2016年10月02日

第364回 見張小屋






文●ツルシカズヒコ


 大杉の家を出た中浜は、大杉の家の門の真向かい相対してある見張小屋に立ち寄った。

 街道から十間あまり踏み荒らされた畦道が、見張小屋の入口に通じていた。

 小屋に不釣り合いな大きな日英両国の国旗が、一間幅の戸口に交差して掲げられ、折からの浜風に揺れていた。

 小屋の外は一面の野菜畑で、植えてある葱の匂いや肥料の臭いが鼻をついた。

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 中浜が小屋に入ると、板の丸テーブルに靴履きの三人の刑事が座っていた。

 中浜もその席に腰かけた。

 テーブルの上に鋳鉄の小火鉢がひとつ乗っていて、火鉢の中は吸殻で山盛りいっぱいになっていた。

朝日」に火をつけた刑事が口を切った。

「どうだ、奴らは何かしていたか?」

 刑事たちは中浜が大杉の家に入るとき、中の様子をうかがって後で報告するように言ってあったので、中浜もそれに調子を合わせていた。

 中浜は故障の個所がすぐ見つかり、台所から奥へは一歩も踏み込むことができなかったので、駄目だったと伝えた。

 中浜が台所でアイスクリームをご馳走になったというと、その男は村木という食客で、「アイスクリームで買収されやがって」と刑事が言った。





 障子のある奥の部屋にいる、ボス格の部長刑事が命令した。

「アイスクリームで買収された罰だ、そ奴の所持品をいちおう調べてみろ」

 仕事道具が入っている雑嚢(ざつのう)の中身を調べられ、スボンのポケットがふくらんでいたので、大杉からもらったバラ銭もテーブルの上に並べられた。

「もうよし! 当たり前なら真っ裸にして尻の毛までも数えるのだが、おまえは男らしいから赦してやる。片づけろ! これ以上調べても、春画か女郎部屋の勘定書が出てくるぐらいがオチだろう。ハハハハハハ」

 中浜が所持品を収め始めると、ボス格でない刑事のひとりが言った。

「それにしても、それだけの小遣いをバラで捻じ込んでいるのは、いい気っぷだ。大きなやつを屁(ひ)ってポッケに風穴を開けると、落っことしてしまうぜ。ハハハハ」

 所持品をしまい終えた中浜が、エアーシップに火をつけた。

「面倒ですな、ここは。大杉って家よりもこの小屋の方がよっぽどおっかないや、ヘヘヘヘ」

「減らず口を叩くな。しかし、よそへ行って滅多なことをしゃべると赦さんぞ!」

「ええ、そりゃもう……フフフ」





 刑事のひとりが突っ立って、頓狂に叫んだ。

「部長殿! 大杉が出て来ましたぜ! 門口に立って笑っていますよ」

「そうだ、おい、電燈屋! おまえは早くこの北窓から飛び出して、裏の畦道を向こうに抜けろ! 早く逃げろ!」

「なあに、もう見つかったんですから、逃げるにおよびませんや」

 中浜は煙草を吹かしながら、ニヤニヤしていた。

 奥の部屋から出て来た部長が、敷居で靴をはきながら言った。

「電燈屋、早く出ろ! それから君らは出動準備をしておいてくれ給え。江口夫婦が帰るのだろうから、僕が行って聞いてみるから」

 畦道を伝い街道へ出て行く部長の後を、中浜が続いた。

 門の前に立っている大杉に、部長が尋ねた。

「お出かけで?」

「ああ……」

「江口さんたちもご一緒ですか?」

「いや、俺ひとりだ」

「どこまでですか?」

「ここまでさ」

「ご冗談でしょう。江口さんたちはまだお帰りになりませんか? 桜は盛りですね。」

「そうさ、気晴らしにここまで桜を見に出て来たのさ。それから、君の後ろに隠れている、その電燈屋さんを見に来たのさ。ハハハハハハ」

 後ろを振り向いた部長が、中浜を睨みつけて威張った権幕で怒鳴った。

「こらっ、貴様はまだいたのか? 早く帰れ!」

 中浜は停車場の方へ姿を消した。

 トンネルを潜り抜けた上り列車の汽笛が、けたたましく響いた。





「あの電燈屋は君らの間諜(まわしもの)じゃないのかね?」

「そんなことはありませんよ」

「あの電燈屋が僕の家を出るとすぐ、呼び込まれもしないのに君らの小屋に入って行ったのを、僕はこの目でちゃんと見届けていおいたんだからね。あんな者をよこすなんて、君らは卑怯すぎるよ」

「そんな誤解をされちゃ困りますな」

「自分でしでかしておいて、困りますもないもんだ。ハハハハハ」

「あいつ、とんだとばっちりを残していきやがった、畜生! そりゃそうと、江口さんたちは何時にお立ちなんです?」

「汽車も混むから、夜船を下ろして鵠沼に帰るかもしれないよ」

「そうですか。お供しましょう。船も雇っておきましょう」

「君らの都合のいいようにしたらいいだろう」

 大杉は踵を返して、家の方に歩いて行った。

 結局、英国皇太子の身には何事も起こらず、一九二二(大正十一)年五月、英国皇太子は帰国の途についた。

 中浜の英国皇太子暗殺は機を逸したのである。



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 16:05| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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