2016年10月19日

第380回 毛皮






文●ツルシカズヒコ



 十一月二日、野枝は大杉の次妹・柴田菊に手紙を書いた。

 宛先は「静岡市鷹匠町三丁目」。

 発信地は「福岡県糸島郡今宿村」。


 伸(のぶる)さんもとうたうなくなりましたよし。

 本当にお気の毒な事でした。

 もう漢口を立つ時にはよほど悪かつたものでせうね。

 前便に書きましたやうに、大杉の方からはそれに就いては何も聞けませんので分りませんが、遺体の仕末などはどうなるのでございませう。

 何事もお春さんの御厄介ですけれど。

 でもまあ、伸さんもおなじ旅先きでもお姉さんの介抱が受けられただけしあはせでした。

 私共も漢口辺で他人の中でなくなられたのでは心のこりもありますけれども。

 でも、何だかまだ本当になくなつたといふ気持がいたしません。


(「書簡 柴田菊宛」一九二二年十一月二日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)


『定本 伊藤野枝全集 第三巻』解題によれば、当時、大杉の長妹・秋山春は三菱商事社員の夫(秋山いく禧・いくぎ)の勤務先である上海に在住していた。

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 以下、「消息・大杉」大正十一年十一月三日〜八日(大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』)、大杉栄研究会編『大杉栄書簡集』一五二〜一五四(伊藤野枝宛)から、抜粋要約および引用。

 十一月三日、東京の労働運動社宛ての野枝からの手紙が旅館東屋にいる大杉のところに転送されて来たが、「そんなにうはさや人の口を気にする奴があるかい。そんな事で世界を相手に喧嘩が出来るかい」と、大杉は野枝をたしなめている。

「うはさ」というのは、大杉が中名生静とデキてしまい、野枝が和田久太郎とデキているということであろう。

 この野枝の手紙は、大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』)には収録されておらず、そのまま闇に葬られたのであろうか。

 筆者が推測するに、大杉と野枝の死後、同書の編集の時点で他の書簡に交じり野枝のこの手紙は存在したが、編集者(主に近藤憲二)が意図的に収録しなかったと思われる。

 それはなぜか?

 激した野枝の実名(たとえば山川均夫妻、堺利彦、和田久太郎など)入り罵詈雑言が、記されていたからではないだろうか。





 十一月四日、大杉は徹夜して朝八時に原稿を書き終えて、すぐ尾行を魔子のところへ使いにやって寝た。

 大杉と望月桂(画)の共著『漫文漫画』(アルス)が出版された十一月五日、大杉は昼過ぎに上京した。

『改造』の原稿は思ったよりだいぶ枚数が減ったので、前借を引かれて七十円ばかりしか貰えなかった。

 魔子が運動会で便所へ靴を落としたので、大杉は編み上げのいいのを買ってやり、さらに鼠色のセーター(いつか千代田屋で見た安い)も買ってやった。

 ブレットにはおむつカバーはもうひとつもなかったので、三越に行ってみることにした。

 大杉はフィルムは忘れたが、下駄二足と足袋二足を野枝に送り、色が「お気に召すかどうか知らないが……」「一足はおばさんに」と書いている。

 自宅兼労運社に寄ると、野枝が送ってくれたエビやカニやハゼの小包が届いていたが、すでにエビやカニは食べられていて、料理が面倒なハゼだけしか残っていなかった。

 ハゼは村木が酒を入れて「ぐつ/\やつてゐるが、果してうまく行くかどうか」。

 大杉は野枝に『労働運動』三次九号と『改造』十一月号を送る。

 大杉がここまで書いていると、赤化防止団の連中が立ち会い演説会の依頼に来たが、大杉は断った。

 堀幸雄『最新右翼辞典』によれば、この立ち会い演説会は神田の中央仏教会館で開催され、赤化防止団から米村嘉一郎、矢野富太郎ら、左翼から岩佐作太郎、近藤憲二らが出て討論が行なわれたが、警察から解散を命じられ会場が混乱すると、米村が日本刀で岩佐を斬りつけるという騒ぎになった。





 十一月六日、大杉は鵠沼の旅館東屋に戻ったが、十一月七日の昼すぎになって、この日、東京基督教青年会館で開かれる大島製鋼所の官憲横暴弾劾演説会に行きたくなり、魔子を鎌倉の長芝(村木の親戚)に預けて、上京。

 しかし、演説会は中止になっていた。

 服部浜次のところへ行った大杉は、服部が野枝に小包を送ったことを確認した。

 大杉が野枝に送ったのは着物で、大杉は野枝にこう書いている。


 ……縞がらがお気に召すかどうかは別として、少しジミだったやうな気もする。

 若しさうだつたら甚だ相すみません。

 新聞は朝日を三ケ月頼んで置いた。


(「消息・大杉」大正十一年十一月八日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』/『大杉栄書簡集』一五四 伊藤野枝宛)





 大杉は新橋に向かう道すがら、毛皮屋に立ち寄り、面白いものを見つけたという。


 いつか三越でも見たのだが、羽織の下に着る毛皮のチヨツキ様のものだ。

 其のおもてのきれの縞がらもちよつと面白いし、洋服の上に着たら、オツなものだらうと思つた。

 でも少し長いから、それを縮めたり、つけひもだの脇の方にある前後の毛皮をとめてあるものなぞを少し直しさへすれば。

 しかし銀座にあるのは高かつた。

 百円だ。

 如何です。

 一つ奮発して見ましようかね。

 毛皮の外套とも思つてゐるんだが、うまく丈に合うやうな短かいのが見当らない。

 黙つてゐて何か突然送つてやつて、びつくらさしてやらうかと思ふんだが、おしやべりなので、やつぱりしやべつて了まふ。

 それに、本人がゐて、着て見るか如何かして見ないと、けんのんなんでね。

 ちよつといいと思つても、うつかり買へない。

 おばさんのや、エマやルイズのとも思うが、それはこんどお土産にする事にしよう。


(同上)





 鎌倉の長芝に預けた魔子は、二つか三つ泊まると言っていたから、大杉は明日あたりまた尾行を使いにやることにした。

 大杉は十一月六日半日と十一月七日半日で、「自叙伝」の書いた分を直した。

「書く時には随分一生懸命になつて書いたんだが、今見るとあちこちいやになつて仕方がないが、直すのも大変だし、大がいはその儘にして置いた。直ぐ改造社へ送つて、組みはじめさせる」。

 大杉の長弟・伸の臨終に立ち会ったのは長妹・秋山春だったが、春からの手紙を大杉は野枝に送っていた。

 伸の友人、袋一平がその手紙を見たがっているので、大杉は野枝にその手紙を袋に送らせた。

 大杉は長妹・春には返事は書かなかったが、春の夫の秋山にはすこぶる鄭重な礼状を近親一同に代わってというような書き方で出した。

 執筆に多忙な大杉は、そのせいで目を悪くして、目を冷やしながら奮闘、「早く仕事に一段落をつけて、当分又医者へ通はないと駄目だ」。

 無理をしているがしかし、「からだは割にいい。目方も十六貫を上下してゐる位で、それ以上には減らない」。

 大杉は最後に野枝に不満をぶつけている。





 どうです。

 お一人は、さぞ呑気でいい事でせうな。

 早く、早くと思つて、ただ正月を待つてゐる、どこかの厄介野郎の事なんぞは、もうどうしたつていいことでせうな。

 お邪魔さま。


(同上)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 17:21| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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