2016年06月23日

第258回 東京監獄・面会人控所(四)






文●ツルシカズヒコ



 東京監獄の面会人控所にいる人は、とにかくこの未決なり既決に囚人としている人と、何かの関係のある人に違いない。

 そう思った野枝は、いろいろ思考をめぐらせた。

 親子であり、夫婦であり、あるいは親族であり、友人であり、知人であろう。

 そしてそれらの囚人のある者は詐偽、ある者は窃盗、ある者は強盗であり、殺人犯であり、またある者は放火でもあろう。

 そして、それらの囚人が世間からどんな眼で見られてい、その関係者がどのくらい、いわゆる世間を狭め、辱かしめられ、憎悪され、軽蔑をされているかしれない。

 それを考へて、ここにいる人たちを見まわすと面白い。

 野枝は黙ってそんなことを考えていた。

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 野枝はここに来る前に、この部屋に入っている、あるいは入って来る囚人の関係者が、どんなに身体をすくませ、恥らっていることだろうと思っていた。

 彼女自身は恥ずべき何物も持っていなかつた。

 なぜなら、彼女の仲間の誰でもが少し心のままに無遠慮に行動するならば、監獄に投(ほう)り込まれるとことが、ほとんど当然のことだからである。

 彼らが政府の意志に反した行動をする。

 その行動を政府が抑圧するというのは、分かり切ったことなのだ。

 それゆえ、彼らの同志のひとりとして、そこに行くことを不名誉だとか恥ずべきことだとは考えていなかった。

 むしろ、みんなは入獄した経験を他人に話して聞かすことを、ひとつの誇りのようにしていた。

 そしてまた、おのずと獄内での待遇が違ふように、世間の見る眼も普通の破廉恥罪と政治犯とはだいぶ違っていた。

 それらのいろんなことが、自然に野枝の心の中にあった。

 だから、彼女は平気で監獄の門をくぐった。

 しかし、多くの人々はどんな気持ちでこの門をくぐり、どんな気持ちで控所の中で、各自の顔を見合っているだらうと思った。

 しかし、なんでもなかった。





 幾分か堅くなつて遠慮はしていても、みんなお互い同士に恥ずかしい思いをし合っているやうなふうには、誰も見えない。

 誰も肩身を狭ばめて隅にかがんではいない。

 と言ってみんながお互いに自棄な気持ちで相対しているのでもなければ、もちろん同情し合っているのでもない。

 本当に自然な心持ちで、お互いがどんな境遇にあるかなどは考えずにいるらしい。

 野枝はその控所の中で、知らない者同士が多人数落ち合って待ち合わせをするどの待合所よりも、安易を感ずるのを不思議に思った。

 もちろん楽天家らしいおしゃべりな親方が、大部分その空気を和らげているということもある。

 しかし、黙って知らない顔を見合わせている隅の方の女連のどの顔にも、不思議と知らない女同士の、殊に身なりや物腰の違った同士で表わす、侮蔑や傲慢やその他あらゆる敵意が、ほとんど見えないと言ってもいいくらいなのが、野枝には本当に珍らしく思われた。





 そしてもっと野枝を涙ぐましい気持ちにしたのは、最初からこの部屋にいた汚いみじめな子供を背負ったかみさんに対する、みんなの気持ちだった。

 それはもちろん同じ境遇に置かれているせいでもあるが、みんなの眼はこの部屋の中で一番貧しいそのかみさんにじっと注がれていた。

 しかし、その貧しさ惨めさに対して高ぶっている者がひとりもいないことは、みんなの態度で野枝にはハツキリ感じられた。

 両隣に座っている婦人はしきりに、かみさんの背中で眼を覚ました子供をからかったり、そのかみさんの汚ない顔に近づいて、優しい口をきき合っていた。

 初めこの部屋に入ってきたときには、みんながみんな不安そうな顔や心配らしい顔つきをして、それぞれに馴染まない様子を見せていた。

 しかし、三十分たち一時間たちするうちに、みんなの気持ちはいつか、心底にはほぐれないまでも、悪くなりすましたところはなくなっていた。

 黙って寒そうに身をすくめている連れのない人たちも、いつか他の人と話し出したり、またその親しさが現わせないまでも、親方の軽口をみんなで声を立てて笑うことのできるほど、安易な心持ちになっているらしかった。





 親方がまた冗談を言い、またみんなが笑った。

 ちょうどそのとき、廊下の扉口に背の低い小柄な、頭の白くなったいかにも看守らしい倨傲(きょごう)な顔つきをした老看守が立った。

 みんなはそれを見ると急に笑いを止めて、「さあ来た!」というような緊張した顔をして、老看守の顔を見上げた。

「四十八番!」

「四十九番!」

 恐ろしく底力を持った、よく響く、濁った憎々しい声が野枝を驚かした。

「ああ、あれが囚人を呼ぶ声だな」

 野枝はすぐにそう感じた。

 あの不快な圧力を持った声が、あの小さな体のどこに蔵されているのか? 

 長い年月の間に鍛練された、その特殊な威圧的な呼び声に、耳を覆ひたいような嫌悪を感じながら、野枝はその看守の顔をじっと見た。





 看守は五、六人の人を廊下に呼び上げると、その小さな鼻の上に乗せた眼鏡越しに、ジロリと不快な一瞥を残された者の上に投げて、そのままみんなの後を追って奥の方に入って行った。

「ずいぶん待たせたわね、もう二時半よ、四時になればもう暮れかかるのにね」

「なあに、始めればすぐですよ、どうせ一人五分とはかからないんですから」

 村木はいつもと変わらぬ呑気にすましていた。

「しかし、どうもなんですな。吾々こうして半日待っていてさえずいぶん怠屈な思いをしますが、中に入って、口もきけず、膝もくずせず、話もできず、煙草も吸えず、ときた日にゃあ、どうもやり切れませんなあ」

 あばたの爺さんは、呼び込まれた人たちの脱いでいった石階の下駄をぼんやり見て、取り残されたように立っている男に話かけた。

 朝早くから待っているという男は、午後からの面会には自分が第一番に呼び込まれるものと信じているらしかった。

 看守の姿が見えると第一番に腰を浮かして待っていた。

 しかし、どうしたことか、とうとう看守は彼の番号を呼ばずに引っこんでしまった。

 彼はぼんやりと立っていた。

 爺さんに話かけられた彼が言った。

「実際、やり切れませんね。まあ一生こんなところには、入らないように心懸けることですね、ハハハハハ」

「しかし、いつどんなことでぶち込まれるかもしれねえな。災難ってやつがあるからね。だが、半年や一年なら我慢もしようが、五年、十年となっちゃことだね。こん中にもそんなのがいるだろうけれど、そんなのはいったいどんなつもりでいるんだらう? たまらねえな、こんな窮屈な中にいちゃあ」





 親方はすぐ横槍を入れる。

「そうさねえ、まあこの中で生れた気にでもならなくっちゃ、とても辛抱はできまいね」

「こん中で生れた気か――違えねえ、そこまであきらめりゃあ大丈夫だな」

「ああ、なんでもこれであきらめが肝心ですよ、人間これがなかった日にや、この苦しみの娑婆に生きてくることはできやしませんや」

 爺さんは短い煙管(きせる)を指の先でグルグル回しながら、親方の方に首を突き出してさも覚りすましたようなことを言った。

 廊下を折々、看守が通って行く。

 そして誰一人、無関心でその扉口を通り過ぎては行かない。

 冷たい、底意地の悪い眼で何かを探すように、ヂロリと控所の中をねめ回して行く。

 野枝はそのたびに癪に障さわってたまらなかった。

「嫌(や)な眼をして見てゆくわね、どうしてあんな眼をしなければならないんだろう。あんな奴らの眼には、この門を入ると、誰でももう囚人に見えるんだわね。面会人まで囚人扱いしなくっても、よさそうなものだわね」

 野枝は、その反感を自分ひとりでは持ち切れずに村木に言った。

 彼女は再び、さっきの老看守の声の不快な圧力を思い出した。





 天井の高い細長い室、土と石の冷たい室、其処に火だね一つおかずに此の寒中数時間或は終日でも平気で待たして置く役人根性が、龍子には憎くて耐らなかった。

 しかしまた彼等が一歩此の城廓から出たら――何と云ふ惨めさ、小ささだらう?

 それを思ふと龍子は皮肉な笑ひを催さずにはゐられなかつた。

 せめてもの事に、威張れる処で威張れるだけ威張りたい彼等、たったひとつの彼等の誇り――あのみすぼらしい服や帽子や剣――の馬鹿々々しさ。


(「監獄挿話 面会人控所」/『改造』一九一九年九月号・第一巻第六号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 21:10 | TrackBack(0) | 本文

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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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