2016年04月23日

第112回 妙義神社






文●ツルシカズヒコ


 一九一四(大正三)年六月、らいてうと奥村は北豊島郡巣鴨町一一六三番地から、北豊島郡巣鴨町上駒込四一一番地に引っ越した。

 青鞜社の事務所の住所もここに移ったことになる。

 野枝の家とは道路ひとつ隔てた妙義神社前の貸家だった。

 野枝が家事の苦手ならいてうに、炊事を引き受けてもよいと申し出たからである。

 らいてうが月十円の実費を持ち、野枝のところに昼と夜の食事をしに行くことになった。

 そのころ、野枝たちは夫婦と一(まこと)の三人暮らしだった。

 辻はいつも三畳の書斎の真ん中に机を置き、スピノザの石版刷りの額の下で翻訳のペンを運んでいた。

 辻の息抜きは尺八を吹くことだった。

noe000_banner01.jpg


 辻さんのお母さんたちとは……別居していたからでしょうが、家のなかには、炊事道具などほとんどなく、金盥がすき焼鍋に変わったり、鏡を裏返しにして、俎板代わりに使われたりしていました。

 茶碗などもないので、一枚の大皿に、お菜とご飯の盛りつけです。

 野枝さんは、料理が下手というより、そんなことはどうでもいいというふうで、コマ切れのシチューまがいのものを、ご飯の上へかけたものなど、得体の知れないものをよくつくりました。

 仕事は手早い代りに、汚いことも、まずいことも平気です。


(『元始(下)』)


 野枝の手料理はともかく、食後の会話は盛り上がった。

 辻は音楽や絵画にも造形が深かったので、奥村ともよく話が合った。

 帝劇の女優と結婚した原田潤も巣鴨に越してきて仲間に加わり、座は盛り上がった。


 野枝さんは大きくふくらんだ白い胸元をひらいて、赤ちゃんにお乳をふくませながら、みんなの話に大きな声でよく笑い、また、よく怒ったものでした。

(同上)


 しかし、らいてうと野枝の共同炊事は一ヶ月も続かなかった。

 生まれつき肉嫌いで、食べ物の好き嫌いが激しい奥村が我慢しきれなかったからである。





 野枝は『青鞜』六月号に二本の原稿を書いた。

●「S先生に」

「S先生」は上野高女の教頭・佐藤政次郎(まさじろう)である。

 佐藤は野枝の上野高女五年時の担任・西原和治とともに、このとき(一九一四年)上野高女にまだ奉職していた(ふたりは同校を一九一五年三月に退職)。

 この連載の第三十五回「出奔(七)」に「S先生に」の主旨を記したが、野枝は恩師であった佐藤を批判した。

 
 私はあの事件で一足飛びに大人になり、学校で聞いた先生方の講義が何の役にもたたないことを知りました。

(「S先生に」/『青鞜』一九一四年六月号・第四巻第六号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)


●「読んだものから」

 中川臨川「天才と永遠の女性」(『創造』一九一四年五月号)、早川鉄治「現代婦人の欠点」(『婦人評論』一九一四年五月一日)に対する反論である。

 野枝はこの反論の最後をこう結んでいる。





 どの方面に向ふ人にしても、日本人には深刻がない。

 私はそれが一番不満だ。

 根ざしが深くないからだ。

 道徳だつて宗教だつて皆徹底したものは一つもない。

 容易に形式だけは新らいしものをとり入れてゐる。

 内容は依然として旧い。

 そして『調和』してゐると喜こんでゐる。

 私は『調和』を悪(にく)む。

『中庸』を悪む、徹底しなければ力は出ない。

『どつちつかず』には、自己の信条と云ふものがない。

 日本人は日本固有の何物も持たない。

 本当の国民性と云ふやうな何物にも動かない力強い内的特点は一つもない情ない国民だ。


(「読んだものから」/『青鞜』一九一四年六月号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 20:07| 本文
ファン
検索
<< 2017年06月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
index(1)
本文(449)
プロフィール
さんの画像

1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)など。
プロフィール

美は乱調にあり――伊藤野枝と大杉栄 (岩波現代文庫)

新品価格
¥1,058から
(2017/3/4 02:04時点)

諧調は偽りなり――伊藤野枝と大杉栄(上) (岩波現代文庫)

新品価格
¥1,058から
(2017/3/4 02:09時点)

美は乱調にあり (英文版) ― Beauty in Disarray (タトルクラシックス )

中古価格
¥3,487から
(2017/3/4 02:14時点)

飾らず、偽らず、欺かず――管野須賀子と伊藤野枝

新品価格
¥2,268から
(2017/2/16 10:43時点)

自由それは私自身―評伝・伊藤野枝

中古価格
¥1,081から
(2017/2/9 02:00時点)

野枝さんをさがして―定本伊藤野枝全集 補遺・資料・解説

中古価格
¥3,913から
(2016/3/13 18:23時点)

定本 伊藤野枝全集〈第3巻〉評論・随筆・書簡2―『文明批評』以後

中古価格
¥18,616から
(2017/2/9 00:18時点)

伊藤野枝と代準介

新品価格
¥2,268から
(2016/3/13 20:05時点)

日録・大杉栄伝

新品価格
¥4,536から
(2016/3/13 20:13時点)

ルイズ 父に貰いし名は (講談社文芸文庫)

新品価格
¥1,620から
(2016/3/13 20:24時点)

地震・憲兵・火事・巡査 (岩波文庫)

新品価格
¥821から
(2016/11/5 01:11時点)

海の歌う日―大杉栄・伊藤野枝へ--ルイズより

中古価格
¥1,619から
(2016/11/5 01:26時点)

大杉榮 自由への疾走 (岩波現代文庫)

中古価格
¥2から
(2017/2/9 00:00時点)

日本的風土をはみだした男―パリの大杉栄

中古価格
¥700から
(2017/2/9 00:12時点)

動揺 [CY大正浪漫コミックス1]

新品価格
¥1,080から
(2016/3/13 18:18時点)

裁縫女子 (サイホウジョシ)

新品価格
¥1,132から
(2017/2/9 18:20時点)

「週刊SPA!」黄金伝説 1988~1995 おたくの時代を作った男

新品価格
¥1,296から
(2016/3/13 20:26時点)