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2015年10月31日

第十六章第二節 川島芳子は金塊で替え玉を買収

数日もしないうちに、北平の新聞には再び金璧輝(川島芳子)のニュースが紙面を賑わし、静かになったばかりの北京は再び震撼することになる。
最新ニュース「金璧輝(川島芳子)の死刑の替え玉となったのは劉鳳玲」
事情は次のようなものであった。名を劉鳳貞という女性は、死刑の替え玉となった劉鳳玲の妹であるが、前後して二度も河北高等法院検察所と新聞社に投書して、(もう一つの説は替え玉の妹である劉鳳貞は南京国民政府監察院に訴えたという)彼女の姉が金で買われて替え玉となった詳細を暴露して訴えた。
一通目の手紙にはこのように書いてあった。

新聞

「私の姉は劉鳳玲といい、親孝行で外見が金璧輝に似ており、日本語も出来ました。私の母親は義理の兄である劉仲儕の甘言に乗って、私の姉を十本の金の延べ棒で売りました。」
「刑が執行される夜に、私と母は姉を監獄の官舎に送り届けて、監獄二科の万、王の二人の科長と典獄長呉さんに会いましたが、彼らは四本しか金の延べ棒を渡してくれず、残りの六本は後で渡すといいました。母親は後悔して泣きだしやめると言い出しましたが、三人の役人は怒って、『お前たちがまた来たら、三人ともみな殺しにする』と言いました。私たちは怖くなって、姉は胃の病気で死ぬ身だし、親孝行にもなるからと、母親を説得して家に帰りました。」
「劉仲儕が後で言うには、金璧輝(川島芳子)は女子監獄から庭に出てきた所で、私の姉と入れ替わり、小門から東北に逃げたということです。」
「劉仲儕は阿片製造の罪で収監され、刑が満期になった後で、私の姉を売った金の延べ棒をネコババして職員の地位を買収した。刑を受けた人間が、官吏になれるなど全く不思議だ。」
「王科長は家で座っていながら看守の禄を貪り、呉典獄長は大金持ちになった。王科長は民国三十一年に第一監獄の科長となり、賄賂を好み、陳医官、秋専門員らも皆呉監獄長が金儲けするのを助けている。私は彼らを恨むのではないが、彼らが金の延べ棒が少ないと、私たち親子を害するのを恐れる。」

この一つ目の手紙が出されて数日もしないうちに、法院と新聞社はさらに劉鳳貞からの二番目の告発文を受け取った。

「四月十九日の夜に、私の母親劉李氏は呉典獄長と、万、王の二科長と秋専門員に会って、私の姉が金璧輝(川島芳子)の替え玉となって銃殺された身代金の残り金の延べ棒六本を要求したが、万・王の二人の科長に殴られた。呉・秋の二人は『お前たちは生かしておけぬ!』と脅したので、母親はそれ以上は言えなかった。」
「私の母親はそれから義理の兄の劉仲儕を探して説得したが、モルヒネ製造で捕まって、なおかつ金で事務員の地位を買った劉仲儕に説得など効くはずもなく・・・・・・」
「四月二十日の夜、私の母劉李氏は再び第一監獄に行き、呉典獄長、万・王二科長、秋専門員に金を要求したが、その日以来母親が戻ってこない。私が劉仲儕に訪ねると、『お前も早く逃げないと命が危ないぞ』と言った。私はすぐにあちこちへ身を隠し、表に出られなくなった。私の姉は替え玉にされ、母親の命も取られてしまった。どうぞ法院で調査してください。」

疑問の余地なく、手紙の差出人がこの二つの手紙を発表したことにより、金璧輝(川島芳子)が処刑に「替え玉」とすりかわった内幕を暴露しただけでなく、第一監獄に金璧輝(川島芳子)の死刑に賄賂が使われて汚職により法が曲げられたという幾多の事実を暴露することとなった。劉鳳貞が新聞にこの驚くべき事情を明らかにした後、南京政府の腐敗ぶりに失望し、憤りを抱いていた北平市民たちは疑問を抱くと共に、徹底的にこの事件の裏を調査するように要求した。
ことがここまでにいたっては、国民党の北平当局に巨大な圧力を与えざるを得ず、さらに加えて国民党がけし掛けたはずの内戦ではすでに国民党の全国統治風前の灯のような状態であった。この情勢に押し切られて、国民党北平当局は人々の不満をやわらげるための政策を取ることを強いられ、新聞上に大きな紙面を割いて、記者の取材調査報告を発表させた。そのなかには、女子監獄主任趙愛貞のインタビューや、死刑を執行した当事者の談話、看守長の証明があった。死体を引受けた日本人古川大航のはっきりしない言い方も、市民の疑問を解くためであった。
その後に、当局は以下のような文書を発表した。

「劉鳳貞が典獄長を収賄で告訴した案件は棄却
 監督部門が調査し全くの虚構と判明
法院の命令により河北第一監獄長呉峙沅らが賄賂を受け取って金璧輝(川島芳子)を逃がしたとされる事件を調査し、ここにその調査結果を謹んで報告する。
(一)執行経緯:記録によれば、河北高等法院検察処は今年三月二十四日、核丁学第一八三号に基づき、河北北平第一監獄典獄長呉峙沅に訓令し、最高法院検察署寅魚捷事一六号代電により主席検察官は命令に従い、当該犯人金璧輝(川島芳子)を取り調べ、本人であることを確かめて、法に基づき死刑を執行した。今月二十五日午前七時に、本院は検察官何承斌を派遣して、命令どうりに執行されているかを監督し、協力して執行した結果を報告した。この事件調査の責任者である検察官何承斌は命令を受けた後、二十五日午後六時ごろに、書記官、法医、警吏などを率いて、第一監獄に赴き刑を執行した。監獄へ到着後に当該監獄の科を主管する王科長が女子監獄へ行き金璧輝(川島芳子)を引き取りに行き、女子監獄主任の趙愛貞が金璧輝を監房から呼んで女子監獄の横門で王科長に引き渡し、王科長は金璧輝を高等検察所の警吏に引き渡して処刑場に連行した。処刑場についた後に、検察官何承斌は自ら確認をして、金璧輝(川島芳子)本人に間違いないことを確かめ、遺書を残すかどうか訪ねた後、刑執行を宣告し、再び同じように検分して、三回にわたり確かめ、すでに死亡していたため、監獄吏に命じて、死体を後ろ門の外に運ばせた。これが当日の死刑執行状況の概要である。
(二)告訴内容:
(劉鳳貞の二つの告訴状と同内容のため略す)
(三)事実分析:
一、第一の告訴状の情況によれば、被害者劉鳳玲は金璧輝(川島芳子)の替え玉となって死ぬことを甘んじて受けたのであり、その原因は親孝行であったからで、その代価は金の延べ棒十本で、その動機は母が義理の兄劉仲儕の言を容れたことで、選ばれた原因は「外観が金璧輝に似ており、日本語が出来た」という以上四つの原因により、死刑の替え玉となったとされている。しかしその挙げたところの紹介人である劉仲儕は、一貫して義理の妹に劉鳳玲なる人間がいたことを否認しており、かついかなる親戚友人関係も、さらにはその人との面識も否認している。かつ告訴人が顔を出さず、また住所もなく、その紹介人とされている人間もそのことを否認していることから、告訴人が姿を現して質問に応じない限りは、劉仲儕が否認していることを嘘と証明することが出来ない。この理は明らかである。
二、その告訴状に述べるところによれば、「劉鳳玲は胃の病気を患い余命幾許もなく、また親孝行にもなるからと、母に家に戻るよう説得した」とあるが、胃の病気を患い余命幾許もない人間であれば、その病気の程度が重いはずである。金璧輝(川島芳子)が死刑を執行される前には、健康は普通で、余命幾許もない病人が健康正常な人間の替え玉になれば、たとえ告訴状の言うように「外観が金璧輝に似ていて、日本語ができた」にしても、その健康状態は、大きく差があり、このように死刑執行検察官をだまそうとしても、その検察官が騙しとおせるものであろうか。
三、「金璧輝(川島芳子)が女子監獄から庭に連れ出され、劉鳳玲と入れ替わり、小門から東北に向かって逃げた」とあるが、女子監獄の主任趙愛貞の供述によれば、「本監獄王科長が女子監獄に来て金璧輝(川島芳子)を要求したので、自分が金璧輝を女子監獄の側門から連れ出して、王科長に手渡した。」と述べており、また「私は側門の外側で、王科長が金璧輝死刑囚を女子監獄側門から刑場に連行するのを見た。」と語っている。その後にその場にいた警護人員、当該監獄科員秦紹武に供述したところによれば、本監獄王科長は金璧輝死刑囚を女子監獄側門から連れ出し、高等検察所の何検察官が連れてきた法官に手渡し、刑場へ連行し、その場で何検察官が本人であることを確かめ、姓名、年齢、本籍を尋ね、遺言を尋ねるなど各種の手続きをした後、何検察官の命令で刑執行人により執行された。また当該看守の饒希曽に質問したところ、このものは当日の刑場で警護責任者であったが、確かに処刑されたのは金璧輝本人であったと認めた。すなわち金璧輝死刑囚は女子監獄の側門よりでた後、高等検察所の法官が連行したことは事実であり、女子監獄と刑場の距離はわずか五〇ヤードで、法院唯一の小門すなわち非常門とは距離が七、八〇〇ヤード隔たっており、告訴人の言うようなことは、大勢の人が見ている中で不可能な事である。
四、「劉仲儕が刑を受けたことがある人間で、事務員の地位を金で買った」とか「呉、王、万、秋は賄賂で財を成した」などは本件とは関係なく、別の収賄事件とする。
「母は四月二十日晩に受け取っていない六本の金の延べ棒を要求しに行って、それから帰ってこない」、また告訴人が「あちこちに身を隠して、身元を明らかに出来ない」。上述の通りであるとすれば、告訴人の劉鳳貞は、その姐を金で売り母が失踪した後に、仇を討つためには、当然名乗り出て治安機関に保護を求め、社会の援助を求め、母と姉の仇を討つのが当然であるのに、ただ「身を隠し、身元を明らかにしない」のは、世の愚か者が出てくるのを恐れているのであり、でたらめを言っているのは、別の意図があるからであることが想像できる。
(四)告訴への疑問
一.告訴状の各段を見て、もし仮に賄賂があったという部分が事実であるとしたならば、請負人はすでに賄賂と誤殺人犯の二種の罪状があるのに、なぜ再び本件とは無関係の賄賂事件を持ち出す必要があるのか。もし告訴人がか弱い女子の身で、自分の母と姉の命が奪われたというなら、どうして監獄の過去の様々な汚職事件を詳細に知ることが出来たのか?疑問の一つである。
二、告訴人が告訴状に述べるような被害を受けたなら、即ち姉が金十本で命を売り、親孝行であったなら、告訴人は母と妹の仇を一身に担っているのに、どうして恐れて隠れるのか。これが疑問の二つ目である。
三、査察団が任務執行期間中に記録を調べると、過去の匿名で呉峙沅等を訴えた二つの告訴状にある告訴人の筆跡と本案の筆跡がよく似ており、さらに紙質と紙の大小も似ており、同一人物の手になるものが明らかである。劉鳳貞の告訴とどんな関係があるのか、たまたま代書しただけであろうか?全く理解しがたい。これが疑問の三つ目である。

この長大な文章の目的は、ほかでもなく北平市民に「替え玉」など存在しないと言わんがためのものであった。しかし、結果としては逆に民衆に疑わしい感覚を与えただけであった。当局が隠蔽しようとすればするほど、かえって怪しく思われてしまうだけであった。この文章の発表後に、あの「替え玉」の妹であった劉鳳貞も姿をくらまし再び姿を現すことなく、果たして当局に口を封じられたものか今となっては知るすべもない。
国民党政府当局はこのように不細工にもそそくさと金璧輝(川島芳子)事件への処置を終了したが、民衆の心には消しがたい懸念と謎を残したのであった。
一九四八年十二月上旬から一九四九年一月三十一日、天津戦役が終了後に、北平は平和的に解放され、人民共和国の首都北京となって人民の手に帰り、北京市民は新しい心持で偉大な祖国の建設を開始し、金璧輝(川島芳子)の死刑の謎は徐々に人々の記憶から薄れていった。

川島芳子の刑死は六十年余り経った今日でも、やはり彼女自身の足跡と同じくミステリーであり、世紀を超えて歴史的懸案となっている。もし、画家の張玉が祖父段連祥の遺言を世に明らかにしていなければ、おそらく川島芳子の生死の謎はそのまま謎であり続けていただろう。
川島芳子の養父川島浪速は一九四八年十二月十二日に親友の滝沢徳太郎への手紙の中で次のように書いている。
「中国の《大公報》の報道によれば、川島芳子の死刑は実際には執行されておらず、、処刑されたのは替え玉だった。新聞に載った死体の写真は現代中国風の長髪だった。彼女と一緒に生活していて、先に釈放されて帰国した小方八郎は、彼女は男のように短い髪にしていたから、処刑されたのは川島芳子司令ではありえないと言っている。」
古川大航も次のように述べていた。
「死体は血まみれで判別し難かった。ただ髪の毛は肩まで伸びて長かった。」

川島浪速のこの手紙は現在も米国国立公文書館に保管してあり、すでに英訳も添付されている。
当時古川大航が一九四八年九月に、いわゆる「川島芳子」の遺骨の半分を川島浪速に手渡すと、川島浪速は川島芳子の遺骨の安置を手配し、長野県松本市黒姫山雲竜寺の永井徳温住職に託した。
永井徳温の一九六五年の回想によれば、「浪速先生は夫人と芳子の遺骨を一緒に私の寺に預けた。当時も芳子の替え玉説があったが、浪速先生は『たとえ替え玉でも供養しなければならない、もし芳子本人ならなおさらだ。』と言って私どもにあつく供養させた」。

二〇〇八年九月二十四日、日本に留学中の中国人学生孫洋が日本の名古屋市から日本の川島芳子の資料を送ってくれたが、その中には「川島芳子生死の謎」に関する次のようないくつかの噂が含まれていた。
一、日本政界で親中派の政客であった藤山愛一郎が一九五五年バンドン会議に参加した際、渡航前に周恩来首相と面識のある吉薗周蔵を訪ね、周恩来宛ての紹介状を書いてくれるよう頼んだ。すると、吉薗周蔵はそれと引き換え条件として、藤山愛一郎にことづけて周恩来にあったら川島芳子は生きているのかどうか尋ねてほしいと頼んだ。藤山愛一郎は会議の間に周恩来と親しく会見し、吉薗周蔵からの紹介状を手渡すと共に、吉薗周蔵の名義で周恩来に「川島芳子が生きていると聞きましたが本当ですか?」と尋ねた。周恩来は日本の友人からの言伝を拒否することもなく、「そんなことは答えられる問題ではありません。ただ吉薗先生にはこうお伝えください」と言いながら、手で丸を描いた。藤山愛一郎は帰国すると吉薗周蔵に周恩来からの挨拶とともに、その問題への回答も伝えた。
二、一九九七年八月、日本外務省出身の某議員が日本海軍の特務機関にいた塚田という人物から聞いた話として、川島芳子は金の延べ棒五本で命を贖ったあと当局に軟禁されたと述べた。
三、川島芳子が死刑を執行される十日前に外国人のAP特派員が監獄で単独取材をした。その時、この特派員はその眼で川島芳子が男のような短髪であったのを目撃している。しかし処刑されて公開された死体の髪の毛は首に巻きつくほど伸びていた。
四、二〇〇二年日本ABC記者が愛親覚羅・連伸の紹介で東北地方の暁玲という女性を取材した。この女性が言うには、川島芳子は一九四八年に死刑を逃れた後、中国に残留した旧日本軍人である松本章と結婚し、一人の娘を産んだが、それが彼女暁玲だという。ところが、一九五三年に川島芳子と松本章は自宅で何者かに殺害された。当時、わずか四歳だった暁玲は親切な人に養子にもらわれた。暁玲が大人になった後に、養父母は彼女に出生の秘密を語って聞かせた。愛親覚羅・連伸によれば彼女は「川島芳子」の祭壇に花を供えているという。
 現在、こうして日本に流布している川島芳子の生死の謎に関する数々の噂は、「川島芳子生死の謎」が半世紀以上にわたってずっと議論され、いまなおその余波が続いていることを示している。

我々は当時北平当局が川島芳子を審理した機密文書を手に入れることができた。『川島芳子の秘密―国民政府金壁輝審判文書』というもので牛山僧の編集により香港で少数出版されたものである。当該資料の中には、国民党軍統調査室の尋問記録、検察官の告訴文書、裁判官の審理記録(筆記)、被告の自白と抗告、弁護人の弁護、裁判所と検察院の往復文書、すべて原資料のコピーであるが、その中に意外な発見があった。当該文書の第三十八巻の中に「古月山人」という匿名の人物が、金壁輝に「災いを転じて福となす策」を書いて寄こしているのだ。その文書は以下のようなものであった。

 「大恩人さまがお書きになった手紙を受け取りびっくりしています。私めは今日南京より古都へ戻り、ついでに福星の行方を尋ねますと、すでに北京にきて数日になるとのこと。どうぞ大恩人さま早急に訪ねてください、機会を逃して後から後悔しても遅いのです。さもなければ私めがせっかく恩返しをしたくても無駄になってしまいます。どうぞ大恩人さま疑わないでください。試みに人生の危うさを考えてください、朝に生まれ夕に死ぬものがどうして謀略に打ち勝てるでしょうか。ただ勇敢な者だけが打ち勝てるのです。いま私めは恩に報いるために、危険を顧みずに機会を探っているのです。大恩人のために災いを転じて福となす計画を考えたのに、なお疑って決心しなければ、災いが降りかかってから後悔しても遅いのですよ。どうか考え直してください。私めが早く北京に戻ったのも、この事のためです。明日の朝処刑場に向かわれるときに、この手紙は燃やして、ほかの人の目には触れないようにしてください。さもなければ効力を失ってしまうばかりか、大きな災いを招きます。これは大恩人さまの生死にかかわることですから、決しておろそかにしないでください。金壁輝大恩人さまへ。
古月山人
北京東四九条金宅
金壁輝様親展
古月山人封」

この手紙の文面を表面的に見ると次のことが読み取れる。
一、送り主の古月山人(筆名か号)はかつて川島芳子に救われたことがあるか、財政的援助を受けたか、その恩返しのために動いている人物である。
二、古月山人は南京国民政府の人間か、あるいは国民党軍統の成員か、あるいは南京当局の権力者とつながりのある人物である。
三、この手紙は同じような内容の二番目の手紙で、しかも処刑の前日(一九四八年三月二十四日)に送られている。当事者は大恩人(川島芳子)に最後の機会(救出の)を逃すことないよう忠告している。
四、手紙は川島芳子の手に渡ったが、なぜか焼却処分されず、この裁判の関係者により資料の中に入れられたのは、後世の人に示すためであろうか。川島芳子がなぜ焼却処分しなかったかといえば、おそらく生死の境を前にしてそれどころではなかったのであろう。
 総じて言えば、この手紙が伝えているのは次のような情報である。川島芳子を救い出す秘密の計画があり、最後の最後にいたる直前まで、緊密に連絡を取り指示をしていた人物がいるということだ。
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