2016年06月17日

251回 半耄碌(もうろく)のお婆さん






文●ツルシカズヒコ



 大杉は『文明批評』一九一八年二月号に「僕は精神が好きだ」を書いた。



 僕は精神が好きだ。

 しかしその精神が理論化されると大がいは厭やになる。

 理論化という行程の間に、多くは社会的現実との調和、事大的妥協があるからだ。

 精神そのままの思想は稀だ。

 精神そのままの行為はなおさら稀だ。

 この意味から僕は文壇諸君のぼんやりした民本主義や人道主義が好きだ。

 少なくとも可愛いい。

 しかし法律学者や政治学者の民本呼ばわりや人道呼ばわりは大嫌いだ。

 聞いただけでも虫ずが走る。

 社会主義も大嫌いだ。

 無政府主義もどうかすると少々厭やになる。

 僕の一番好きなのは人間の盲目的行為だ。

 精神そのままの爆発だ。

 思想に自由あれ。

 しかしまた行為にも自由あれ。

 そしてさらにはまた動機にも自由あれ。


「僕は精神が好きだ」/『文明批評』一九一八年二月号・第一巻第二号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第二巻』・一九二六年五月発行)

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 名コピーライターでもあった大杉の有名な一文だが、この名文を大杉に書かせたのは野枝の存在だったかもしれない。

『文明批評』同号に野枝は「階級的反感」の他に「間抜けな比喩」を書いた。

 野枝は『新日本』一九一七年三月号に掲載された「評論家としての与謝野晶子氏」でも晶子を批判しているが、「間抜けな比喩」も激烈な晶子批判である。

 晶子は『女学世界』同年四月号の「対鏡新語」欄に、「評論家としての与謝野晶子氏」への反論と思われる一文を書いた。

 そして、単行本『愛・理性及び勇気』(阿闍陀書房)が出版されたのが同年十月だった。

 同書には『女学世界』の「対鏡新語」欄に書いた一文が「聡明、慎重、勇気」という表題がつけられて収録されていた。

「聡明、慎重、勇気」の中で、晶子は「新旧思想が交錯している」社会を急流に喩えている。

 急流を横断して対岸に渡ろうとする船は到着すべき目標に向いて、決して一直線には渡らない。

 急流に押されて対岸に着くことができないばかりか、下流の方に船が流される結果になるからだ。

 聡明な水夫は、上流の方に斜めに舳先(へさき)を向けて漕いで、水勢に押されて流れるに見せかけながら、対岸の予定の地に着くようにする。

 わざと迂回することが、実は最も都合よく目的を達することなのである。

 ーーというようなことを書いた晶子に対し、野枝は一刀両断の反論を書いた。





 聡明なる水夫は即ちその急流に棹さして、人及び女としての完全な彼岸に達しようとする氏自身なのである。

 この比喩は、氏にとつては大分都合のいゝ比喩らしく見えながら、実はこんな間抜けな比喩はまたとあるまい。

 何故なら、かりにも、急流に船を浮かべる水夫たるものが、如何に向不見(むこうみず)だと云つて、一直線にゆかうなどゝ企てるものがどうしてあり得やう。

 船をどうあやつるか、どう舵をとるかは、水夫の聡明不聡明よりは、其の馴切つた仕事でなくてはならない。

 これが何で、聡明とか慎重とか勇気等のたとへばなしにならう?

 そしてまたそんな事で、自分の態度を誤魔化さうとするのが第一の大間違だ。

 私が一つ一つ克明に遂(おい)つめておいた点にはつきりと返事をする事も出来ないで、見当違ひな比喩に勝手な理屈をつけて威張るやうな半耄碌(もうろく)のお婆さんに、何を云つても無駄とは知つてはゐるが……。


(「間抜けな比喩」/『文明批評』一九一八年二月号・第一巻第二号/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』)





「間抜けな比喩」の晶子批判は、さらにこう続く。


 あの高慢な婆さんはこんな事も麗々と云つてゐる。

「私が曾つて自分の恋の為めに、自分の歌の為めに自分の教育の為めに、自分の思想の為めに……どれだけ勇猛激烈に従来の道徳、迷信、伝統と戦つてそれを破り、それに打克つて来たか。それを私の実際の経歴と述作とに就いて調べて下さる人が他年私の死後にあるなら……私だけの可能性を尽して破壊的な非常手段をも決行することに卑怯で無かつた事を認容されるであらうと想ひます。」

 ふん、「私丈けの可能性を尽して」か! 

 万事が御自分の為めばかりだ。

 そんな事なら誰だつて出来るとも!

 目の前だけの効果がすぐ来る事なら、どんな口車にだつてみんな乗りたがる。

 そんな事はたゞ、人並みだと云ふ事にしかならない。

 何が勇猛激烈だ。

 何が破壊的な非常手段だ。

 何が新時代の先導者の慎重と聡明と勇気だ。

 ……彼は何時の間にかそつと先鋒者の足趾(あしあと)をつけてゐる。

 そして、追随者には、さも自分が踏ひらいたやうな顔をして見せる。

 自分が何の危険もなく連れて来てやつたやうに恩にきせる。

 彼はそれ程臆病で卑怯だ。

 そしてそれ程高慢ちきだ。


(同上)

 野枝が「半耄碌(もうろく)のお婆さん」と論破している晶子はこのとき四十歳、野枝は二十三歳だった。



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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posted by kazuhikotsurushi2 at 13:38 | TrackBack(0) | 本文

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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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