2017年01月02日

第405回 individualism






文●ツルシカズヒコ


 野枝は『婦人公論』一九二三(大正十二)年五月号に「自己を生かすことの幸福」を寄稿した。

「わが生活の目標」欄の一文で、他に生田花世深尾須磨子三宅やす子鷹野つぎ原阿佐緒が執筆している。

 以下、抜粋要約と引用。

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〈一〉

 ●現在の私は、他人への遠慮や気兼ねが少しもなく、本当に自分の思いどおりの我がままができる、呑気な生活をしています。

 ●この平穏無事な状態が幸福だとすれば、そうなのかもしれませんが、私はこんな幸福を喜ぶ気にはなれません。

 ●こんな生活が一生続くとしたら、なんと退屈なことでしょう。幸福は確かに人間を馬鹿にしてしまいます。

 ●警察の監視から逃れることができず、新聞や雑誌に誹謗中傷される、私たちの生活がなんで幸福なんだと、思う方が多いことでしょう。

 ●私たちの生活の目標は、世間の人たちのように、円満な家庭を作り子供たちの成長を楽しみにするというようなものではありません。

 ●私たちは、平穏無事な家庭の幸福がいつ逃げ出しても恐れない覚悟を、いつも持っていなければなりません。

 ●私たちの家庭の中心人物は、いついかなる理由で拉致されるかもしれないのです。

 ●その不安に思い煩っていたら、切りがありません。

 ●けれども、私たちのように進んで危険に身をさらさなければ、人は安泰でいられるのでしょうか?

 ●私は、自分だけには将来の保証があると思い込んでいる人たちの気が知れません。

 ●人は死ぬときには死にます。どんなにしっかりした幸福だと思い込んで握りしめていても、ときにはなんの造作もなく崩壊してしまいます。

 ●他人に与えられる幸福はあてになりません。その幸福に甘えられる間は、それもいいかもしれませんが、その幸福が離れたとき、取り乱すことがないようにしたいものです。

 ●その覚悟は、自分が生きていく目標をどこに置くかによって決まると思います。





〈二〉

 ●夢見がちな若いころ、私は恋愛を人生の第一義にしていました。

 ●しかしまもなく、私は人間はそんなことだけで本当に満足して生きていけるものではないことを知りました。

 ●いかに愛し合い、信んじ合って生活を営んでいても、ふたりは別の人間なのです。愛のためにお互いに自己犠牲を強いることは、本当の幸福ではないことを知ったのです。

 ●自己を生かすことによって得られる幸福が、本当の幸福だと私は思います。

 ●これは不安な家庭生活を呑気に享楽することができるようになるまでの、私の経験から得た教訓です。

 ●これは特別な境遇にある私の生活から得た教訓なので、思想も感情も隔絶している方々には、とうてい理解のおよばないことでしょう。





 元来私はエゴイストです。

 そして思想的には真先きにindividualismの洗礼を受けたのです。

 其の思想は今でも強く私の上に影響して居ります。

 そのせいかどうか、私には到底他愛的な犠牲的な心持はめつたに働きません。

 すべての基準が、自分といふものにあります。

 私が若くて、まだ他人の為めにつぎ込まれた思想に夢中でゐた間は、私は此の自分の性格的なindividualismに気づかずにゐました。

 けれども、やがて私がそれに目ざめた時には、私の其の性格に基づく人生観は非常に強いものになつてゐました。

 現在、一アナキストとして私が持つてゐる思想も信条も、やはり深い根を其処におろして居ります。


(「自己を生かすことの幸福」/『婦人公論』一九二三年五月号・第八年第五号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』・一九二五年十二月八日/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』・學藝書林・二〇〇〇年九月三十日)





 ●今の私にとって恋愛はもう第一義的なものではありません。それが自分を生かすひとつの手段であれば、ある程度の犠牲は払いますが、私の全生活を無価値なものにする場合には、私の理知はそれを捨て去ることを命じます。

 ●私は世間の大方の婦人たちのように、良妻賢母がその生活の目的ではないのです。

 ●私は自分の目的を遂げることを妨げる不合理を、見逃すことができませんでした。


 私は自分の一生をどういう風に暮らすのが一番自分に不満を感じさせないか、と云ふ自らの問に対して其の不満を感じさす根本問題にブツかるより他はないとより答へること事が出来なかつたのです。

 それが私をアナキズムに導いた大きな理由です。


(同上)





 ●そう決心したと同時に私は第二の恋愛問題にぶつかりました。

 ●大杉と私は本当に信じ合って、ひとつの仕事に向かって進んでいこう、誰よりも信じる仲間として一緒に運動し、働いて自分を生かそうと思いました。

 ●しかし、その複雑な交渉が非常に煩雑になり醜悪なものになりかけたとき、私はとても辛抱できず、その渦中から逃れて他に途を求めようかとさえ思いました。

 ●しかし「私は大杉の同志じゃないか」、私の理知がそう囁きました。

 ●大杉はこう言いましたーー「僕だって煩(うるさ)いよ、いやで堪らないよ。だが、仕事や運動を始めれば、こんなことはすぐにカタがついてしまうよ。くだらんことを気にする暇はない。こんなことに煩わされるよりは、仕事の計画をまずしようじゃないか」。

 ●そのとき、私は非常に明瞭に私たちふたりの関係を理解することができたのです。





〈三〉

 ●しかし、以後、この理解が私の一切の生活の基準になったかというと、決してそうではありませんでした。

 ●形式の上では大杉と私の生活は世間並みの夫婦でした。私は彼の妻であり、彼は私にとって実にいきとどいた夫でした。

 ●私は運動を理解していながら、大杉の行動に絶えず不安を抱いていました。

 ●私と大杉が一緒に暮らすようになってから五年目に、大杉が三ヶ月間入獄しました。大杉が留守中の私の深い反省が私にひとつのことを教えました。

 ●「他人の生活に影響されるのは、他人の生活に自分が立ち入りすぎるからだ」ということでした。

 ●その後、病気や仕事の都合で二ヶ月ほど別れて住んでいたことがあります。私はそのとき彼に書いて送りました(筆者註/「『或る』妻から良人へーー囚はれた夫婦関係よりの解放」

〈四〉





 ●それから、私は大杉の生活に対して余計な気苦労を少なくしました。

 ●しかし「不安」がまったくなくなったわけではありません。「覚悟」はしていても、私たちの家庭から大杉を奪い取られることは、大きな悲嘆なのです。その悲嘆がいつ襲うかもしれないということは、やはり恐怖です。

 ●そのような不幸を待っているような不安な生活が、どうして本当の生活だろうと思う方があるでしょう。

 ●今の世の中の権力者を敵にする私たちは、ありきたりの幸福に酔ってはいられないのです。

 ●私たちの本当の心の平静は、不幸を待つような仕事によってしか得られないのです。

 ●私たちの仕事はとうてい目前の安逸では誤魔化し切れないのです。

 ●仕事が失敗して罪科に問われようとも、無為で安逸を貪るよりははるかに心を慰めるのです。

 ●その不幸に実際につきあたってしまえば、もうそこには「覚悟」がすわっています。その不幸を当然として受け入れることができます。

 ●私たちも家庭を構え、子供を育てている以上は、家庭をかばい子供を保護しております。

 ●そして、できるだけの安逸を貪ろうとしています。気が引けるような安逸も、いよいよというときの「覚悟」ができてからは、よほど気にならなくなりました。

 ●正面から非難されても、私には充分にそれに答えられる自信ができたからです。

 ●男に養われるということも、以前には非常に恥ずべきことのように考えていましたが、いつそれが拒絶されてもいいという覚悟ができてからは、甘んじて養われています。

 ●愛撫も保護も、受けられる間は受けています。だからといって、私は夫に束縛されることもないし、私が夫の行為を気に病むようなこともありません。夫に卑怯なことをさせるような自分でもないと信じております。

 ●要するに、私の現在の生活に対する目標、信条は「決して、自分を他人の重荷としないこと」です。

 ●たまさかの安逸が、享楽が、本当にしみるような幸福を感じさせるのも、世間の人の目には不幸を待つような生活であればこそ、としか考えられません。(一九二三年・四・三)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 12:26| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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