2016年10月04日

第370回 コズロフを送る(二)






文●ツルシカズヒコ



 大杉は仲間のひとりに東京駅まで行ってもらい、この日の寝台の空いているのをひとつ買って来てもらうことにした。

 寝台にしたのは、目の病気に夜更かしが禁物だったからだ。

 大杉は画家・望月桂との共著『漫文漫画』をアルスから出版することになっていたが、自分の取り分の原稿料五十円を前日、アルスから前借りした。

 丸善で本を買った残り三十幾円から、新橋逗子間の回数券を買う予定にしていたが、本を買わなければ帰りの旅費も足りたのにと大杉は思ったが、仕方がないーー帰りは帰りでまたなんとかすることにした。

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 寝台は午後五時幾分発だった。

 大杉は逗子に寄って、魔子も連れて行ってやることにした。

 もう正午になっていたので、すぐに出かけなくてはならない。

 コズロフとクララ夫妻の長女スガチカは、魔子より半年ほど遅く生まれたが、魔子とスガチカはよい友達だった。

 スガチカという名は管野スガにちなんだものだった。

 コズロフは菅野の獄中詠吟「くろがねの窓にさしいる日の影の移るを守りけふも暮らしぬ」を、大杉の字で書かせ、それを表装して家の床の間にかけていた。

「あなたの字は大変アナキスティクです」

 コズロフは堺あたりの皮肉を、文字通りの意味に受け取り喜んでいた。

 スガチカは生後八ヶ月ぐらいで魔子よりもよほど大きく、よちよち歩き出し、親爺が体育好きのためか丸々と太って、男か女かちょっとわからない格好をしていた。

 スガチカは葉山にいたころは、毎日素っ裸になって、土地の子供と変わらないほどに真っ黒になっていた。





『此の暑いのに着物などを着てゐる事があるもんですか。それに海に入るのにまで着物を着るなんて、ほんとに馬鹿げてゐますわ。』

 コズロフの細君のクララはさう云つてゐた。

 そして彼等自身もよく素裸で海にはいり、アメリカでもやはりよくさうやつてゐたさうだ。

『いつか此の子がね』とクララはスガチカを指さしながら『汽車の中で股をふん張つて座つてゐたんですよ。すると、すぐ前にゐたレディが、オオ・ホリブル・ホリブル!(恐しい、恐しい)と叫んで、目を押へて慄えてゐましたわ』と云つて大笑ひしてゐた。

 魔子チカもそんな事ではなか/\スガチカにはまけなかつた。

 二人はよく素裸になって相撲をとつたり、親爺共から教わったロシアの無政府主義の歌『黒旗高く』と云ふのを歌つたり、また日本の『ああ革命は近づけり』の歌を歌つたりして、遊んでゐた。

 僕は、コズロフとのお別れに、もう一度、此のスガチカと魔子チカとの合唱を聞かうと思つたのだ。


(「コズロフを送る」/『東京毎日新聞』一九二二年七月二十九日から十三回連載/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』/日本図書センター『大杉栄全集 第14巻』)





 そこへ村木が電報を持って来て、

「おい、妻危篤、すぐ帰れだよ」

 とふざけながら、電報を大杉に渡した。

 野枝からの電報は「クララに会いたい、行ってもいいか」というものだった。

 野枝とクララもいい友達だった。

 野枝が魔子を生んだばかりのころ、クララがスガチカを収めた大きなお腹をして、初めて大杉と野枝を訪ねて以来、お互いの往復は数えるほどしかないが、野枝とクララはいい友達だった。

 コズロフはアメリカ仕込みのおしゃべりで、言葉が通じない同士にはうるさすぎる男だった。

 大杉たちは彼のことを最初、あまり悧巧な男ではないと決めつけていたが、クララには初めからみんなが感心していた。

「どうも女房の方が悧巧らしいね」

 というのが定評だった。

 クララはコズロフより二、三歳上だった。

 大杉とコズロフが何か相談事に行き詰まっていると、クララはいつもそこに一閃の光をもたらしてくれた。

 クララはロシアから来たユダヤ人だった。

 そしてユダヤ人通有の、年頃になるまではずいぶん綺麗だったろうと思わせる面影を、まだ十分に持っていた。

 アメリカでは、コズロフはI・W・Wに加わり、クララはロシア・ユダヤ人の無政府主義労働者の一団体に加わっていた。





 大杉は野枝もぜひ連れて行きたいと思ったが、困るのは金だった。

 近藤の帰りが遅いので、村木を使いにもう一軒交渉してみたが、だめだった。

 やがて近藤ががっかりした顔をして帰って来た。

 二軒あたったが、だめだったという。

「今日は日曜日だから、もうだめです。明日は必ずどこかでどうかして、電報為替で送ります。それを当てにして、ともかくお出かけなさい」

 近藤はがっかりしながらも、まだ確信があるように言った。

「そうしよう。が、もうひとつお頼みがあるんだ。明朝早々、内務省に行ってね、新警保局長に会って、神戸の方へぜひ会わせるように電報を打ってくれって、談判しておいてくれ給え。そうでもしないと、田舎の奴はちょっと面倒だからね」

 そう言って、大杉は新橋駅へ行く途中、もう二、三軒金策をするつもりで、本郷区駒込片町の労働運動社を出た。

 まず、日比谷洋服店の服部浜次のところに立ち寄った。





『さつき近藤が来たがどうした、出来たかい?』

 僕の声を聞きつけると、親爺は風呂の中から声をかけた。

『駄目なんだ。』

『が、こんどは少々でいいんだが旅費の方だ。今から直ぐ出かけようと思ふんだが、どうだい、ちつとはないかい?』

『うん十両か二十両ならあるだらう。』

『さうか、その二十両でいいや。直ぐ出してくれないか。』

 僕は此のあとの方の言葉をすぐそばにゐた細君の方に半分向いて云つた。

『ね、あなた、それを出して了まつてあとがどうかなる?』

 細君は僕なぞには構はずに、情けなささうに風呂の方へ向いて云つた。

『あとは又あとの事だ。どうにかなるよ。』

 風呂の中からのと僕のと、二つの声が殆ど一緒にぶつかつて出た。


(同上)





 逗子の家にだって五円や十円はあるだろうし、財布の中のと、この二十円があれば、親子三人の往復の汽車賃はまず大丈夫だと、大杉は思った。

 大杉は少し欲気を出して、ついでに餞別の方もと思いながら、近所の東毎に行ったが、社長は出てくるかどうかわからず、金の話のわかる事務局長は外出中だった。

 もう一軒、やはり近所で日曜でも社長の出ていそうな改造社へ行ってみたが、ここもやはり留守だった。

 大杉は翌日の近藤の為替を唯一の当てにして、すごすごと新橋駅に行き、ちょうどすぐ来た汽車に乗った。



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 23:29| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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