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2016年06月19日

第253回 日本堤






文●ツルシカズヒコ




 一九一八(大正七)年三月一日、下谷区上野桜木町の有吉三吉宅で開かれた労働運動研究会例会に参加した、大杉、和田、久板、大須賀健治の四人は、池之端のレストランで食事をしながら直接行動と政治運動との是非を議論した。

 大須賀は山川均の死別した妻、大須賀里子の甥である(『橋浦時雄日記 第一巻』)。

 山川を頼ってこの年の一月に愛知県から上京し、二月に堺利彦が経営する売文社に受付係として入社したばかりだった(堀切利高『野枝さんをさがして』)。

 終電車がなくなり、和田の古巣の泪橋の木賃宿にでも泊まるかということになり、三ノ輪から日本堤(にほんづつみ)を歩いて行った。

 午前一時ころ、吉原の大門前を通りかかると、大勢人だかりがして騒いでいる。

 ひとりの労働者ふうの男が酔っ払って、過って酒場のガラスを壊したというので、土地の地廻りどもと巡査がその男を捕らえ弁償しろの拘引するのと責めつけていた。

 その男はみすぼらしい風態(ふうてい)をして、よろけながらしきりに謝っていた。

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 大杉が仲裁に入り、男から事情を聞いてそこに集まっているみんなに言った。


『此の男は今一文も持つてゐない。弁償は僕がする。それで済む筈だ。一体、何にか事のある毎に一々そこへ巡査を呼んで来たりするのはよくない。大がいの事は、斯うして、そこに居合はした人間だけで片はつくんだ。』

 酒場の男共もそれで承知した。

 地廻り共も承知した。

 見物の野次共も承知した。

 しかしただ一人承知の出来なかつたのは巡査だ。

『貴様は社会主義者だな。』

『さうだ、それがどうしたんだ。』

『社会主義者か、よし、それぢや拘引する。一緒に来い。』

『そりや面白い。何処へでも行かう。』

 僕は巡査の手をふり払つて、其の先きに立つて直ぐ眼の前の日本堤署へ飛びこんだ。


(「とんだ木賃宿」/『文明批評』一九一八年四月号・第一巻第三号/『新小説』一九一九年一月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』「獄中記・市ヶ谷の巻」)





 大杉ら四人は日本堤署の留置場に入れられた。

 翌朝、警部がしきりに昨晩の粗相を謝り「どうぞ黙って帰ってくれ」と朝飯までご馳走したが、いざ帰ろうとすると、こんどは署長が出て来て、どうしたことか再び留置場へ戻されてしまった。

 こうして大杉たちは、職務執行妨害という名の下に拘引された。

 大杉たちは日本堤署に二晩、警視庁に一晩留置された後、大杉を除く三人は東京監獄に二晩、大杉は東京監獄に五晩、収監された。

 大杉らが検束されたことを橋浦が知ったのは、三月二日の夕方だった(『橋浦時雄日記 第一巻』)。

 売文社の社員だった橋浦からそれを聞いた野枝は、三月二日の夜、すぐに日本堤署に駆けつけた。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、野枝は親子丼を差し入れたという。

「何をしたんです? いったいーー」

 野枝は食後の煙草を呑気に吸いながら、あれこれと差し入れなどのことを彼女に注意してくれる大杉の言葉が途切れるのを待って聞いた。

「なんでもないことさーー」

 大杉は笑って取り合わなかった。

 他の三人もただ黙って笑っているだけだった。

 野枝は当初、大杉にお灸をすえるつもりでいた。





 本当は二日の晩橋浦さんに、あなた方が日本堤署に止められてゐのだと聞いた時には『まあ、此の忙しい最中に、何をつまらない事を仕出かしたのだらう』と少し忌々(いまいま)しい気がしましたわ。

 それに、日本堤だなんて、あんな碌でもない場所なんですもの。

 私、あなたの顔を見るまでは、少し怒つてやらうと思つてゐたのですわ。


(「獄中へ」/『文明批評』一九一八年四月号・第一巻第三号/大杉栄らの共著『悪戯』・アルス・一九二一年三月一日/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』「消息(伊藤)」【大正七年三月七日・東京監獄内大杉栄宛】/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)


 しかし、大杉たちの笑い顔を見た野枝は、それ以上は何も聞かなかった。

「日本堤だなんて、あんな碌でもない場所」というのは、吉原遊郭のすぐそばだからだ。

 三月三日、野枝はある友人と一緒に警視庁に差し入れに行った。

 差し入れたのは四人分の毛布だった(大杉豊『日録・大杉栄伝』)。

 差し入れをする際に係の巡査が野枝に尋ねた。

「あなたは大杉さんのなんです?」

「一緒にいるものです」

 と野枝は曖昧な答えをした。

「ハハア、すると内妻ですな」

 巡査は至極、真面目くさって書きつけた。

 野枝は大杉が普段よく口にしていた言葉を思い出して、危うく吹き出しそうになった。





『何あに、いくら女房ぢやないの何だのつて威張つたつて、裁判所に引つぱりだされたり、監獄に面会に来たりして御覧、内縁の妻にされつちまふよ。』

 E(大杉)はよく二人の関係について冗談を云ふ度びに友達の前や何かでそんな事を云つた。

『アラいやだ。』

『あらいやだなもんか本当だよ』

『嫌やだわ内縁の妻だなんて。』

『嫌やだつたつてそれが事実ぢやないか』

『違ふわ』

『ぢや何んだ』

『何んでもないわ、いろだわたゞーー』〉

『ぢやあ若し裁判所で内縁の妻だなんて云つたら抗議を申込むか』

『えゝ、内縁の妻だなんてそんなもんぢやない。いろだつてさう云ふわ』

『さうか、そりやあえらいな』

 さう云ふ事は幾度も/\も云つてゐた。


「監獄挿話 面会人控所」/『改造』一九一九年九月号・第一巻第六号/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 12:07 | TrackBack(0) | 本文

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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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