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2016年11月04日

第388回 アンドレ・ルボン号






文●ツルシカズヒコ



 大杉がフランス船、アンドレ・ルボン号に乗船して上海から出航したのは一九二三(大正十二)年一月五日、マルセイユに到着したのは二月十三日だった(「入獄から追放まで」/『改造』一九二三年九月号/『日本脱出記』・アルス・一九二三年十月二十五日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』・一九二五年七月二十五日/日本図書センター『大杉栄全集 第13巻』)

 ちなみに、向井孝『アナキズムとエスペラントーー山鹿泰治・人とその生涯』によれば、大杉の上海出航は一月七日。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、アンドレ・ルボン号は一三,六八二総トンの貨客船、マルセイユ〜横浜間を五十日で結ぶ定期航路に就航(一九〇〇年〜一九三三年)、関東大震災の際に横浜港に碇泊していた同号は被災者二千人を救出した。

 船賃は一九三一年の日本郵船の場合、上海・マルセイユ間の三等料金は三百二十五円、二等は五百八十五円(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。

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 上海からフランスのマルセイユまで、大杉の船旅は約四十日の航海である。

 航路は以下である。

 上海(中国)→香港(イギリス)→ハイフォン(海防・ベトナム)→サイゴン(西貢・ベトナム)→シンガポール→ペナン(マレーシア)→コロンボ(スリランカ)→ジプチ→スエズ(エジプト)→ポートサイド(エジプト)→マルセイユ(フランス)

 国際無政府主義大会はベルリンで一月の末から二月初めに開催されることになっていたので、予定通りこの大会が開催されれば、大杉の参加はこの時点で不可能だった。

 上海で大杉の船出を見送った山鹿泰治がすぐに東京に帰ると、それを待ちかねたように長女・アイノが生まれたが、山鹿の妻・ミカの産後の世話を毎日したのは野枝だった(向井孝『アナキズムとエスペラントーー山鹿泰治・人とその生涯』)。





 一月十五日、野枝はアメリカのポートランド在住の大杉の末妹・橘あやめに手紙を書いた。

 前年の十一月末か十二月初旬ごろに届いたあやめからの手紙への返信だが、そのころ野枝は今宿から慌ただしく帰京し、大杉のヨーロッパへの旅立ちの準備、年末の忙しさのために、気にかけてはいたが返事が遅れたのである。


 お手紙を頂いて直ぐ御返事を書きませうと思ひながら、丁度私は十月はじめに逗子の家を引き払つて一ケ月ばかり国へ帰つて、此方へ帰つたばかりでゴタ/\してゐましたのに、引きつゞいて大杉が少し遠い旅行に出るので準備したりいろ/\して、年の暮れと一緒に少し忙しかつたものですから、気にかけながら失礼しました。

 あなたも御無事で何よりです。

 宗坊(橘宗一)ちやんも大変丈夫さうに大きくおなりですのね。

 でも、ちつとも赤ちやんの時と違つてゐませんのね。

 マコに見せましたが、もう忘れてしまつてゐます。

 尤も、宗ちやんの名はよく憶えてゐるやうですけれど。

 私達の話で憶えてゐるので、本当に知つてゐるのではないやうです。

 大杉も、もう今では、あなたなどは一寸わからないほど肥つて丈夫になつてゐます。

 ロシアを通つてヨオロツパの方に旅行に出かけました。

 大いそぎなので、来年の春には帰つてまゐります。

 伸さんは本当に可哀さうな事を致しました。

 お骨が届きましたら、皆んなで集つて、本当に心持のよいお葬式をしたいと思つてゐます。

 松枝さんも健康がよくないやうで困りますのね。

 私のところの二番目の子(幸子)が松枝さんの子になつてゐます。

 もう今年五つになりました。

 時々たよりがあります。

 一月十五日(大正十二年)

 野枝

 橘あやめ様

(東京本郷区駒込片町からアメリカ・ポオトランドへ)


(「消息(伊藤)」/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』・一九二六年九月八日/安成二郎編『大杉栄随筆集』・人文会・一九二七年)





 以上、大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』からの全文引用であるが、『定本 伊藤野枝全集 第三巻』の堀切利高による解題によれば、初出(初収録)の同書も再録の安成二郎編『大杉栄随筆集』も、野枝が橘あやめに宛てたこの手紙の全文を掲載しておらず抄録という体裁を取っている。

 以下が『定本 伊藤野枝全集 第三巻』に掲載されている、全文である。

 ブラウンで表示されている個所が、『大杉栄全集 第四巻』と安成二郎編『大杉栄随筆集』では削除されている。


 お手紙を頂いて、直ぐ御返事を書きませうとおもひながら、丁度私は十月はじめに逗子の家を引き払つて一ケ月ばかり国へ帰つて此方(こちら)へ帰つたばかりでゴタ/\してゐましたのに、引きつゞいて大杉が少し遠い旅行に出るので準備をしたりいろ/\して年の暮れと一しよに少しいそがしかつたものですから気にかけながら失礼しました。

 あなたも御無事で何よりです。

 宗坊(橘宗一)ちやんも大変丈夫さうに大きくおなりですのね、でもちつとも赤ちやんの時とちがつてゐませんのね。

 まこに見せましたがもう忘れてしまつてゐます。

 もつとも、宗ちやんの名はよくおぼへてゐるやうですけれど。

 私たちの話でおぼへてゐるので、本当に知つてゐるのではないやうです。

 まこも大きくなりました。

 三年程鎌倉と逗子にゐましたのですつかり丈夫になりました。


 大杉ももう今ではあなたなどは一寸(ちよつと)わからないほど肥つて丈夫になつてゐます。

 ロシアを通つて、ヨオロツパの方に旅行に出かけました。

 大いそぎなので、来年の春には帰つてまゐります。

 弱くなつたのは私だけです。

 伸さんは本当に可哀想なことをいたしました。

 用心しなければ二三ケ年内にぶり返すし、ぶり返せば駄目だと医者に注意はされてゐたのですけれど、

何しろ食物の摂生といふ事はそばに誰かゐて看てゐなくては六ケ(むずか)しいのですね。


 お骨が届きましたら、皆んなで集つて、本当に心持のよいお葬式をしたいとおもつてゐます。

 勇さんもお嫁さんが出来て落ちつきました。

 私はまだお嫁さんを見ませんけれど、勇さんは大変気に入つてゐるようですから何よりです。

 進さんももうそろ/\お嫁さがしをしてもいゝ頃かも知れません。


 松枝さんも健康がよくないようで困りますのね 私の処の二番目の子が松枝さんの子になつてゐます。

 もう今年五つになりました。

 時々たよりがあります。

 あなたの事も始終うはさをしてゐましたけれど何しろお処がしれないし、勇さんへも進さんへもおたよりがないといふこと故何か御都合のわるいことがあるのだらうとおもつてゐました。

 いろ/\な事もありましたけれど、とにかくあなたを幸福にしたいといふ皆ののぞみからだつたのですから、あなたが現在幸福でさへゐらつしやればみんなよろこんでゐるのです。

 私もあなたにはずいぶんいろんな不満なおもひやつらい思ひをおさせしたかもしれませんけれど、もう過去のことゝして水にながして下さい。

 そして、時々おたよりして下さい。

 私も出来るだけいたします。

 子供の写真、沢山あるのですけれど、みんなうちで写しますので、種板だけで焼いたのが生憎ありません。

 丁度満六半歳のがありますからお目にかけます。

 そのうちもつといゝのを焼いて送ります。

 何分素人写真なので上手にはまゐりません。

 それから今日、あなたからお金が五十円ばかり届きましたがあれはどういふお金でせうか。

 何か買物でもいたしますのですか。

 いづれ何んとかおたよりはあることゝおもひますが、とにかくつくのはつきました故御安心下さいまし


 十五日

 野枝 

 あやめ様


(「書簡 橘あやめ宛」一九二三年一月十五日/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』・學藝書林・二〇〇〇年九月)





 文面は十ノ廿(二百字詰め)松屋製原稿用紙五枚にペン書きである。

「ロシアを通つて、ヨオロツパの方に旅行に出かけました」と野枝は書いているが、大杉の渡仏のルートはこの時点では隠されていた。

 さて、ブラウンで表示されている『大杉栄全集 第四巻』と安成二郎編『大杉栄随筆集』では削除されている文面である。

『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会)のメインの編集にあたったのは近藤憲二であるから(安成二郎はアドバイザー的なスタンスで近藤に協力)、近藤の判断で削除したのである。

 前半部分の削除はともかく、「あなたの事も始終うはさをしてゐましたけれど……」以下の後半部分、橘あやめの近況に関する削除に注目してみたい。

 以下、私見ではあるが、筆者(ツルシカズヒコ)の推測を述べてみたい。

 この下りは、おそらくあやめとその夫である橘惣三郎の夫婦仲についての言及で、ふたりの夫婦仲は芳しくなかったのであろう。

『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会)の発刊は甘粕事件の三年後、一九二六(昭和二)年九月であるが、甘粕事件後にあやめは夫・惣三郎と離婚し、近藤憲二と再婚(一九二八年三月)した。

 あやめは一九二九(昭和四)年に肺結核で死去したので、彼女と近藤との結婚生活は短かったが、ともかくあやめの離婚、近藤との再婚にはいろいろと擦った揉んだがあったようだ。

 そのあたりについては、『日録・大杉栄伝』の著者・大杉豊(大杉栄の次弟・勇の子)「大杉栄を受けとめた弟妹と娘たち」(『新日本文学』二〇〇三年九・十月号)に詳しいので後述するつもりだが、『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会)の編集に尽力した近藤が、野枝の手紙の中のあやめの夫婦仲について言及した下りを削除したのは、おそらくこの「擦った揉んだ」の渦中にあったからだろう。





 もうひとつ気になることがある。

『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・二〇〇〇年九月)を編集した堀切利高は、野枝があやめに宛てた原稿用紙五枚にペン書きしたこの手紙の実物を確認しているわけだが、それは誰が所有していたのだろうか。

 そして、その手紙は今、どこにあり誰が保管しているのだろうか。

 野枝からあやめに渡った手紙は、あやめの死後は再婚相手の近藤憲二が所持し、近藤の死(一九六九年八月)後は彼の再婚相手だった近藤真柄(堺利彦の娘)の手に渡り、真柄の死(一九八三年三月)後は近藤憲二・真柄の娘の近藤千浪が保管していたと考えられる。

 近藤千浪さんも他界(二〇一〇年)された今、この手紙はどこにあり、誰が保管しているのだろうか。 

 千浪さんの繫累が保管していると考えるのがもっとも自然ではある。


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 00:08| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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