2016年09月29日

第360回 浅原健三






文●ツルシカズヒコ




 一九二二(大正十一)年二月一日、『労働運動』三次二号が発刊された。

 野枝は「無政府の事実」の後半を寄稿している。

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 二月五日、福岡県八幡市の映画館「有楽館」で八幡製鉄所罷工(ひこう)記念演説会が開催された。

 八幡製鉄所の労働者がストライキに突入、八幡製鉄所の大罷工を決行したのが、二年前の二月五日だった。

 大杉、近藤憲二、和田久太郎、岩佐作太郎、渡辺満三が記念演説会に参加した。

 大杉らを招いたのは、八幡製鉄所の大罷工を指導した浅原健三だった。

 浅原健三『溶鉱炉の火は消えたり』によれば、大杉だけが近藤たちと別行動で九州入りした。

 出迎えた浅原が変装した近藤たちの風体を、こう記している。

 近藤は「ハンチング、巻ゲートル、小さいズツクの手提鞄といった軽装」、岩佐は「毛皮の襟巻で顔の半分を埋め、帽子は深く額を閉してゐるので、顔だけでは判らないが、彼の田舎小学校の校長さん然たる風態(ふうてい)」、和田は「ハンチングをグツと眼深(まぶか)にかぶつて、襟巻で鼻の上まで包んでゐるが、ロイド眼鏡の底で梟(ふくろう)の眼のやうにグルリとした円な眼」。





 午後七時に開会、渡辺、和田、浅原、近藤らに続いて大杉が登壇した。

 大杉が招かれていることは公表されていなかったので、「只今、東京から駆けつけた、我が国無政府主義者の巨頭、大杉栄君を紹介します」という主催者の紹介に、会場内は騒然、「わあっー」という歓声と嵐のごとき拍手が巻き起こった。

 大杉は悠々と舞台に出た。

 ベルト付きのオーヴァ・コートを着たまま、ネクタイはない、純白の襟巻きがのぞいていた。 

 大杉が演壇に立つと、浅原と近藤がその背後に立ち、その後ろには三十人ばかりの同志がずらりと並んだ。

「私が大杉栄であります」

 二階の一隅から「本物ですか」という声が聞こえた。

「いや、まったくの本物です」

 例のように吃りながら話す大杉だった。

「近ごろ偽物の大杉が徘徊するが、けれども、僕は本物である」

 聴衆がドッと吹き出した。

 大杉たちはその夜は浅原の家に宿泊し、朝まで語り明かした。






 翌二月六日の朝、浅原が大杉と一緒に洗面をしていると、大杉はカバンから七つ道具を取り出した。

 まず石鹸で丁寧に洗顔をし、当時はまだ珍しかった安全剃刀で入念に髭を剃り、剃りあとにはフェイス・クリームを塗り、髪にはポマードをつけて櫛を通した。

 無精者の浅原が言った。

「そんなことを毎日していたら、留置所や監獄で困るじゃないか」

「だから、俺は検束されると洗面道具を真っ先に差し入れてもらうんだ」

「へえ……忙しいのに、下らぬことをする暇があるものだねえ」

 大杉は心持ち顔を赤らめて、キマリ悪そうに「ううん」と言った。

 この日、大杉は今宿の野枝の実家を訪れ一泊したが、浅原がこう記している。





 ……大杉は福岡市外の今宿、伊藤野枝の郷里に行くと云つて出かけた。

 今、此所(こつち)の松林の中に、彼と野枝との自然石の共同の墓地が在る。

 彼は一年有半後の自分の運命を知らずに、墓地見分に出かけたやうなものであつた。


(浅原健三『溶鉱炉の火は消えたり』/新建社/一九三〇年)


 二月に「無政府主義共産主義其ノ他ニ関シ朝憲ヲ紊乱」する結社や、その宣伝・勧誘を禁止する過激社会運動取締法案が帝国議会に提出されたが、三月一日、その反対演説会が東京基督教青年会館で開かれ、大杉は近藤憲二らと聴講に行った。

 過激社会運動取締法案は結局、廃案になったが、三年後に治安維持法として成立する。


浅原健三



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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posted by kazuhikotsurushi2 at 17:46| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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