2016年06月21日

第255回 東京監獄・面会人控所(一)






文●ツルシカズヒコ



 一九一八(大正七)年三月六日。

 橋浦時雄のところに魔子を預けた野枝は、大杉に面会するために牛込区市谷富久町にある東京監獄に行った。


 朝は煙るような雨であった。

 伊藤野枝女史がマ子ちゃんを連れて来て、まだ床を離れぬ僕の側に寝かせて帰る。

 今日は東京監獄に面会に行くという。


(『橋浦時雄日記 第一巻』)

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 野枝は新しい足駄の歯が三和土(たたき)に軋(きし)むのを気にしながら、受付の看守が指した「面会人控所」に静かに歩み寄って、その扉に手をかけた。

 重い戸が半ば開くと、正面に村木の蒼白い顔が見えた。

 この控所は東京監獄の大玄関の取りつきの右側で、三ばかりの奥行きのある細長い部屋だった。

 左側の廊下に上がる扉口と入口を除いたほかは、九尺に三間の細長い部屋の三方の壁には面会人が腰をかけるための幅の狭い木の腰掛けが、ちょうど棚のように取りつけてあった。

 廊下に上がる扉口と向き合った南側の前庭に面した壁の上に、大きな窓があった。

 部屋には傘や、下駄やスリッパが二、三足おいてあった。

 村木を除いた面会人は三つか四つくらいの子供を背負った女房だけだった。

 その女房は縞目もわからないような汚いねんねこで子供を背負い、ひとり隅っこにうづくまっていた。

 村木は大須賀に面会するはずだったが、斎藤兼次郎が今、大須賀に面会しているというので、和田に面会することにしたという。





「村木さん、あれも囚人のいるところ?」

 野枝の質問に、村木は自分の檻房生活の経験を呑気に語り出した。

 野枝は今、この独房で胡座をかいて読書している大杉の姿を思い浮かべた。

 野枝は牢獄の話は普段、大杉からいろいろ聞かされていた。

「半年や一年なら……」

 牢獄の話が出ると決まって、大杉はそう言った。

「遮断生活もたまにはいいもんだよ。ああ、しばらく本を読まないな……」





「大杉はこの間、日本堤署で会ったときに、二、三ヶ月、読書ができそうだなんて呑気なことを言って笑ってたけど、他の三人はどうしてるでしょう。日本堤署ではみんな一緒だったから元気がよかったけれど、別々になってからは悄気(しょげ)てるかもしれないわね」

 野枝は二十代の半ば以上を獄中で暮らし、その生活には馴れ切っているというより親しみさえ持っている大杉のことを考えると同時に、そういう経験を初めてしている他の三人のことが心配になった。

「なあに大丈夫、元気ですよ。未決だもの、着物はうんと着ているし、毛布も入っているし、弁当なんかいいのが入れてあるし。先刻、服部(浜次)くんが久板くんに面会して、差し入れのことを言ったら、万国史と辞書が入ったのなら申し分なしだと行ってきたそうですよ。和田くんだってそうだ。悄気ているとすれば、大須賀くんだが、なあにそんなに心配したもんでもありませんよ」





「その大須賀さんよ、一昨日、堺さんに遭ったとき、散々当てこすられたり嫌味を言われたりしたんですよ。堺さんですら、ああなんだから、他の人たちはなんと言ってるかしれはしないわ。堺さんはまるで大杉が無理に大須賀さんを引っ張って行ったようなことを言っているけど、大杉と大須賀さんはあの晩に初めて会ったくらいのもんじゃありませんか。それをわざわざ引っ張って帰ろうとするなんてなさそうに思えるけれど」

「なあに、言うやつには勝手に言わしておくさ。大須賀くんだって、そう悄気てもいますまい」

 村木は煙草に火をつけながら静かな調子で言った。

「堺さんもそんなにわからないことを言う人じゃないんだけどな、大杉くんのこととなると妙に変わるんだなあ」

 野枝は黙ってうつむいた。

 そして、せめて未決にいる間だけは、みんなの世話をどうかして自分の手で続けたいと切に思った。

 ことに大須賀の世話は一切、堺の手を退けるようにしたいという気持ちが、次第に募る反感とともにに強くなるのだった。


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 21:11 | TrackBack(0) | 本文

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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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