2016年07月21日

第300回 教誨師






文●ツルシカズヒコ



 一九二〇(大正九)年一月二十二日、前年夏に豊多摩監獄に下獄した吉田一が出獄した。

 行く先のない吉田は労働運動社に寄食することになった。

 おしゃべりな吉田が獄中で唯一おしゃべりができるのが、教誨師の訪問を受けるときだった。

「だけんど、俺がたったひとつ困ったことがあったんだ」

 吉田は博学な教誨師を無学な自分が論破した話を野枝にした。

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 あるとき教誨師が吉田に言ったという。

「おまえは、誰も彼も平等で、他人の命令なんかで人間が動いちゃいけないと言ったな。命令する奴なんぞあるのが間違いだと言ったなあ。だがね、たとえば、人間の体といういうものは、頭だの体だの手だの足だの、また体の中にはいろいろな機関が入っている。そのいろいろな部分がどうして働いていくかといえば、脳の中に中枢というものがあって、その命令で動いているんだ。この世の中だって、やっぱりそれと同じだよ。命令中枢がなくちゃ動かないんだ」

 吉田は体のことなど知らないので、返事に詰まってしまった。

「どうだ、それに違いないだろう」

 吉田は口惜しかったが、黙っていた。

「よく考えてみろ、おまえのいうことは間違っている」

 そう言って教誨師は行ってしまった。

 口惜しくてたまらなかった吉田は、半日、夜まで考え続けた。





 そして次に教誨師が来たときに言ってやった。

「うんと歩いてくたびれ切ったときにゃ、いくら歩こうと思ったって足が前に出やしねえ。手が痛いときに働かそうと思ったって動かねえや。口まで食ったって胃袋が戻しちまうぜ。それでもなんでもかんでも頭の言う通りになるのかね。それからまたよしんば、方々での言うことを聞いて働くにしたところでだね、その命令を聞く奴がいなきゃどうするんだい? 足があっての、手があっての、なあ、働くものがあっての中枢とかいうもんじゃないか。中枢とかいう奴の己一人の力じゃないじゃねえか。ならどこもここも五分五分じゃねえか。俺は間違っちゃいねえと思う」

 すると今度は教誨師が黙ってしまい、それ以降、吉田には何も言わなくなった。

 吉田はいつも夢中で話すときに誰に向かってそうするように、野枝にぞんざいな言葉で話した。

「感心ね。よくでもそんな理屈が考え出せてね」

 野枝が言うと、吉田はいかにも得意気にしゃべった。

「そりゃもう口惜しいから一生懸命さ。どうです、間違っちゃいないでしょう」

 吉田が労働運動社に寄食するようになったことについて、野枝はかなり心配していたが、意外にも彼はやるべきことはやるようだった。

 労働運動社の炊事は朝晩、交代でやることになっていたが、吉田は毎朝の炊事を引き受けた。

 監獄で習慣づけられたとおりに、雑巾などを握って台所なども、案外きれいに片づけた。





 二月一日、『労働運動』二月号・一次四号を発行、その経過を野枝が手紙で大杉に報告している。

 宛先は「豊多摩郡野方村 豊多摩監獄」。


 雑誌はまた昨日禁止になりました。

 一昨夜十二時すぎに、和田さんが電車もないのに納本にゆき、昨日の朝近藤さんが行つて見ると、ボルガ団の記事がいけないと云ふので、皆んなで一段ばかり削る事になりました。

 この工合だと初版禁止改訂再版が毎号つきものになりさうだと皆んなで話してゐます(二十九日)。

 二十九日の夜と云つても、もう三十日の午前三時頃、漸く雑誌を渡辺まで運び込んださうです。

 それから折つて三十日の四時の急行で和田さんは大阪に帰へりました。

 そしてその晩ひと晩ぎりで後を折つて三十一日に配本を終りました。

 近藤さんは風邪で苦しがりながらあちこちと本当に大変でした。

 皆んな、大変な努力でした。


(大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』・「消息 伊藤」・【大正九年一月三十一日・豊多摩監獄へ】/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』・「書簡 大杉栄宛」一九二〇年一月三十一日)





『定本 伊藤野枝全集 第三巻』解題によれば、「ボルガ団」とは同志社大学の東忠継(ただつぐ)、京都大学の高山義三などの学生に、奥村電機の新谷与一郎らの若い労働者が加わった労学会と言うべき京都の団体。

「渡辺」は故渡辺政太郎の妻・若林八代宅(小石川区指ヶ谷町九二番地)で、北風会の会場である八代宅は『労働運動』の発行所でもあった。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、『労働運動』同号より久板がスタッフに加わり、新たに神戸支局(主任・安谷寛一)を開設した。




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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