2016年10月11日

第373回 コズロフを送る(五)








文●ツルシカズヒコ


 一九二二(大正十一)年七月二十四日、近藤憲二は金策に出かけた。


 ……幾度ものことで敷居が高かったが、たった一軒のあてである叢文閣足助(素一)さんへ出かけた。

 行くとお客がある。

 仕方なしにいっしょになって話していると、私が幾度も時計を見るので気づいたのか、足助さんは、「なにか用だったかね?」と尋ねた。

 わけを話すと、足助さんは半分ほどきいて、いきなり怒鳴った。

「馬鹿! 早くしないと銀行の時間におくれるじゃないか!」

 私は小切手を握ってとび出した。

(こうして書いていると、足助さんの純情がなつかしく思い出される。)


(近藤憲二『一無政府主義者の回想』/平凡社・一九六五年六月三十日)

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 七月二十四日、大杉一家三人は電車を二、三回乗り換えて、コズロフの家のある神戸と大阪の中間の魚崎というところまで行った。

 大杉はコズロフもエロシェンコのように、警察の留置場か何かに拘留されているのかと心配したが、自宅に監禁状態にされているようだった。


 七八丁も俥で行つて、小学校の前に出ると、小さな沼のやうなものがあつて、其の直ぐ向うに新建ちの二階家の三軒長屋が見えた。

『あれです、あの一番奥の家がさうです。』

 尾行の一人が指差して教へてくれた。

 僕は俥から下りた。

 そして女房が真先きになつて其の長屋の奥の方へ進んで行つた。

『クララ!』

 其の家の窓格子のところまで行くと、いきなり女房は大きな声で叫んで玄関の方へ走つて行つた。

 女房はきつと彼女の姿を見たのだ。

 僕もそれに続いて玄関へ走つて行つた。

 そこでは、クララと女房が手を握り合つて、何かぺちゃくちゃ云ひながら、切りにそれを振つてゐた。

 そしてそこへ入つて行つた僕も直ぐ其のお仲間入りをした。


(「コズロフを送る」/『東京毎日新聞』一九二二年七月二十九日から十三回連載/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』/日本図書センター『大杉栄全集 第14巻』)





 コズロフは不在だった。

「ちょっとクロニクル社まで行って、たいてい正午までには帰って来るが、どうかすると晩までかかると、言いおいて行ったんですがね。もうすぐ帰りましょう」

 呑気そうにそう言ってニコニコしているクララには、翌日、退去命令を受けて日本を離れなければならないという切迫感は見受けられなかった。

 クララは前年の春に上京したことがあったが、そのときに較べると、見違えるほど肥っていた。


 そこへ、そとから真裸で、真黒の、そして丸々とした、ただ目鼻と髪の毛とが西洋人だと云ふ事を見せている、小さな女の子がはいつて来た。

 スガチカだ。

『海岸で遊んでゐたんだけれど、俥が沢山来たから、パパが帰つたのかと思つて来て見た。』

 と、スガチカがロシア語で云ふのをクララは英語に通訳してくれた。

 が、ママが其の話をしてゐるまに、もうスガチカとマコチカとは、おもちやを出して遊びはじめた。

 魔子は京都で買つて来たお土産の人形だの、扇子だのを取り出した。


(同上)





「コズロフがいないんだがね。電話ででもちょっと行き先を調べてくれ給え。そして、どこかにいたら、すぐに帰るように言ってくれ給え。まずクロニクルとアドヴァタイザーとに電話をかけてね」

 大杉は尾行にそう言いつけ、スガチカとマコチカの人形並べの仲間に入った。

 野枝はいつのまにか、クララと一緒に二階の居間に行った。

 十分か十五分ほどして、尾行が報告に来た。

「クロニクルとアドヴァには、さっきまでいたそうですが、その後の行き先がまるでわからないんだそうです」

「困ったな。しかし、クララの言うにはすぐ帰って来るようだから、ちょっと待ってみよう」

 玄関の土間には前よりも大勢の尾行が突っ立っていた。





 大杉が二階に上がると、クララと野枝は、いろんな写真を乱雑に広げて何か話していた。

 クララと野枝のそばで、生後八ヶ月の男児、フランクがあっちに這ったりこっちに這ったりして、そのたびに魔子の目を丸くさせていた。

 西洋人の子にしても滅多に見ない、綺麗な可愛い子だった。

 フランクの名はI・W・W驍将(ぎょうしょう)、フランク・リトルにちなんだ名前で、コズロフが命名したのだった。

「これ、餞別です」

 大杉は京都で続木斉から借りた一封を取り出した。

「いいえ、コズロフは今、金策に出ているんです。クロニクルとアドヴァと、ほかにもう一、二軒で要るだけのお金はなんとかできあがる当てがあるんです」

 クララは大杉の手を押しのけて、そう言ったが、大杉は彼女の手にそれを握らせた。

 コズロフがまだ帰宅せず、行き先もわからないのは、金策の当てがはずれたからに相違ないーー大杉はそう予測していた。





 そこへ、下から「あまさん」が大杉を呼びに来た。

 大杉が降りて行くと、尾行や立ち会いの私服刑事が、大勢玄関にいて、がやがやしていた。

 その中のひとりがおずおずしながら、申し出た。

「コズロフの細君とお話しなさるのも、やはり立ち会いをしたいんですがね」

「いいだろう、二階に来給え」

 大杉は外事課長との約束は、忘れたような顔をして言った。


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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