2017年01月10日

第411回 箱根丸






文●ツルシカズヒコ




 一九二三(大正十二)年六月一日の朝、大杉と林はマルセイユの日本領事館に行き、箱根丸の神戸までの二等切符を渡してもらった。

 船賃の五千ルーブルは日本領事館が立て替えたので、大杉は借用書を書いて渡した。

 日本領事館を出ると、林は大杉を誘って日本料理屋に行き、日本酒を飲んだ。

 陶然としてその店を出た林は、エスタックに行こうと大杉を誘い、タクシーに乗った。

 エスタックではふたりの訪問を、林の画家仲間や宿の者などみんなで喜んで迎えてくれた。


 海を真下に見下ろすテラスにテーブルを出して、宿の者も一緒になつて、小一時間もビールなどを飲み乍ら話した。

 そこで僕は大杉と宿の娘の写真を撮つた。

 何んの気なしに撮ったその写真が、今は、思ひがけない彼の形見となつて了つた。


(林倭衛「仏蘭西監獄及法廷の大杉栄」/『改造』一九二四年六月号)

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 六月二日、リヨンに置いてあった大杉の残りの荷物も届いた。

 その中には野枝が送った小包の類いもあった。

 危ぶんでいた日本からの金も届いた。

 大杉はその金で野枝や子供たちへの土産を買うことにした。


 ……僕は大杉の買物の手伝を頼まれた。

 君に色合や恰好を是非見立てゝ貰ふんだ、彼は鳥渡(ちよつと)僕を煽てゝ、大きな百貨店に入つた。

 そこで子供と野枝さんへのお土産の洋服を買つた。

 まだ生れない赤子の分まで彼は買ひととのえた。

 色合とか恰好を一つ一つ僕に相談し、大分永くなつたので、僕は飽きあきして仕舞つた。

 それで多分面白くない顔をして居たのだらう。

 彼が『おい、斯う女房のものなど買つてゐると、可厭(いや)な気がするだらう』と云つて笑つた。

『餘り面白かないさ』

 斯う僕が云ふと、

『ぢやこれ位で止めるとしようか、本統はもつと買ひたいのだがね』

 それで二人で笑ひ合つて戸外へ出た。


(同上)





 六月三日に出航する箱根丸は、六月二日の午後に入港した。

 船に乗り込むときには、ちょっと警察に挨拶に行く方がよかろうという領事の話だったので、大杉は夕方、警察に出かけた。

 それから私服をひとりつけて、大杉は船室にちょっと入り部屋や寝台の番号を確かめた。

 その夜は林らと日本料理屋で食事をすることになっていたので、大杉が下船しようとすると、昇降口の梯子のところに刑事たちが突っ立っていて通さない。


『もう、船に乗つた以上は、降りる事は出来ない。国境から出て了つたんだ。降りれば、再び又国境にはいつたものとして、六ケ月の禁錮に処する。』

 そんな馬鹿な事があるもんか、それならさうと何故さつきさう云はないんだ、といろ/\に抗弁して見たが、要するに何んとも仕方がない。

 僕は船のボオイに電話をかけさせて、友人等に其の事を知らせて、そして自分の室の中に寝ころんだ。

 船は六月三日の朝早く碇をあげた。

 ーー 一九二三年八月十日、東京にて ーー


(「入獄から追放まで」/『改造』一九二三年九月号/『日本脱出記』・アルス・一九二三年十月二十五日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』・一九二五年七月二十五日/日本図書センター『大杉栄全集 第13巻』)





 大杉を乗せた箱根丸は六月三日午前十時にマルセイユ港を出航した。

 見送りに行った林は、こう記している。


 その朝僕は起きると直ぐ、重い書籍の類を自働車にのせて船へ行った。

 彼の船室で領事と僕と三人で話してゐると、出帆を知らせるドラが鳴り渡つた。

 僕は船から降りた。

 船はしづかに埠頭を離れて行つた。


(林倭衛「仏蘭西監獄及法廷の大杉栄」/『改造』一九二四年六月号)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 02:14| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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