2016年10月24日

第383回 国際無政府主義大会






文●ツルシカズヒコ



「日本脱出記」によれば、一九二二(大正十一)年十一月二十日のことだった。

 夕食をすませた大杉が、少し仕事に疲れたので二階の寝床で休んでいると、村木が下から手紙の束を持って来た。

 幾通かの手紙の中に、珍しく横文字で書いた四角い封筒がひとつ交じっていた。

 見ると、かねてから新聞でその名や書いたものはを知つている、フランスの同志アンドレイ・コロメルからだった。

 ちょっとその封筒を透かして見たが、薄い一枚の紙を四つ折りにしたくらいの手触りのものだった。

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 もう長い間の習慣になつてゐるやうに、それがどこかで開封されてゐるかどうか、先づ調べて見たが、それらしい形跡は別になかつた。

 たゞ付箋が三四枚はつてあつたが、それは鎌倉に宛てゝ書いてあつたので、そこから逗子に廻り、更に又東京に廻つて来たしるしに過ぎなかつた。

 ……とにかく開けてみた。

 ほんのたゞ十行ばかり、タイプで打つてある。

 それを読むと、急に僕の心は踊りあがつた。

 一月の末から二月始めにかけて、ベルリンで国際無政府主義大会を開く事になつたが、ぜひやつて来ないか、と云ふ、其の準備委員コロメルの招待状なのだ。

 大会の開かれる事は僕はまだちつとも知らなかつた。

 が、ちようどいゝ機会だ、行かう、と僕は心の中できめた。

 そして枕もとの小さな丸テエブルの上から、其の日の昼に来たまゝまだ封も切つてなかつた、イギリスの無政府主義新聞『フリイドム』を取つて読んで見た。

 果たしてそれには大会の事が載つてゐた。


(「日本脱出記」/『改造』一九二三年七月号/『日本脱出記』・アルス・一九二三年十月二十五日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』・一九二五年七月二十五日/日本図書センター『大杉栄全集 第13巻』)





 コロメルが大杉の存在を知ったのは、滞仏中の小松清を通じてだった。

 滞仏中に林倭衛とも交流のあった小松は、大杉が渡仏する前年(一九二二年)の春、フランスのアナキストの秘密会合にはじめてこっそりと出て、首領株のコロメルとバーで立ち話をした。


 そのときコロメルから、「国際アナーキスト大会を来春ベルリンで開く予定になっている、その大会にはアナーキストとして世界的に有名なイタリアのアラテスタ(ママ)も出席することになっているが、ぜひ日本の代表にも出てもらいたいと思っている。適当な人はいないだろうか?」といわれたとき、小松の胸にはふと大杉の名前が浮かんだ。

 今まで大杉とは一度も会ったことはないが、日ごろ私淑していた人物の一人だったからである。

 そこで、「日本にはオオスギサカエという人物がいる。しかし官憲の眼が無茶苦茶にきびしいから、とても日本を脱出することはできないでしょう……」と答えた。

 脱出できるかどうかは別問題として、一応大杉のアドレスを教えてほしい、とコロメルから手帳をさし出されたので、小松は詳しいアドレスはわからぬままに〈ムッシュウ・サカエ・オオスギ・カマクラ・ジャポン〉とだけ書いた。


(青木重雄『青春と冒険ーー神戸の生んだモダニストたち』/中外書房・一九五九年)





 大杉が『フリーダム』を読んでいると、アルスに勤務している近藤憲二が帰宅した。

「おい、こんな手紙が来たんだがね」

 大杉が近藤にコロメルからの手紙の内容と大会の概要について、ざっと話した。

「そりゃ、ぜひ行くんですね」

 近藤もだいぶ興奮しながら言った。

「僕もそう思っているんだがね。問題は金なんだ」

「どのくらいいるんです?」

「さあ、ちょっと見当がつかないがね。最低のところ千円あれば、とにかく向こうへ行って、二、三ヶ月の滞在費は残ろうと思うんだ」

「そのくらいならなんとかなるでしょう。あとはまたあとのことにして」

「僕もそう決めているんだ。明日、一日金策に廻ってみて、その上ではっきり決めようと思うんだ」

「旅行券は?」

「そんなものいらないよ。とうの昔に、うまく誤魔化して行く方法をちゃんと研究してあるんだから。ただその方法を講ずるのにちょっと時間がかかるから、明日中に決めないと、大会に間に合いそうにないんだ」

 この二つの条件を聞いて、近藤は安心したような素振りで下に降りて行ったが、大杉は金の算段を考えると楽観はできなかった。





 借金の当てがほとんどなかった。

 借りられる本屋からは、もう借りられるだけ、いやそれ以上に借りていたし、約束の原稿もまだほとんど渡していなかった。

 かりに借りられたとしても、それは留守中の社や家族の費用に当てなければならない。


 そんな事をそれからそれへと、いろ/\と寝床の中で考へて見たが、要するに考へてきまる事ではない。

 あした早く起きて、あちこち当つて見る事だ、さうきめて、僕は頭と目とを疲らせる眠り薬の、一週間程前から読みかけてゐる『其角研究』を読み始めた。


(「日本脱出記」) 



※大杉栄『日本脱出記』/国立国会図書館デジタル資料



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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