2016年06月23日

第257回 東京監獄・面会人控所(三)






文●ツルシカズヒコ



「七十二番」という番号札を受け取った野枝は、東京監獄の面会人控所で順番を待ち続けていた。

 控所の中の人間の半数は女だった。

 かなり年増の如才ないいかににも目はしの敏(さと)く利きそうなキリッとした内儀(かみ)さんや、勝気らしい顔をした三十二、三の細君や、柔かいムジリのはんてんに前垂がけの小料理屋の女中らしいのや、子供を背負った裏店のかみさんらしいのや、田舎の料理屋の酌婦というようなひからびた頬骨の出た顔に真っ白に白粉を塗ったのや、あらい米琉(よねりゅう)の二枚小袖を上品に着た若い中流の家の細君らしいのやーー。

 その他十二、三人の女がある者は呑気そうに連れと話したり、ひとりで黙って心配そうに蒼ざめたり、オドオド不安そうにあたりを見まわしたり、すまして人の身なりや頭の恰好に目を留めたりしていた。

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 男はみんな割り合いに呑気な話をし合って笑っていた。

 廊下に上る石階のすぐ左手に腰掛けている四十四、五の色の黒い眉尻の下がった一見、区役所の雇いといった風な顔つきにやや滑稽味のある顔をした男が、連れらしい六十くらいの田舎者らしい親爺を相手に話し出した。

「本当に大きな建物だなあ、あの塀が何町四方って囲っているんだからな。まあ、こん中にどのくらいの人間がいるか知らないけれど、大したものだろう? それをただ賄ったり着せたりするんだから、大変なもんだなあ」

 男は頓狂な眉をいっそう頓狂にしながら高声に言った。

「そうさなあ、やはりお上にも無駄な費(ついえ)というものはいるものだなあ。なんだなあ、一日分だけでも、こちとらにすれやぁ、大したものだなあ」

「そうさ、無駄といえば無駄だが、これがなかった日にや大変だ。しかし、この大きな構への中にあの自動車でもってプツプーツなんて来る気持ちは、ちょっといいもんだろうなあ。俺たちゃ、とても一生懸りでも自動車で煉瓦塀の中に乗り込むなんてことはできないらしいな」





「冗談じゃありませんぜ」

 そばにいた、どう見ても間違のないところは、肴屋の親方というような恰好をした大きな男が口を出した。

「自動車だっていろいろありまさあ、あの自動車は人間を乗せるんじゃありませんよ、ありゃ、あなたーー」

 親方は得意になって男の方へ乗り出しながら言った。

「まあひとつ、降りるところでも乗るところでもいいから見て御覧なさい。手錠をはめられた連中がギシギシ詰め込まれまさあ。人間という荷物を積む自動車でさあ。自動車で乗り込むといやあたいそう外聞はいいけれど、私なんかまあ真っ平ですね」

 親方の真面目くさった反対に、みんなが吹き出した。

 村木と野枝も顔を見合わせて笑った。





 ちょうどそのとき、廊下を通りかかった貧相な看守がちょっと立ち止まって「何ごとだ?」というようにギロリと白い眼を光らせて通りすぎた。

 野枝はその黄色い痩せた噛みつきそうな邪険な顔を見ると、たちまち不快な感じに襲われた。

 隅っこの男と親方はしきりに無駄口を叩いて、みんなを笑わしている。

 親方の周りの人々は、邪気のない親方の軽口で、不快な監獄の面会所だなどということは忘れたやうにニコニコしていた。

 しかし、入口に近くにかたまった女連は、さすがにみんな心配らしい顔つきを隠すことはできなかった。

 親方の軽口よりは、早く時間が来て面会所に呼び込まれるのを一心に待っているようだった。





「もうかれこれ二時だよ。早くしてくんないかなあ。すっかり腹が減っちゃった」

 親方と一緒にいる鳥打帽をかぶった若い男が、大きな欠伸をしながら言った。

「ぐずぐず言いなさんな、今にちゃんと会わして下さらあ。お役人様方あ、今、お昼のおまんまが済んだばかしだ。おめえの腹なんかいくら減ったって、そんなことをお取り上げになるもんか。腹は夕方にならなくっちゃ、減りゃしないよ」

 親方はすぐおどけた口のきき方をして若い男をねめつけた。

「親方あ減らないだらうけどーー」

「おいおい、俺の腹が減らないっていつ言ったい。俺はもう大ぺこぺこだ。減らないと言ったのはお役人様の腹さ。お前もよっぽど人間がドヂにできてるなあ」

「フフン」

 若い男は仕方のなささうな顔をして、外套のポケツトに手を入れて天井を見上げた。





「しかしどうも長いですねえ、私なども、朝七時からいるんですよ。どうもちょっとの面会に、一日がかりではまったく弱ってしまいますね。仕事を休んで一日がかりで来なきゃならないとなっちゃ、なかなか億劫になってちょっと、という具合にはいきませんね」

 区役所の雇い風の男がまた口を出した。

「そうお手軽にはいきませんよ。お上はなんでも几帳面だからーー」

「几帳面ならもう始めそうなもんだな。一時まで待てばいいはずだったんだ」

 野枝と同じ側に座っていた、五十くらいの黒い前垂をしたあばたの爺さんが、初めてそこで口を出した。

「本当だ。まごまごしているうちに日が暮れてしまわあ。早くしてくれないかなあ」

 若い男はさも不平らしく口を尖らして言った。





「これでさんざん待たされた挙句に、ようよう面会して五分と話ができないんだから嫌やんなっちゃうよ。ろくに話もなんにもできやしねえ。五分や十分会わしたって、罰も当らねえだろうがなあ」
 
 こんどは親方も一緒になって不平を言い出した。

「私はこの前来たときに、どうも充分話ができなくて用が半分しか足せなかったから、こんどはふたり連れで来ましたよ。ふたりがかりで代わりばんこに思ひ出しながら話をしたら、後でああそうそう、なんてことがなくて済みやしないかしらんと思ひましてね。規則通りの短い時間でいろんな用を相談しようとするんですからどうしてーー」

 男はしきりに首を振った。

「面会時間のお許しの出ている正味のところは、どのくらいでしょうな」

 あばたの爺さんが誰にともなく聞いた。

「さあ」

 みんなが顔を見合わせたが、誰も知らなかった。

「自動電話は五分だなあ、あれよりゃあ、どんなことをしても短いね」

 親方はまたみんなを笑わしておいて、

「時に何時だい、もうそろそろ始まりそうなもんだなあ」

 よくよく辛抱はしてみたがというような表情をして、入口の方を見返った。

 今度は誰も口へ出してはなんにも言わなかったが、急にそう言われて何かを待ち受けるやうな緊張した顔に戻った。





 野枝は先刻から、下半身の冷えがだんだんに体中に拡がつていくような気がしていた。

 村木はみんなの話を聞きながら、笑い笑い立ったり歩いたりしていた。

「面会所ってものは、本当に面白いものね」

 野枝は村木がそばに腰かけたときに小声で言った。

「ええ、ちょっと他じゃこんな気分は出ませんね」

 村木もそう言って頷いた。

「大杉がね始終、裁判の傍聴と監獄の面会にはぜひ行ってみろって言っていたのが、昨日の裁判所と今日のここですっかり解ったわ」

 野枝はそう言ってあたりを見まわした。



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 20:48 | TrackBack(0) | 本文

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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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