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2016年10月30日

第386回 フランス租界






文●ツルシカズヒコ



 一九二二(大正十一)年十二月十四日にエンプレス・オブ・ルシア号で神戸港を出航した大杉が、上海に着いたのは十二月十七日ごろだった。


 上海に着いた。

 そこの税関の出口にも、やはり私服らしいのが二人見はつてゐた。

 警視庁警から四人とか五人とか出張して来てゐるさうだから、多分それなのだらう。

 僕は税関を出ると直ぐ、馬車を呼んで走らした。

 そして暫く行つてから角々で二三度あとをふり返つて見たが、あとをつけて来るらしいものは何んにもなかつた。

 最初僕は此の上海に上陸する事が一番難関だと思つてゐた。

 そして多分ここで捕まるものと先づ覚悟して、捕まつた上での逃げ道までもそつと考へてゐたのだつた。

 それが、かうして何んの事もなくコトコトと馬車を走らしてゐるとなると、少々張合ひぬけの感じがしないでもない。

『フランス租界へ。』

 御者にただかう云つただけなのだが、上海の銀座通り大馬路を通りぬけて、二大歓楽場の新世界の角から大世界の方へ、馬車は先年始めてここに来た時と同じ道を走つて行く。


(「日本脱出記」/『改造』一九二三年七月号/『日本脱出記』・アルス・一九二三年十月二十五日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』・一九二五年七月二十五日/日本図書センター『大杉栄全集 第13巻』)

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 大杉から旅券工作を依頼されていた山鹿泰治は、北京から陸路で上海に到着した。


 ……すぐフランス租界霞飛路の華光医院に電話すると、数日前に大杉はもう着いて、近所のイギリス婦人の家に一室を借り、私を待っているという。

 院長のケ夢仙は、相変わらず穏やかな温顔で出迎えてくれ、手紙で頼んであった旅券入手については、上海の同志たちがいろいろ手をうっていて、もうほとんど目安がついているとのことであった。


(向井孝『アナキズムとエスペラントーー山鹿泰治・人とその生涯』/JCA出版・一九八〇年三月十五日)


 ちょうどリヨンにある中仏大学(中国留学生の寄宿学校)の校長が帰国し、まもなく渡仏することになっていた。

 大杉を中仏大学の留学生に仕立て、名は唐継(タン・ジー)、訛りのひどい台山県生まれの広東人、写真は大杉自身のものを貼って、中法大学校長を保証人として旅券を申請したのである。

 手続きは完了し、旅券もできあがったが、本人が出頭してフランス官憲から受け取らねばならないという難関が残っていた。


 時あたかも年末年始で休日が続く。

 船は一月七日上海発マルセーユ行きのアンドレ・ルボン号ときまり、それをのがすと大会にはまにあわない。

 中国の同志の一人が中国忍法よろしく正月休みの仏領事館にしのびこんで、その旅券をぬすみ出して来た。

 こうして旅券は大杉のポケットに無事おさまった。


(同上)





 上海のフランス租界に着い後について、大杉はこう書いている。


 で、僕は先づ、支那の同志Bの家へ行つた。

 まだ会つたことのない同志だ。

 ……僕がこんど此の上海に寄つたのは、ベルリンの大会で×××××××××が組織されるのと同時に、僕等にとつてはそれよりももつと必要な××××××××の組織を謀らうと思つたからでもあつた。

 翌日僕は、Bの家の近所を歩き廻つて、ロシア人の下宿屋を見つけた。

 そして、ただ少々の前金を払つただけで、名もなんにも云はずにそこの一室に落ちついた。

 上海に幾日ゐたか、又その間何をしてゐたか、と云ふことに就いては今はまだ何んにも云へない。

 そして、本年某月某日、僕は四月一日の大会に間に合ふように、或る国の或る船で、そつと又上海を出た。

 途中の事も今はまだ何んにも云へない。


(大杉栄「日本脱出記」)


 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、九字削除「×××××××××」は「国際無政府主義同盟」で、八字削除「××××××××」は「亜洲(または極東)無政府主義者」であり、大杉は上海滞在中に中国アナキスト連盟と数度にわたり会談をした。

 大杉は上海在住の長妹・秋山春の家も訪問した。


 また、官憲の気配がなく、安心して街を歩けたので、当時上海に住んでいた妹・晴子(春)の家を訪問し、一泊した。

 晴子は〇九年から中国在住、夫は三菱上海支店長である。

 久しぶりの対面で、先ごろ当地で病死した弟・伸のことをはじめ、日本、中国、アメリカと別れて暮す弟妹の消息など、積もる話は尽きなかった。


(大杉豊『日録・大杉栄伝』)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 15:12| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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