2016年03月17日

第16回 上野高女






文●ツルシカズヒコ


 一九一〇年(明治四十三年)四月から一九一二年(明治四十三年)三月、野枝が在学していた当時の私立上野高女はどんな学校だったのか、そして野枝はどんな生徒だったのか。

『定本 伊藤野枝全集 第二巻』「月報2」に、野枝と同級生だったOGふたりの文章が載っている。

 一九六七(昭和四十二)年一月に発行された、温旧会という上野高女同窓会の冊子『残照』に掲載された文章から、一部省略して転載されたものだ。


 ……全校生が皆お友達で親しく勉強することができました。

 始業のベルが鳴れば皆別々の教室に行きますけれど、休み時間になれば皆仲良く狭い運動場で遊んでおりました。

 ……中心は佐藤先生で、迫力に充ちた修身の時間は、おそらくあの鴬谷の上野高女に学んだ人達の心の底にしみ込んで、終生の心の指針となっている事と思います。

 五十数年経った今でも、折りにふれ時につれ思いだしては心の糧となっております……。

 野枝さんは素晴しく目のきれいな人で、いかにも筑紫乙女のそれらしく、重厚そのものといった感じの方で、又一面、粗野な感じの所もありましたが、何しろ文才にかけては抜群で、私共は足許へも及ばない程でした。

 又文字を書けばこれ又達筆で、一見女性の書いたものとも思われぬ程でしたので、或るお友達は野枝さんから手紙を貰った時、お母さまから男の人からの手紙と誤解されて困ったといっておられた事もありました。

 受持の西原先生は大いにその文才を認められ、何か特別に扱っていらっしゃったようでした。

 私共が、作文の時間に一生懸命貧弱な頭をしぼって考えたり書いたりしておりましても、いつも野枝さんは自分の好きな本を読んだりしていて、作文など提出した事がなくともいつも成績は優を頂いておられたとの事でした。


(花沢かつゑ「鶯谷の頃から」/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』「月報2」)

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 野枝のクラス担任は国語教師の西原和治だった。

 教頭の佐藤政次郎と西原は哲学館時代からの親友で、ふたりはキリスト教思想人として知られた新井奥邃の門下生だった。

 佐藤の推挙で西原が上野高女の教師になったのは一九〇八(明治四十一)年である。

 西原と辻潤は千代田尋常高等小学校時代の教員仲間だった。

 年齢は西原の方が辻より六、七歳上だったが、ふたりは親しく交わった。

 堀切利高『野枝さんをさがして』によれば、西原は教職のかたわら、佐藤が創刊した基督教的信仰をベースにした教育雑誌の記者をやっていた。

 辻は西原を通じてその教育雑誌に翻訳や雑文を寄稿していた。

 辻が英語の教師として上野高女に赴任してくるのは一九一一年(明治四十四)年四月であるが、それは佐藤、西原との縁故があったからである。





 お納戸色や紫、えび茶などのカシミヤの袴を胸高にはき、紫矢絣の着物に大きなリボンをかけたおさげ髪そして鞜をはいた当時としてはとてもハイカラなスタイル……。

 そのころの校舎は学校というには、余りにも小さいなんの設備もない貧弱なものであった。

 二階建木造建築、職員室、その他音楽兼割烹室、お裁縫兼作法室といってもそれはただ普通の住宅をちょっと改造しただけ、運動場といえば百坪あるか無きかのせまいもの、そこで体操をしたり遊戯をしたり、放課時間鬼ごっこやらいろいろの遊びをして結構楽しく五年間をすごしたものだった。

 先生方も小林校長先生始め、佐藤先生・西原先生……。

 それから印象的なのは日下部書記さん。

 お式の日にはいつでも陸軍大尉の礼装で帽子に鳥の羽をつけ意気揚々と登校されるその姿、得意満面の顔が何かほほえましく……。

 鐘を鳴らす小使のおばさんもあの階段わきのせまい部屋から何か話しかけているのではないかしら。

 購売(ママ)部ともいうべき学用品やお弁当のパンを売るお店のおばさんもまた想い出の人。

 唐草縞の着物に黒繻子の衿をかけたちょっと小意気なおばさん。

 リーチ先生、それは今なおご健在で有名な世界的工芸家バーナード・リーチ氏その人である。

 先生ご夫妻は上野公園桜木町に瀟洒たる居を構えて当時の美術学校でエッチングの研究をされながら私達に英会話を教えて下さったのだ。

 私達のクラスにはまた、卒業後有名になった伊藤野枝さんがいた。

 字がうまく、文才があり、頭がよく、なんとなく異色的存在であった。


(竹下範子「おもいで」/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』「月報2」)





 井出文子は「温旧会」のメンバーである花沢嘉津恵に会い、野枝について直接話を聞いている。

 花沢嘉津恵と花沢かつゑは、同一人物だと思われる。

 花沢(旧姓・中山)は、野枝の「紋付きの事件」が忘れられないと語っている。

 当時、学校で式があるときには、生徒は黒木綿の紋付きを着るのが定番だった。

 野枝は十一月三日の天長節に紋付きを着てこなかった。

 元旦の式には野枝はどうするのかというのが、花沢ら仲良し七人組の話題になった。

 野枝は元旦の式に黒紋付きを着てサッソーとやって来た。

 花沢たちはびっくりしたが、よく見ると着物の紋はまだ染めていない、真っ白なお月様のような紋だった。

 
 そのころ、安い紋付きは「石持ち」といって、紋のところだけ白ヌキしてある反物を買い、そこだけ自家の紋に染めさせたんです。

 もちろん、お金のある人はそんなのを買いやしません。

 白生地を染め屋にもっていき、紋とともに染めさせるんです。

 そこであたしはほんとうに口がわるくて、「万緑草中の紅一点じゃなくて、白三点ね」といって皆と笑いました。

 それから二月にはいると紀元節(二月十一日)がありますが、野枝さんの白三点はどうなるかがあたし達七人組の関心事でした。

 で、その日になるとどうでしょう。

 野枝さんのお月様のような紋には、自分で書いたらしい二本の線が、キッパリとはいっていたんですよ。


(井出文子『自由それは私自身 評伝・伊藤野枝』)


「いじらしいほど勝気な野枝、貧しい実家や親戚に世話になっているという劣等感を、精一杯はねかえしていたのだ」と井出は書いている。

 確かに野枝の勝ち気さが出ているエピソードだが、野枝は貧しいからそうしたのかどうか、私は疑問を抱いている。

 矢野寛治『伊藤野枝と代準介』によれば、当時の代家はお金に困るような経済状況ではなかったという。

 代千代子は黒木綿の紋付きを着て式に参列していたであろう。

 野枝も叔父叔母に頼めば、黒木綿の紋付きぐらいあつらえてくれたのではないだろうか。

 野枝は形式を重んじる式自体がそもそも嫌いで、そのためにわざわざお金を出して黒木綿の紋付きをあつらえたりすることは、お金の無駄だと考えていたのではないだろうか。

 人のやることに安易に従わない野枝の気質というか、反抗心の表れだったと見る視点もありだと思う。

 この「紋付きの事件」は、おそらく野枝が四年時の二学期から三学期にかけてのエピソードだろう。



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index




posted by kazuhikotsurushi2 at 14:10| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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