2016年04月24日

第116回 世界大戦






文●ツルシカズヒコ



 一九一四(大正三)年、九月。

 創刊「三周年記念号」になるはずだった『青鞜』九月号は、休刊になった。

『青鞜』の一切の仕事をひとりで背負うことになったらいてうは、疲れていた。

 部数も東雲堂書店時代を頂点に下り坂に向かう一方だった。

 堀場清子は『青鞜』の部数減と第一次世界大戦との因果関係を指摘している。

 
 一九一〇年に始まった“女の時代”に、終りが来ていた。

 それは“青鞜の時代”の終りをも意味する。

 戦争が起れば窒息させられ、平和が蘇えれば息を吹きかえすーー女性解放運動の鉄則に添った現象が、この時はじめて日本社会にも生起していた。


(堀場清子『青鞜の時代』/岩波新書/一九八八年)

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 野枝は『反響』一九一四年九月号に「石橋臥波氏に答えて再考を促す」を書いた。

 石橋臥波が野枝を批判した「新しき女の反省を促すーー伊藤野枝女史に与へて」(『婦人評論』一九一四年八月十五日/野枝の「下田次郎氏にーー日本婦人の革新時代に就いて」の反論)への反論である。

 石橋臥波は鬼の研究などで知られる民間学者。

『反響』は生田長江と森田草平の共同編輯の文芸思想雑誌。

 当時の日本の常識ではアメリカは先進国なのだが、エマ・ゴールドマンはそのアメリカを批判している。

 エマ・ゴールドマンに刺戟を受けた野枝は、そこまで自分は深く思考していると反論した。





 大杉と荒畑寒村は『近代思想』九月号を最後に、『近代思想』(第一次)を廃刊にして、十月から月刊の『平民新聞』を発刊することにした。

 文学的哲学的になりすぎた『近代思想』に嫌気がさし、もっと実際の社会運動に直結した出版物を出したくなったからである。

 大杉が渡辺政太郎(わたなべ・まさたろう)と小石川区竹早町の辻と野枝の家を訪れたのは、『平民新聞』創刊のための金策になんとか目処が立った九月のある日だった。

 渡辺は大杉の同志であり、辻の知り合いでもあった。

 大杉がこのときのことを書き記している。





『ほんとうによくいらして下さいました。もう随分久しい前から、お目にかかりたいお目にかかりたいと思つてゐたんですけれど。』

 彼女は初対面の挨拶が済むと親しみ深い声で云つた。

『まあ随分お丈夫さうなんで、わたしびつくりしましたわ。病気で大ぶ弱つてゐらつしやるやうにも聞いてゐましたし、それにSさんの「OとA」の中に「白皙長身」なぞとあつたものですから、丈はお高いかも知れないが、もつと痩せ細つた蒼白い、ほんとうに病人々々した方とばかり思つてゐたんですもの。』

『ハハゝゝゝゝ。すつかり当てがはづれましたね、こんなまつ黒な頑丈な男ぢや。』

 一言二言話してゐるうちに、二人はこんな冗談まで交はし合つてゐた。


(「死灰の中から」/『新小説』一九一九年九月号/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』)


「Sさんの『OとA』」とは、堺利彦が『近代思想』創刊号(一九一二年十月号)に書いた大杉と荒畑の人物評のことである。

 大杉は二年前の『近代思想』に載った、そんな記事を野枝がよく覚えていることが不思議だった。


 ……そして曽つてS社の講演会で、丁度校友会ででもするやうに莞爾々々(にこ/\)しながら原稿を朗読した、まだ本当に女学生女学生してゐた彼女が、すつかり世話女房じみて了つた姿に驚いて、暫く黙つて彼女の顔を見つめてゐた。

 眉の少し濃い、眼の大きくはないが、やさしさうな、しかし智的なのが、其の始終莞爾々々しながら綺麗な白い歯並を見せてゐる口もとの、あどけなさと共に、殊に目立つて見えた。


(同上)





 しばらくして大杉が帰ろうとすると、野枝はあわてたように引き止めた。

「まあ、いいじゃありませんか。もう辻も帰って来ますから」

「辻」という言葉を耳にして、大杉は少し面食らった。

 今の今まで赤ん坊に乳房をふくませながら話している野枝と対面していて、辻のことは大杉の頭にちっとも浮かんでこなかったからだった。

「それに辻もお会いしたがっているんですから」

 大杉は仕方なしにまた腰を下ろした。

 辻はすぐに帰って来た。

 しかし、大杉は野枝との受け答えにはなんでもないことにでも何かの響きを感じたが、辻との話には少しもそんな響きを感じなかった。


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
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