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2015年11月01日

第十六章第三節 愛新覚羅・憲立の証言

日本訪問期間に我々はまた川島芳子の同腹の兄である愛新覚羅・憲立が川島芳子について書いた手記を手に入れることができた。これは我々調査団にとって、貴重な資料的価値があるものだ。

清粛親王善耆には五人の妻がおり、合わせて三十八人の子供を設けた。そのうち第四側福晋、張佳氏は善耆の五番目の妻で、十人の子供を生んだが、憲立はそのうちの最も長じた子供(全部合わせると第十四王子)で、川島芳子は三番目の子供(全部合わせると第十四王女)であった。

以下は川島芳子の兄である愛新覚羅・憲立の証言である。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そこへ、孫連仲が北京接収のために乗込んで来た。彼の夫人は私の一族である関係上、孫夫人とは簡単に連絡がついた。そこで私はいろいろと働きかけて、芳子の除名運動を開始した。芳子の官選弁護士になった中の一人とも連絡がついて、差入れもできるようになった。判事にも働きかけて、やっと連絡はついたものの、
「命を助けたいなら、金の延棒五十本、出せ」
と言われたのには驚いた。なにしろ、金の延棒は一本が当時オフィシアル・レートで三百五十ドル、ヤミ相場ならば七百ドルだったから、それを五十本ほしい、それだけ出せば、釈放とまではいかないまでも、命は助けると言われて、私も困った。今の日本の金に換算してみてもざっと千二百六十万円程になるのである。
しかし私は結局、要求された全部ではなかったが、それに近い相当な金を渡してやった。もちろん私の手からではない。表面上はある有力者(現存に付き特に名を秘す)を立てて、関係者に綿信たのである。私の手から出ていることはまちがいない。おそらくその全部が判事の手に渡らなかったかもしれないが、受取ったことは確実である。無罪のほうへ誘導しかけていたことを見ても、それは判る。

芳子の裁判は、法廷内では狭いというので、公園の広場を臨時の法廷にして、傍聴公開で行われた。
それでも証拠は挙がらない。断罪の理由が立たないのである。
ところが、たまたま調べが上海当時のことに触れていった。すると、立法院長をしていた孫科から
「公開中止、直ちに処刑せよ」
という電報が来たことがわかってきた。
そこでたちまち公開裁判は中止され、急に死刑の宣告となった。
孫科は、前に上海で芳子から機密を奪われている。それが明るみへでたら大変だ、と思ったのであろう。
死刑と決められたが、まだ私は諦めなかった。なおも働きかけていると、それでは処刑したような恰好にして生かしておいてやろう、という話になった。それには金の延棒を、こんどは百本出せ、というのである。私はどうせ財産は奪られてしまうだろう。財産のことは考えず、妹を助けてやろうと考えて、要求通りのものを出す覚悟をした。

しかし、生かすことに成功したとして、あとをどうするか、という問題にぶつかった。処刑された恰好になった以上は、幽霊のような存在だから、日本へ連れてくるわけにもいかない。蒙古へ送りこもうか。それともロシアへ送りこもうか。その二つしか手段は考えられない。

その時、働きかけてくれる白系ロシア人があって、ロシアも芳子から情報をとりたがっているからロシアの出先の兵隊に渡りがつくと云った。そしてロシアの飛行機が二台来たことも事実である。

そのうち、いよいよ最終判決の日が来た。もちろん死刑。ただちに刑を執行する、ということになった。夜明けの五時ごろに執行するというので、多勢の新聞記者が押掛けたが、呉盛涵という判事が建言をもって入れさせなかった。ただ一人、アメリカの新聞記者が入ることを許された。それだけは断りきれなかったらしい。中国側の記者は全部シャット・アウトされた。
やがて暁の空気を破る銃声一発。処刑は終わった。アメリカの新聞記者が彼女の死体という写真を撮って出て来た。万事は終わったのである。

今、何処にいるか
弁護士が私の所へ来て、弁解やら、不満やらを述べ立てた。
「あんなに金を取っておきながら、こんなことにして、まったく怪しからん」
と怒った。かれとしても私に顔向けできないからである。
「しかし、どうも私には、ほんとうに処刑したとは思えない。替玉を殺したのではあるまいか」
とも言った。私としては芳子が生きていることを信じたい。裁判所が誰かを身代わりに処刑して、川島芳子を処刑した、とすることも不可能ではない。しかし、簡単にそう考えるのも、希望的解釈にしか過ぎない。
それにつけても口惜しいのは、有罪の証拠が一つも挙がらないのに、強引に処刑してしまった、当局者の態度である。芳子の判決理由書を見ると唯一の証拠らしきものは、村松梢風著「男装の麗人」という本一冊だけである。

しかも芳子が中国人であるか、日本人であるか、ということが論叢の的になった。日本人とすれば漢奸の罪にはならない。そこで日本の川島浪速に照会を発した。
「あなたの家の養女だというが、籍は入っているか」
それに対する川島の返事は、
「籍をいれたかどうか、忘れた」
なんということであろうか。もし川島が戸籍謄本を送り、芳子は確かに養女である、と証明すれば、芳子は戦犯になったかも知れないが、処刑されなかった。
処刑した死体は、引取り人がなければ共同墓地に入れられる。死体の上に肢体を積むという埋め方をされる。私としてそんなことをされてはいやだから、日本人の坊さんに頼んで引取ってもらうことにした。ただし、すぐに荼毘に付さなかればならない規則である。そこで日本人の坊さんは、ある死体を引取って荼毘に付してくれた。これは確実である。しかし、その死体が芳子であったかどうか。これは私には判断する材料がない。引取ってくれた坊さんは、芳子に面識がないし、顔を見たとしても、弾丸が後頭部から入って顔面が見分けられない位に貫通していたから、どんな顔だか判断がつかない。一人だけ許されて処刑の現場を見たアメリカの新聞記者も、芳子に面識のない人である。

川島芳子が現在生存しているかどうか。私にはいずれとも判断がつきかねる。
ただ、芳子が処刑されたという相当日後、蒙古とロシアとの国境線に近く、粛親王家の昔からの領地がある。そこの管理者から私に宛てて、こういう通知が来た。
「御一族は確かに着きました。これから北方へおいでになるところです」
あるいは、と私は思う。もしも芳子が生きているとしたら、蒙古の牧場にいるのではあるまいか。いや、北方へ出発するという通知だから、もうロシアに入っているかも知れない。ロシアは彼女からいろいろな情報を得たいと思っていたらしいから、入国させたかもしれない。・・・しかし、私の一族といっても、それは芳子のこととは限らない。私の一族は多勢いる。兄弟だけでも三十数人いるのだから、芳子が蒙古へいったと考えることにも、まだ疑問がある。

骨肉の情として、私は芳子が生きていることを信じたい。なんとしても生きていてもらいたい。あの親分肌のサバサバした気性の芳子。至る所で彼女を親分のように慕う多くの男たちに取巻かれていた芳子。蒙古でもロシアでもいい、生きていてくれ。
だが、「御一族は確かに着きました。これから北方へおいでになるところです」という通知のあと、何の連絡もない。果して芳子はどこにいるのであろうか?あの弱い体である芳子が一人で蒙古の草原をさまよう姿を偲ぶにつけ、或はあの大草原の真中で枯れ果てたのかも知れない、将又本当に北国へ脱出しているかもしれない、何れにせよ、骨肉の兄としてはその生存を願うて止まない次第であり、又その生存を信ずるものである。
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