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2016年12月19日

第401回 裁縫の話






文●ツルシカズヒコ




 野枝が『女性改造』一九二三年四月号に寄稿した「私共を結びつけるもの」は、同誌の「愛の夫婦生活」欄の一文であり、他に若山喜志子武林文子原阿佐緒が執筆している。

「愛の夫婦生活」という甘ったるい特集タイトルではあるが、野枝が寄稿した文章は大杉と自分との関係を総括したような渾身の力作だった。

 かつて野枝の親友だった野上弥生子は、野枝が辻と別れ大杉との恋愛に走った際、野枝の「軽率さ」を厳しくたしなめたが、この文章は弥生子に対する7年越しの野枝の回答でもある。

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 この頃、大杉の行方不明について、ちよいちよい新聞記者の訪問を受けます。

 ……少しのたよりもないのによく心配せずにゐられると不思議さうに首をかしげて帰ります。

 ……私としてはたよりがあつてもなくても、とにかく大して心配せずとも済むものを持つてゐるからです。

 彼はどんな計画をする時でも非常に周到な用意を致します。

 しかし……その成功に十二分の自信をもつ事が出来ても、彼は決して其の自信にはたよりません。

 常に其の失敗に際しての用意をする事を怠らないのです。

 彼はいつも人間の計画の邪魔をする『偶然』を勘定に入れる事を忘れません。

 彼は其の点では、私の且(か)つて見た事のない『実際家』です。

 私が彼の一身に就いて安心してゐられる重要な信頼は、其処にあるのです。

 二ケ月間、或は三ケ月も一度も便りがなくても、私には其の間に彼の計画がどういう風に進行してゐるか、と云ふ事は容易に察する事が出来るのです。

 彼は其の計画にとりかゝる前にとにかく此の推定に必要な材料を充分において行きます。

 もしそれ以上の不幸が来れば、それには私はもう一切の未練気はない筈なのです。

 何故なら、彼が私の……いゝ良人であり、子供等の……慈悲深い父として自家の畳の上に寝ころんでゐる時にでも、思ひがけない災が来ないと云ふ事は決して予想の出来ない事ではありませんから。

 或る新聞記者は私にむかつて、私共の家庭が不安定であり、子供や私や大杉は不幸ではないだらうかと云ひます。

 ……彼の主義主張が勿論その生活の全部ではありません。

 或る時には、世間普通の人達以上の家庭生活の享楽者であります。

 彼は大抵の場合子供を連れて歩きまはります。

 子供と一しよに玩具をあさり、食物を撰び、其の着物、シヤツ、靴足袋の類までも世話を焼きます。

 彼が格別の用事を持たずに家にゐる時には大部分子供と一しよです。

 出るにも入るにも子供を連れてゐます。

 同時に亦私の相手もよくしてくれます。

 私が夕食の支度でもするときにはお芋や大根の皮むき位は引き受けます。

 七論のそばにしやがみ込んで、はじめからしまひまで、見物してゐます。

 御飯を炊く火なぞは大よろこびで燃します。

 よく、出入りをする御用聞きや職人が呆れてゐた位です。

 要するに家庭では実に善良な父であり良人なのです。

 足掛八年間の同棲生活の間に私は省みて彼に持つ不満は一つもありません。

 折々の不機嫌も、殆どすべて、と云つていゝ位に私の我まゝな感情のこぢれに基くのです。

 しかしまた、彼の家庭外の生活が、彼にとつてどれ程重要なものであるかも、十二分に認めて居ります。

 ……彼の懸命な対社会の仕事がなかつたら、どうして私共がいつもいつも家庭生活の幸福を享受することが出来よう? という事もよく知つて居ります。

 彼が或る人々から此の享楽についての多少の非難のある事を知りながらそれを意に介せずに享楽することが出来るのは、寧ろそれ程彼を引きつけてゐる家庭でも、必要の時になれば未練気なく離れる事のできる覚悟があるからだと私は信じて居ります。

 けれども彼は本当に私共を愛して居ります。

 彼は私共を愛する為めに、臆病にも卑怯にもなりはしません。

 しかし、慎重になり周到にはなります。

 彼は自分の心の底から湧き上つて来るアムビシヨンの赴くまゝに、計画し企図して躊躇なく其の実行に移ります。

 しかし、其の自分の満足と同時に私共の上に深い注意を払う事を怠らないのです。

 私の、彼の妻として、子供等の母としての、彼に対する信頼も、感謝も、あきらめも、たゞ其の彼の態度にあります。

 他所目(よそめ)にはどれ程不安定な家庭らしく見えやうとも事実私共には決して不安定でもなく、私も大杉も子供達も、決して不幸ではないと私は信じてゐます。

 更に、私一身の上から云へば、彼は足掛八年の間変らぬ愛で我儘な私を包んでくれた寛大な愛人であり、思ひやり深い友人であり、信頼すべき先輩であり、同志です。

 私共は最初お互ひに非常に不利な状態の下に結びつきました。

 私共は其の時に、より悧巧な方法を知らなかった訳では決してありません。

 むしろ私はその方法を取らうとして一ヶ月もの間苦しんだ位です。

 しかし、私共はお互ひに世間体を繕ふ事を恥ぢないではゐられませんでした。

 また、世間体を繕ふ事が、自分の心の中まで繕ひおほせない以上、最後まで繕ひとほせるといふ事も考へられませんでした。

 で、私共は進んで自分達を世間の悪評の中に投げ込みましたので、何が私共を結びつけたかと云ふ本当の事を他人に知らす機会も別にありませんでした。

 当時の私の最も親しい友人にすら私はそれを話す気にはなりませんでした。


(「私共を結びつけるもの」/『女性改造』一九二三年四月号・第二巻第四号/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)





「当時の私の最も親しい友人」とは、野上弥生子のことである。


 其の友人は……私がつまらない恋愛にひかされる事を極力批難しました。

 当時私は、自分に知的教養の足りない事を痛感してゐましたから、学生のやうになつて勉強したいと思つてもゐましたし、云つてもゐました。

 私の希望はうんと本を読む事だつたのです。

 其の友人はそれに賛成しました。

 けれども、実際には其の時既に私には社会運動に対する熱情が確かに燃え上つてゐたのです。

 私は自分でそれに気がつかなかつたのです。

 或は気がついてゐても、もつと自分をえらくしてからでなければならないと思つてその熱情を重く観てゐなかつたのです。

 が大杉は決してそれを見のがしませんでした。

 彼の情熱が私の其の押へられた熱情を揺り動かしたのです。

 斯くして私は私の単純な知識探究の道をかへました。

 友人はそれを批難したのです。

 その人は、私がたゞ恋のたはむれに惑はされたと思つたのです。

 で、やがてはまた、私が恋の報酬として、自分自身を束縛する家庭と、幾人かの子供の為めに一生を棒にふつてしまふのだ。

 あなたは第一の牢から出て、また少し形のちがつた第二の牢に入るのだと云ひました。

 その人は第一の牢と称する、私の第一の家庭生活に於ける私の惨めさをよく知りぬいてゐました。

 ……形の上から云へば、私は……第二の牢にはいつたと云へます。

 が、それは私には牢と云ふ意味のものからは全くかけ離れたものとしか思へません。

 私は其処で自由にのび/\と育てられました。

 先づ私は活きた社会的事実を観る眼をあけて貰ひました。

 私は其処に力強い事実を観、熱情を煽られましたが、もう決して無知を悲観しませんでした。

 私は其の事実から多くの力強いものを学びました。

 次に私は大杉によつて実に多くの糧を得ました。

 彼は私の唯一の親友でした。

 彼は友人として、私の感じたこと、考へた事、饒舌(しやべ)つたことの全部を、深い理解と同情を以て受け容れてくれました。

 ……私の些細な……趣味に渉つてまで、とにかく話相手になれるだけの理解を持たうと努力するのです。

 私の心の底にうごめきわだかまつてゐる苦痛も煩悶も不平も不満も私の言をまたないでも直接に感じて、いつもデリケエトな心づかひで先きまはりをします。

 裁縫の話でも、料理の話でも、洗濯の話でも、彼は私が興味を以て話すときに、その私の興味を外すやうな下手な話し相手ではありません。

 彼はいつでも台所や井戸端にしやがんで、料理や洗濯に自分の興味をさがし出してゐるのです。

 ミシンの働きにも、着物のデザインにも、興味を見出すのです。

 最初は何んの興味もなかつた音楽に対しても、少しも退屈を感ずることなしにいゝものとつまらないものを聞き分けるやうになり、やがていろんな批評をするやうになつた位真面目に興味を見出すのです。

 家庭は決して私を束縛しませんでした。

 私共二人の友人としての話題は実に多種多様なものなのです。

 ですから私共は一緒にゐれば絶えずしやべつてゐますけれど、話に退屈することは先づありません。

 そして大抵の場合私は其の友人としての会話の間に教育されてゐるのです。

 多くの知識を授けられ、鞭撻され、警(いま)しめられ、訓(おし)へられるのです。

 同時に又、彼れは何時でも私を一人の同志として扱うことを忘れません。

 私は彼と一しよになる時には、常に運動の第一線に立つことを辞せぬ覚悟でした。

 今もその覚悟は棄てはしませんが、そして必要の場合には飛び出しもするつもりですが、それでも今までの処では引つこんでゐます。

 が、彼は私に対しても他の少数の同志と変らぬ厳粛なコンフイデンスを何時も示してゐます。

 私は、彼の妻としてよりも友人としても、より深い信頼を示された一同志として、彼の運動に際して、後顧の憂をなからしめる事につとめなければならないのです。

 私共の生活は、世間の人達の眼からは全くノルマルな生活だとは思へないかもしれません。

 しかし、私はそれ故にこそ世間の人の眼からは牢屋とも見ゆる家庭の内でいぢけてしぼむ筈の処を兎にも角にも、自分を一人の人間として信ずる事の出来る処まで育つことが出来たのだと信じます。

 が、これは決して世間で観てゐるやうな私共二人の甘い恋愛の実ではありません。

 尤もそれなしには成就したとは云ひませんが、しかしいつも私共の生活を結びあはせ、向上さしてくれたのは、たゞ生命をかけた、同志としての信頼と、深い理解を伴う友情です。

『恋はよき刹那を必要とする、走る火花だ、ぐづ/\してゐるうちには消えて、よき刹那は永久に飛んでしまふといふ人間(ひと)があるかも知れません。そんな恋なら消えてもいゝ筈ですね、又そんな恋まで欲しがるのはドン・フアン宗の安価なエピキユリアンです。あなたはその人々の如く恋愛を一生の大事業に数えますか。』

 これは先きに云つた私の友人の、私に対する忠告の言葉です。

 世間の人はともあれ、私のあれ程理解ある友人が、私をその安価なエピキユリアンの一人に数えるのか?

 私は……口惜(くやし)涙を流したものです。

 けれども、もう年月が流れました。

 今では、私には此の言葉も何んの感情も煽りません。

 たゞ私が此の年月の間に学んだ事は『恋は、走る火花、とは云へないが、持続性を持つてゐない事はたしかだ。』と云ふ事です。

 が、其の恋に友情の実がむすべば、恋は常に生き返り。

 実を結ばない空花(あだばな)の恋は別です。

 実が結ばれゝば恋は不朽です。

 不断の生命を持つて居ります。

 その不朽の恋を得ることならば、私は一生の大事業の一つに数へてもいゝと思ひます。

 私共の恋はずゐぶん呪はれました。

 が、空花ではありませんでした。

 大きな実を結びました。

 新しい生命の糧が出来たのです。

 エピキユリアンの欲しがる恋は決して実を結びません。

 それは本当に甘い安価な恋です。

 空花です。

 それは本当に走る火花です。

 それは恋の真似事です。

 恋のたはむれです。

 それは仕事ではありません。

 そんなものが何んで二人の人間を結びつけておく事が出来ませう。

 火花が消えれば真暗です。

 何もありません。

 もうすべてが終つたのです。

 また新しい火花をさがさなければなりません。

『ねえ、あなたの友達は馬鹿でなかつた事が分かつて下すつたでせうね。』

 私は何時かさういつて友人の信用をもう一度とりかへせるやうになつたのです。

 そして、それは此の七年間一日もかはる事のなかつた私の……たつた一人の友人であり、同志であつた愛人の思慮深いたすけによるのだと云ふ事を、誇らして頂きます。

 一九二三・二・二二


(同上)





 野枝にしか書けない大杉の素顔を記した貴重な証言でもあり、鋭い野上弥生子批判(野上個人の批判にとどまらない物書きとしてのスタンスの違いを指摘している)でもあるこの文章であるが、ひとつ疑問がある。

 大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(一九二五年十二月八日発行)に、この「私共を結びつけるもの」が収録されていないことだ。

 紙幅の関係で省かれたにすぎないとも考えられるが、大杉に関して言及したこれほどの力作が収録されない、その理由が見当たらないと思うのである。


原阿佐緒記念館


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 09:37| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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