アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2016年07月10日

第287回 柿色






文●ツルシカズヒコ




 野枝が大杉に面会したのは一九一九(大正八)年七月二十二日だったが、彼女は七月十九日か七月二十日にも警視庁に来て吉田一(はじめ)に面会している(「或る男の堕落」)。

 吉田は電気料不払いのために切られた電線を接続して電気を窃盗、七月十九日に警視庁(刑事課)に召喚され、七月二十一日から東京監獄の未決監に収監された(『日録・大杉栄伝』)。

 そのころのことを野枝はこう書いている。

 Yは吉田、Oは大杉。


 それは大正八年の夏のことで、労働運動の盛んに起つて来た年の夏で、警視庁は躍起となつて、此の機運に乗じて運動を起さうとする社会主義者の検挙に腐心したのです。

 そしてYと同時に、Oも次から次へと、様々な罪名で取調べを受けてゐる時でした。


(「或る男の堕落」/『女性改造』1923年11月号・第2巻第11号/『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p)

noe000_banner01.jpg


 吉田の収監を同志たちは「いい機会が来た」と喜んだという。

 増長しすぎていた彼にとって良い薬になるからだ。

 読み書きができない吉田である。

 獄中から葉書一枚書くこともできない、手紙をもらっても読むことができない。

 野枝も同情したが、しかし、吉田はあくまで図々しく我がままだった。

 吉田に面会し面倒を見たのは村木だった。

 吉田は印刷した振り仮名があればなんとか読めるようだったので、村木は苦心して振り仮名つきの本を探して差し入れた。

 しかし、振り仮名つきの本は耳学問のある吉田には物足りない。

 彼は怒った。

 さりとて、吉田好みの運動関係の本は初歩のものでも、振り仮名がついていないものがほとんどだった。





 あるとき、村木は肩の凝らない本として、講談調の『西郷隆盛』を差し入れた。

 喜んで読んでくれるかと思ったが、吉田は怒った。

「講談本なんぞを入れてもらうと、看守どもが馬鹿にする」というわけである。

 獄中の同志に書物を差し入れるという作業は、実は厄介で骨の折れることなのである。

 少しでも身になるように、無駄をしないように、当人の精神状態も考慮しなければならない。

 しかし、そんなことにはまったく無頓着な吉田は、未決監にいる間は我がままを通した。

 一審判決が出ると、吉田は既決監に下って豊多摩監獄に送られた。

 吉田はそこで六ヶ月の刑期を送ったが、刑期中の仲間への消息は絶えた。

 振り仮名の本を読むことも許されず、手紙も書けなかったからだ。





 七月二十三日、大杉は尾行巡査殴打事件の傷害罪で起訴され、東京監獄の未決監に収監された。

 野枝は獄中の大杉に手紙を書いた。

 宛て先は「東京市牛込区市谷富久町 東京監獄内」、発信地は「東京市本郷区駒込曙町一三番地 労働運動社」である。


 御気分いかがですか?

 警視庁での二晩は随分お辛らかつた事と思ひます。

 あの警部の室(へや)で会つた時の最初の顔がまだ目についてゐて仕方がありません。

 ずゐぶん疲れた顔をしてゐましたね。

 どうせ仕方のない事だと思つてゐても、あんな様子を見ますと何んだか情けなくなつてしまひます。

 けれど、とんだ余興がはいつたりして、思ひの外自由に話が出来たり、永々と休めたのは本当に嬉しうございました。

 獄中記は今月中に出来るさうです。

 今日一寸(ちよつと)よつて表紙の色と、林(倭衛)さんの絵の工合を見て来ました。

 表紙は思つたよりはいい色が出ました。

 しかし、さめた色は商品として困ると云ふやうな話でした。

 さう云はれて見るとそのやうな気もしますから、また真新しい柿色で我慢をしますかね。

 着物と羽織を入れます。

 あんなつむじまがりを云はないで裁判所に出る時は、チヤンとしたなりをして出るようにして下さい。

 あんまりみつともないのは厭やですから。

 これは私のたつた一つのお願ひです。

 でなければ、私が一生懸命縫つたのが何にもなりませんわ。

 それではあんまり可哀さうぢやありませんか。

 本当にくれ/″\も体をわるくしないようにして下さい。

 お願ひ致します。

 今度の事件は、知識階級の間だけでなく、一般にも本当に問題にされてゐます。

 本当につまらない事でしたけれど、結果から考へれば決してつまらない事ではありません。

 私はあなたとの生活には、まだ/\もつと悲惨な、もつと苦しい辛い生活だつて喜んで享受するつもりだつたのです。

 まだこれからだつて予期しています。

 あなたがそちらで不自由な月日を送るのに、私達がべん/\と手を束(つか)ねて怠けながら、あなたの帰へりを待つと云ふ事は出来ません。

 めい/\に出来るだけの仕事をして待ちます。


(【大正八年七月二十五日・東京監獄内大杉栄宛】・「消息 伊藤」・『大杉栄全集 第四巻』/「書簡 大杉栄宛 一九一九年七月二十五日」・『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p81~82)





「とんだ余興」というのは、例の愛国者の一件のことである。

『獄中記』は八月一日に春陽堂から出版された。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、『新小説』一月号、二月号、四月号に掲載した「獄中記」「続獄中記」と書簡「獄中消息」を併せて単行本にしたのである。

『新小説』に連載した「獄中記」「続獄中記」は評判がよく、このころから大杉の原稿が売れるようになったという。

 単行本『獄中記』の表紙を柿色にしたのは、当時の囚人服が柿色だったからと思われる。

 大杉は獄中から野枝に返信を書いた。


 はじめての手紙だ。

 まだ、どうも、本当に落ちつかない。

 いくら馴れているからと云つても、さうすぐにアトホオムとか行かない。

 監獄は僕のエレメントぢやないんだからね。

 先づ南京虫との妥協が何んとかつかなければ駄目だ。

 次ぎには蚊と蚤だ。

 来た三晩ばかりは一睡もしなかつた。

 警視庁での二晩と合せて五晩だ。

 しかし、いくら何んだつて、さう/\不眠が続くものぢやない。

 何が来ようと、どんなにかゆくとも痛くとも、とにかく眠るようになる。

 今では睡眠時間の半分は寝る。

 どんなに汗が出てもふかずに黙つてゐる僕の習慣ね、あれが此のかゆいのや痛いのにも大ぶ応用されて来た。

 手を出したくて堪らんのを、ぢつとして辛棒してゐる。

 斯う云ふ難行苦行の真似も、ちよつと面白いものだ。
 
 蚊帳の中に蚊が一匹はいつても、泣つ面をして騒ぐ男がだ、手くびに二十数ケ所、腕に十数ケ所、首のまはりに二十幾ケ所と云ふ最初の晩の南京虫の手創(てきず)を負ふたまま、其の上にもやって来る無数の敵を、斯ふして無抵抗主義的に心よく迎へてゐるんだ。

 大便が二日か三日に一度しか出ない。

 監獄に入るといつも、最初の間はさうだ。

 そして、それが、一日に一度と規則正しくきまるやうになると、もう〆たものだ。

 其の時には、何にもかも、すつかり監獄生活にアダプトして了ふのだ。


(【伊藤野枝宛・大正八年八月一日】・「獄中消息 市ヶ谷から(四)」/『大杉栄全集 第四巻』/大杉栄研究会編『大杉栄書簡集』・海燕書房)


中野刑務所 ※中野刑務所2


★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)

★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会・1926年9月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)

★大杉栄研究会編『大杉栄書簡集』(海燕書房・1974年)


●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 12:02| 本文

第286回 警視庁(三)






文●ツルシカズヒコ



「だからさーー」

 大杉は少しでも呑気に刑事部屋にいられるのを楽しむように、意地の悪い微笑を含みながら、ゆっくりと話し出した。

「つまり、君の言う主義というのは、四、五年前に僕のところで話したのと違ったわけじゃないんだろう。ね、君の主義は人民がみんな君を安んじて国を想いめいめいに国家や政府に世話を焼かせたり迷惑をかけたりしないようにならなくちゃならん、ということなんだろう?」

「そうです、そうです。その通りです。人民がみんな忠君愛国を重んずる立派な人間であれば、国は安穏に治まり、人民は幸福に暮らすことができるようになります」

「そうなればだ、こんな警察なんてものもいらないね。監獄なんてものもいらないようになるね。そうだろう、悪いことをする奴さえいなければ」

「そうです、そうです」

「だからつまり、君の言う忠君愛国主義というのは、突き詰めれば、人民がみんなで国家や政府の御厄介にならずにすむような世の中にしなければならんという理想になるんだね」

「その通りです」

「そうだとすれば、僕の主義もやはり人民がお互いに相談し合って国家や政府の御厄介にならんように自分たちだけでなんでも治めていこうというのだから、君の主義と僕の主義はまったく同じことになるじゃないか。賛成も不賛成もあるか、まったく同じだ」

 大杉は笑いをこらえながら、巧みにもっともらしく、この気狂いと自分とを結びつけてしまった。

noe000_banner01.jpg


 このアイロニーはこの愛国者を侮辱したものであり、野枝と村木以外の人たちを煙たがらせるものだったが、野枝は思わず吹き出してしまった。

 村木も声を出して笑った。

 大杉はこの意地悪な言葉の反響を促すかのように、テーブルの上に両肘を立ててプカリプカリと煙草を吸っていた。

 Y警部と刑事たちは、大杉のこの馬鹿馬鹿しいアイロニーを、苦笑いで誤魔化すしかなかった。

 みんなが気狂いじみた愛国者の反応を興味深く待ちかまえていると、

「まったくだ! まったくだ!」

 彼が叫ぶように言った。

「私とあなたは今は主義が違う。しかし、最後に行きつくところは同じだ。人間は各自が違う、だから出発点は違う。しかし、行くべきところはひとつでなければならんはずだ。けれども、世間の奴はなかなかわからん。さすがは大杉さん、あなたは違う、偉い。あなたはもう私の主義をすっかりのみこんでいる、理解している」

 野枝はこの気狂いじみた男の馬鹿さ加減を、次第に笑うに笑えなくなってきた。

「これで、あなたの情熱を持って我々の主義を宣伝して下されば、こんな力強いことはない。ねえ、みなさん、世間には人間がウジャウジャいる、うんといる。けれどもだ、この大杉さんのような立派な力強い熱を持っている人がはたして幾人あるか? 私はよく知っている、めったにいない」

 彼は激しく唾を飛ばしながら、一向手応えのない大杉の方に向かって盛んにしゃべりたて、顔を真っ赤にしていた。

「そこで大杉さん、ひとつここに署名をして下さい。あんたのような人を味方にしたのは、私の大いなる誇りです。手柄です。百万の味方を得たと同じです。なにとぞ、ひとつここに書いて下さい」

 男は大きな帳面を取り上げて、野枝の肩のあたりでその頁を繰って、最後の空きスペースを見つけると、ドシリとその帳面をテーブルの上に置いて大杉の前につきつけた。





 大杉はあいかわらず微笑しながら、前の方の頁を繰って、名士たちの署名を読み始めた。

 そこには、各方面の名士の名前が、いろいろな書体で、いろいろな墨色で、大きく小さく、それぞれの特徴を見せて並んでいた。

 
『此の男の何処にこれ等の名士達を引きつける魅力がひそんでゐるのだらう?』

 私はつく/″\と此の男をふり返つて見ました。

 どう見ても品のない豆粒のやうな汗がおびたゞしく滲んでゐる顔には別に人を動かすやうな何物もひそんでゐさうには思はれませんし、その厚ぼつたいフロックを着た不格好な姿にも何んの不思議もかくされてゐさうにありません。

 たゞ此の男の持つてゐる異常なものと云つたらーーその向ふ見ずな熱狂だけでせう。

『気ちがひだ!』

 じみてる位の話ぢやない本物の気狂ひなのだ!

 私はさうひとりで決めてしまひました。


(「悪戯」/『ニコニコ』1920年2月号・第104号/「アナキストの悪戯」の表題で『悪戯』/「アナキストの悪戯」の表題で『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/「悪戯」の表題で『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p139)


「さあ、なにとぞ書いて下さい。あなたのような人の賛成を得るということは、非常にいいことです。なにとぞ、なにとぞ」

 彼は刑事のひとりが出した硯箱を受け取って、筆を手に持ち大杉に突きつけた。

「書くよ、書くよ。まあ、待ちたまえ」

 大杉は持っていた煙草をくわえると、筆を持った。





 大杉はしきりに紙を見つめながら、この人の悪い悪戯をいかにも楽しそうに、そして早くすませるのが惜しいように、筆を宙にまさぐりながら、薄笑いをしていた。

 野枝はそれをちょっと度のすぎた悪戯のように感じた。

 野枝は大杉の悪戯に気づかない、この真っ正直な愛国者が可哀相になった。

 しかし、また、立派な一流の名士に交じってノトオリアスな大杉の名前が書かれるのは、なんとも言えない痛快なことだとも野枝は思った。

 大杉が紙の上に丸い線を描きだした。

 そこに何か面白い肩書きを入れるためだと、野枝はピンときた。

「今度は君、肩書きを入れてもいいのかね?」

 刑事連と何かおしゃべりしていた愛国者に、村木が聞いた。

「いや、それは勘弁して下さい! それは困ります。名前だけでよろしいのです。名前だけで、名前だけで」

 愛国者は振り向きざまに、そのテーブルに上半身をかがめて大きな帳面を不格好に両手で覆いながら、慌ててそう言った。

 その慌てた様子に、みんなが声を出して笑った。

 ことに大杉はそれまでこらえていた分までも、一挙にほとばしり出たかのごとくに、笑い続けた。

 みんなも散々笑ったが、この愛国者だけは大真面目だった。





 彼はその帳面がまだ無事なことを知ると、例の寄付金を書いた鳥の子紙で帳面の大部分を覆って、大杉の名前だけを書く余白を残し、「名前だけ」とねだった。

「だって君ーー」

 ようやくおさまってきた笑いを抑えるようにしながら、大杉が言った。

「君はたった今、唱えている主義なんかどうでもいい、行きつく先が一緒ならそれでいいと言ったばかりじゃないか。まあ、そこを退(の)けたまえ」

「いや、それはわかってますよ、わかってますけれど……」

「わかってれば、いいさ。まあいいから、そこを退けてみたまえ」

「肩書きなんかなくてもいいんです。あなたは有名な人だから、名前だけでいいんです。え、勘弁して下さい。ちょっとここへ名前だけ、ね、そうして下さい」

 愛国者は再び懸命になって、鳥の子紙を帳面の上に押しつけた。

 これまでの熱狂はどこかにいってしまい、今にも泣き出しそうな顔が大杉の前に突き出された。

「大丈夫だよ、無政府主義者なんて書きやしないから。しかし、ただ名前だけじゃ面白くないから、ここに『警視庁留置場にて』と書こうかと思ってるんだよ。それならいいだろう? ね、面白いじゃないか」

「ああ、そうですか、なるほどそれは面白いですね。いや、ありがとう、ぜひそう書いて下さい。非常に面白い」

 愛国者は救われたというふうに、体を真っ直ぐにして、覆った紙をとり退けながら、元気にハンケチを出して汗をぬぐった。

「ハハハハハ」

 現金に元気を取り戻した彼の無邪気さを、みんなが笑った。





 そして笑いながら一服吸った大杉が、たっぷりと筆に墨をふくませて帳面に向かおうとすると、今度はただならぬ顔をしたY警部が愛国者を押しのけてテーブルに進み寄って来た。

「いや、それはいけません。そんなことを書いては困ります」

 Y警部は吊り上がった眉をいっそう吊り上げて、ニコリともせずに、本当にただごとではないというような厳格な顔をして、大杉の筆を止めさせた。

「アハハハハ」

 今度は声を出して笑ったのは、大杉と村木と野枝の三人だけだった。

「いや、ありがとうありがとう」

 愛国者は署名が無事にすんだことを、いかにもうれしそうに帳面を抱え上げた。

「じゃあ、ちょっとその帳面を借りて行きますが、さしつかえありませんね」

 Y警部が愛国者から帳面を受け取って、部屋を出て行った。

 厳(いか)めしいY警部が出て行くと、室内がまたくつろいだ雰囲気になった。

 刑事連は愛国者をまたからかったり冷やかしたりしながら、お茶を入れたりしてくれた。

 大杉が翌日に未決監に送られてもいいように、必要なものを差し入れて、食事を取り寄せる手続きなどもして、野枝と村木は引き上げた。

 野枝たちは結局、Y警部の部屋に二時間くらいいた。

 愛国者はその日やはり帳面や寄付金のことを調べられるために、そこに来合わせたのだった。



★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★大杉栄・伊藤野枝らの共著『悪戯』(アルス・1921年3月1日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 11:35| 本文

2016年07月09日

第285回 警視庁(二)






文●ツルシカズヒコ




 一九一九(大正八)年七月二十二日、野枝と村木が警視庁を訪れ刑事部屋で大杉と面会をしている、ちょうどそのとき、ひとりの異様な男が刑事に付き添われて入って来た。

 薄い髪の毛を襟のあたりまで長く伸ばし、真ん中から分けていた。

 年のころは四十ぐらいだろうか、背が低く赤ら顔で低いだんご鼻、大きな下品な口、下卑て見えるたちの男だった。

 真夏だというのに、厚ぼったい冬服のフロックコートを着ている。

 そのせいか、顔中に豆粒のような汗を滲ませている。

 大きな帳簿のようなものを抱えたその男に、部屋にいたみんなの視線が集まった。

 伊勢神宮への寄付金を集めに来たなどと言って、わずかばかりの金を得て歩く、宗教気狂いなどによくある性(たち)の男のように、野枝には見えた。

noe000_banner01.jpg


「あの男を知ってるかい?」

 野枝がその男から目を離すと、大杉が小声で言った。

「いいえ、あなたは知ってるの?」

「ああ、よく話すだろう、忠君愛国主義者でいろんな知名人の署名をもらって歩いているのさ。あれがその奉書でできた帳面だよ。ねえ、君、その人は忠君愛国主義者だろう?」

 大杉がそばに腰かけていた刑事に話しかけた。

「ええ、そうですよ」

「この先生はね、僕、知っているんだよ」

 大杉はこの男に一度、会ったことがあった。

 自分の主義に賛成してくれと言って、この男は大杉を尋ね、帳面を持ち出して署名を求めた。

 大杉は大いに賛同しますよと言って署名しようとその帳面を見ると、署名した人には伯爵だとか男爵だとか陸軍大将だとか、肩書きがついていた。

 大杉は自分は主義者だから、その肩書きを書こうとすると、その男はそれは困ると言って帳面をしまって大急ぎで帰って行ったのだった。





 大杉はわざと部屋中の人に聞こえるような大声でその話をし、

「ねえ、君、そうだよね」

 と、その男の後ろから声をかけた。

「やあ、大杉さん、これはしばらく。あ、こちらは奥さんですか、どうぞ奥さん、私の主義に御賛成下さい。私はこういう者です」

 男は野枝にいきなりハガキ大の名刺を突き出した。

 それには大きくT・Tという名前が書いてあり、たくさんの肩書きがついていた。

 そして男は狭いテーブルとテーブルの間に突っ立って、演説でもするような調子で手を振り体を動かし、しゃべり始めた。

「我が日本では忠君愛国ということを忘れては、決して万民幸福は得られない。万民はみんな幸福に生活しなければならない。しかし、今日、決して平等ではない、幸福ではない。それはなぜか? 今の日本では忠君愛国が蔑ろにされているからだ。そこで私は忠君愛国のために働いている。私はあらゆる天下の富豪を訪ねてこの主義のために五百万円の金を集める。そして愛国新聞を創(はじ)めてこの主義の宣伝に努める」

 男はそこら中に唾を飛ばしながら、流れる汗をふく間もなく、しゃべりまくった。

「今日の大きな日刊新聞はみんな駄目です。あんなものは愛国新聞を出せば、一挙につぶれます。これを御覧下さい。この通り数十万円の金が集まりました。××会社の××氏は二十万円を出してくれることになっています。私は御覧の通り、夏冬の洋服一着で通します。私はパンと水があればよろしい。私は集めた金を私的なことに使ったりはしない。私はただ愛国新聞のために金を集めている。私の主義にはどんな人でも反対することはできません。御覧下さい。こんなに立派な人たちが賛成してくれる。まったくこの日本人の心に忠君愛国の心がなかったならば、我々は安穏でいることができない。ねえ、奥さん、そうでしょう。どうですか、私の主義に賛成して下さい。ねえ、大杉さん、あなただって、私の主義には賛成でしょう」





 あまりに大げさな自己紹介に呆気にとられている野枝の前に、その男は大きな帳面を広げて、忙しくそれを繰って見せ、その間からさらに大きな鳥の子紙に一枚一枚「一千円也何某(なにがし)」「五千円也何某」というように寄付金高と氏名を書いたのを一束にしたのを見せたりした。

「僕は君が先(せん)にその帳面を持ち込んだときから、君の主義に賛成だと言ってるさ」

 大杉は人の悪い微笑を含みながら、ゆっくりとその男に言った。


 居合はす刑事連もそれから何時の間にか廊下から侵入して来た、Mもみんな笑ひながら此人の悪い○○○主義者と気狂い染(じ)みたしかしお人好しの忠君愛国家の問答に興味を感じてゐるやうに熱心に注意してゐました。

(「悪戯」/『ニコニコ』1920年2月号・第104号/「アナキストの悪戯」の表題で『悪戯』/「アナキストの悪戯」の表題で『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/「悪戯」の表題で『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p137)


「○○○主義者」は「無政府主義者」。

「そうです、そうです。大杉さん、ぜひ私の主義に賛成して下さい。あなたのその熱烈な力で我々の主義を説いてくれれば、たちまちの間にすべて人間はみんな我々の主義になります。あなたのような人が賛成してくれれば、実に心強い。あなたのその熱情と力は、滅多に得られるものじゃありません」

 男は他人の言うことなど耳に入らないように、が鳴り立てた。

 男の額からは汗がますます流れ落ちていた。



★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★大杉栄・伊藤野枝らの共著『悪戯』(アルス・1921年3月1日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 16:04| 本文

第284回 警視庁(一)






文●ツルシカズヒコ


 一九一九(大正八)年七月二十一日、大杉は警視庁に傷害罪の容疑で拘留された。

 二ヶ月前の船橋署の尾行刑事殴打の一件を蒸し返されたのである。

 警視庁の警務部刑事課長・正力松太郎の執念である。

 大杉は警視庁に二晩泊められ、七月二十三日に東京監獄の未決監に収監された。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、野枝が村木と警視庁に行き刑事部屋で大杉と面会したのは七月二十二日だった。

 野枝がこのときのエピソードを書いたのが「悪戯」であるが、安藤花子というペンネームで寄稿している。

「○○○」は警視庁、「O」は大杉、「M」は村木。

noe000_banner01.jpg


 場所は○○○の地下室の一つ、Y警部の室(へや)、さうですあの濠端の電車通りに面した室です。

 夏の暑い日盛りの事、私はその時彼処の留置場に拘禁されたOに会ふ為めに同志のMーーと二人で其処へ行つたのです、

 彼(あ)のお役所の正面をはいつて左の階段をおりると左手にずつと明るいタゝキの廊下があつて、其処においてある木の腰掛けには、何か調べを受ける為めに呼ばれた人が何時も控へてゐます。

 その時にはたしか二三人の人しかゐなかつたと思ひます。

 彼の大きな建物の蔭になつてゐる中庭から其の廊下に吹き込んで来る風は夏の日盛りとは思へない程冷やつこくていゝ気持なんです。

 私はおゆるしが出るまで、その涼しい風の吹く処に立つて待つてゐました。

 その間私の前をいろんな人相の悪い刑事達が通つては幾つもの室を出たりはいつたり忙しさうにしてゐました。


(「悪戯」/『ニコニコ』1920年2月号・第104号/「アナキストの悪戯」の表題で『悪戯』/「アナキストの悪戯」の表題で『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/「悪戯」の表題で『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p133)





 やがて、野枝はY警部の部屋に呼ばれた。
 
 そこにはY警部の他に二、三人の刑事たちが控えていた。

 大杉に面会する理由をY警部に尋ねられた野枝は、至急を要する仕事の相談、家の始末について、および差し入れのことだと簡単に答えた。

 村木が入室することは許可されなかったが、廊下で会うことはどすることもできないのである。

 すぐに大杉はひとりの刑事と一緒に入って来た。

 さすがに野枝は胸がいっぱいになった。

 大杉の疲労し切った顔を見て、野枝は彼が眠れないのだと思った。

 帯をしめないで細い木綿の紐で結わえた腰のまわりが、情けないほどみすぼらしく見えた。

 野枝は今すぐにでも、持ってきた新しい麻縮みに着替えさせたいと思ったほどだった。





「まあ、なんて顔をしているんです。ずいぶん疲れた顔をしているじゃありませんか。そうして、帯はどうしたんです?」

 部屋の右側にある卓(テーブル)に向かい合って腰かけるなり、野枝はすぐに大杉に言った。

「帯かい、取り上げられるんだよ。首なんか吊っちゃいけないからというんだそうだ」

 大杉は笑いながら、入口に近い廊下に立っている村木の方を振り返って、顔を見合わせた。

「どうも蚊がひどくって一睡もできないんだ。これは君、なんとか方法を講じてもらいたいな。また今晩もあれじゃ、やり切れたもんじゃない」

 大杉はY警部に向かって言った。

「さあ、どうも警察には蚊帳のあるところってのはないんでなあ。まあ、君、今夜ひと晩だ、昼間うんと寝ておいて我慢するさ」

「蚊帳がなきゃ、なんとか他に方法をとってもらいたいな。このあいだ、築地じゃ線香をたいてくれたが、あれでもよっぽどいいよ。なにしろ少々の蚊じゃないんだからなあ」


 不断蚊帳の中に一匹どうかして蚊がはいつても眠れない程なのに夜どほし蚊帳なしに責められては本当に文字どほりに一睡も出来ないのに違ひない。

 さう思うと仕方がないとは諦めながらも不当としか思へない此の拘禁が本当に腹立たしく思へるのでした。


(「悪戯」/『ニコニコ』1920年2月号・第104号/「アナキストの悪戯」の表題で『悪戯』/「アナキストの悪戯」の表題で『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/「悪戯」の表題で『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p134)





「ここでだけなら、煙草を吸ってもかまいますまいね」

 野枝はひとりの刑事がお茶をふたりのテーブルの上に置いてくれたのを機会に、振り返ってY警部に聞いた。

「ここでだけはよござんす。何か食べたいものがあれば、それもここでなら黙認します」

 通りに向いた、窓際の大きなデスクの上の書物を片づけながら、警部ははっきりとした調子で答えた。

 野枝はすぐ立って村木のそばに行き、果物を買って来てもらおうと思ったが、近所に水菓子屋のないことに気づいて、甘いものを頼んだ。

 大杉は眩しい通りの方を眺めながら、野枝が持って来たマニラの両切りを呑気な顔をして吹かしていた。

 野枝と大杉の用談はすぐにすんだ。

 警部も刑事たちも、ふたりの話を注意して監視しているようにも見えなかった。

 野枝と大杉はまもなく村木の買って来たお菓子をつまみながら、思い出すままにいろんな話をした。

 ときどきは刑事たちも口を出して、軽い冗談を言ったりしてくつろいで話した。



★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★大杉栄・伊藤野枝らの共著『悪戯』(アルス・1921年3月1日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 15:24| 本文

第283回 正力松太郎






文●ツルシカズヒコ




 一九一九(大正八)年七月十八日、昼近くになっても大杉たちは築地署から帰ってこなかった。

 昼ごろ、野枝は日比谷の警視庁に行き特別高等課長に面会し、大杉たちがまもなく帰されることを確認した。

 午後二時すぎころ、大杉たちはみんな元気な顔をして服部浜次の家に引き上げて来た。

 野枝と大杉は疲れ切って本郷区駒込曙町の家に帰宅した。

 玄関を入るとハガキが一枚落ちていた。

「茂木久平の件につき……」云々という、警視庁刑事課からの召喚状だった。

 日付は十八日とあった。

 野枝と大杉は疲れていたので、その夜は早く寝た。

noe000_banner01.jpg


 翌七月十九日、大杉たちは横浜の集会に出かけることになっていたが、朝起きると尾行が知らせに来た。

「今、警視庁から自動車をまわしますから、それで御出頭を願いたいと言ってきました」

 三十分もすると自動車が来た。

 野枝と大杉は急いで朝食をすませて出た。

 野枝はその日、芝区三田四国町の奥山医院に行く日だったので、警視庁の前まで一緒に乗せて行ってもらうことにした。

 野枝が奥山医院を出て服部浜次の家に着くと、服部の妻がいて、尾行が大杉からの言伝(ことづて)を持って来たという。

 今日は帰れないかもしれないという。

 警視庁で大杉に面会した服部浜次が帰ってきた。

「家宅侵入」「詐偽」で告発されるという。

 野枝はまったくなんのことなのか、理解しかねた。





「家宅侵入」とは本郷区駒込曙町の現在の家のことかもしれないが、それがなぜ家宅侵入になるのかーー。

 茂木が家賃をためて出て行ったことは知っている。

 家主と茂木との話はまだついていないので、久板らが留守をあずかっていた。

 そこへ野枝が病気になったので、中山から出てきて、どこか住む所が見つかるまで、久板の勧めにまかせて現在の家にいるようになったのだ。

 野枝と大杉は、家主と茂木の話がついたら後を借りたいと、駒込署の高等視察を通じて申し込んだ。

 一応は貸せないとの返事だったが、家主側の仲介者からもう一度家主に聞いてみようということになったと、尾行に聞いていた。

 野枝と大杉はまだ充分に交渉の余地はあると思っていたので、突然、そういう嫌疑をかけられることが解せなかった。

 それに、現在の家には何ひとつ世帯道具のようなものは運び込んでいなかった。

 どう考えてもそんなことに引っかかるとは思えなかった。

 そして「詐偽」ということも、野枝にはなんのことかまるでわからなかったので、ただ「へぇ」と言ったきりだった。





 ともかく、野枝は紙や手拭などを用意して警視庁に急いだ。

 正面の玄関を入って左へ階段を降りた左の方にタタキの廊下があった。

 野枝は前年の三月、大杉、和田、久板らが「どんだ木賃宿事件」で警視庁の留置場に入れられたときに、差し入れに来たので、見覚えのある廊下だった。

 そこの腰掛けに大杉がひとりで腰をかけていた。

「どうしたのです」

 野枝が近づいて声をかけた。

「家のことだよ。それと四、五年前からのチョイチョイの払い残りを詐偽だと言うんだよ。ずいぶん細かく調べてあらあ」

 大杉は笑いながら言った。

「だって、そんなこと問題になるはずがないじゃありませんか。みんなちゃんと話がついているんだし、家のことだって私そんなはずないと思うわ」

「でも、向こうでもものにするつもりなら何かにはなるだろう」

「あんまり馬鹿にしてるじゃありませんか。そんな古いことまで洗い出して」





「つまらないことでやられるのもおもしろいよ、ちょっと。なあに破廉恥罪ということにして、世間に対する僕の人格的な信用を落としてから、ぶち込もうということさ。きまってらあ」

「すいぶん卑劣ですね」

「それだけ慌ててるんだよ」

「で、もう調べはすみましたか?」

「ああ、これから検事局だ」

「じゃ、今日中に起訴か不起訴か決まるんですね」

「ああ、今日はたいてい未決にまわると思うが、なんなら夕方まで待ってごらん、夕方までにはわかるだろう」

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、警視庁の警務部刑事課長・正力松太郎が新聞記者を集めて「大杉は大正五年以来、取り寄せた米みその代金を払わず、また現在の家は家主が立ち退きを迫っても応じない」から、詐欺、恐喝での取り調べだと発表したという。

 正力が警視庁の警務部刑事課長に就任したのは、この年の六月だった。





 ちょうどそこへ尾行が来合わせた。

「ちょっと」

 野枝は尾行を呼び止めた。

「一緒に検事局に行くんでしょう?」

「ええ、行きます」

「じゃ、起訴か不起訴か決まるだろうから、わかったら私のところまで知らせてくれない? 私は服部洋服店で待ってるから」

「ええ、よござんすとも、すぐお知らせします。ですけれど、大丈夫ですよ、こんなつまらないことで……」

「そりゃわからないわよ、どうなるか。どうこじつけられるかしれないもの」

「そんなことできませんよ」

「まあいいから、とにかく知らせてちょうだい。検事局は地方? 区?」

「地方だそうです」





 やがて茂木もそこに来た。

 野枝は大杉と茂木が自動車に乗るのを見送ってから、服部浜次の家に戻った。

 服部浜次の家の帳場の籐椅子に、野枝はがっかりしたような気持ちで腰を下ろした。

 野枝は十五日夜、十七日、十八日とかなり激しい心遣いをし、体も動かした。

 疲れ切っていた。

 野枝は黙って結果を待とうとも思ったが、この卑劣な告発へ言いようのない屈辱と憤怒を感じた。

 普通は犯罪になどなるはずがないが、警視庁は大杉を危険視して、大杉と世間との交渉を絶とうとしているのだ。

 起訴になるならないにかかわらず、まず未決にでも投じるというのは、現在の警視庁の処置としては無理のないことである。

 とうていこのまま帰されることはあるまい、公判の開かれるのを待つより仕方がないと野枝は思った。

 野枝は憤怒が湧き上がるばかりだったが、手をこまねいていても仕方がないので、山崎今朝弥弁護士のところ出かけようと思った。

 すると折よく、山崎が服部浜次の家にやって来た。

 野枝がひと通り話し終わると、黙って聞いていた山崎が言った。

「罪にならんということよりは、予審にでもかけられると心配だな。予審にかけて一年も二年も長引かしといて、予審免訴にでもされるとこんな馬鹿らしいことはないからな。まあ、第一の心配はそれだ」

 地方裁判所に持っていくほどのものではない小事件を地方の検事局に送ったとすれば、警視庁でもそのつもりなのだと、野枝は理解した。





 私はもうすべてを成行きにまかすよりしかたがないと思つた。

 何時如何なる場合に陥穽にかゝるかしれない。

 或はどんな場合に生命を断たれるかさへ分らない。

 その覚悟がなくて大きな権力を持つ政府に異端視される生活にどうして甘んじて行かれよう。

 ……公判廷ではすべてが明らかにされる事なのだ。

 また多少の頭のある人々に、此の卑劣な陥穽が見えない筈はない。

 私は留守をまもつて、他の同志と一緒に、此処まで漸く築き上げてきた運動の此の基礎をくづされないやうに出来る丈けの働きをしなければならない。

 あの高い煉瓦の塀の中に拘禁されて一年も、或は二年三年と世間との交渉をたゝれる事は辛らい事には違ひなかつた。

 しかし、私の信ずる彼は、どんな境遇にでも打ち克つ意志は完全に持つてゐる。

 彼はその拘禁された二年三年と云ふ長い月日の中の一日でも決して無為に過ごす事はないだらう。

 さうして彼は彼で、何かを体得して出て来る。

 さう考へると私はひとりでに微笑ずにはゐられなかつた。

 体さへ丈夫なら何んにも心配することはない。

 一つも案じる事はない。


(「拘禁される日の前後」/『新小説』1919年9月号・第24年第9号/「拘禁されるまで」の表題で大杉栄らの共著『悪戯』/「拘禁されるまで」の表題で大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/「拘禁される日の前後」の表題で『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p94~95)





 四時ごろになって、茂木が帰って来たが、この人は大杉とはまるで違ったタイプの男だった。

 夕方になって同志の一団は横浜の集会に出かけて行った。

 七時近くなった。

 尾行からはなんの連絡もなかった。

 野枝は早く結果を知り、家に帰ってひと休みしたかった。

 魔子も病気のせいか、機嫌が悪い。

 八時、九時、十時……長い長い時が経過していった。

 十時を打つと、近藤憲二がたまりかねて検事局に向かった。

 また一時間が経過した。

 誰からもなんの連絡もない。

 十二時近くにようやく尾行が来た。

 まだ決まらないという。

 電車がなくなりそうだから、自分は警視庁の人に後を頼んで帰るという。

 そこに近藤憲二が帰って来た。

 大杉の尾行を帰すのだから、今夜、大杉が帰されることはないと野枝は判断した。

 検事局にはまだ同志がひとり待機していたので、野枝は近藤憲二に頼んで連れ帰ってきてもらうことにした。

 これでもうおおよそのことは決まったーー今夜はゆっくり休んで、あとはいろいろな後始末をすればいいのだ。

 野枝はホッとひと息ついて、初めて服部浜次の妻とくつろいだ笑顔を交わした。

 服部浜次の妻はいろいろ優しい言葉で慰めてくれたが、野枝にはもうすべての慰めの言葉は不必要だった。

 ほどなく近藤憲二が迎えに行ったはずの同志がひとりで帰ってきた。

「大杉君、帰って行きましたよ。無事です。ずいぶん待たせやがった」

「まあ、それやよござんしたね」

 服部浜次の妻がいかにも安心したような調子で言った。

「どうもとんだ御厄介になりました」

 野枝はその同志にまずお礼を言ってから、どうして大杉が一緒に帰ってこなかったのかを聞いた。

「もうあなたは家へ帰ったと思ったもんですから。それに送っていく刑事がバカに急いでいて、ちょっとここまで自動車を寄せてくれってのに、それをしないんです。僕もそこまで乗って来たんです。本当は家まで乗せてもらうつもりだったんですけれど、近藤くんがここで待っていると思ったもんだから、途中で降ろしてもらったんです」

 やがて、近藤憲二も帰って来た。

 三人が日比谷でやっと飛び乗った巣鴨行きの電車は、もう青い燈をともしていた。

 大杉は七月十五日に錦町署、七月十七日と十八日には築地署、七月十九日には警視庁に拘留されたのだが、野枝がこの間の顛末を書いたのが「拘禁される日の前後」である。

赤電



★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★大杉栄・伊藤野枝らの共著『悪戯』(アルス・1921年3月1日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 12:38| 本文

2016年07月08日

第282回 築地署(二)






文●ツルシカズヒコ




 野枝は魔子をしっかりと背負い、服部浜次の次男・麦生と、うまく逃れて来た若い同志の寺田鼎(かなえ)を連れて服部浜次の家を出た。

 野枝たちは途中、おおぜいの検束者への食べ物の差し入れを調達し、走るように築地署に向かった。

 面会を求めた署長はなかなか出て来なかった。

 検束された人々の中には、夕食をすましていない者がかなりいた。

 野枝が時計を見ると、夜の九時をとうに過ぎている。

 野枝はじりじりした。

 無遠慮な巡査たちの視線が、野枝たちに集中していた。

 野枝はそれも不愉快だった。

noe000_banner01.jpg


「今、ちょっと話し中ですから、それがすめばすぐにお目にかかります」

 しかし、署長はなかなか現われなかった。

 検束されている人たちの食べ物を抱えた野枝も、いつ現われるかわからない署長を、ベンベンと待ってはいられなかった。

 まず食べ物を差し入れたかった野枝は、和服の高等視察らしい男を通じて、署長に交渉させようとした。

 しかし、「承知しました」と言っても、署長室に入って行く気配もない。

「今、ちょっとお話し中ですから、少々の間お待ちください」

 前と同じことを言って、ぐずぐずしている。

 玄関の左にある留置場の方から、大きな声で歌を歌う声が聞こえてきた。

 野枝はみんなが騒いでいるのだと思い、そこにじっと立っていた。





 だいぶたってから、署長室の扉が開いた。

 署長と警部補らしき男が出てきて、ふたりが隣りの応接室に入ると、小使いがお茶を運んだりし始めた。

 署長はそこで食事をするらしかった。

 ふたりは笑いながらテーブルに向かって座っていた。

 しかし、高等視察はまだ署長に近寄れない。

 野枝はじりじりした。

 署長の食事が終わるのなど待ってはいられないと思った野枝は、直談判しようと、応接室の扉口(とぐち)に進んだ。

 こういう場合、案内なしに部屋に近づくことの無作法を、野枝は百も承知していた。

 そこには新聞記者連もいた。

 野枝は彼らの侮蔑のまとになることも平気だった。

「こんなところからはなはだ失礼ですが、あなたは署長さんでいらっしゃいますね」

 野枝は扉口に立って軽く一礼するとすぐに言った。

 署長はかすかに頷いた。





「私は先刻からお目にかかりたいと思ってお待ちしているのですが、お目にかかるのは後でさしつかえありませんが、実は検束されている人たちがまだ夕食をすましていませんので、食べ物を差し入れたいと思いまして持ってまいりました。なにとぞお許しをいただきとうございます」

 署長は侮蔑を示して、野枝の顔から目を転じ、警部と顔を見合わせてニッと笑って言い合わせたように箸をとった。

「今、署長はお食事中ですから、ちょっとお待ち下さい。すみましたら、なんとでもお話してあげますから」

 居合わせた巡査や視察が、野枝の前に立ちふさがった。

 署長の侮蔑に引き下がる野枝ではなかった。





「私はあなた方に云つてるんぢやない。」

 私は巡査をおしのけた。

「如何です署長さん、いゝんですか悪いんですかきめて下さい。私は待つてゐるんです。あなた方がさうやつて食事をなさるのもおなかゞすいたからでせう。中にはいつてゐるものもおなかをすかしてゐるんです。どうしてくれんです。もう十時ですからね。」

 署長は頑固にだまつてゐた。

 巡査はしきりに私を遮らうとする。

「いけないんですか、いけなければはつきり云つて下さい。みんなをひぼしにするんですね。返事をして下さいな、返事がなければ分りませんからね。返事も出来ないんですか。」

 巡査はしきりと私をなだめる。

 何時の間にか私の後ろは人立ちで警察の玄関は一ぱいになつてゐた。

「あなたがそんなに云はないでも、おなかがすいたと云ふのなら警察でいゝやうにしますからーー」

「警察の世話なんかにはならない。そんな意地悪がしたいのならまあたんとするがいゝ。ひぼしにでもなんでもするがいゝ。今にその大きな顔の持つて来どころをなくさないやうにするがいゝ。」

 私は扉口を退いた出口の処まで来るとH(服部浜次)が、和服姿ではいつて来て入れちがいに視察達のつめてゐる室に案内されて行つた。

 私は激しいめまいに襲はれて玄関の入口にしやがんでゐた。


(「拘禁される日の前後」/『新小説』1919年9月号・第24年第9号/「拘禁されるまで」の表題で大杉栄らの共著『悪戯』/「拘禁されるまで」の表題で大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/「拘禁される日の前後」の表題で『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p90)





「大杉さんに差し入れというのはなんなんですか?」

 野枝が振り返ると、受付のところに年老いた巡査が立っていた。

 骸骨に皮をかぶせたような、気味の悪いほど痩せた老人だった。

 野枝は服部浜次の次男・麦生に指図して、持って来たものを全部そこに出させた。

「こんなにたくさん?」

「だってみんなで十人からでしょう」

「みんなに入れるんですか?」

「みんなでなくて誰に入れるんです?」

「大杉さんひとりということでしたが?」

「冗談言っちゃいけませんよ。おおぜいで一緒にいるんじゃありませんか。なんだってひとりだけに入れるんです。ひとりに入れるくらいなら、よします」

「でも、ひとりということでしたが?」

「ひとりに入って、他の人には入らないんですか、どういうわけです? 私の方でひとりだけになどど、言った覚えはありませんよ」

「じゃ、ちょっと聞いてみます」





 入れ違いに警視庁の高等課のKという、同志間で憎まない者はいないアバタ顔の視察がやって来て、寺田をとらえて言った。

「じゃあ、これを君が持って入って、みんなに少し静かにするように言ってくれたまえ。どうもあばれてやりきれないから」

 野枝と寺田は留置場に入って行った。

 中では見回りに来た私服の刑事が何か気にいらぬことをしたというので、みんなで大騒ぎをして押し出そうとしているところだった。

 四つか五つ並んだ檻房の扉はひとつだけを残して、全部開け放されていて十四、五人の同志はみんなタタキの廊下に出て騒いでいた。

 野枝たちは食べ物を分けて、ことづてを聞いて、三十分ほどして外に出た。

 検束された人たちの半数は、その夜のうちに帰されて来た。

 留置場に残留になったのは大杉、荒畑、近藤憲二など十数名だった。

『日録・大杉栄伝』によれば、彼らは深夜三時ころまで革命歌を歌って騒いだという。

 野枝たちが差し入れたのはパンや桃だった。


★大杉栄・伊藤野枝らの共著『悪戯』(アルス・1921年3月1日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)

★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 13:31| 本文

2016年07月07日

第281回 築地署(一)






文●ツルシカズヒコ



 一九一九(大正八)年七月十七日、午後五時から京橋区南河岸(現・中央区八丁堀四丁目)の寄席・川崎家で「労働問題演説会」が開催された。

 この会は大杉ら北風会が企画し、各派に呼びかけた公開演説会だった。


 ……チラシには、「弁士、服部浜次、荒畑勝三、吉川守邦、岡千代彦、山川均、堺利彦、外数名」とあったが(大杉栄の名は警察に遠慮したのである)、これは旧社会主義団体の、大逆事件後最初の演説会ではなかっただろうか。

 ……社会主義者自身で演説会を主催したのはこれが最初だったように思う。

 いわば官憲の手のうちを見る瀬踏みでもあったのだ。

 警察は三人入場すれば解散だと豪語していたので、わざと時間を延ばし人の集まるのを待った。


(近藤憲二『一無政府主義者の回想』_p201~202)

noe000_banner01.jpg


 その日、野枝は疲れていた。

「今夜はもううちに引っ込んでいる方がいいよ」

 大杉も出がけにそう言ったので、夕方まで家にいた。

 しかし、帰省する人を送らなければならない急用ができて、野枝は東京駅まで行った。

 大杉たちの会が解散されたら、同志たちは日比谷の服部浜次の家に引き上げることになっていることを聞いていた野枝は、「日比谷洋服店」に寄ってみることにした。

 服部浜次の家はひっそりしていた。

 大杉たちの会の様子もまだわからなかった。

 野枝は尾行に様子を見に行ってもらうことにした。





 服部浜次の妻と子供たちと一緒に日比谷公園をブラついて帰って来て、ひと休みしていると、服部浜次と堺利彦が引き上げて来た。

「どうでした?」

 野枝は服部浜次にすぐに聞いた。

「大杉君はやられちゃったよ。荒畑もその他にもまだあるようだ、どうもえらい騒ぎだったからな」

 服部浜次は顔をしかめながら上着を脱いだ。

「じゃあ、みんなあばれたんですね」

「なあにあばれるもあばれないもありやしねえ。大杉君と荒畑が表の縁台に突っ立っただけで、なんにもしねえうちに引っ張って行きやがった。なにしろすばらしい人なんだ。電車が止まっちゃったんだからね。あとまだだいぶゴタついたようだから、まだ引っ張られたろう」





 服部浜次と堺は三階に昇って行った。

 顛末を聞こうとする新聞記者たちがしきりに尋ねて来た。

 間もなく築地の方からポツポツと同志たちが引き上げて来た。

 ひとりふたりと帰るたびに検束された人々の数が増えていった。

 みんなの口から、野枝はひと通りの様子を聞き取ることができた。

『日録・大杉栄伝』によれば、参加者が八百名あまり、築地署から署員数十名が来て入場を拒み、二時間にわたって交渉し、七時にようやく入場することができるようになった。


 ……午後七時、ころはよしと司会者服部浜次氏が入場すると、開会を宣する前に中止解散だ。

「馬鹿! なぜ解散だ! 署長の責任ある説明をしろ!」と、大杉、荒畑、私が入口の踏み台に立ちあがって街頭演説をはじめると、あちらでもこちらでも乱闘、検束、人が渦をまく騒ぎになった。


(近藤憲二『一無政府主義者の回想』_p202)


『日録・大杉栄伝』によれば、配置していた三百名の警官が出動し、もみ合いになり、十六名が築地署に検束され、会場付近はその後も数時間にわたり混乱、聴衆の一隊が野次馬を加えて銀座から警視庁へ押し寄せてときの声を上げる一幕もあった。





 私もつかまって築地署へ行くと、留置場の喧騒は外まで聞こえて来る。

 わめくやら、箱枕で羽目板をたたくやら、ケンケンゴウゴウ、耳を聾するばかりだ。

 はいると大杉が私をつかまえて「オイ、きょうは多分やられるぞ! 暴れないでやられるのは馬鹿々々しい。トコトンやっちまえ!」といってニヤッとしている。

 いわれなくも分っている。

 第一おもしろくて堪らないのだ。

 そこへ野枝さんがはいって来た。

 急を聞いて差入れに来たんだが、警察では、ともかくあの騒ぎをとめてくれというのだそうだ。

 野枝さんは私に小声で、郷里へいい送ることがあるなら聞いて帰るといった。


(近藤憲二『一無政府主義者の回想』_p202)




★近藤憲二『一無政府主義者の回想』(平凡社・1965年6月30日)


★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 16:26| 本文

第280回 森戸辰男






文●ツルシカズヒコ


 一九一九(大正八)年五月二十三日、大杉が尾行巡査を殴打した。

 新聞はこう報じている。


 ……大杉栄(三五)が去る五月二十三日 千葉県東葛飾郡葛飾村字小栗原七 藤山山三郎方にて 船橋署の尾行巡査安藤清に退去を迫り応ぜずとて 同巡査を殴打し左唇内面口角下(さしんないめんこうかくか)に負傷せしめたる事件……

(「東京朝日新聞」1919年8月5日)

noe000_banner01.jpg


 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、 尾行は長年つけられている大杉だが、船橋署の巡査は犯罪人のような扱いでうるさくつきまとい、近隣にも迷惑をかけていた。

 この日も他人の家の中に入り込んで、しつこく問いただしているので、出るように言ったが、反発するばかりなので、腹立ち紛れに殴ったのである。

 巡査は左唇の中を切って出血したが、たいした傷ではなく、大杉は自ら巡査とともに署へ行き、事実を述べて監視の作法について抗議した。

 傷害事件にはならず、これですんだはずだったが、二ヶ月後に警視庁により蒸し返されることになる。

 六月十八日、大杉一家は千葉県東葛飾郡葛飾村の「中山の家」を引き払い上京した。

 この日は小石川区指ヶ谷町九二番地の若林やよ(故・渡辺政太郎夫人)宅に宿泊し、翌日、本郷区駒込曙町十三番地に転居した。

「中山の家」を引き払ったのは、野枝の体調が回復せず、芝区三田四国町の奥山伸の病院(奥村医院)に通うことになったからである。

 多くの社会主義者が奥山伸の世話になった(伊藤野枝「拘禁される日の前後」解題)。





『日録・大杉栄伝』によれば、駒込曙町の家は茂木久平が借主だったが家賃滞納で十日に出ていった後を、同居の久板が預かっていた。

 大杉は久板から誘いを受け、ここに移り、茂木との話がついたら後を借りたいと申し入れた。

 しかし、六月末が立ち退き期限だとして、七月二日、家主の室田景辰から明け渡し訴訟を起こされることになる。

 室田は前警視庁消防部長だった。





 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、七月上旬、大杉は東京帝国大学経済学部助教授・森戸辰男と面談した。

 森戸が「クロポトキンの社会思想の研究」を執筆するにあたり、大杉に面談を懇請したのである。

 翌一九二〇(大正九)年、「クロポトキンの社会思想の研究」が東京帝国大学経済学部機関誌『経済学研究』に掲載されたことによって、森戸事件が起きることになる。

 大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、面談したふたりは初対面ではあるが互いに共鳴し合い、その後も森戸はクロポトキンの作品について「教えを乞いたい」と言ってきてふたりは二、三度会い、監獄生活のことも共通の話題として意気投合し、思想を語り合える仲として認め合ったという。

 森戸辰男「大杉栄君の追憶」(『改造』一九二四年四月号)には、「研究上のことで生前両三回の面識をしか
持ち得なかつた私」とある。





「今日はどうかすると危ないよ。そのつもりでおいで」

 七月十五日、朝の寝床の中で目を覚ますとすぐ、大杉が言った。

 伊藤野枝「拘束される日の前後」解題、『日録・大杉栄伝』によれば、その日は神田区美土代町の東京基督教青年会館で日本労働連合会の発会式をかねた演説会が開催されることになっていた。

 大会は午後六時に始まり、会衆約千人、大杉らは北風会の例会を中止して二十数名で押しかけた。

「いよいよ今日ですのね」

「ああ、たいてい大丈夫なつもりだがね、どうかするとわからない。しかし、引っ張られたところで、ひと晩とか、たかだか治安警察法違反というところで二、三ヶ月くらいなものさ」

「二、三ヶ月なら願ってもない幸いでしょう」

「当分、本が読めるだけでもありがたいな」

 大杉は早い夕食をすませて出かけた。

 野枝も一緒に出て日比谷の服部浜次の「日比谷洋服店」で用をすませて待機することにした。

「うまく入れますか」

 入場券がないと会場に入れないというような話なので、野枝は電車の中でそう言った。

「なあに、なんとしてでも入れるよ」

 大杉はすまして会場の入口に近づいて行った。





 其の晩の会場でさう大した騒ぎがあらうとはもとより私は思つてゐなかつた。

 しかし、労働者が、「労働と資本の調和」と云ふやうな事で、大切な自分達の生活の改善の為めに働かうとする意志を、うまく誤魔化されたり眩(くら)まされたりするのをだまつて、見てゐることの出来ないOをはじめ多勢の同志と、さう云ふ所謂(いわゆる)「危険思想」を持つ者にはテンから一行の文章も発表させまい一と口の差し出口もきかせてならないと云ふ政府の旨をふくんだ会場を警戒する警察官の間に、何んにも事なく済むと云ふ事もまた私には想像されなかつた。

 よし治安警察法の適用すら出来ない程度の事であつても、即ち彼等の「あいつ等は騒ぐかもしれない」と云ふ予想だけでも、警察の留置場に一と晩ぐらい拘禁するのは容易(たやす)い事なのだから、無事に帰つて来ると云ふ事は殆んど想像されない事だつた。


(「拘禁される日の前後」/『新小説』1919年9月号・第24年第9号/「拘禁されるまで」の表題で『悪戯』/「拘禁されるまで」の表題で大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』/「拘禁される日の前後」の表題で『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p86)





 野枝はあまり機嫌のよくない魔子をだましだまし、長い時を一時間、二時間と消していった。

 九時近くになると、野枝は誰か様子を知らせに来るかもしれないと思って、「日比谷洋服店」の門口に立って心待ちに待ちながら、絶えず後ろの電話の鈴(りん)にも注意をしていた。

 十時が過ぎた。

 無事には戻れまい、いやこの時間までなんの沙汰もないのを見ると無事にすんだのかもしれない……。

 野枝の気持ちは落ちつかなかった。

 野枝は外に出て、子供を眠らせるために、できるだけ静かな足取りで歩き出した。

 花月食堂の前を電車通りの方に歩いて行くと、宙を飛ぶように駆けて来るふたりの男の姿が野枝の目に留った。

 三、四ぐらいのところまでふたりが近づいて来たのを見ると、ひとりは近藤憲二で、もうひとりは野枝の知らない若者だった。





「近藤さん!近藤さん!」

 野枝のそばをすり抜けて走って行く近藤に、続けざまに彼女が呼びかけると、近藤の足が止まった。

「おう」

 近藤は引き返しながら、

「誰も来ませんか? まだーー」

 息をきらせながら問いかけた。

「いいえ、誰も来ませんよ。どうしたんです?」

「やられましたよ、大杉さんがーー」

「そうですか、他には? 服部さんは?」

「他にはやられないようです。服部さんはやられるようなことはないと思うんですがね」

「会は?」

「解散です。見事にブッ壊れですよ」

「大杉は騒いだんですか?」

「何にも騒ぎはしませんよ、ただ演壇に飛び上っただけです」

 野枝たちはいろいろと差し入れの準備をして、すぐに錦町署に向かった。

 しかし、大杉はすぐに帰された。



★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)

★大杉栄・伊藤野枝らの共著『悪戯』(アルス・1921年3月1日)

★『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』(大杉栄全集刊行会・1925年12月8日)

★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 16:16| 本文

2016年07月06日

第279回 トスキナ(二)






文●ツルシカズヒコ




 ピアノ独奏の沢田柳吉はベートーヴェンの「ムーンライト・ソナタ」(月光曲)を弾いた。

 沢田は天才と称され、当時ショパンを弾くピアニストは楽壇では彼一人だと言われていた。

 清水金太郎、山田耕筰、竹内平吉は東京音楽学校の同期生である。

 天才だったが、酒好きでズボラで酔っぱらいのピアニストでもあった。

noe000_banner01.jpg


『高田保著作集 第二巻』によれば、問題が起きたのは、沢田のピアノ独奏「ムーンライト・ソナタ」の初日の演奏が終わったときだった。

「タキシードなどとは民衆を侮蔑するものだ」

 という意見が楽屋からもち上がったのである。

 あれは貴族の服装である、浅草は貴族入ルベカラズの聖天地である、民衆の服をもってせよというわけだ。

 翌日、沢田は着流しで舞台に現われた。

 幕が上ると、上手から飄々とした痩身の沢田がよれよれの袷一枚、よれよれの兵児帯を締め、それも結びっきりに結んだ端をだらしなく下げた格好で現われて、舞台中央にでんと置かれている黒光りするグランド・ピアノの前に座った。

 タキシードのときは正面客席に向かって慇懃に頭を下げたが、それも貴族社会の幇間の風習だというのでやめてしまい、いきなりピアノの前に腰をかけた。

 しゃんと構えて鍵盤を叩き始めたが、格好が格好なので見物たちはきょとんと眺めているしかなかった。

 察しのいい連中は、あれはピアノの調子を直しているのだろう、やがて出て来る演奏者を待っていた。

 しかし、そのうちに沢田は立ち上がり、黙って引っ込み、幕が静かに下りた。

 見物は呆気にとられるばかりで、怒鳴る気にもならなかった。





 三日目、ただの着流しではというので、沢田は大道具方の半纏を羽織って演奏した。

 こんどは見物から弥次りとばされた。

 すると沢田はピアノも弾かずに客席に向ってただ一言「バカヤロウ」と怒鳴って引込んでしまった。

 沢田のこの態度を松本克平は、こう評している。


 官学出の沢田があえて浅草へ出てショパンやベートーヴェンをしかも浴衣がけやハッピ姿で弾いたのも、初めはオーソドックスな音楽の大衆化という沢田なりの意図があってのことが窺われるのである。

(松本克平『日本新劇史ーー新劇貧乏物語』)





 この沢田の「バカヤロウ事件」のときの観音劇場の最終演目が『トスキナア』である。

 スリを官許にするという奇想天外なオペレッタ(喜歌劇)である。


合唱

  ソワ、ソワ、誰だ

  ソワ、ソワ、誰だ

トスキナ独唱

  それが泥棒、それが泥棒

  黒いマントに赤い帽子

  服は紫

合唱

  それを見れば判る。それを見れば判る

  直に判るよ。

赤い帽子に黒いマント、紫の服を来たトスキナと称する怪青年がソロを唱いながら舞台の中央に現れる。

  私は官許のスリで赤い帽子に黒いマントは
  
  ご規則通りの制服でございます。

  みなさんお気をつけて下さいよ。

  わたしは免許のスリですよ。

 これが浅草オペレッタの傑作と今なお伝えられている『トスキナア』(二幕)のプロローグである。

 その中に『トスキナの歌』というのがあって、当時のファンにはよく愛誦された。

  島へおいで、島へおいで、

  島は平和だ、

  喧嘩なんかすこしも

  ありませんから……

 それは支配することもされることも嫌うアナーキストの夢をうたったものであった。


(松本克平『日本新劇史ーー新劇貧乏物語』)





 佐藤春夫、谷崎潤一郎、芥川龍之介、武林無想庵、今東光、尾崎士郎、添田唖蝉坊らが応援に駆けつけ、大杉、野枝、近藤憲二、宮嶋資夫らの本物のアナーキストも入れ替わり立ち替わり声援に来ていたという。

 野枝は舞台上の辻を観たのだろうか。

 観たとしたらどの演目だったのだろうか。

 楽屋に行って二言三言、言葉を交わしたかもしれない。

 まったくふたりの関係は断絶していたかもしれない。

 ところで、七十年後の一九八九(昭和六十四・平成元)年、日本はバブルの絶頂期を迎えることになる。

 浅草オペラ全盛期とバブル絶頂期、自棄(やけ)糞なアナーキーなアトモスフェアーがどこか似ているかもしれない。


★『高田保著作集 第二巻』(創元社 ・1953年1月1日)

★松本克平『日本新劇史ーー新劇貧乏物語』(筑摩書房・1966年1月1日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 13:26| 本文

第278回 トスキナ(一)






文●ツルシカズヒコ


 一九一九(大正八)年は浅草オペラオペレッタの全盛期であった。

 観音劇場でオペレッタ『トスキナア』が上演されたのは、この年の五月だった。

「トスキナア」とは「アナキスト」の逆さ読みであるが、プログラムや台本には検閲に引っかからないように「トスキナ」と刷った。

 作は獏与太平(ばく-よたへい)、作曲は竹内平吉、装置は小生夢坊(こいけ-むぼう)。

 浅草の伝法院の裏にあったカフェー・パウリスタ、その二番テーブルは獏与太平の「指定席」であり、そこは獏の仲間たちの溜まり場だった。

 その溜まり場に居合わせた獏、竹内、小生、沢田柳吉、辻潤、佐藤惣之助らの雑談から生まれた企画が「トスキナア」だった。

noe000_banner01.jpg


 そもそも観音劇場の楽屋が「トスキナア」なのであった。

 松本克平『日本新劇史ーー新劇貧乏物語』によれば、観音劇場の楽屋口には「犬猫刑事ノ類入ルベカラズ」という貼札が掲げてあったという。

「犬」とは官憲のスパイのことである。

 これを発見した象潟署の刑事が怒鳴り込んで来た。

 対応した者はその場は一応、恐縮して書き改めることにしたが、翌日になると新しい貼札が掲げられた。

「刑事犬猫ノ類入ルベカラズ、これを犯すものは頭の上から水をぶっ掛けられるべしーー獏与太平」

 堂々と署名までしてあった。


 文芸部の小生夢坊、獏与太平、伊庭孝、辻潤などはいずれもかつて注意人物とされたことのある面面である。

 その楽屋へは佐藤春夫、谷崎潤一郎、芥川龍之介、武林無想庵今東光……はじめいろいろの詩人や作家がよく遊びに来たばかりでなく、近藤憲二、大杉栄、宮嶋資夫といった戦闘的なアナーキストまで時々顔を見せていたのである。

 これらの危険人物の行動を内偵するため、また交遊する連中の動静を探るために警察はしばしば探索にきたり、スパイをもぐり込ませていたのだった。

 犬猫刑事とはそのスパイに対するウイットに富んだ挑戦であったわけである。


(松本克平『日本新劇史ーー新劇貧乏物語』)





 このころ野枝も浅草に足を運んでいたようで、小生夢坊は大杉と野枝のカップルをこう書いている。


 アマカスに虐殺された大杉栄、伊藤野枝が、いとも仲よく(若し二人にして一人が欠けたら反射鏡のない顕微鏡のやうなものだつたらう?)時に私のシヤツポとマントを野枝さんがかむつたり着たりして、十二階裏から吉原の仲の町と流れ歩いたつけが、演歌を真似て唄つてゐるうちにそれがいつの間にか革命歌に変つたりして冬の夜を驚ろかしたりしたものよ。

(小生夢坊『浅草三重奏』)


 大杉は金龍館の楽屋にも出入りしていた。


 大杉はときどきてん屋ものを金龍館の三階に届けさせる。

 それを女たちと食べるから三、四人前だったりもする。

 文無しのくせに、と思う高田らを意に介するでもない。

「カネは下で待ってる人から受けとってくれたまえ」

 下で待ってる人といえば、楽屋口で待機している刑事しかいない。


(岡村青『ブラリ浅草青春譜ーー高田保劇作家への道ーー』)





『トスキナア』は五月に二度、小屋にかかった。

 第一回公演は五月六日から一週間、第二回公演は五月十四日から一週間。

 二公演とも最終演目が『トスキナア』で、前座として文士劇や沢田柳吉のピアノ独奏がプログラムに組まれていた。

 文士劇は第一回公演がシング『谷間の影』、第二回公演がゴーリキー『どん底』だった。


 第一回公演の『谷間の影』のプロローグとして辻潤作の表現派ふうの詩劇『虚無』をやった。


 幕が明いても舞台は暗黒であった。

 登場人物はみんな目だけ出した黒ずくめの衣裳を着ていた。

 瀬川つる子の淫蕩な女という役が「ええ、妾の心臓は薔薇色よ」と言う。

 俺は天上の反逆者だ。

 俺は数学から生まれた何とかだと誰かが怒鳴る。

 最後に作者の辻潤が黒衣でとび出してきて、「一切は虚無だ」と怒鳴ると幕という迷作であった。

 全然難解で何が何やらわからなかった。

 だがそれは本邦はじめてのダダイストの詩劇であったという。


(松本克平『日本新劇史-新劇貧乏物語』)





『谷間の影』では辻潤は放浪者の役をやった。


 佐藤惣之助の老人が寝床の中で死んでいる。

 山路千枝子の若い女房が泣いていると辻潤の放浪者が「おかみさん今晩は!」と入ってくる。

 二人は妙に仲良くなって、女房が山の向うの叔母のところへ行ってくると言って出て行くと、放浪者が針仕事をしながら歌を唄う。

 辻潤御自慢の独唱である。


(松本克平『日本新劇史-新劇貧乏物語』)


『どん底』には木村時子竹内鶴子、あるいは谷崎潤一郎作『鮫人』のモデルと言われている林初子など本職の女優が三十人も出演したが、本職は脇役にまわり、文士や詩人が主要な役をやるのが狙いだった。

 夜でも昼でも

 牢屋は暗い

 ……………

 恐ろしく汚いルパシカやボロを着て、ヒゲをボウボウ生やしドーランをぬたくった連中が、所かまわず歌いまくっていた。

『どん底』は三幕目に入っていた。

 男爵が詩人の佐藤惣之助、サチンが同じく詩人の陶山篤太郎、役者が天才ピアニストの沢田柳吉、奇声を発する錠前屋が辛辣な風刺随筆家であり表現派画家の小生夢坊、ナターシャが山路千枝子、ナースチャが瀬川つる子である。

 文士連は調子外れの声で勝手に歌いまくる、セリフは甲高い声でわめきちらしたり、ボソボソとつぶやくばかりだった、てんでんバラバラの勝手放題……。

 文士劇はとうてい入場料を取れるものではなかったが、役者たちはいい気分だった。





 どうだい……すばらしい雰囲気が出たじゃないかッ!

 雰囲気、アトモスフェアーというのがそのころの合言葉であった。

 スッカリ自分たちのアトモスフェアーにひたっていたが、舞台の演劇的効果はお話にならなかった。

 むしろ楽屋の方が『どん底』の雰囲気そのものであった。

 マチネーのメーキャップをするとそのまま夜までずうっと役の気分にひたってうっとりしていた。

 誰かが下らないことを言うと、

 おいッ! 日本人みないなことをいうなッ!

 と怒鳴りつけられた。

 つまりロシア人になりきったつもりでクロポトキンやバクーニンを論んじていたのである。

 みんながみんな人生を語り真実について論じ合っていたのだった。

 ロシアで暮しているようだな、これでウオッカさへあればねえ。

 そしてみんなウオッカの代りにショウチュウを飲んだ。

 夜の芝居もすんで、皆が自前の姿に戻る時になっても、巡礼ルカに扮した役者だけがそのままの姿で相変らず気分にひたっていた。

 誰かがうながすとルカは物倦(う)そうに言った。

 今夜はもう、辻潤に扮するのなんか俺は厭だよ!

 そしてハゲた鬘をとり顎ヒゲを外し、ワセリンを塗って傍の汚い布でつるりと拭ったその顔はまごうかたなきダダイストの辻潤であった。


(松本克平『日本新劇史-新劇貧乏物語』)



★松本克平『日本新劇史ーー新劇貧乏物語』(筑摩書房・1966年1月1日)

★小生夢坊『浅草三重奏』(駿南社・1932年)

★岡村青『ブラリ浅草青春譜ーー高田保劇作家への道ーー』(筑波書林・1997年7月1日)




●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 12:55| 本文
ファン
検索
<< 2016年08月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新記事
写真ギャラリー
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
index(1)
本文(327)
月別アーカイブ
プロフィール
さんの画像

1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
プロフィール
日別アーカイブ

美は乱調にあり――伊藤野枝と大杉栄 (岩波現代文庫)

新品価格
¥1,058から
(2017/3/4 02:04時点)

諧調は偽りなり――伊藤野枝と大杉栄(上) (岩波現代文庫)

新品価格
¥1,058から
(2017/3/4 02:09時点)

美は乱調にあり (英文版) ― Beauty in Disarray (タトルクラシックス )

中古価格
¥3,487から
(2017/3/4 02:14時点)

飾らず、偽らず、欺かず――管野須賀子と伊藤野枝

新品価格
¥2,268から
(2017/2/16 10:43時点)

自由それは私自身―評伝・伊藤野枝

中古価格
¥1,081から
(2017/2/9 02:00時点)

野枝さんをさがして―定本伊藤野枝全集 補遺・資料・解説

中古価格
¥3,913から
(2016/3/13 18:23時点)

定本 伊藤野枝全集〈第3巻〉評論・随筆・書簡2―『文明批評』以後

中古価格
¥18,616から
(2017/2/9 00:18時点)

伊藤野枝と代準介

新品価格
¥2,268から
(2016/3/13 20:05時点)

日録・大杉栄伝

新品価格
¥4,536から
(2016/3/13 20:13時点)

ルイズ 父に貰いし名は (講談社文芸文庫)

新品価格
¥1,620から
(2016/3/13 20:24時点)

地震・憲兵・火事・巡査 (岩波文庫)

新品価格
¥821から
(2016/11/5 01:11時点)

海の歌う日―大杉栄・伊藤野枝へ--ルイズより

中古価格
¥1,619から
(2016/11/5 01:26時点)

大杉榮 自由への疾走 (岩波現代文庫)

中古価格
¥2から
(2017/2/9 00:00時点)

日本的風土をはみだした男―パリの大杉栄

中古価格
¥700から
(2017/2/9 00:12時点)

動揺 [CY大正浪漫コミックス1]

新品価格
¥1,080から
(2016/3/13 18:18時点)

裁縫女子 (サイホウジョシ)

新品価格
¥1,132から
(2017/2/9 18:20時点)

「週刊SPA!」黄金伝説 1988~1995 おたくの時代を作った男

新品価格
¥1,296から
(2016/3/13 20:26時点)

ワタナベ・コウの日本共産党発見!!

新品価格
¥1,620から
(2018/4/20 13:29時点)

秩父事件再発見―民主主義の源流を歩く

新品価格
¥1,728から
(2018/7/14 11:05時点)

ワタナベ・コウの日本共産党発見!! 2

新品価格
¥1,620から
(2019/1/5 23:38時点)

×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。