2017年01月03日

第407回 ラ・サンテ監獄






文●ツルシカズヒコ


 一九二三(大正十二)年五月二日、大杉はサン・ドニの警察署から自動車で警視庁に護送された。

 刑事のひとりが共産党系の日刊新聞『リュマニテ』の記事を指差しながら、大杉に見せた。

 サン・ドニで大杉が逮捕された記事が載っていた。

 新聞の記事には大杉の本名は出ていなかったが、パリの日本大使館や本国の内務省の調査からか大杉の正体はバレていたので、大杉も本名を明かした。

 私服刑事の中には、大杉がドイツ政府から金をもらってフランスの労働者を煽動しに来たと決めつけたり、「このボッシュ(ドイツ人)の野郎!」とおどかす輩もいた。

 裸にされて身体検査を受け、写真を撮られ、またもとの監房(留置場)へ入れられた。

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 五月二日、午後五時ごろ、烈しくドアを叩く音がして、人相の悪い男が五、六人どやどやっと林倭衛の宿の部屋に入って来た。

 その後から、心持ち蒼ざめた顔の大杉が入って来た。

 カラーもネクタイもつけていない大杉を見て、林は瞬時に「捕まったな」と感づいた。

 酒場でフランス人と喧嘩をして警察に留置されたことがある林も、同じ体験をしていたからだ。

 太い髭をたくわえた獰猛な面構えをした太った刑事が、林にいろいろと尋問した。

 林は連行されて来た男が「エイ・オオスギ」であることを認め、大杉から預かっていた荷物を提示し、自分はアナキストではなく画家だと言った。

 大杉の宿泊先を聞かれた林は「知らない」と事実のまま答えたが、林も警視庁に連行された。

 林はその日は帰されたが、翌朝九時に再び出頭するように言われた。





 五月二日の朝、佐藤紅緑は滞在先の家の新聞で、大杉の逮捕を知った。

 紅緑はまず林を訪ねたが留守だったので、日本大使館に行き×氏に会った。

 ×氏によれば、大杉は支那人だと言っているから今のところは騒がないで様子を見る方がよいという。

 ×氏から大杉との関係を聞かれた紅緑は、こう答えた。

「なんでもないけれども、僕に会おうと思ってパリへ出て来たのが、急にあんなことをやったもんだから、僕としては見捨てておかれないのです」

 そして、×氏がこんな発言をした。

「主義においては賛成ができないが、個人として考えると、大杉は偉いと思いますよ。主義に殉ずる志、これはやはり尊敬しなきゃなりませんね。ただね、その主義なるものが本当に日本のため、人類のために善いものならよいが……、あれだけの熱心をもっと立派な主義に向けたらどんなに日本のためになるか……惜しいものですな」


 私は何から何まで×氏の説に同感であった。

 一社会主義者ーー私達の立場から見て異端者である彼に対して、恁くまで理解ある同情を有つた人があるかと思ふと私は何となく喜ばしくなつた。


(佐藤紅緑「巴里に於ける大杉栄氏」/『文藝春秋』一九三〇年一月号)





 五月三日の朝、大杉は十五、六人の仲間(?)と一緒に、大きな囚人馬車二台でラ・サンテ監獄に送られた。

 大杉が収監された独房は一階の八畳ほどの大きさで、大きな窓があった。

 窓からはマロニエの梢が三本覗いていて、もう白い花が咲いていた。

 ちゃんと毛布が敷いてあるベッドのスプリングはかなりきいているし、備えつけのテーブルと椅子もあった。

 壁にはふたつの棚がつってあり、茶碗や木のスプーンやフォークが置いてあった。

 寝台の足の方の隅には水道栓が出ていて、その真下に白い瀬戸物の便所が大きな口を開けていて、便所の上で食器も洗えば顔も洗える仕掛けになっていた。

 この部屋がひどく気に入った大杉は、スプリングがきいている寝台の上にごろりと横になって、煙草に火をつけた。

 煙草とマッチの持ち込みは許可されているのである。

 しばらくすると、看守が入って来て、テーブルの上の壁に紙を貼りつけていった。

 紙には「酒保売品品目および価格」と大きな活字で刷ってあり、「消耗品」と「食品」の二項目に分けてあり、品名と値段が書かれていた。

 毎日、酒保から食事をとることもできて、一週間の朝晩の献立表もあった。

 大杉は看守を呼び、必要な日用品を注文し、食事も毎日とってくれるようにと頼んだ。

 食事は監獄内のレストランからも外のレストランからもとれるというので、外の方が上等なのだろうと思った大杉は、外のレストランだと言った。

 すると普通のレストランのボーイのような若い男がやって来て、メニューのような紙切れを見せ、昼食の注文をしろという。

 大杉は十品ばかり並べてあるメニューから四品を選び、そして白葡萄酒の上等なやつをと贅沢を言った。

 その白葡萄酒をちびりちびりやりながら、昼食の四品を平らげて、デザートのチョコレートを食べ、寝台の上で葉巻をくゆらしていると、大杉はそのときが初めてではないが、とにかくうちのことを思い出した。





 もう今頃は新聞の電報で僕のつかまつた事は分つてゐるに違ひない。

 おとな共はとうたうやつたな位にしか思つてもゐまいが、子供は、殊に一番上の女の子の魔子は、皆んなから話されないでも、其の様子で覚つて心配してゐるに違ひない。

 いつかの女房の手紙にも、うちにゐる村木(源次郎)が誰かへ差入れの本を包んでゐると、そばから『パパには何んにも差入物を送らないの』と窃つと云つたとあつた。

 彼女をだますようにして幾日もそとへ泊らして置いて、其の間に僕が行衛不明になつて了つたもんだから、彼女はてつきり又牢だと思つてゐたのだ。

 そして、パパは? と誰かに聞かれても黙つて返事をしないか或は何にかほかの事を云つてごまかして置いて、時々夜になるとママとだけ窃つと何気なしのパパの噂さをしてゐたさうだ。

 僕は此の魔子に電報を打たうと思つた。

 そしてテエブルに向かつて、いろ/\簡単な文句を考へては書きつけて見た。

 が、どうしても安あがりになりさうな電文が出来ない。

 そして其のいろ/\書きつけたものの中から次のやうな変なものが出来あがつた。


 魔子よ、魔子

 パパは今

 世界に名高い

 パリの牢やラ・サンテに。


 だが、魔子よ、心配するな

 西洋料理の御馳走たべて

 チヨコレトなめて

 葉巻きスパ/\ソファの上に。


 そして此の

 牢やのお蔭で

 喜べ、魔子よ

 パパは直ぐ帰る。

 
 おみやげどつさり、うんとこしよ

 お菓子におベベにキスにキス

 踊つて待てよ

 待てよ、魔子、魔子。


 そして僕はその日一日、室の中をぶら/\しながら此の歌のやうな文句を大きな声で歌つてら暮した。

 そして妙な事には、別にちつとも悲しい事はなかつたのだが、さうして歌つてゐると涙がほろ/\と出て来た。

 声が慄えて、とめどもなく涙が出て来た。


(「入獄から追放まで」/『改造』一九二三年九月号/『日本脱出記』・アルス・一九二三年十月二十五日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』・一九二五年七月二十五日/日本図書センター『大杉栄全集 第13巻』)

 大杉がラ・サンテ監獄に未決囚として収監された五月三日、林は警視庁に出頭し、林が大杉の仲間で革命運動のためにフランスに滞在しているのではないかと疑っている官憲に、根掘り葉掘り尋問をされたが、林はあくまで絵の勉強に来ているのだと主張した。



坂口恭平が、大杉栄の『日本脱出記』から《魔子よ魔子よ》を歌う。


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 01:11| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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