2016年12月17日

第399回 ヤキモチ屋






文●ツルシカズヒコ




 大杉は近藤憲二にも便りを書いた。


 No news is good news

(近藤憲二『一無政府主義者の回想』/『大杉栄書簡集』一七四 近藤憲二宛・一九二三年)

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 いろんな奴に会つてみたが、理論家としては偉い奴は一人もゐないね。

 其の方が却つていいのかも知れないが。

 戦争中すつかり駄目になつた運動が、今漸く復活しかけてゐるところで、其の点は中々面白い。

 そして若いしつかりした闘士が労働者の中からどし/\出て来るやうだ。

 此の具合いで進めば、共産党位は何んの事もあるまい。

 共産党は分裂また分裂だ。

 イタリアはフアシストの黒シヤツのために無政府党も共産党もすつかり姿をかくして了つた。

 ドイツは余程、と云ふよりは寧ろ、今ヨオロツパで一番面白さうだ。

 そこでは、無政府党と一番勢力のある労働組合とが、殆ど一体のやうになつてゐる。

 そしてロシアから追ひ出された無政府主義の連中が大ぶ大勢かたまつてゐる。

 ちつとも通信をしないんで編集の方に困つたらうが、こんどは書く。

 もう大ぶ書けさうになつて来た。

(絵はがきの女に)

 どうだい、これなら君の好きさうな女だろう。

 一晩十五円なら大喜びで応じてくれるよ。

 やつて来ないか。


(「脱走中の消息」/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』/『大杉栄書簡集』一七五 近藤憲二宛・一九二三年)


「どうだい、これなら君の好きそうな女だろう」は、大杉が近藤に送った絵葉書の「ピンナップガール」のことだろう。





 三月三十一日、野枝からの手紙が届いた大杉は、すぐに返事を書いた。


 前の手紙を書いた翌日は、金のついた知らせが来た。

 思ひがけなく着いたものだから、やつぱりウチが一番有難いなと云つて皆んなに笑はれた。

 尤もどうした間違ひか、あれは銀行へ預金する事になつてゐるさうで、直ぐ手にはいらない。

 それをいろ/\と手を廻して、今朝は受取れる筈だと云つてゐたが、まだ何んの沙汰もない。

 あすは日曜で駄目、あさつても祭日で駄目。

 三日には手にはいるだらう。

 それともう一つの面倒は、銀行でも、郵便局でも、すべて金を受取るのには警察の身分証明書と云ふ奴が要るんだ。

 だから、宛名はやはり実際にゐる人でないと駄目だ。

 で、前便に云つたやうに、これからは総て××××にあててくれ。

 風も腹ももうすつかり治つた。

 が、其後又雨が降りだしたので、まだ本当にいい気持にならない。

 原稿もけふ漸くあとを書き続けたところだ。

 昼飯を食つているところへ、コロンボからの手紙を見たと云ふ、大変なお叱りの手紙がとどいた。

 あなたからあれに似たやうな宣言を受けた事がもうこれで幾度目だらう。

 そして其のたんびに、果してそれは僕の方が悪かつたのだらうか、あなたの方の考へ違いだつたのだらうか。

 僕は後者だと云ひきる。

 あなたはいつもあとでさうだとは云つてゐたが、心の奥底の中ではどう思つてゐたか知らない。

 こんなに幾度も同じ事が繰返されて来るんでは猶更僕には分らなくなる。

 其後又、幾度も同じやうな手紙が船から出されてゐるのだから、あなたの其のいやな気持はたぶん益々つのつてゐるのだらうが、甚だ相済まない気持もすると同時に、僕の方でも少々いやになる。

 もう幾年もの間一緒にゐて、それでまだそんなに僕はあなたにとって不信用な人間なのだらうか。

 そんな時の僕のモツトオはいつも、ぢや勝手にしやがれだ。

 が、其のモツトオをあなたにだけはまだ一度も出した事がないのが僕の弱味だ。

 こんどだつてやはり出せない。

 が、もうそんな話をくど/\とするのはいやだ。

 此の手紙の着く頃には、いやもう其の余程以前に、あなたの心はきつと、もと通りに和らいでゐるに違ひない。

 若しさうでなかつたら、其時には又其時の事だ。

 尤も、今くど/\と其の話をする方が、あなたの或る心を満足させるに違ひない事は分つてゐる。

 しかし、これはお願ひもするのだが、もう少し女らしくなつてくれ。

 あなたの心の中の女の増長をとめてくれ。

 もういいね。

 それとももつと書こうか。

 あなたの事ばつかり考えてゐる、子供の事ばかり考えてゐる、と云ふ嘘つぱちをうんと並べて見ようか。

 そんな事もいやだろう。

 実際僕は、あなたもよく知つてゐる通り、そしてあなたがよく不平を云ふ通り、余計な事(でもないだらうが)はあんまり考へない人間だ。

 考へたつて分らない、又どうとも仕方のない事は、先づ考へない事にきめてゐる人間だ。

 さう修業して来た人間だ。

 今も、実際、ウチの事なぞはそうくよ/\と考へてゐない。

 これからだつて、そうくよ/\と考へさうもない。

 社の事だつてそうだ。

 又日本の運動の事だつてさうだ。

 留守中に何んとかしてやつて行けるだけの方法はとにかくつけて来たつもりだ。

 それが出来る出来ないは、後に残るものの力だ。

 力がなくつて、又は何にかの不慮の出来事で、それが出来なくなつたところで、仕方がない。

 そんな事はウチを出るとうの前からあきらめてゐる。

 だが、やはりもう止さう。

 いくら云つたつてきりがない。

 ここまで書いたところへ、前に云つた金が受取れたと云つて持つて来た。

 これで、先づ大助かりだ。

 あとは、ドイツへ行くヴヰザの問題だが、これは大ぶ難問題らしい。

 まだ何んともきまりがつかない。

 都合では、ベルギイ、オランダ、と廻つてドイツへはいらうかとも思つてゐる。

 あす、あさつての休みが済んだら、自分で警察へ行つて、何んとか話しをつけて来ようと思ふ。

 パリで事を運ばせるつもりだつたんだが、やはり其の前にこつちの警察の証明が要るんだ。

 そして其の警察が又、バカにうるさいんださうだ。

 国境を窃つと抜けてみたいんだが、ほかの先生等が危険を慮かつて中々承知しない。

 警察の方の話がついたら又パリ行きだ。

 それからあとは何処へどうふつ飛ぶ事やら。

 が、行く先の国が変るたびには電報をうつ。

 けふはもう原稿もよしだ。

 これからリオンの町へでも遊びに行かう。

 ここは郊外だ。

 そして靴がもう底に穴があいたから新しいのを一つ買はう。

 百法なら上等のがある。

 子供等にも何にか買はう。

 が、ここから出すのは少し危険だから、パリから送る。

 三月三十一日


(「脱走中の消息」/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』/『大杉栄書簡集』一七七 伊藤野枝宛・一九二三年三月三十一日)





 大杉のコロンボからの手紙を読んだ野枝が、大杉にどんな「お叱りの手紙」を書いたのか、それは不明である。

 大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』にも學藝書林『定本 伊藤野枝全集 第三巻』にも、「お叱りの手紙」が掲載されていないからである。

 大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』(一九二六年九月八日)が発行された時点で、その手紙が存在していなかったのか、存在したが編集者・近藤憲二の判断で不掲載になったのか、それも不明である。

 大杉がフランス滞在中に受け取った手紙なので、大杉が現地で処分してしまった可能性が高いのかもしれない。

 しかし、野枝さんが大杉にぶつけた怒りのおおよその予想はつく。

 つまり、ロシア人のN婦人との関係を叱ったのだろう。

 しかし、大杉が野枝さんに訴えている「しかし、これはお願ひもするのだが、もう少し女らしくなつてくれ」と「あなたの心の中の女の増長をとめてくれ」の二文が、文意として矛盾しているので、大杉の言わんとすることがちょっとわかりづらい。

「女の増長をとめてくれ」は「不必要な焼きもちをやかないでくれ」の意に受け取れるが、そうすると辻潤が「ふもれすく」に記した「野枝さんは恐ろしいヤキモチ屋であつた」という一文が想起される。


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 13:02| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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