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2016年07月02日

第269回 無遠慮






文●ツルシカズヒコ



 大杉一家が南葛飾郡亀戸町から、北豊島郡滝野川町田端の高台の家に引っ越したのは、一九一八(大正七)年夏だったが、この家には大勢の労働者、同志が出入りするようになった。

 和田久太郎はこのころの野枝が一番よかったと回想している。


 亀戸から田端へ移つて、それから西ヶ原、中山、駒込曙町と家を変つたが、此の間(あひだ)の、即ち大正七年の暮れから大正九年の夏頃までの野枝さんは中々よく活動した。

 僕は此の頃が野枝さんの一等よかつた時代だと思つてゐる。

 野枝さんは、自ら女工さん達の裡(うち)に飛び込んで行つてお友達になる事は出来なかつたが、大杉君の處へ集つて来る労働者に対しては、心から理解し合ひ、新味(ママ)のお友達となることが出来た。


(和田久太郎「僕の見た野枝さん」/『婦人公論』一九二三年十一月・十二月合併号)

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 しかし、野枝は北風会会員の吉田一(はじめ)には、どうにも馴染めなかった。

 野枝の遺作「或る男の堕落」は、吉田について書いた作品である。

 野枝が吉田を初めて見たのは、米騒動の後、仲間の家で開かれた集会の席だった。


 その時の印象は、たゝ、何となく、今まで集まつてきた人達の話しぶりとは一種の違つた無遠慮さで、自分が見た騒動の話をしてゐましたのと、其の立ち上つて帰る時に見た、お尻の処にダラリと不恰好にいかにも間のぬけたようにブラ下げた、田舎々々した白縮緬(しろちりめん)の兵児帯(へこおび)とが私の頭に残つてゐました。

 彼はまだその時までは、新宿辺で鍛冶屋の職人をしていたのです。


(「或る男の堕落」/『女性改造』一九二三年十一月号・第二巻第十一号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)


 野枝が吉田を初めて見た集会とは、八月二十四日に下谷区上野桜木町の有吉三吉宅で開かれた「米騒動茶話会」のことであろう。

『日録・大杉栄伝』によれば、当時、吉田は「車両会社の鍛冶職」をしていた。





 大杉一家が滝野川に引っ越したころから、吉田は頻繁に来訪するようになった。

 彼がまだ遠慮していたころは、無学だがなかなか理解力があるこの労働者を、野枝は興味深く眺めていた。

 同志の間の吉田の評判もなかなかよかった。

 しかし、彼が無遠慮のハメを外すようになってきたころから、野枝は彼の粗野なところが気になりだした。

 大杉も野枝も来客の無遠慮はむしろ望むところだったが、吉田の無遠慮には野枝の眉をひそめさせるものがあった。

 当初、自分の方に問題があるのかもしれないと思ったこともあった野枝だが、どうしても彼を許すことができなかった。

 野枝は大杉によくこぼした。





「吉田さんの無遠慮はいいけれど、このごろのようだと本当に閉口しますわ」

「どうして?」

「どうしてって、火鉢の中にペッペッと唾を吐いたり、わざと泥足で縁側を歩いたり。どこか不自然な誇張があるんですもの」

「うん、まあそんなところもあるね。だが、僕らのこんな生活でも、やはりときどきは癪に障るんだよ。階級的反感さ。まあ、気にしないことだね」

「でも、ときどきは本当に腹が立ちますよ。あの人、ここに来てずいぶん気持ちよさそうな顔をしてるじゃありませんか」

 昼間から大声で流行歌などを歌いながら風呂に入り、湯から上がると二階の縁側の籐椅子の上に寝転んで、とろけそうな顔をして日向ぼっこをしている吉田の姿などを思い出しながら、野枝が言った。

「無邪気ないい男なんだよ。だが、あなたの気にするようなデリカシイは、あの男には持ち合わせがないんだ。あなたのような人は、あんな男は、小説の中の人間でも見るようなつもりで、もっと距離を置いて見るんだよ。あの男は本当の野蛮人だからね。あいつが山羊や茶ア公とふざけているときを御覧。一番楽しそうだよ。すっかり仲間になり切っているからね」





 本当にそれは一番の愉快さうな時でした。

 彼は私の家の庭つゞきの広い南向きの斜面の原つぱで、私共の大きな飼犬と山羊を相手にころがりまはりました。

 彼のがつしりした、私には寧ろ恐ろしい程な動物的な感じのする体が真白な山羊の体と一緒に犬に追はれながら、まるで子供の体のやうにころがりまはるのです。

 さうしては青い草の中に一ぱい陽をあびて、ゴロリと横になつては犬をからかつてゐました。


(同上)


 後述するが、当時、大杉家では犬の他に牝山羊を飼っていた。





 野枝の中にも吉田を小説の中の人間でも見るような視点はあったが、吉田の中に深く根ざしている、他人の心の底を窺うような狡猾さ、他人の好意につけ込む図々しさと執拗さに、野枝はどうしても目をつぶるわけにはいかなかった。

 しかし、そのころ、吉田は非常に熱心に運動をしていた。

『日録・大杉栄伝』によれば、吉田は同志の水沼辰夫浅草区田中町の裏長屋に住んでいたが、「労働者相談所」の看板を掲げ、組織されていない人夫や野外労働者を対象とした運動を企て、小集会をしたり、大杉が執筆した「労働者相談所」というチラシを近隣の労働者に配布したりしていた。

 吉田はメキメキと頭角をあらわすようになった。

 自分の姓名さえも満足に書くことができない吉田が、いつのまにか難しい理屈を複雑な言葉で自由に話すよになったのには、同志のみんなが感心した。

 彼の質問攻めにはみんなが悩まされたが、しかし、一度腹に入った理屈を立派に自分のものにコナしてしまう頭を彼は持っていた。

 他人同士の会話にも無理やり入り込んで、その会話を台なしにしてまでも、吉田は執拗な質問攻めをして耳学問を磨いていった。

 吉田は聞きかじった理屈を、自分の過去の生活に当てはめてるみることも忘れなかった。

 聞きかじりの間違った言葉や理屈で、若い同志たちに笑われることもよくあったが、吉田はそんなことで凹(へこ)みはしなかった。





 大杉や野枝のまわりには大勢の労働者が集まって来たが、たいては「信友会」などの活版印刷工で、そうひどい肉体労働をするわけでもなく、知的レベルもかなり進んでいる人が多かった。

 そうした中で、単純で無知だが労働者として大杉の言わんとすることをよく理解する人夫や野外労働者に対する宣伝において、吉田の辣腕が光っていたので、大杉はじめ同志たちの彼の評価は高かった。

 それを吉田が見て取ったころから、彼の無遠慮にますます嫌な誇張が多くなってきたと、野枝は感じていた。

 彼はわざと垢と脂で真っ黒な着物を着ては、ゴロゴロと畳の上に寝転ぶようになったり、

「虱(しらみ)なんかを嫌がって、労働運動面もあるもんか」

 と、豪語しながらわざとかゆくもない体をボリボリかいたりしだした。


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 10:29 | TrackBack(0) | 本文

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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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