2016年10月10日

第372回 コズロフを送る(四)






文●ツルシカズヒコ



 一九二二(大正十一)年七月二十三日。

 大杉一家は夕方の五時すぎに神戸に向かう汽車に乗った。

 あらかじめ上の寝台をひとつ買ってあったのだが、うまくその隣りの寝台がひとつ空いていた。

 野枝と魔子を寝台に寝かせて、大杉はほかの席でこっくりこっくりする覚悟でいたが、親子三人隣り合って寝ることができた。

「またきっと、行きは大名、帰りは乞食だぞ」

 大杉と野枝は、前年の新潟への旅のことなどを思い出しながら、微笑み合った。

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 いつもなら旅行をするときは、尾行をまいて出かけたが、このときはそれをしなかったので、尾行が三人ついて来た。

 尾行の刑事たちは、寝台車の喫煙室に控えていて、それが府県ごとに交代しては大杉たちを覗きにくることになっているはずなのだが、そんなことはまるで気にせずに、大杉たちは寝た。

 馬鹿な尾行は自分でカーテンを開けて怒鳴られたり殴られたりするのだが、少し利口な奴はボーイに言いつけて覗かせる。

 前の尾行から渡された送り状のようなものと、自分たちが引き継いだ品物が合っているかを確かめる必要があるからだ。





『どちらでお降りになりますか?』

 さつき寝台券を渡した時にも聞いてそれを何かの紙片に書きつけて行つたのを、寝てから暫らくして又ボーイが尋ねに来た。

『はあ、奴等は、どこで降りるか分らんので心配してゐやがるんだな。』

 と僕は思つたが、『さつきも云つた通り、まだどこで降りる分らないんだ』と何んにも知らんやうな顔をして答へて置いた。

 すると、暫らくして又『寝台券のもう半分の方をちよいと見せて戴きたいんですが』と云つて来た。

『いいえ、見せません』と女房が云ふのを、ボーイがうるさく迫るので、とうたう女房がカンシヤク玉を破裂さして、『あなたにさう云ひつけた男にここに来いと云つて下さい』と怒鳴りつけた。

 ボーイは赤い顔をして引きさがつたまま、それつきりもうスパイの下働きをしに来なかつた。

 そしてきつと、又怒鳴られるのが恐くて、多分カアテンからのぞきにも来なかつたのぢやなからうかと思はれる。


(「コズロフを送る」/『東京毎日新聞』一九二二年七月二十九日から十三回連載/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』/日本図書センター『大杉栄全集 第14巻』)





 大杉は大津近くになって目が覚めた。

 旅行案内で神戸の到着時刻を調べてみると、少し早すぎた。

 大杉は停車場からすぐ県庁に行き、警察部長に話をつけてコズロフに会う許可を得ようと思っていたが、それにしては、朝早く神戸に着きすぎる。

 大杉は京都で降りて、二、三時間、時間をつぶそうと決めた。

 京都には二、三年会わない友人がいたので、訪ねてみることにした。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、このとき大杉が京都で下車して会ったのは、パン製造販売業の友人・続木斉だった。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、大杉と続木は東京外国語学校の同窓で、ふたりは同時期に同校に通学していた。

 大杉は続木から借金をすることができた。





 神戸に着いたのは、正午少し前だった。

 大杉は野枝と魔子を停車場の待合室に待たせて、兵庫県庁に向かった。

 兵庫県では最近まで警視庁で官房主事をしていた本間が、内務部長をしていた。

 大杉はまずこの馴染みの本間に話をつけるのが、なにかと好都合だと思った。

 しかし、本間は洋行中で留守だったので、警察本部の部長室に押しかけた。

 しかし、部長は県会に出ていたので、下役らしい男に名刺を渡すと、その男は電話をしてみると言っていったん引っ込んだ。

 また出て来た下役の男によれば、部長は県会で答弁中なので、少し待ってくれとのことだった。

 大杉がコズロフに会いたい旨を下役の男に伝えると、外事課に案内されたが、外事課長もまた県会に出ていた。





 そこへ特別高等課の刑事がやって来た。

 一見してスパイという感じがする狡猾そうな面構えをしたその刑事に、大杉が言った。

「君、ちょっと使いを出してほしいんだがね。停車場に僕の女房と子供が待っているんだ。そこへもう三十分ぐらいかかるだろうと、言ってやってくれ給え」

 スパイの扱いに馴れている大杉は、さらにその特高課の刑事に使いを言いつけた。

「それからもうひとつ、須磨の安谷のところへ東京から金を送って来るはずになっているんだが、それが着いたかどうか、いずれにしても、すぐここに来るように言ってやってくれ給え」

 大杉に言いつけられ用事をすませた特高課の刑事が、

「まあ、向こうでお茶でも一杯」

 と言いながら、大杉を応接室に案内した。





 大杉が応接室で待っていると、待ち切れなくなった野枝と魔子がやって来た。

 やがて県会から外事課長が戻って来たので、大杉はまた外事課に案内された。

 外事課長はまだ若いのっぺりした長い顔の、いかにも警察の外交官らしい男だった。

「御用件は?」

 大杉が用件を伝えると、

「が、強いてとおっしゃるのじゃないでしょうな」

 と外事課長は確かめるように言った。

「いや、強いてなんです。あくまで強いてなんです」

 大杉は立ち上がって、わざと難しそうな顔をして強く言った。

 外事課長はまだ県会にいる部長に聞きに行き、案外すぐに戻って来て、部長の見解を大杉に復命した。

「絶対にいけないことになっているのですが、警官立ち会いの上で、特に十分間の面会を許します。それでいかがでしょう」

 コズロフ以外の家族は、別に退去命令を受けているわけではないが、コズロフと同様とされ、やはり同様に十分間しか会わせないという。

「仕方がない、とにかく出かけよう」

 大杉一行は、立ち会いやら尾行やらのおおぜいの私服刑事を先達にして、コズロフの家に向かうことにした。



※続木斉(2) 




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 00:04| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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