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2016年08月09日

第318回 夜逃げ







文●ツルシカズヒコ




 葉山に住んでいたコズロフが、鎌倉の大杉宅にふとやって来たのは、十月初旬のころだった。

 コズロフはしきりに何かを大杉に訴えていたが要領を得ず、大杉は何を言っているのかわからないまま、大杉がよくやる手でウンウンと頷いてわかったような顔をしていた。

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『分りましたか?』

 云ふだけの事を云つて了つたあとで、コズロフは日本語で云つた。

 僕は顔をあげて彼れの顔を見た。

 すると、不思議な事には、一と言も分らなかつた彼れの話しの意味が、ふいと僕の頭にはいつて来た。

 僕は、コズロフには『分りました』と笑つて答へて置いて、別の部屋にゐた村木を呼んだ。

『先生夜逃げをしたいと云ふらしいんだがね。君一つ、よく話を聞いて、手伝つてやつてくれ給へ。』

 僕は村木にさう頼んで置いて別の部屋へ引き下つた。


(「コズロフを送る」/『東京毎日新聞』一九二二年七月二十九日から十三回連載/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』/日本図書センター『大杉栄全集 第14巻』)





 英語での会話ができない村木と、ほんの片言の日本語しかしゃべれないコズロフが、しきりに手真似足真似で何かを話していた。

 村木が厄介そうな顔をして大杉の部屋に入って来て言った。

「やっぱり夜逃げなんです。女房と子供はひと足先にもう横浜にやってあるが、今晩そっと荷物を持って逃げたいと言うんで、今からすぐ来てくれって言うんです」

「しょうのない奴だな。しかし、まあ仕方がない。行ってやってくれ」

 大杉もはなはだ厄介だと思ったが、肺を患って大杉の家にゴロゴロしていた村木に、改めて厄介ごとの助っ人を頼んだ。

 大杉がコズロフのいる部屋に行くと、さっきまでの彼の沈んだ顔はどこかへ行き、ふざけすぎるほどの快活さで、

「オスキさん、ヨニゲです、私今晩ヨニゲです」

 などと、村木から教わったばかりの夜逃げという言葉を面白そうに繰り返していた。

 コズロフは前年十月から横浜・山下町の商社にタイピストとして勤務していたが、失業したらしかった(『日録・大杉栄伝』)。





 暗くなつたら直ぐに出かけると云つてゐたから、どんなに遅くなつても、十二時前には着くだらうと思つてゐたが、一時になつても二時になつても来なかつた。

 僕等夫婦は村木が途中でへたばつたのぢやないかと心配してゐた。

 そしてとうたう、夜明け頃になつて二人が一台の大きな車を引いて、へと/\になつてやつて来た。

『実際、トンネルのところで一たんはへたばつたのですがね。コズロフが薬をやると云ふから飲んでみたら、ひどい奴で、アルコオルを飲ませやがるんです。それでも薬はたしかに薬で、それで又元気が出ましたよ。』

 と村木は青い顔をして汗をふいてゐた。


(同上)





 コズロフは二週間ばかり大杉の家に潜伏し、ある夜、秘かに大杉の家のまわりの厳重な警戒を突破して、脱出に成功した。

 コズロフが脱出した後、大杉は三日ばかりときどきひとりで大声で英語を話し、コズロフがまだ大杉の家にいるかのようにカモフラージュした(「日本脱出記」)。

 コズロフ一家は神戸に滞在することになったが、この夜逃げのおかげで大杉家はコズロフの債権者に攻められ、彼が残していった家賃の一部を払わされた。

 コズロフをお得意にしていた鎌倉の「亀谷」という西洋食品店は、大杉家もよく利用していたが、それ以来、御用を聞きに来なくなった。

 コズロフと親交のある大杉家も危ないと思ったからである。

 その後、大杉と村木はコズロフの話が出るたびに、この夜逃げのことを思い出し、笑って話すのだった。

「……毛唐の夜逃げというのは初めて見たな」



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 13:44| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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