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2016年10月01日

第363回 アイスクリーム






文●ツルシカズヒコ



 二階の四畳半の部屋の東側は緑色の砂壁で、ドアがあり書斎に通じていた。

 壁の中央にはトルコ帽をちょっと横っちょに被った、精悍だが愛嬌のあるバクーニンの肖像額がかけてあった。

 大杉と中浜は長火鉢を中に胡座をかいて向き合った。

 大杉は袷衣(あわせ)の褞袍(どてら)を無造作に引っ掛け、壁にもたれている。

「素晴らしい家じゃないか?」

「俺の所有ならそうも言えるが、天下の製茶成金、大谷嘉兵衛の別荘としちゃあ、ずいぶんケチ臭い建て方をしているぜ。しかも、奴さん、これで妾宅を兼ねていたんだって言うからな。ハハハハハ」

「金持っている奴は、金と女にかけちゃどこまでも抜け目のない算段をする奴らなんだろう?」

「奴らは皆そうしたものさ。それにしても、家賃の催促に来ないのは何よりだ。もっとも取りに来たって、ない袖は振れぬが、これで小遣い銭の余分があれば払うつもりではいるのさ。それがしょっちゅう、不足がちでお気の毒なこった。ハハハハハ」

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 硝子障子を通して、夕陽が部屋の三分の一を影らしている。

「しかし、君、今日は馬鹿にうまく化けこんだね。色は黒いし、柄もゴツいし。だが、腕は少々怪しいんだろう?」

「なあに、これで腕だって満更でもないさ。電信隊で三年もやったし、内線でござれ外線でござれ、電信電話の工事ならひと通りはちょっと垢抜けしてるつもりだ。フフフフフ」

「しかし、ここは入るときはそうでもないが、出てからがずいぶんしつこいらしいんだ。越中褌(えっちゅう)まで脱がされた連中がずいぶんいるんだ」

「うん、それが五月蝿(うるさ)いから、出るときを淡白(あっさ)りやってのけるつもりで、入るときに少々気をもませてやったんだ」

 ふたりは暫時(ざんじ)、眼と眼で何かを探り合っていたが、大杉が大きな瞬きを火鉢の中の灰の上へ落とし、切り出した。

「どこまでいく予定だ?」

「予定してはいない。たぶん、いけるところまでいくだろう」

「無理しないように、最後までも身体だけは大切にしなくちゃあ」

「ああ、そう思わんこともないが、実は今、自身で自分を持ちあぐねているんだ」

「そうか? しかし、あせっちゃ、なおさらぶっ壊しになるんだ。もしも途中で気が差して来たら、よく考え直してみることさ。それでも遣るとなったら、何も他のことは考えずに決行するさ」

「ああ、今はなんにも頭の中にはない、また考えたくもない。とにかく、早くケリをつけたいという希望だけだ」





 英国皇太子(後のエドワード八世)が来日したのは、四月十二日だった。

  英国皇太子はひと月ほどの滞日中、日光、箱根、京都などを訪問する予定だったが、中浜は古田大次郎とともに英国皇太子の暗殺を計画していたのである。

 中浜がこの日、大杉を訪れたのはこの暗殺計画を実行するにあたり、大杉の意見を聞くためだった。

 江口渙『続わが文学半生記』によれば、中浜は大杉宅を訪れる前に村木からピストルを借りていた。

 中浜鉄「逗子の大杉」(『自由と祖国』一九二五年九月号)によれば、鵠沼在住の江口渙、千代子夫妻が翻訳物の打ち合わせに大杉宅を訪問していたとあるが、江口渙『続 わが文学半生記』では妻・千代子は伴わず渙ひとりで訪問したような記述をしている。

 大杉が江口に会っていくかと中浜に問うと、中浜は会いたい気もするが会わない方がいいだろうと答えた。

「それでは俺の女房には?」と大杉が問うと、中浜は「やはり同じような気がしている」と答えたので、大杉は英国皇太子の暗殺計画は野枝には伝えずにおくことにした。





 大杉が人差し指を丸く曲げて突き出しながら、金の話をした。

「少しは持っているのかい?」

「うん、少しは持っている」

「少しばかりでは駄目だぞ! どんなことに出っくわして要る場合が起こって来ぬとは限らんからな」

 大杉は長火鉢の引き出しから蟇口(がまぐち)を取り出して、畳の上にすっかりぶちまけた。

「これを汽車賃にして、いちおう東京に逆戻りするんだね。そしてこうしよう。月末に入ることになっている原稿料を前取りすることにしよう。今、名刺に一筆書くから、ちょっと待ってくれ」

 そう言って、大杉はむっくり立って書斎に入った。

 中浜はグシャグシャになった紙幣や散らばっている銀貨や銅貨を数えもせずに、無造作にズボンのポケットに捻じ込んだ。

 応接室から男女の笑い声が聞こえ、続いて魔子がパパを求める無邪気な可愛い声が聞こえてた。

 書斎から大杉が語尾のはっきりした親しみ深い声で、それに答えた。

 エアーシップを吹かしながら、壁のバクーニンを凝視(みつ)めている中浜の両眼から四粒、五粒の玉が光り黒い頬を転げ落ちた。

 止めようとすればするほど、それはなお湧いてきた。





 書斎から出てきた大杉が名刺を一枚中浜に渡し、元の席に腰を下ろした。

 中浜が名刺を裏返してみると、認め印がひとつ捺(お)してあった。

「これをどうすればいいの?」

「俺のところに原稿料が入ることになっているから、要るだけ持っていけばいいだろう。みんなでもかまわないぜ。で、受け取った額をそれに書いて渡して置いてくればいい。話がうまくいかなかったら、その場で俺のところへ電報を打たせろ。たいてい大丈夫だ」

「ありがとう。じゃあ、これで当分、お別れだ」

「ちょっと待って。もうあれができてるかもしれぬ」

 大杉が襖を開けて中の間に消えた。

 中浜は名刺を小さく丸めてサルマタの紐穴にうまく収(しま)いこんだ。

 大杉が大きなコップにアイスクリームを山盛りにして、匙を二本突き刺したのを持って現われた。

「さあ、ふたりで掬(すく)おう」

 ふたりは、コップを長火鉢の揚台(あげだい)の上に置いて、交互に双方から掬って口に運んだ。

「珍しいものがあるね」

「うん、村木がね、夏になったらここの海水浴場でこれを売って、避暑に来たブル連からうんと搾ってやろうと目論んでいるのさ。それで、うちにお客があるたびにこうして試験的にやっているのさ。もう機械まで買い込んで意気込んでいるのだが、うまくいけばいいが。それにしても甘(うま)いだろう?」

「うん、甘いもんだね」

「村木は何をしても器用なんだ。あっ、もうなくなっちゃった。もう一杯持ってきてやろう」

「もうけっこうだ。ありがとう。俺はもう行くよ」

 中浜が立ち上がり身繕いを整えた。





「そうか、表でもしものことがあったら、奴らを蹴っ飛ばして戻って来るがいい。それができなかったら、何かで合図をするがいい。こっちからすぐに行ってなんとかするから。暮れて塀を乗り越えて出るのもいいが、裏には四つ足の本物の犬が三匹も放し飼いにしているんだ。ここの別荘の連中が俺を追っ払うために、土佐犬のすごいやつを選んで二足獣(にんげん)の犬どもに寄付してやったんだそうだ。いずれにしても、夜這いみたいな不景気な門出は幸先が悪いからね。堂々と乗り出すさ」

「うん、成るように成らせるんだ」

「そうだ、石かパンかだ。やってみなくちゃ解らないさ」

 ふたりは手をしっかりと握り合った。

 逗子駅発四時十五分の下り列車の汽笛に続いて、地響きが畳の上にかなりの震動を波打たせた。

 大杉と中浜が二階から降りてきたのは、四十分ほど経った後だった。

 中浜は江口や野枝には眼もくれず、何か異常な興奮と緊張をその眼や肩の動きに見せたまま、ただひと言「じゃ、また」と言っただけで、急いで玄関の方に立ち去った。

 中浜の姿が見えなくなると、大杉が江口の方を振り返り、力のこもった声で言った。

「君、あああ、あいつ、悪いやつだからね、あああ、あいつが、僕のところに来たことは、絶対に人に言わないでくれ。村木の紹介で来たことも。いい、いいか、頼むぞ」

「よおし、わかった」

 江口の答えは簡単だった。

 それっきり中浜のことには触れなかった。

 そして三人はまたレコードをかけて魔子にバレエを続けさせた。


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 10:42| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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