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2017年01月25日

第417回 情熱の子






文●ツルシカズヒコ




 一九二三(大正十二)年七月十日。

 神戸・須磨の旅館「松月」で野枝はトースト、安谷は酒で昼食をすませ、昼寝をしていると、安谷の家に配達された電報が届いた。

「イトウニフネヘ一〇〇エンモッテクルヨウイッテクレ」

 箱根丸から大杉が打った電報だった。

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 安谷は宿賃や汽車賃など、入り用だろう金の手当てはしておいたが、改めて百円となると身近にその当てはなく、しかも、入港は翌日の午前中だ。

 結局、安谷と野枝は京都の続木斉に金を借りに行くことにして、須磨駅まで車で出た。

 とたんに、四、五人の新聞記者に囲まれた。

「伊藤さん、明日は船までお出迎えですか」

「そのつもりで来たんですから」

「有島さんの情死事件について、ご感想をうかがいたいんですが……」

「あの人たち、しようと思ったことをしただけのことでしょう。感想なんてありませんよ」

 野枝はつっけんどんに、記者たちを突っぱねてフォームに入った。





 京都からの帰り、しけた三等車の中で、野枝は安谷にしみじみした調子で話しかけた。


『あなた平塚さん(らいてう女史)知らないかしら、今会って来た続木の奥様ネ、あれ平塚さんそっくりよ。京都弁が違うだけ、話しぶりまでまるで生き写し……私とても会いたいと思うし、会うつもりなら何時でも会えるのに、ずい分長いこと御無沙汰しているの……』

 野枝さんは何か謝りたいような顔をした。

 そして又古いことを持ち出したーー

『あなた大杉と古くから文通したって話だけど、私の方が古いかも知れない。あなた知らなかったんでしょう。私初めから知っていた。あなた青鞜社に本だとか雑誌だとか何とかかとか云って来たでしょう。あの返事みんな私が書いたの』

 私は初めて気がついた。

「青鞜」「青テーブル」「生活と芸術」みんな東雲堂を溜り場にしていたらしい青鞜社から送ってきた。

 与謝野晶子の短冊を頼んだら、金が余ったとかで梅の木で作った短冊かけを送って来たり、赤線の小型の原稿用紙を送って来たこともある。

「婦人解放の悲劇」もそうだ。

『そう聞けばそうですねネ、何にでも喰いつき易い文学少年だったのだから』

『私あなたのこと、とても可愛らしい坊やかと思っていたのに、づい分あぶなっかしい人だったんですネ』

『まさか、あの頃は……』

 二人は笑った。

 外は雨模様の暗い空、汽車はノロ/\走っていた。


(安谷寛一「大杉を神戸に迎えた野枝さん」/世界文庫から一九六四年七月に刊行された大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』の復刻版『大杉栄全集 第10巻』の「月報10」)





 野枝と安谷が宿に帰ると、進と一日中、神戸を歩き廻っていた魔子は疲れてすでに熟睡していて、そばで寝ていた進もいつのまにか帰ってしまった。

 遅まきながら賑やかな夜食が出て、野枝と安谷は膳の前に座った。

 安谷が酒を飲んでいると、また野枝が話し出した。


『あなたの評判たらとても悪いの。強盗みたいなてきやの仲間に入って、大正の平手造酒っていばっていると云うじゃありませんか。でも私はそんな風にあなたを見てないの。大杉もそう「ありゃ黒色勤王党だ、あれでいいんだ」って。でもあなた自分を可愛がる気になれないの! どっかで女の取りっこで真夜中に町中飛び出す様な立廻りをやったって云うじゃないの!』

 どうやら意見されるらしい。

 困ったところに、いいぐあいに電話が来た、私の新聞屋の従業員だけ残して神戸の同志総検束と分った。

『明日の上陸間違いなし、横浜に直行なら余計な検束なんかないでしょう。さ、もう明日になりますよ、安心してお休みなさい』

 私はそう云って寝てしまった。

 情熱の子野枝さんは、四人五人の子の母になろうと、やきもちやきの古女房になろうと、いつまでも変らぬ小娘のような魂を持っているなと思いながら。

 海に近いこの宿の夜は涼しかった。


(同上)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 00:28| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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