2016年10月24日

第384回 有島武郎






文●ツルシカズヒコ



 一九二二(大正十一)年十一月二十一日、大杉は尾行をまいて金策に歩き廻ったが、はたしてうまくいかなかった。

 大杉は「日本脱出記」の中で、この金策について「ふと一人の友人の事を思ひ浮かんで、そこへ電話をかけて見た。そして、最後の幽かな希望のそこで、案外世話なく話しがついた」としか書いていないが、大杉に金を出したのは有島武郎だった。

 有島と大杉の死後、大杉の渡航費の出所が議会で問題になり、内相の後藤新平がその嫌疑をかけられた際に、大杉に資金を提供したのが有島だったことが判明したのである。

noe000_banner01.jpg


  一九二三(大正十二)年十二月十六日の『読売新聞』五面が、「大杉氏の日本脱出費は有島武郎氏の懐から 死人に口無しーー議会に渦を巻く 問題の鍵を握る足助素一氏言明す 死んでも人気者の二人」という見出しで大々的に報じている。

 有島は大杉に千五百円都合したのだが、そのことを足助は有島と大杉の両人から聞いていたという。

 足助によれば、有島は足助にこう語ったという。


『先日大杉君がやつて来て無政府主義大会にドイツへゆき度(た)いから千五百円旅費がもらい度(た)いといふたから、其の希望通りさしあげた。

 僕は大杉君とは立場は違ふが、あゝいう器局(ききょく)の大きい人物を徒(いたづら)に日本の様なせゝつこましい所に置いて内輪喧嘩をさせて置くのが惜しいやうな気がしたので世界の大勢を見て来た方がよからうと考へたからである。

 別にその他にはなんの意味もない』


(『読売新聞』 一九二三年十二月十六日)





 内相・後藤新平は、議会ではっきりした答弁をしなかった理由を、こう語っている。


『うす/\有島が大杉の旅費を出したといふことことは聞かんでもなかつたが、

 はつきりした事実を知らなかつた、

 然(しか)し自分としては一切このことに関しては身におぼえのないことだから、

 ないと答へて置いたまでゞその上かれこれ非難されやうとも、

 いつかは事実が判明すると信じて大人気ないことでもあるし取合はなかつた、

 殊(こと)に有島と知つても故人の親族等(ら)に迷惑があつてはいかぬと考へたからである』


(同上)





 村木のコメントも載っている。


『……私は有島氏が口癖のやうに私達の運動に対して少しづつでもいゝから援助したいといふことを聞いてゐた、

 ……昨年の十一月二十七、八日頃だつた、

 諸所の出版屋をかけまはつたが思ふやうに金策が出来なかつたので自分は此際だから有島氏から出して貰つたらと大杉君に話し、

 有島氏にも電話をかけると氏は快諾し大杉君は翌日有島氏の宅で千五百円を受取つた

 大杉君は千円あれば結構だといつたが金の少ないほど心細いことはないと千五百円投出したのだ、

 それは大杉君の『日本脱出記』にも出てゐる滞仏中大杉君の留守宅から送つた金も過半は有島氏の好意になるものであった』


(同上)


 十一月二十二日、村木が今宿に向かった。

 野枝が四女・ルイズを連れ、迎えに行った村木とともに、今宿から帰京したのは十一月二十五日だった。

 松下竜一『ルイズーー父に貰いし名は』によれば、三女・エマは叔母の坂口モトに預けてきた。

 エマは翌年七月に大杉がフランスから帰国するまでの八ヶ月間、この叔母の世話になっていた。





 向井孝『アナキズムとエスペラントーー山鹿泰治・人とその生涯』によれば、大杉が山鹿泰治の勤務先である芝の印刷所を突然訪れたのは十一月の二十日すぎだった。

 大杉は日本政府が自分に旅券を出す見込みがないので、山鹿に中国人の偽造旅券工作を頼んだ。

 山鹿はさっそく、その日の夜汽車に乗り中国に先行することにした。


 東京駅から釜山経由奉天まで三等六〇円で旅券も不用(ママ)だった。

 下関の特高の網をくぐって釜山へ上陸すると雪がふっていた。

 鴨緑江を越す時、朝鮮人はいちいち憲兵に調べられて多数が下車させられたが、日本人には丁重であっさりと通過できた。

 そして奉天についたが零下八度の寒さで私のゴム靴は凍って、石のように固まり足はふくれて脱ぐにも脱げない。

 さて奉天から北京への京奉線は、三等に日本人は乗れない。

 私は苦力(クーリー)の群にもぐりこんだ。

 便所が詰まって、まわり一面黄金水があふれている。

 坐っている人混みの中をしずくのしたたる靴でまたいで通るのだが「借光借光」(ごめんごめん)とさえ言えば誰もいやな顔をしない。

 隙間風が吹き込んで寒いし尻は痛いし、体を小さくまるめてうとうとしているうちに山海関に着いた。

 汽車は一時間位停っている。

 車の外へ出て一杯ニ銭の熱いミエンとチーローを食べると生き返る思いがした。

 みんなおしゃべりで「你上那辺去(ニーシャン・ナーピェンチィ)」とくるから困ったが、東京へ留学していて今度北京大学へ行くのだとごまかし、とうとう中国人で押し通した。


(向井孝『アナキズムとエスペラントーー山鹿泰治・人とその生涯』/JCA出版・一九八〇年三月十五日)





 山鹿が北京に着いたのは、東京を出てから六日目だった。

 山鹿は北京大学の講師をしているエロシェンコに会うため、彼が住む北京大学ロシア文学教授、周作人の家を訪れた。

 魯迅の弟である周はエスペランチストでもあり、三人はエス語で会話をした。

 山鹿はエロシェンコから北京大学の学生である陳昆山を紹介してもらい、陳の紹介で大杉の旅券工作を景梅九に頼んだ。

 景は日刊紙『国風日報』を経営する国会議員で、東京滞在中に日本の社会主義者とも交わり、大杉のことも知っていた。

 景は山鹿の頼みを快諾し、山鹿も尽力したが、なかなか事は進展しなかったので、山鹿は北京から上海に行くことにした。





 いよいよ大杉が東京を発つことになったが、有島からもらった金は借金の支払いや労働運動社の費用に使い、あらかたなくなってしまった。

 そこで近藤が一計を案じ、大杉と一緒に武藤重太郎に会いに行った。

 武藤の父・三治は当時「鬼武藤」と称せられる神田駿河台の高利貸だったが、重太郎は父とはタチが違いかつて社会主義同盟に加入していたのをその書記だった近藤は知っていた。


 ……絶体絶命の窮余の一策、当って砕けろと思ったのである。

 むろん事情などいわず、ただ金を貸してほしいといったんだが、若主人、ほんのちょっと考え、気さくに、よろしいといってくれた。

「だが、あなた達に貸したとなるとおやじの手前ぐあいがわるい、どうでしょう、証文も出たらめな名前にしてくれませんか、保証人も」

 もとより異存のあろうはずがない。

 そんなわけで旅費の穴うめはできた。

(ついでに記しておくが、大杉はフランスから帰ると間もなく殺されたし、武藤家は震災で焼けて避難先が分らなくなるし、出たらめ証文でバツを合わせてくれたんだし、そのままにしてしまった。その後逢えなかったが、ここに心からのお礼をいっておく。)


(近藤憲二『一無政府主義者の回想』/平凡社・一九六五年六月三十日)


 横関愛造『思い出の作家たち』(法政大学出版局・一九五六年十二月五日)によれば、慶応出の武藤重太郎が貸してくれた金は千円だった。



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index





posted by kazuhikotsurushi2 at 18:05| 本文
ファン
検索
<< 2017年06月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
index(1)
本文(449)
プロフィール
さんの画像

1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
プロフィール

美は乱調にあり――伊藤野枝と大杉栄 (岩波現代文庫)

新品価格
¥1,058から
(2017/3/4 02:04時点)

諧調は偽りなり――伊藤野枝と大杉栄(上) (岩波現代文庫)

新品価格
¥1,058から
(2017/3/4 02:09時点)

美は乱調にあり (英文版) ― Beauty in Disarray (タトルクラシックス )

中古価格
¥3,487から
(2017/3/4 02:14時点)

飾らず、偽らず、欺かず――管野須賀子と伊藤野枝

新品価格
¥2,268から
(2017/2/16 10:43時点)

自由それは私自身―評伝・伊藤野枝

中古価格
¥1,081から
(2017/2/9 02:00時点)

野枝さんをさがして―定本伊藤野枝全集 補遺・資料・解説

中古価格
¥3,913から
(2016/3/13 18:23時点)

定本 伊藤野枝全集〈第3巻〉評論・随筆・書簡2―『文明批評』以後

中古価格
¥18,616から
(2017/2/9 00:18時点)

伊藤野枝と代準介

新品価格
¥2,268から
(2016/3/13 20:05時点)

日録・大杉栄伝

新品価格
¥4,536から
(2016/3/13 20:13時点)

ルイズ 父に貰いし名は (講談社文芸文庫)

新品価格
¥1,620から
(2016/3/13 20:24時点)

地震・憲兵・火事・巡査 (岩波文庫)

新品価格
¥821から
(2016/11/5 01:11時点)

海の歌う日―大杉栄・伊藤野枝へ--ルイズより

中古価格
¥1,619から
(2016/11/5 01:26時点)

大杉榮 自由への疾走 (岩波現代文庫)

中古価格
¥2から
(2017/2/9 00:00時点)

日本的風土をはみだした男―パリの大杉栄

中古価格
¥700から
(2017/2/9 00:12時点)

動揺 [CY大正浪漫コミックス1]

新品価格
¥1,080から
(2016/3/13 18:18時点)

裁縫女子 (サイホウジョシ)

新品価格
¥1,132から
(2017/2/9 18:20時点)

「週刊SPA!」黄金伝説 1988~1995 おたくの時代を作った男

新品価格
¥1,296から
(2016/3/13 20:26時点)