2016年12月25日

第403回 日本人







文●ツルシカズヒコ



 一九二三(大正十二)年四月二十二日、林倭衛と『東京日日新聞』の井沢記者が、パリからリヨンにやって来た。

 フランスに留学中の北白川宮成久王が、自動車を運転中に事故死したのは四月一日だったが、その霊柩車がパリからマルセイユに向かうことになり、井沢はその随行取材をすることになっていた。

 井沢がリヨンに来たもうひとつの目的は、大杉本人の許可を得て、大杉の記事を書くことだった。

 早晩、大杉がフランスに滞在していることが知れるなら、先手を打って取材をしてみたらどうだと、林が井沢に話をもちかけたのだ。

 マルセイユの取材を終えた井沢と林はパリに帰ったが、大杉もパリに出てみることにした。

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 春にはなる。

 街路樹のマロニエやプラタナスが日一日と新芽を出して来る。

 僕は郊外の小高い丘の上にゐたのだが、フランスの新緑には、日本のそれのやうに黒ずんだ色がまじつてゐない。

 ただ薄い青々とした色だけだ。

 其の間に、梨子だの桜だのいろんな白や赤の花が点せつする。

 そして、それを透かして、向ふの家々の壁や屋根の、オランジユ・ルウジユ色が映える。

 それは、ほんとうに浮々とした、明るい、少しいやになる位に軽い、いい景色だ。

 が、其の景色も少しも僕の心を浮き立たせない。

 それに、よくもよくも雨が降りやがつた。

 もうメエ・デエ近くになつた。

 僕は殆どドイツ行きをあきらめた。

 そして窃かに又パリへ出かけようと決心した。

 パリのメエ・デエの実況も見たかつた。

 もう一ヶ月ばかり続けているミデイネツト(裁縫女工)の大罷工も見たかつた。

 ついでに今まで遠慮してゐたあちこちの集会へも顔を出して見たかつた。

 いろんな研究材料も集めて見たかつた。

 又新装をこらしたパリの街路樹の景色も見たかつた。

 女の顔も見たかつた。


(「入獄から追放まで」/『改造』一九二三年九月号/『日本脱出記』・アルス・一九二三年十月二十五日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』・一九二五年七月二十五日/日本図書センター『大杉栄全集 第13巻』)





 四月二十九日、パリにやって来た大杉はリベルテール社のコロメルを訪ねて、メーデー当日にセン・ドニの集会で再会することにした。

 林倭衛「仏蘭西監獄及法廷の大杉栄」によれば、セーヌ河岸、サン・ミシェル橋近くの林の宿を訪れた大杉に、林が文士の佐藤紅緑がパリに来ていることを話すと、大杉は自分も紅緑のことを知っているし、芝居のことを話したいからと言って、ふたりはタクシーに乗りエッフェル塔近くの紅緑の滞在先を訪れた。

 佐藤愛子『血脈 上』(文藝春秋社/二〇〇一年一月)によれば、紅緑は外務省の情報局嘱託として渡欧、目的はヨーロッパ各国の映画研究だった。

 この年の二月十八日に横浜から鹿島丸で出港した紅緑の滞欧期間は、一年間の予定だったが、滞欧中に関東大震災の報せを受け、予定を二ヶ月早めて帰国した。

 ちなみに、このとき紅緑は四十九才、佐藤愛子は一九二三年十一月生まれなのでまだ生まれていない。

 紅緑と大杉が対面するのは、一九一五年十二月、日本著作家協会の設立準備会以来、八年ぶりだった。

 紅緑は「私は社会主義は大嫌なのだ」という人間だったが、大杉に対しては好印象を持っていた。


 私は氏の謙遜で無邪気で而も礼儀に篤い諸想と、いかにも明晰な頭脳と理智に輝やく眼の光をとを見た。

 このをとなしい男がどうしてあんなに暴れるのだろうと思つた。

 当時社会主義運動者の運動は幼稚であり、其れに対する政府の取締方法は疎放であり、私としても社会主義の研究が極めて貧しかった。

 私は青年は暴れるだけ暴れるが可い、暴れない様な奴は頼母しくない、どうせ理想の夢を実際に当てはめてやうとするのだから無理が出るだらう。

 其中に段々穏健な考が出る様になるだらうから政府だつてそんなことに慌てるに及ばない事だと考へて居た。


(佐藤紅緑「巴里に於ける大杉栄氏」/『文藝春秋』一九三〇年一月号)





 紅緑は大杉にいろいろと訊ねた。

 大杉はベルリンで開かれる世界アナキスト大会に出るために来たこと、支那人の同志がいるリヨンに滞在していることなどを話した。

「君は日本では日本のお尋ね者であったが、今度は世界的のお尋ね者になったのだね」

 と紅緑が言うと、

「そうだ」

 と大杉は笑った。

「どこから金が出たのか?」

 そんなに親しくもない人に向かって失礼千万な質問だったが、大杉は感情を害した様子もなく答えた。

「横浜の某氏からもらった」

「後藤新平伯が出したという新聞が出たが、あれは?」

「嘘でもないが本当でもない」

 こんな無作法な対話が、紅緑と大杉の間に気安さを生んだ。

「それで君はいつパリに来たのか?」

「昨夜」

「密偵がついているだろう?」

「たぶん!」

「どこへ泊まった?」

「林君の宿へ」

「どうしてパリへ来たのか?」

「君がパリへ来たことを新聞で見た、ちょっと会いたくなったから」

「そうか」





 大杉は紅緑に会うためにパリに来たわけではないので、悪戯好きの大杉はその場のノリで調子のいい嘘をついたことになるが、紅緑は大杉が面会に来てくれたことについて、こう記している。


 私は極めて奇妙な気持に襲はれたので黙つた。

 左までに懇意でもなし、公開席上で二三度会つたばかリの人間が、一寸私に会ひたくなつて人目を忍んでリオンから来たといふ事は余りに不思議な話である。

 不思議ではあるが、あり得べからざる事ではない。

 我等は日本人である。

 同主義者として来たのではない。

 親友として来たのではない。

 日本人として日本人が懐かしくなつたのである。

 エトランジエの気持はエトランジエでなければ解らない。

 二人の主義が異つて居ても、主義よりももつと大きなものが二人を結び付けたのだ。

 面白く一日を暮らさう。


(同上)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 17:41| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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