2016年09月01日

第339回 ミシン






文●ツルシカズヒコ




 そして、野枝は話題をミシンに転じる。


 今日もまたいゝお天気。

 今日は朝の間すこし必要な仕事をしました。

 それからミシンもすこし動かしました。

 機械と云ふものは面白いものですね。

 私は機械がする仕事はきまりきつてゐて、本当に面白くないつまらないと思ひますが、しかし、その機械を働かせる仕組みは実におもしろいと思ひます。

 私は、機械についての知識と云ふものはまるで持ちません。

 興味を起した事もそんなにありません。

 ミシンを買ふた事もたゞあの重宝さが必要だつたのですけれど、私は此の頃、あれでものを縫ふことよりは、機械の組み立てに対する面白さが、楽しみになつて来ました。


(「『或る』妻から良人へーー囚はれた夫婦関係よりの解放」/『改造』一九二一年四月号・第三巻第四号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)

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 野枝はこのころミシンを購入し洋服作りを始めていた。

 ちなみに、平塚らいてうが洋服を着るようになったのは前年、一九二〇(大正九)年七月からだった。

 らいてうが断髪したのは、一九二三(大正十二)年である。

 ミシンを買った当初、野枝は派遣教師に来てもらい、ミシンの仕組みに関する知識を教えてもらおうと思ったが、その教師が何も知らなかったので教師に頼ることをやめた。

 野枝はミシンについてきた小さな書物で勉強しようとしたが、それには本当に必要なことが何も書いていなかった。

 野枝は自分の頭で考えるしかないと思った。






 それから私はひま/\に、機械のあらゆる部分をいろ/\に動かすことを初めました。

 どん小さな部分にでも、充分注意して、その部分が何の為めにつくられて居り、何処にその働きが及ぶのかと云ふような事を一つ/\ほぐしては観究(みきわ)めてゆきました。

 或る時は、あの下糸をまく為めの附属機械が全部バラバラに弾いて離れてしまつてどうにもならなくなりました。

 けれど、そのお蔭で、すつかりもとのやうに組み立てゝしまつた時には、その部分には、もう何んにも私に隠されてゐる秘密はなくなりました。

 その代りに、私はその時は二時間近くも辛抱づよく一つ処をいぢつてゐたのです。


(同上)





 機械は合理的にできていて、ムダなものはひとつもない、そして微細なものでも驚くほどの重要な微妙な働きをし、あるパーツのちょっとしたゆるみでも全体に差し支えるーー機械のこういうところが、野枝はすごく気持ちがよいと感じた。


 複雑な微妙な機械をいぢつてゐますと、私は、複雑である微妙を要する事程、特に『中心』と云ふものが必要だと云ふ理屈は通らないのが本当のように思はれます。

 みんな、それ/″\の部分が一つ/\の個性を持ち、使命をもつて働いてゐます。

 そしてお互いに部分々々で働きかけ合つてはゐますが、必要な連絡の範囲を超してまで他の部分に働きかける事は決して許されてありません。

 そして、お互ひの正直な働きが連絡が、或る完全な働きになつて現はれて来るのです。

 人間の集団に対する理想も、私はやはり、其処にゆかねばならぬものだと思ひます。

 けれども、現在では此の理想は許されないのですね。

 しかし、機械の部分々々のお互ひの接触には、私達は学ぶべきことがあると思ひます。

 私達は日常の生活に、もつと自分々々をよりよく守つて、他人の上にもつとインデイフアレントであるようにならねばならぬと思ひます。


(同上)





 逆に言えば、現実の人間関係はその関係が親密であるほど、このインデイフアレント(不関与)でいることが困難であり、たとえば親の子供に対する越権、夫の妻に対する越権がまかり通っていると、野枝は自省を込めて書いている。


 自分に対する親の越権を憤慨し、反抗した人達が、自分の子供達に一体どんな態度でのぞんでゐるでせう。

 ……どう育つてゆくか分らない子供の将来に、いろいろ自分勝手な空想を描いたり、希望をもつたりして、其の自分勝手な理想を基礎に教育を授けて、其の理想を幾分かでも実現させようと楽しんでゐはしないでせうか。

 ……子供が小さいからと云ふだけの理由で子に対する親の越権でないとどうして云へるでせう。

 それから、夫婦関係です。

 ……従来とはすつかり変つて来たとは云ふものゝ、お互ひの生活を『理解』すると云ふ口実の下に、お互ひに、どれ程その生活に自分の意志を注ぎ込まうとしてゐることでせう。

 そして或る人々は『理解』では満足せずに『同化』を強ひます。

 Better halfと云ふ言葉が、どれ程ありがたがられてゐることでせう。

 愛し合つて夢中になつてゐ時には、お互ひに出来るだけ相手の越権を許してよろこんでゐます。

 けれども、次第にそれが許せなくなつて来て、結婚生活が暗くなつて来ます。

 若しも大して暗くならないならば大抵の場合に、その一方のどつちかゞ自分の生活を失つてしまつてゐるのですね。

 そして、その歩の悪い役まはりをつとめるのは女なんです。

 そしてその自分の生活を失くした事を『同化』したと云つてお互ひによろこんでゐます。

 そんなのは本当にいゝ、Better halfなのでせうけれど、飛んだまちがひなのですね。

 私の機械から受けた教訓によると……良人は妻の上によけいな侵略的態度に出るので、自分ひとりが軽々と普通に動かないし、妻は能力を奪われて動くことが出来ないのです。

 要するに、他人との生活の交渉には、もつとお互ひに自分本位になる事。

 他人の生活に必要以上に立ち入らぬようにすることが何よりも大切な事ですね。

 しかし、それがまたなか/\出来ない事ですね。

 けれど、斯うして、別にゐて、のんきに日向ぼつこでもしながら、ひとりきりの生活をしてゐますと、書いてゐる通りな『お利口さん』になつてゐるのですよ。

 別居と云ふものは、本当にいゝものですね。


(同上)





 大杉はいざとなれば危険を顧みず、直接行動に出るアナキストである。

 野枝はそういう夫を持った妻としての不安も、隠さずに書いている。


 私は一体自分自身の生活と云ふ事を始終気にして、相応にそれを把持してゆかうと考へてゐるくせに、一方にはそんな事には一切無頓着に、たゞ家庭生活の中に溺れ切つてそれを享楽しようとする気持も可なり沢山持つてゐます。

 ですから、一方には、私達の生活に対して充分理知的な考へをしてゐながら一方には、世間並みの平凡な妻君が、家庭の安全を祈り、良人の無事をねがふのとちつとも違はない気持で、実際には少しも普通の家庭のやうに安定を持つ事を許されない家庭の安全をいのり、あなたの無事を祈りたくなるのです。

 其処で、私はやはり一方では非常によく理解もし信ずる事も出来るあなたのいつもの所謂無茶を、無理解な人達と一緒に恐がるのです。

 そしてそのあなたの無茶のみでなく、私達の生活のすべてが、理知的には、ちゃんとした、何時どんな重大事件が私達の周囲に降らうが湧かうが動じないと云ふ『覚悟』になつてゐますけれど、一方ではそれが覚悟までは進み得ずに、或る『不安』になつてしよつ中よわい、『妻君』の私をいぢめます。

 けれど斯うして別にゐますと、その『不安』にいぢめられる事からは確かにまぬがれます。

 ひとりでゐれば、何時でも私は真面目ですし冷静です。

 そして此の時が、真にあなたにとつていいBetter halfなのですね。

 ちがひますか。


(同上)





 野枝はこの原稿を「今日もまた、終日例のように、縁側の椅子で日向ぼつこをしながら、ぼんやりと暮してしまひました」と書き出しているが、原稿末尾にも天気について触れている。


 どうしてこんなに毎日、いゝお天気がつゞくのでせう。

 かう云ふ風に晴れ切つて風も何もなくて暖かい日には、あんな瓦斯ストオヴなんかで暖めた室なんかゐないで、此方にゐらつしやればいゝし、田甫(たんぼ)もいゝ気持ですよ。

 あの軽い乗心地のよささうな馬車で、こんな日に逗子から長者ヶ崎の方、もつと先きの秋谷辺までも散歩に行つたらどんなにいゝでせう。

 金沢だつてよござんすね。


(同上)


 文面からすると、野枝がこの原稿を書いたのは、大杉が麹町区有楽町の露国興信所(ロシア人経営の貸しアパート)の「病室」にいて、野枝と別居していたころだ。

 野枝は原稿末尾に「馬車で、こんな日に逗子から長者ヶ崎の方、もつと先きの秋谷辺までも散歩に行つたらどんなにいゝでせう」と書いているが、実際に大杉一家と和田久太郎が馬車で金沢(現・横浜市金沢区)に出かけたのは二月十日だったので、野枝がこの原稿を脱稿したのはそのころと推測できる。


インデイフアレント(不関与) ※大正時代のミシン




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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