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2016年09月23日

第358回 ヒサイタアマギニシス






文●ツルシカズヒコ




 一九二二(大正十一)年一月五日、野枝は江口渙千代子宛てにハガキ(官製)を書いた。

 宛先は「神奈川県藤沢町鵠沼海岸六七三九番地」。


 お帰りになつたことを新聞で拝見。

 お伺ひしようと云つてゐますが、大杉は元日早々から二月号の原稿をせめられて書いてゐまして、なか/\ひまになりません。

 何卒あなたの方からお出かけ下さい。

 お待ちしてゐます。

 私共は今本当に二人きりです。

 女中なしの処に子供を二人とも叔母と従妹で九州に連れて行つてしまひましたのでさびしくてたまりません。

 大杉は毎日二階で仕事をしてゐますし、私はひとりで下でポツンとしてゐます。

 何卒出かけてゐらして下さい。

 お待ちしてゐます。


(「書簡 江口渙・千代子宛」・一九二二年一月五日/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)


 野枝が「お帰りになつたことを新聞で拝見」と書いているのは、江口が前年の秋から冬にかけて栃木県那須温泉の小松屋で暮らしていたが、そこを引き上げて鵠沼に住むことになったことを指している(江口渙『続 わが文学半生記』)。

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 一月十六日、野枝は東京監獄に入獄中の堺真柄にハガキ(官製)を書いた。

 真柄は前年十月に起きた軍隊赤化事件(暁民共産党事件)に関与し、東京監獄の未決檻に入獄中だった(近藤真柄『わたしの回想(下)』)。

 宛先と宛名は「東京市牛込区市谷富久町 東京監獄内 堺まがら様」。

 ハガキ表の発信地は「相州逗子町」。


 どうです、未決檻のゐごゝちは?

 長い接見禁止には、さぞいやにおなりでせう。

 早くお目に懸りにゆかうと思つてゐますが少し風邪気味なのでまだ果しません。

 がぜひ近日お目にかゝりにゆきます。

 寒さがお正月以来急にはげしくなりましたからさぞ体にきくでせう。

 何卒大切にして風邪をひかないやうになすつて下さい。

 体さへうまくもつてゆけば、精神を破られるやうな事はありません。

 其のうち無聊(ぶりょう)をなぐさめるやうな手紙を書いて送ります。

 今日はこれで失礼。

 十六日


(「書簡 堺真柄宛」・一九二二年一月十六日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)





 林倭衛は前年七月に絵を学ぶために渡仏していたが、一月末、野枝はアルルに滞在中の林に手紙を書いた。


 ファブルの書物有難うございました。

 私共も幸ひに皆な無事です。

 殊に大杉は病気以来すつかり体がよくなつて、此の節ではもう十七と云ふ大きな体になりました。

 昨年の十一月……逗子に越して来ました。

 今度は鎌倉の家とは較べものにならぬほど広い邸です。

 家も広いし庭もかなりあります。

 あなたが此方にゐらつしやれば貸してあげたいやうな広い西洋室もついてゐます。

 何しろ門内に六畳三畳という番人の家までついてゐるのですから大したものです。

 それでも、日本一の方だからと云ふので、家賃なんか一文もいらないと云ふ結構な家主さんですから全く申分なしでせう。

 あなたもつまらないフランス三界をうろついていないで帰つて来てはどうです。

 相変らずお酒を飲んでゐるのでせうね。

 安くていいお酒が飲めるのだから、それだけでもそちらの方がよささうなものですのにね。

 大杉も奥山さんにすすめられて、此頃はウヰスキイを少しづつ飲む、と云ふよりはなめてゐます。

 何しろ、茶さじに二杯のウヰスキイで陶然とするのですから世話なしです。

 それでも、兎に角、三月に一本位の割にはなるのでせうね。

 タバコはやつぱし我慢してゐます。

 いやなお知らせをしなければならないようになりました。

 それは久板さんの死です。

 二十四日の夕刊に『偽大杉栄凍死』と云ふ題で、四十五位の男が天城山のある峠で二尺位の積雪の中に死んでゐた、懐ろには大杉栄の名刺三枚を持つて、何処のものとも知れない、とあるのです。

 私達は、二人で笑ひながらその新聞を見てゐたのです。

 するとそれから三十分ばかりすぎに「ヒサイタアマギニシス」と云ふ電報が東京から来ました。

『如何にも久板らしい死に様だな』と大杉は云ひました。

 本当にさうです。

 けれども、何んと云ふ可哀さうな死に方でせう。

 凍死は非常にいい気持に眠つて死ぬのださうですが、それでもあんまり情けないやうな気もします。

 私の考へでは、伊豆の風景は、嘗つて宮崎安右衛門と云ふ人と二度ばかり伊東あたりに滞在してゐてよく知つてゐるので、絵を描きに出かけて行つたのだらうと思ひます。

 四十すぎて、本当の興味を打ち込む事を見出して、その為めにさういふ最後にまで行つたと云へば、久板さん自身にとつていい最後だつたのかもしれません。

 今後生きてゐても、どれだけその生活を享楽する事が出来得るようになるかどうかは、全くわからないのですからね。

 まあ恐らくは一層惨めにする位だつたのかも知れませんものね。

 けれども、本当に人間と云ふものは何時何処でどんな死方をするか分りませんね。

 死骸を引きとりに、昨日村木(源次郎)、岩佐(作太郎)、望月(桂)と三人で大仁に出かけて行つたさうです。

 あなたの描いた久板さんの肖像も思ひ出の深いものになりました。

 亀戸時代からあの肖像画をお描きになつた頃が、あの人の一番元気のいい盛りだつたのですね。

 あなたは、度々ベルリンにゐらつしやるのならば今度森戸辰男氏を訪ねて御覧なさい。

 此の四日に奥さんが坊ちやんを連れて出かけてお出になりました。

 いづれ家をお持ちになるのでせう。

 森戸さんも奥さんも気持のいい方ですから訪ねて御覧なさい。

 私共の名前を云つてゐらつしやれば、きつと気持よくおつき合ひが出来ようかと思ひます。

(もつとも、お酒は飲みませんよ。)

 野枝

 林倭衛様


(「書簡 林倭衛宛」・一九二二年一月末推定/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)


「あなたの描いた久板さんの肖像」とは、一九一八(大正七)年九月の第五回二科展に出品された林倭衛「H氏肖像」のことである。



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 13:36| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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