった(下)』によれば、らいてうが西崎に初めて会ったのは一九一二(大正元)年十月十七日、「伊香保」で開催した『青鞜』一周年記念の集まりだった。

 鴬谷の「伊香保」は当時、会席料理の有名店で文人墨客がよく利用していたが、紅吉の叔父・尾竹竹坡も常連だったので、竹坡の紹介でこの店にしたのだった。

 西崎は四国の徳島にいたころから長曽我部菊子というペンネームで、河井酔茗が編集する『女子文壇』の投書家として鳴らしていた。

 文学に精進する決心をして上京し、食べるために雑誌の訪問記者などをしていた。

 人一倍小柄な体を地味な着物に包んで、目立たない束髪に結った西崎は、らいてうにおよそ若さなど感じさせない「生活とたたかっている人」という印象を残している。

「伊香保」での一周年記念の集まりの後、西崎はらいてうの円窓の書斎に顔を出すようになっていた。

 西崎は四国徳島のお国訛で粘っこい話し方をした。

 らいてうに近寄ってくる人に対して誰彼となく嫉妬する紅吉は、小柄な西崎を毛嫌いして「小たぬき」という綽名をつけた。

 西崎と同様に『女子文壇』で育てられた小笠原貞も文学を目指していたので、ふたりは親しかった。

 小笠原は絵の勉強もしていたので、青鞜叢書第二編『青鞜小説集』(一九一三年二月/東雲堂発行)の木版の装幀(自画自刻)を手がけた。

 らいてうの記憶によれば「色白の、ほっそりした美しい人、日本的なつつましい感じの娘さん」だった。

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 紅吉はらいてうと哥津の間に座り窮屈らしい体つきをしながら、ばかに丁寧な挨拶をして、まじまじと西崎の顔に見入っていた。

 向き合って座っていた哥津と野枝は、そっと目で笑い合った。

 西崎たちが来る前に、らいてうが話したことを思い出したからである。

「西崎さんと話しているとね、だんだんに夢中になってくると、こんなふうに膝でこちらにいざり寄って来て、しまいにはこちらの膝をつかまえて話すのですもの、なんだか少し薄気味悪いような人よ」

 紅吉はその話をとてもおもしろがって聞いていた。

 それを思い出したのだ。

 七人の会話はなかなか打ち解けなかった。

 イライラし始めた紅吉は、哥津の手を引っ張り寄せて捻ったり揉んだりした。

「紅吉はどうしたの、なんだか落ちつかないじゃないの」

 らいてうがたしなめるように紅吉の方を向いた。

「もう帰ります。西崎さん、ここを開けますから、ここにいらっしゃいまし。私はもう帰ります」

「なんだって急に帰るなんて言い出すの、いやな人ね」

 哥津は肥(ふと)った紅吉の手をグイグイ引っ張りながら、おかしそうに笑った。

 野枝も笑わずにはいられなかった。

「さっきから帰ろうと思っていたんです。西崎さん、本当にここにいらっしゃい。私は本当に帰りますから」

「それじゃ、お帰んなさい。さっきからだいぶ帰る帰るが出ているんですから、もう帰ってもいいでしょう」

 紅吉はらいてうにこのように強く出られると、すぐに当惑してしまうのだった。

 帰っていいか悪いか、まだいたいような帰りたいような。

 そんなとき、子供のような紅吉はいつでもそばにいる哥津のほっそりした肩や背中を、大きな肥った手で力まかせに打つのだった。





 紅吉と明子とは世間にさへ同性愛だなどゝ騒がれてゐた程接近してゐた。

 明子は本当に、紅吉を可愛がつてゐた。

 紅吉は世間からはたゞ多く変り者として取扱はれてゐたが、彼女は子供らしい無邪気と真剣を多分に持つてゐた。

 彼女が並はづれて大きな体をもつてゐながら何となく人に可愛いゝと云ふ感を起させるのはそれだつた。

 彼女は何時でも何か新しいものを見つけ出さうとしてゐた、一寸した動作にも、言葉にも、其処に何か驚異を見出したいと云つたやうな調子だつた。

 で彼女の気まぐれが時々ひどく迷惑がられることがあつた。

 明子は何時でも彼女に愛感をもつてゐた。

 紅吉ももまた夢中になつて明子の傍を殆どはなれることもないやうに、二人の間は非常に強い愛をもつて結ばれてゐた。

 併し紅吉が病気になつて、その夏湘南のある病院に行つてゐたとき其処でーー紅吉の言葉を借りて云へばーー「ふたりの大事な愛に、ひゞがはいつた」のだ、「ひゞはもう決してなほりつこはない」と紅吉は主張していた。

 紅吉の大事な愛に「ひゞ」を入れたその明子の恋愛事件が紅吉の子供らしい嫉妬を強くあほつた。

 それに其頃、これも矢張り紅吉の気まぐれから明子と他に一人二人を誘つて紅吉の叔父がよく知つてゐると云ふ吉原の或る花魁(おいらん)の処に遊びに行つたのが大げさに新聞に報道されて問題になつた為に、小母(おば)さんと皆が呼んでゐる、クリスチヤンで、一番道徳家の保持(やすもち)が制裁と云ふ程の強い意志でもなく紅吉に退社をすゝめて、紅吉もそれを承諾して雑誌にそれを発表してから直(すぐ)だつたので、それも紅吉には明子の仕事から周囲から、いくらか遠くなると云ふことが不安なのだつた。


(「雑音」/『大阪毎日新聞』一九一六年一月〜四月/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』一九二五年十二月/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)





 紅吉に打たれた哥津は痛さに肩をすくめながら、

「まあ痛い、本当にひどいわ、私はなにもしないのに」

 またかというふうに顔をしかめながら、冗談らしく紅吉を睨みつけるのだった。

 らいてうはそちらには目もくれずに、静かな調子で向こうの三人に話しかけていた。

 哥津が調子を変えるように言った。

「野枝さん、あなたの頭はずいぶん寂しい頭ね、なんだか私、有髪(うはつ)の尼って気がするわ。私、結ってあげましょうか?」

「そう、じゃ結ってちょうだい」

「ええ、ハイカラな頭に結ってあげるわ。私、学校にいたときはよくハイカラな頭に結ったのよ」

 哥津は気軽に座を立って、自分の懐中から櫛を出して、野枝の頭をとき始めた。

 前を三七に分けて編みながら根を低く下げた、本当は洋服でも着なければ似合わないような頭になった。

「本当にずいぶんハイカラな頭ね」

 野枝はらいてうの本棚の上に載っていた鏡を手にとって、面変わりのしたような自分の顔と頭を驚いたように眺めた。

「よく似合いますよ」

 らいてうも話をやめて微笑みながら言った。

「本当によく似合うでしょう、野枝さん。これからこういうふうにお結いなさいよ」

 哥津は得意らしく、それでもまだなにか思うようにいかないところがあるのか、チョイチョイいじりながら鏡を覗きこんだ。

 みんなが野枝の頭を眺めていた。





 紅吉はひとりつまらなそうにしていたが、突然、お腹の底から跳ね出したような声を出した。

「小笠原さん、あなたは油画をおやりになるのでしょう」

「ええ、描くというほどじゃありませんけれど、好きでただいい加減なことをやっていますの」

 西崎はいつのまにか、らいてうをつかまえて、ねっつりねっつり話している。

 それを見て不快そうに黙りこくっていた紅吉は、なにかじれったそうに膝をむずむずさせだした。

 野枝と哥津は顔を見合わせては忍び笑いをした。

 とうとう紅吉は頓狂な堪えかねたような声で、

「西崎さん、ここにいらっしゃい。私はそっちにゆきます。ここはらいてうさんのそばですから」

「いいえ、それにはおよびません。ここで結構です。どうぞおかまいなさらないで」

 西崎は丁寧にそう言って紅吉に頭を下げた。

 らいてうは「仕方がない」といったような顔をしながら、吸っていた「敷島」の灰を落としていた。

 紅吉は少しも落ちついてはいられなかった。

 このおおぜいの人が、自分の帰った後まで、らいてうのそばに居残っていることが堪えられないような気がして、思い切って立ち上がることもできなかった。


女子文壇2 ※女子文壇3




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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