2016年10月15日

第376回 広津和郎






文●ツルシカズヒコ




 一九二二(大正十一)年九月二十九日。

 大杉と近藤憲二は夜行で大阪に向かった。

 翌日、大阪天王寺公会堂で開催される「全国労働組合総連合」の協議大会を傍聴するためである。

 近藤憲二『一無政府主義者の回想』によれば、同じ車両にやはり同大会を傍聴するために大阪に向かう山川が乗り合わせていた。

 山川はふたりの顔を見るなり手を小さく振って、尾行がいるから気をつけろという合図をし、やがて寝台車に行った。

noe000_banner01.jpg


 そのころ近藤は労運社の仕事をやりながら、北原鉄雄が社長をしているアルスに勤め始めていた。

 労運社の経済状態を考えた大杉が、近藤を北原に紹介したのである。


 北原さんは尾行をつれた我侭(わがまま)者を、よくも雇ってくれたものである。

 アルス社長の兄さんは北原白秋氏で、そのころ山田耕筰氏が協力して雑誌『詩と作曲』を出していた。

 銀座尾張町の電車通りで、交差点から三軒目の二階に事務所があった。

 北原氏は、社長とか先生とかいわれるのが嫌いで、社員たちはいつも「大将」と呼んでいた。

 社長の呼び方でだいたいの社風はわかるものである。


(近藤憲二『一無政府主義者の回想』)





「全国労働組合総連合」の協議大会は結局、アナとボルの対立が決定的になり、両派の共同戦線である「総連合」は実現しなかった。


 ……果たして大会はこの中央集権的合同か自由連合かの問題で決裂して了つた。

 友愛会側は、其の中央集権と云ふ言葉にさすがに多少後ろめたさを感じたのか、それに民主的と云ふ言葉を冠せてみたり、又戦闘力の集中などと云ふまるで違つた言葉を持つて来たりしてゐたが、其の精神は要するに中央集権だ。

 組合帝国主義だ。

 共産主義者の謂はゆる独裁だ。


(「組合帝国主義ーー総連合問題批判ーー」/『労働運動』三次九号および『改造』一九二二年十一月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第二巻』/日本図書センター『大杉栄全集 第6巻』)





 中浜鉄「新過去帳覚書(其一)ーー大杉栄と刺客」(『自由と祖国』一九二五年十二月号)によれば、この大会中に大杉の命を狙う刺客がいたという。

 中浜と旧知の仲であるGというその刺客は、仕込杖で大杉抹殺計画を実行しようとしていたが、大会に来ていた中浜に相談し、中浜に説得されて思いとどまった。

 中浜がこのことを大会会場で大杉に知らせ、ふたりはこんな会話を交わした。

「やらせてみようじゃないか、奴らに」

「もうやる意志はないね」

「まあ、放っといてやらしてみるんだね」

「もう気抜けしているらしいが、まあ、気をつけているがいい」

「放っとくより仕方がないね」

「とにかく、まだ気をつけたがいい」

「ああ、ありがとう、覚悟はいつでもしとかなきゃあ、ヒッヒヒヒ」

「とんだご注進だ、ハッハハハハ」

 官憲によって大会が中止、解散させられた後、Gは通行を遮断した警官隊に仕込杖を抜いて切り込み、その場で逮捕された。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、Gは抹殺社の平岩巌で「世話になった福田狂二に頼まれて」、大杉を抹殺する計画だった。





 近藤憲二が、大杉一家が逗子に住んでいたころの野枝の思い出を書いている。


 逗子の大杉のところへ遊びに行って帰るときだ。

「これ東京へ行ってから出して下さらない」

 野枝さんが原稿のはいった郵便を渡したので、私は引受けて出た。

 そして数日たって野枝さんが来ていうのだ。

「いま改造社へ原稿料をもらいにいったら、原稿がついていないっていうんですが、出して下さったでしょうか?」

「出しておきましたよ」

「どうしたんだろうなア……、書留にすればよかった……」

 野枝さんは独り言のようにいって、しょげていた。

 それから十日ばかり経って、レインコートを着ると、出したとばかり思っていた原稿がポケットから出てきたではないか。

 おやおや……、私は恐縮した。

 さっそく逗子へあやまりに行くと、「あらよかったわ」といっただけで、それご覧なさいといった素ぶりは見せなかった。

 そういうさっぱりとしたところもあった。


(近藤憲二『一無政府主義者の回想』)





 逗子から上京した大杉と遭遇した広津和郎は、こんな思い出を語っている。

 広津は改造社のK(※上村清敏か/筆者註)と神田の宝亭で昼飯を食べようと思い、電車に乗っていた。

 広津が前の方のつり革に掴まっていると、「やあ」と声をかけながら近づいてくる背の高い腹のでっぷりした洋装の紳士がいた。

 山高帽をかぶり、手に小さな写真機をぶら下げている大杉だった。

 広津が「やあ」と挨拶し、堂々たる紳士振りの大杉に、

「ブルジョアだね、写真機までぶら下げて」

 と言って笑うと、

「うふふふふ」

 広津は無邪気に笑う大杉を見て、どこかゆったりした円熟したものを感じた。


「今日は尾行は?」

「昨晩、撒いちゃったんだよ」と唇をもぐもぐ動かして吃りながら、「そしてね、昨夜は白山に泊まったんだよ」

「白山に?ーー君はそんな処に泊まる事があるのかい?」

「うん、滅多にないけれどね」

「野枝さんが憤慨するだろう」

「無論内緒さ、尾行がついているので割に安心しているよ。わっはははは」

「なるほどね」


(広津和郎「その夜の三人ーー大杉栄」/『改造』一九二五年十月号/『同時代の作家たち』・文藝春秋新社 ・一九五一年/『新編 同時代の作家たち』・岩波文庫・一九九二年十月 )





 広津が神田の宝亭に飯を食いに行くところだと言うと、大杉が「宝亭? あんな処は不味いよ。陶々亭に行こう」と贅沢なことを言い、三人で陶々亭で支那料理を食べた。

 大杉は支那料理通らしく、いろいろ料理の説明をしてくた。

「この燕の巣、これは駄目なんだ。上海で食べると、実にうまいよ。なかなか高いがね」

「上海に行ったというのはやっぱり本当なのかい?」

 と広津が訊くと、

「あっはは」

 大杉はやはり前のときと同じように曖昧に濁した。


 ーー何でもその帰りに、ユウロオブに行って、珈琲と菓子を食った。

 地震後なくなったが、その当時は銀座附近で有名な菓子のうまい家だった。

「ここの菓子はうまいんだね。それでは一つ逗子に帰るのに、菓子を買って行くかな」

 そういって、彼は自分であれこれと菓子を選び、それを包んで貰って、ちょっと手にぶら下げて見せながら、

「弁解だね、昨夜の。ーー心ひそかの弁解だね」

 自分は「愉快な男だ」と思った。

 実際運動方面ではかなり烈しい調子を見せながら、こんな半面があるのかと思うと、この男の人間味の細かさが、うれしかった。

 ーー自分は例の彼の不慮の災難を思い出す度に、この時の菓子の包をぶら下げて、「心ひそかの弁解」といって笑った彼の笑顔が浮かんで来る。


(同上)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



【このカテゴリーの最新記事】
posted by kazuhikotsurushi2 at 21:23| 本文
ファン
検索
<< 2017年04月 >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
index(1)
本文(439)
プロフィール
さんの画像

1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
プロフィール

美は乱調にあり――伊藤野枝と大杉栄 (岩波現代文庫)

新品価格
¥1,058から
(2017/3/4 02:04時点)

諧調は偽りなり――伊藤野枝と大杉栄(上) (岩波現代文庫)

新品価格
¥1,058から
(2017/3/4 02:09時点)

美は乱調にあり (英文版) ― Beauty in Disarray (タトルクラシックス )

中古価格
¥3,487から
(2017/3/4 02:14時点)

飾らず、偽らず、欺かず――管野須賀子と伊藤野枝

新品価格
¥2,268から
(2017/2/16 10:43時点)

自由それは私自身―評伝・伊藤野枝

中古価格
¥1,081から
(2017/2/9 02:00時点)

野枝さんをさがして―定本伊藤野枝全集 補遺・資料・解説

中古価格
¥3,913から
(2016/3/13 18:23時点)

定本 伊藤野枝全集〈第3巻〉評論・随筆・書簡2―『文明批評』以後

中古価格
¥18,616から
(2017/2/9 00:18時点)

伊藤野枝と代準介

新品価格
¥2,268から
(2016/3/13 20:05時点)

日録・大杉栄伝

新品価格
¥4,536から
(2016/3/13 20:13時点)

ルイズ 父に貰いし名は (講談社文芸文庫)

新品価格
¥1,620から
(2016/3/13 20:24時点)

地震・憲兵・火事・巡査 (岩波文庫)

新品価格
¥821から
(2016/11/5 01:11時点)

海の歌う日―大杉栄・伊藤野枝へ--ルイズより

中古価格
¥1,619から
(2016/11/5 01:26時点)

大杉榮 自由への疾走 (岩波現代文庫)

中古価格
¥2から
(2017/2/9 00:00時点)

日本的風土をはみだした男―パリの大杉栄

中古価格
¥700から
(2017/2/9 00:12時点)

動揺 [CY大正浪漫コミックス1]

新品価格
¥1,080から
(2016/3/13 18:18時点)

裁縫女子 (サイホウジョシ)

新品価格
¥1,132から
(2017/2/9 18:20時点)

「週刊SPA!」黄金伝説 1988~1995 おたくの時代を作った男

新品価格
¥1,296から
(2016/3/13 20:26時点)