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2015年10月30日

第五章第二節 于景泰の死と川島芳子

段霊雲の記憶によれば、于景泰は大家の逯家の脇部屋に住んでいた。彼の容貌は痩せており背が高く、大きな目が何かを語っているようで、性格は温和で忍耐があり、段霊雲にとてもよくしてくれた。彼女はしばしば于景泰の部屋に遊びに行った。于景泰の家に行くと家から何か美味しいものを出して食べさせてくれたり、彼女に本の中の知識を教えてくれたりした。
段霊雲は一九五八年に父親段連祥が労働教育所送りになったので、一家は生活の術を失い、一五歳にも満たなかった段霊雲が仕事に参加して、家を養う責任を負うことを余儀なくされた。段霊雲が休みの日に新立城の方おばあさんに会いに行くと、会った後に方おばあさんは「小雲子、お前は仕事に出て忙しいだろうから、会いに来なくてもいい。私のところは于景泰おじさんが世話してくれるから大丈夫だ。お前は時間があったら、輝南の父親のところへ行きなさい!」といつも言うのであった。
段霊雲の記憶では一九六〇年夏に、彼女は職場に数日の休暇を申請して、新立城の方おばあさんに会いに来た。方おばあさんはもう早くから準備をしていたようで、于景泰も傍にいた。方おばあさんは段霊雲と挨拶を交わした後、引き出しの中から紙と万年筆を取り出し、すばやく一通の手紙を書いて、彼女に父親段連祥の元に届けさせた。手紙の内容は次のようなものであった。
「我が弟の安寧を願う。しばらく便りがないが、平穏だけを祈っている。いま娘の雲子が面会に行くので、手紙を書く。おまえは男なのだから、決して挫けてはいけない。体は最も重要だから特別に用心しろ。人は逆境に遭わなければ意志を鍛錬できないものだ。おまえは元々良い人間で、正直で、心根が良いのだから、必ず改造できる。私はここで景泰と雲子と無事を祈っている、心配無用。」
方おばあさんは手紙を封筒に入れると、もう一つの封筒にお金を入れて、于景泰に段霊雲と一緒に輝南へ段連祥へ面会に向かわせ、さらに一組の布団を持って行かせた。出発前に、方おばあさんは潤んだ目で雲子を見つめて、彼女の手を引いて、くどくどと彼女と于景泰に道の途上に気をつけるよう諭した。
段霊雲は于景泰と共に一昼一夜汽車と車に乗り、ようやく輝南杉松岡労働教育所に到着した。于景泰は外で待って中に入らず、ただあらかじめ書いておいた手紙を段霊雲から段連祥に手渡させた。段連祥は涙を流しながら方おばあさんと于景泰の手紙を読むと、震える手で何度も方おばあさんが彼のために作った布団をなで、その間はずっと言葉を発しなかった。

一九六六年六月のある日、段霊雲の一番下の弟の続順が八歳の誕生日を迎え、母親は朝早くから二人の弟を連れて公園に遊びに行ったが、父親はまだ夜勤から戻らず、ただ段霊雲一人だけが家の中で山になった衣服とシーツを洗っていた。ラジオからは中央から地方へ展開していた文化大革命のニュースが流れていた。段霊雲が衣服を洗って外に行き干し終わると、すぐに強風が吹いてきて縄の上に干した服が飛ばされて地面に落ちた。段霊雲は急いで地面に落ちた服を部屋に取り込んで家の扉を閉めたところに、父親の段連祥が顔面蒼白でふらふらと外から帰ってきたのが見えた。父親は魂が抜けたかのようにオンドルの上に座り込むと、口からは絶えずぜいぜいと荒い息をしていた。その様子を見た段霊雲が父親にどうしたのかと尋ねると、段連祥はため息をついて、段霊雲に告げた。
「七叔が長春から悪い知らせを聞いてきた。于景泰は警察機関に捕まって、方おばあさんはとても心配して、七叔と自分と一緒にどうしたらいいか対策を練っている。このことは絶対に母親には告げてはいけない。」
段霊雲は当時そんなに多くを考えず、父親を慰めて
「今はちょうど運動期間だから、ちょっと口を滑らせただけで『密偵』に捕まってしまうわ。于景泰はきっと誰かに嵌められたのよ。きっと数日で釈放されるわ、たいしたことないわよ。」と言った。段連祥も段霊雲の言うことも一理あると思ったようで、うなずきながら答えた。
「もしそうなら、ちょっと方おばあさんのところに行って、心配しないように言ってこよう。」
段連祥は妻の庄桂賢にも言わないで、すぐに長春新立城に向かった。
三日後の夜に、段連祥が四平の家に戻ると、さらに悪い知らせを聞いてきた。于景泰が拘留されて服毒自殺したというのである。段霊雲はこの突然の知らせに驚いて、どうしたら良いかわからなかった。
父親の段連祥は、今回は特に彼女を迎えに来たのだと言った。于景泰が死んだので、方おばあさんがとても悲しんでいるから、段霊雲に新立城に行き方おばあさんに数日付き添って欲しい、職場にはもうすでに休暇を申請しておいたと言うのであった。
二日目の午後に、段霊雲と父親の段連祥は方おばあさんの家に行った。ちょうど七叔も来ていて、ちょうどオンドルの上で胡坐をかいてタバコをすって、段連祥と段霊雲の親子が来たのを見ると頷いただけで、何も言葉を発せずに、一本また一本とタバコを吸っていた。方おばあさんは部屋の真ん中に立って、涙の跡がある顔は満面悲壮な様子であった。大きな机の上には線香が焚かれて、于景泰の写真がすでに大きくされてそこに立て掛けられており、写真の額の上には黒い布が付けてあった。
方おばあさんは段霊雲の前に来ると彼女の肩に手を掛けて「おまえの于景泰おじさんは生前よくお前を可愛がっていた。彼はずっと息子も娘もいなかったから、お前を本当の娘のように思っていたんだ。彼が監獄でお前に残した遺書があるから、読んで見なさい・・・」方おばあさんは引き出しから二枚の手紙を取り出して、段霊雲に手渡した。良く知った于景泰おじさんの筆跡を見ると、段霊雲の目から涙が止め処もなく溢れ出してきた。
それから何年かたった後でも、段霊雲ははっきりと遺書の言葉を覚えている。
「雲子、于おじさんは遠くへ行かなければ行けなくなった。何も残して遣れる物はないが、古い本が数冊あるから、お前が持って帰って読んでくれ。時間があったら方おばあさんに会いに来い。方おばあさんは個性が強くて、お前にとても厳しくするが、心の中ではとてもお前のことを思っているからなんだぞ。お前も方おばあさんの母親のような気持ちを察して、親孝行な娘になってくれ。于おじさんはあの世で祈っている。」
読みながら、段霊雲はいたたまれずに声を出して泣き、涙で手紙を濡らしてしまい、手紙はぐしゃぐしゃになってしまうほどであった。
昼ごはんを食べる時に、方おばあさんと七叔、父親段連祥の三人は一緒にどのように于景泰の今後を処理するか相談していた。食事後に方おばあさんは父親段連祥と段霊雲に長春の般若寺に行って、澍培法師に于景泰を弔ってもらうように言いつけた。方おばあさんは紙を取り出すと手紙を書いて、父親段連祥に持たせて澍培法師に渡すようにと言った。
午後に、段霊雲は父親段連祥に付き添って方おばあさんの言いつけどうりに、一緒に長春般若寺に行った。般若寺では方おばあさんが書いた手紙を澍培法師に手渡した。段霊雲は初めて澍培法師のあの赤い光に透き通った顔に、広い額に、炯炯と光る目を見た。彼女は以前に家で方おばあさんが、澍培法師は会得した高僧で、早くも民国二十八年に遼寧省朝陽県の雲培山で興福寺を創建したと言うのを聞いたことがあった。
澍培法師は方おばあさんの手紙を読むと、微笑んで段連祥と段霊雲の父子に悲しまなくてもよいと告げた。また法師は彼らを慰めて、于景泰は彼らの祝福によりすでに西の天にある極楽世界に行って、仏のもとに仕えていると述べた。それから、澍培法師は于景泰のために法事を執り行った。
于景泰の事情を知るために、我々は前後して長春市緑園分局(元市郊外地区分局)長春監獄、新立城鎮派出所に出向き、さらに于景泰の甥に当たる逯興凱を調査したが、手がかりは見つからなかった。現在のところ我々が知っているのは、段霊雲と于景泰が接触によって知ったことを我々に述べてくれた幾つかの点だけである。この人物に関する調査は今後も継続されるだろう。しかし一点だけはっきり言えるのは、于景泰が自らの職責に死に至るまで忠実を保って川島芳子のことを供述しなかったということである。

第五章第一節 川島芳子と于景泰

于景泰は段連祥が満州警察学校に通っていたときの同級生で、一九四八年末に川島芳子を長春新立城に護送しただけでなく、段連祥を紹介した人物でもある。この点についてはすでに長春市郊外新立城斎家村に住む方おばあさんの大家の息子で于景泰の甥に当たる逯興凱も証言した。于景泰は一九六六年初めに原因不明の死を遂げたが、段霊雲には深い印象を残した。
段霊雲の記憶によれば、父親段連祥は生前にかつて彼女に于景泰の家のことを話したことがあった。于景泰の母親の姓は樊氏で、名は蓮花、祖籍は寧波で、彼女の父親の樊運生は清朝末期の秀才であった。蓮花は幼い頃から頭がよく優秀で、よく読書をして、よく詩文を作ることが出来た。蓮花がまだ十五歳にも満たない時に思いがけず、彼女の父親はまだ若くして早逝してしまった。生活の為に母親の栄氏は蓮花を連れて友人に身を寄せて東北地方の瀋陽に来たが、その後母親も肺病のために死んでしまった。母親が生前に病を治すために高利貸に借金していたため、蓮花は債権主に賭博場に売り飛ばされ、賭博場でアヘンをすったり賭博したりする客相手の「売り子」となった。ある日、彼女は東北軍で兵を率いる旅団長に見初められ、この旅団長が彼女を買い戻して、彼女を「外室」として娶り、その後生まれた男の子が于景泰(当時は母の姓を名乗り樊景泰)であった。この旅団長は樊蓮花と于景泰の母子になにも名分を与えなかったけれども、彼ら親子の生活はまあまあ快適であった。
段連祥の叔父である于徳海もしばしば樊蓮花が働いていた賭博場に足を運んでいたので、樊蓮花を知っていたばかりか、あの旅団長が樊蓮花を「外室」とすることを支持して、旅団長が婚礼を執り行えるよう金も出してやったほどであった。このため、于徳海とあの旅団長は義兄弟の契りを結んだ。またたびたび旅団長の家に行き于景泰とも一緒に遊んだ。于景泰は段連祥よりも一歳年上であった。後に彼ら二人は満州国四平警察学校に入学した。一九四五年八月十五日の終戦により、満州国四平偽警察学校は解散となり、于景泰は旅団長だった父親と共に南京へ行った。
于景泰の旅団長だった父親は国民党軍統のトップであった戴笠との関係が親密であった。戴笠は初めて于景泰に会ったときから彼を気に入り、以後彼を重点的に訓練すると言った。後に于景泰は軍統からアメリカに派遣され訓練を一年受けてから、帰国後には軍統で情報員となった。
一九四九年于景泰の父親は蒋介石とともに台湾へ逃げたが、去る前に自ら瀋陽の樊蓮花を訪ねて別れを告げた。彼は一時期戦略的に移転するがすぐに戻ってくると述べて、樊蓮花に生活費を残したが、それ以後は音信不通となってしまった。于景泰は父親と共に台湾には行かず、特殊任務を受けて、大陸に潜伏するために残り、長期の「スリーパー」となった。
段霊雲の記憶では、彼女が初めて樊蓮花に会ったのは一九五七年農暦九月九日であり、それはちょうど重陽節にあたり、また樊蓮花の六十歳の誕生日であった。そこで方おばあさんはあらかじめ樊蓮花のために画いて置いたお祝いの祝寿図を送ったが、それは日本の漆画を真似たもので、上下に二匹の鶴が舞い、周囲にはバラや菊や桜の花が配され、長寿吉祥を祝う意味を表したものであった。父親の段連祥はこの方おばあさんの画を額縁に入れて、九月九日のその日に彼女と一緒にお祝いに行った。樊蓮花は背丈は高くなく、比較的やせており、言葉は優しくおっとりしていて、声が非常によく、大きな目をしていて、彼女がかつて普通の女の人ではなかったことを伺わせた。この于景泰の母親が一九六五年に突然心臓病により長春で亡くなった後に、于景泰は方おばあさんが母親の祝寿の為に描いた鶴の画を段霊雲に渡した。
段霊雲の記憶では、于景泰は普段は大家の逯家の脇部屋に住み、部屋の中には一対の箱と、一対のイスと、一つの机があり、机の上にはいろんな書籍が積まれていた。
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